<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

歳月を取り戻すようにして

2014年05月20日 09時45分38秒 | Weblog
まどみちおさんの「象さん」のような詩が書きたい。



象さん象さん お鼻が長いのね
そうよ 母さんも長いのよ

象さん象さん 誰が好きなの
あのね 母さんが好きなのよ



情感たっぷりでいいなあ。短い詩だけど強く訴えてくる。子どもも大人もこれで楽しい気持ちに誘われる。慰められる。力づけられる。いいなあ。



こんな詩が書けないかなあ。そう願うだけで馬齢を重ねてしまった。もうこの高齢だから無理かも知れないなあ。



象さんはお母さんが好き。好きだという感情は大切な感情だ。これを持って居さえすればこころはあたたかい。血液が冷たくならないですむ。象さんは母さんが好きだけど、母さん以外でもいい。わたしもこの高齢でまだ母さんを大切に思っている。

誰を好きであってもいいのかもしれない。人間を好きであるということが大事なんだろう。好きであれば好かれる期待も加わる。

愛情の交換ができるというのは喜びである。これが可能な内は活動したいという欲求も高まるだろう。



好き好き好き
好き好き好き
100回も1000回も言ってみる
お母さんが赤ん坊に言うようにして言ってみる

それだけで
ほのぼのとなってくる
頬に紅が差して
力が内側から湧いてくる

好き好き好き
好き好き好き
これまでどうしても言えなかった分を
歳月を取り戻すようにして
真夜中ひとりで言う

好き好き好き
わたしはあなたが好き好き好き
わたしはあなたが好き好き好き
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わたしはあなたが大好きです

2014年05月20日 09時11分08秒 | Weblog
詩を書いているときには、何か背後から力が加えられてくるような気がする。絵を描いているときにもそうだ。何かそうした摩訶不思議な力、後押ししてくれる力というようなものが何かあるのかもしれない。かといって、いつでもそんな状況が作られているかと言えばそうでもない。暫く待っているとその力が肩や腕先に流れて来る感覚が感じられることもある。仏画を描いているときに、こんな才能が自分に備わっていたなんてとても信じられないと思うことが何度もあった。絵がもともとそんなに上手ではないことは確かだが、それにしては上手くできすぎていると思うこともあった。

説明ができないことってたくさんあるよね。説明できることの方がむしろ少ないのかも知れない。だから説明しなくてもいいということではないのだけれど。自分を後押ししてくれる力、自分を前から導いている力、支えてくれている力、護っている力、引き上げていこうとしている力、そうした様々な力、自分以外を拠点としている力が自分に向かって常に働いてきている。力の源というような力水源地がどこか空の高みにあってそこから太い導管を伝って流れ込んでくるサポートの力水。「あなたを助けます。あなたを後押しします。あなたをリリーフします」そういう目には見えない力があるのではないか。



ええそれはわたしですよ
あなたを後押ししているのはわたしですよ
あなたを見守っているのはわたしですよ
あなたを応援しているのはわたしですよ

庭のコクリコが言う
隣の独活(うど)の若葉も雨に濡れながら言う
その隣の隣の南天の赤みを帯びた新芽も言う
玄関脇の紫蘇までがかさにかかって言う

わたしはあなたが大好きです
嫌いになれないんですよ
石垣からちょろちょろ出てきては石竜子が言う

あなたのことが心配で目が離せないのですよ
あなたを応援しています
あなたが嬉しがる顔がわたしを嬉しがらせるのです
木に登った雨蛙がげっげっげと鳴いて言う

ほんとうかどうか
眉唾物じゃないか
そんなことあるものか
ありえるはずはない
こっちは疑ってしまうが
もしかして、1万分の1くらいは、事実かもしれない

護られていること
護られている自分ということ
名付けられないけれども自分をそうやって
懸命に護っている大集団が
自分を幾重にも取り巻いて存在している
そういうことがあるのではないか

あるとすればそれは何故なのか

わたしにそれだけの魅力が備わっているとは
どうしても信じられない
とすれば
いよいよもってそれは何故なのか

わたしは頬臂を突いて考える
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一人遊びぞわれはまされる

2014年05月20日 07時52分02秒 | Weblog
話し相手が欲しいくせに、三郎は世間と没交渉。誰とも会わない。こちらからは求めない。一人遊びを決め込んでいる。

世の中に交じらぬとにはあらねども一人遊びぞわれはまされる

これは良様のお歌。良様の領域にあるわけではないのだけど、人と交わると疲れてしまう。気疲れをしてしまう。相手が不満足ではないかしらんと気を遣う。その通りで、三郎は人を愉快にさせる面白い人間ではないのだ、ちっとも。ぶっきらぼうなのだ。ブスブスしているのだ。相手は飽き飽きしてしまう。それで、一人で我慢をする。

(デートをする絵美さんをバーチャルで登場させるしかないってわけだ)(この頃さかんに彼女を登場させてるよね、三郎は)



話をしていたら相手がそれで愉快になってくれる、っていいよね。でもそれって話題が豊富でないといけないよね。三郎に話をさせたら、いつしか仏教になってしまう。線香臭くなるのがオチだ。これじゃ、つまらないよね。

線香臭いの反対側の岸にあるのが、ロマンチックな話題だよね。で、超美人の絵美さんのことを書こうとするけど、なにしろ架空だから、話が続かない。困った困った。



雨が降りそうな。どんよりした怪しい空模様だ。

どこか遠くへ行きたくなってきたぞ。もちろん一人でだけど。
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山を歩く楽しみが出てきたぞ

2014年05月20日 07時17分44秒 | Weblog
野イチゴがおいしい季節になった。
野イチゴが茂っている山裾の草藪へ行くと赤いイチゴがここそこにルビーのように輝いている。
これを摘む。摘んで口へ放り込む。甘すぎない素朴な甘さだ。
野イチゴには棘があるので、指先に棘が刺さる。これくらいの犠牲には甘んじよう。
野イチゴの藪には蛇が潜んでいる。これが恐いので、棒切れでつつきながら歩く。
たくさん獲れたらジャムにできる。どこの道の駅にだって売っていないぞ、このジャムは。
野イチゴは赤い実をつけるが、黄色い実をつけるのもある。これは木イチゴ。
酸っぱさが特長かな。同じく鋭い棘がある。
山里で育ったので、こうした山の恵みを受けることに慣れている。目が目敏く山のルビーを発見する。
山欲が起こって来て、次から次へと目が追いかけ続ける。ビニール袋がイチゴでいっぱいになっても止まらない。
イチゴは潰れて甘酸っぱい匂いをさせてくる。
とにかく山を歩く楽しみが出てきたぞ。

絵美さんに食べさせたらどんな顔をするのだろう。絵美さんと一緒の山歩きなら楽しみは何倍にも増するのだが、それは夢の又夢だ。なにせ架空のバーチャル人間だから。
読者諸氏は、三郎は老いているのにいよいよイヤラシイゾ ゾゾゾとなじるかもしれないが、これは枯れ木の山の空想の賑わい遊び。いつもいつも一人は寂しい。
まあ、あなたさまのご度量計器の深さを!
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やだなあ 愚かな三郎だった

2014年05月20日 07時07分37秒 | Weblog
作業ズボンのポケットに携帯電話をいれてままで洗濯機の中に投げ入れてしまっていた。今朝、洗濯がすべて出来上がっていざこれを乾す段になって、洗濯機の底に携帯は現れてきた。しまったと臍を噛む。なんという迂闊なことをしてしてしまったのだ、おれは! でもすべては後の祭り。どうにもならない。携帯ショップへ行くしかない。愚かな三郎だった。
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呼吸する条件が完璧に整っている

2014年05月20日 06時27分18秒 | Weblog
相手に
完成の仏陀を見ることができる者は
仏陀である

海が空を見ている

完成の空を見ている

空が完成をしていることを見て
海は
これを写して紺碧になった



山の木々は
山が完全でなければ
自分たちも
完全にしていることはできない

山は
海が完全でなければ
自分たちも
完全にしていることはできない

海は
空が完全でなければ
自分たちも
完全にしていることはできない

それぞれが完全でなければ
三郎がひとりで
人間の完全を主張しても始まらないのだ



すべての条件が整っているのだ
完璧に整って
そこに
芥子の花が赤く咲いているのだ

芥子の花が赤く咲く条件が
すべて整えられて
芥子の花は
わたしの庭に来て
赤く咲いていることができる



三郎は
三郎が呼吸する条件が
完璧に整えられて
呼吸をしている

呼吸をしているということが
三郎を取り巻くすべてが
完璧であるということの
絶対の証である

三郎は
そういうわけで
鼻から
呼吸をしているだけで
すんでいるのである



雨の予報だったけれども
朝が来ても
雨は落ちてきていない

6時に目が覚めて
三郎は
いつものように
障子戸とガラス戸を開いた

朝の空気が流れ込んできた
小鳥が山から下りてきて歌っている

種蒔きをしてから10日
インゲン豆が畑で列を作って
つややかに茂っている

お互いはこうして自分たちの完璧さを
謳歌していればそれで
日々が安寧に無事に
暮れていくのである
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