<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

この世には可笑しいことがたくさん

2014年05月24日 15時46分51秒 | Weblog
にいいいいいいいっ
にいいいいいいいっ

桜の木の幹が笑ってる

可笑しいことがあって
可笑しくて笑ってる

幹には厚い皮が張り付けてあるので
こんな笑いしかできないけど
これで精一杯

にいいいいいいいっ
にいいいいいいいっ

ホトトギスのオスが
懸命になって歌を歌うんだが
メスは朝まで知らん顔

この世に
可笑しいことがたくさんあるのは
みんなをくすぐって笑わせたいから

めったに笑わない桜の木の
幹にだって
笑ってほしいから

テッペンカケタカ
テッペンカケタカ
カケタカドウカ
ワッカルモンカ

オスもメスもとうとう笑い出した
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みんな笑っていいんだよ

2014年05月24日 15時18分08秒 | Weblog
口を開けずに笑うって
難しいよ

むふふふふ
笑ってご覧
笑えなかったでしょ?

笑わないと決めている
虎魚(おこぜ)が
笑った

自分だけは
口を開けて笑った
恐い顔がなくなった

だまされた赤貝と浅蜊は
とっさに
蓋を開けて笑った

ばふふふふ
がはははは
ごほほほほ
みんな笑っていいんだよ

虎魚の笑い泡と
赤貝の笑い泡と
浅蜊の笑い泡が
同時に仲良く
ぷかぷか浮いて登って行った

夕日の沈むところまでいったら
消えた
これで沖の闇が
おだやかになった

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はの行はよく笑う行だ

2014年05月24日 15時08分59秒 | Weblog
あはははは
おほほほほ
えへへへへ
うふふふふ
いひひひひ

あの行はよく笑う
はの行は
今日はその4倍を
笑った

げへへへ
ごほほほ
がははは
ぐふふふ
ぎひひひ

が行が入り込んで来たら
すかさず
は行もこれについて
笑いこぼれた

ほかの行も
笑いたくてたまらないんだ
ほんとうは
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おっとうもおっかあもおれも数珠つなぎ

2014年05月24日 14時49分39秒 | Weblog
おっとうをよろこばせろ
おっかあをよろこばせろ

よろこばせようとしなくったって
よろこんでらあ

おっとうは
おれが
おっとうを思っているだけで
よろこんでらあ

おっかあは
おれが元気にして
ここにいるだけで
よろこんでらあ

どこにいたってそうならあ
生きていたって死んでいたって
そうならあ
おれにはそれがよくわかる

こりゃ
1000に1つの
間違いもないことだということも
即わかる

おっとうがにこにこよろこんでらあ
そういうわけで
でもって
今日のおれがよろこんでらあ

その隣で
おっかあがにこにこよろこんでらあ
そういうわけで数珠つなぎに
今日のおれがよろこんでらあ
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おれはまだ味わい尽くしていない

2014年05月24日 13時09分32秒 | Weblog
山の中でばったり老人に出会った。
老人は腰に藁縄をしめている。
着ているものは粗末だ。
老人の顔まで目を上げてくると、実にいい顔だ。満ち足りている。
満面がよろこびで出来上がっている。
それで熊打ちが「あなたがよろこびにしているものはどういうものか」と尋ねてみた。
藁縄の老人が答える。

おれには噛めば噛むほど味が出るよろこびがある。
1つ、おれは人間に生まれた。
1つ、おれには目がある、手足がある。
1つ、おれは今日を生きている。
たった3つだが、おれはまだ味わい尽くしていないのだ、と。



人間に生まれて来ているよろこびは、それが果たし得ていないということを想定してそこから思索をすればよい。
目があり手足があるというよろこびは、それがないという立場に立って類推をすればいい。
今日を生きているというよろこびは、今日を生きていないという状況設定をすれば手に入る。



あるもので満ち足りる。これなら楽々だ。
ないものねだりをしない。ないものをねだらない。あるものを受け取る。有り難く受ける。
おれには目がある。おれには手足がある。山中の老人にだけあったのではない。それならおれにもある、のである。



三郎はそんな中国の古い話を思い起こして自分を戒め励ました。
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ぼくのよろこぶ量は一生でどれくらい?

2014年05月24日 12時19分00秒 | Weblog
ぼくの<よろこび量>はどれくらいなんだろう?



箱に詰めたら一日で何箱くらいになるのだろう?

夜寝るときに、
「今夜はすげえや、10箱分もあるよ」とか、
「なんだ、1箱分にも満ちていないよ」なんて言ったりするのかな?



海に出て行く漁師さんが朝方早く港に帰ってきて、漁獲を箱詰めにして魚市場に列べるのを連想しちゃった。



魚の箱にはいろんな種類の魚がはいっている。



よろこびの魚は新鮮だから、箱の中でまだ踊っていたりするのかもしれない。



そのよろこびの箱の容量は?

縦x横x高さ、それぞれどれくらいなんだろう?

10mx3mx5mの縦に長いのだったり、10mx10mx10mのキューブだったりするかも。



人によって違うだろうけど、ぼくのはどれくらいなんだろう?

(よろこびは人の感情だから不可算名詞。数えられないし、場もとらないよね、ほんとうは)



箱だって、ぎゅうぎゅう詰めにしたり、ふんわりしてぴたりと、さまざまな収容の仕方があるだろうけど。



よろこび量が大きい人っていうのはどんな人なんだろうね。その反対に小さい人っていうのは?



重さにして、たとえば、1トンのよろこび量の人は1週間で7トンになる。



ま、保存する必要もないから、倉庫はいらないよね。



海にどんどん流してしまっておしまいということもできるし、捨て去るのが惜しい場合は、山積みにしておくこともできる。その証拠品を見て思い出しただけでまたぞろよろこびが戻ってくるってこともあるだろうから。



で、ほんとによろこびが堆積し続けて、ある人は富士山みたいな山がうしろに見えるということになったら、愉快だよね。(よろこびの富士山も雪を頂いている)



1000m級の山の人と100m級の山の人とがいる、と仮定する。(ぼくは仮定ばかりしているけど)



「おいおい、きみは何をそんなによろこんだんだい?」と質問をしてみると、1000m級の山の人が、「じゃ、ご覧よ。見れば分かるから」と答える。



100m級の山の人がおそるおそる山に足を踏み入れてよく見ると、特別よろこんでいいものばかりではなく、実に平凡なものばかりで、中には石ころもある、白い雲のちぎれ雲というのもある、どこででも聞ける小鳥の声もあるので、いささか興ざめをして、「なあんだ、きみはこんなものをよろこんでいたのか」と言ってしらけてしまう。



で、1000m級のよろこび山の人が、「うん、何を喜んだかということはそうたいしたことじゃないんだ、ぼくの場合は。それよりどれだけのものによろこびを見いだし得たかということが、ぼくには大切なことだったんだよ」と言い訳をしている。



結論を言ってしまいたい。よろこびの量の隣によろこびの質があるのはわかっているけど、ともかく死ぬまでにできるだけたくさんたくさんよろこんで、よろこびにふやけていたいのである。今日をよろこんでいたいのである。

単純な結論だったね、ごめんね。
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もっとよろこび上手になりたい

2014年05月24日 08時13分37秒 | Weblog
「もっとよろこび上手になりたくて」

「わたし、今年こそはもっとよろこび上手になりますよ」

「見ていてくださいね」

アマリリスが続けざまにわたしに言う。

わたしはそっけない返事をする。ふううん。

わたしはいつもそっけないのだ。アマリリスに限ったことではない。

この季節になると彼女は毎年わたしの庭の片隅に咲き出してくる。そして話しかけてくる。見上げるようにして。

毎年見ているけど、アマリリスが別段よろこび下手には思えない。風や蝶とけっこう楽しそうに遊んでいる。

そして機嫌良くわたしをも遊び仲間に誘ってくる。

わたしがそっぽを向いたときには、茎のてっぺんに左右対称に花のラッパを広げて、ラプソデイの演奏に取り掛かる。

屈託なく自在だ。



ともかく、よろこび上手になりたいというのが今年彼女が掲げたスローガンのようだ。「もっと」というからには、これまでよりもということだろう。

欲張り。少しでも中途半端にでも、ともかくよろこんでいるのならそれでいいじゃないか、もっとだなんて言わなくとも。

「だって、どれだけでもよろこんでいいんですよ」「制限はつけられていないんですよ」

彼女はこう言う。それはそうだけど、とわたしは同意する。

「それなのに、わたしは毎日コップ5杯ほどのよろこびしか吸っていないんですよ」

「その5杯のコップの一個はお日様のことだね?」

コップ5杯というところが面白くて、わたしは問いを発する。

アマリリスはそうだと答える。「そして、よろこびコップの5杯目はあなたです」とにんまりしてみせる。わたしもこれには笑ってしまう。

わたしと対話をしているのもよろこびのうちだったとは! わたしも正客にしてもらっていたというのなら、まんざらでもないじゃないか。



「もっとよろこび上手になりたい」彼女は同じことを何度も言って来る。たしかに上手になることは悪いことではない。これはどんなことにも当てはまる。

なんだか切実な欲求のように聞こえる。

「応援してるよ」わたしは彼女のラッパに軽く指を触れてみた。

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ひとり厭きずに見ている

2014年05月24日 07時42分41秒 | Weblog
青空が広がっている。ああ、気持ちがいい。



山の向こうから白い雲が流れて来た。どんどん動いている。生まれて消える。生まれては消える。



短時間のドラマだ。どんどん雲の形が変貌変容する。厭きずに見ている。



山は新緑だ。伸び上がってくる。おおいおおいおおいと声をかけられている感じがする。



新緑といってもその緑の色が実にさまざまである。木の一つ一つが独自な色をつけていのちの夏を謳歌している。



ひとり野原にいて、厭きずに見ている。



空と雲と山をわたしの目の舞台に登場させておくと、それぞれが愉快を見せてくれるので、けっこうこれで楽しめる。



これらの舞台俳優達もわたしたちでよければいつでもどうぞと言ってくれる。こうして気さくな仲間になってくれる。



擬人化をして表現をしてみたが、空も雲も山も人ではない。人ではないけれど、人なつっこい。やさしい。



わたしはついつい「ありがとう」を言ってしまう。まるでわたしの家族にでもなってくれたかのような、不思議な懐かしさに浸る。



最後には他人とは思えなくなってくる。でも思い入れはここまで。麓の方から風が吹き上がってきた。海の匂いだ。



剥き出しの腕がひんやりとする。半袖が寒がる。わたしは帽子をとって帰り支度を始めた。



ホトトギスがしきりに鳴きだした。背の高い松の木のてっぺんあたりからだ。
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