<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お刺身があるので焼酎を増量

2014年05月14日 17時55分06秒 | Weblog
夕暮れになりました。6時は、いつもはまだ明るいのに、今日ははや薄暗い。雨は上がっていますが、空はまだどんよりしています。日没が早く感じられます。



甥っ子が、海釣りをして帰って来ました。釣果をお裾分けしてもらいました。今夜はお刺身が食べられます。



2日前から焼酎をまた飲み始めました。血糖値が高くなったために食事療法をしていました。やっと正常値の範囲内に収まってきました。コップに1cmくらい焼酎を注いでこれをお湯で10倍に薄めて飲んでいますが、約3ヶ月飲んでいなかったので、すぐに酔ってしまいます。やっぱり血糖値が高くて治療をしている友人が、先日電話をしてきました。あれこれ話をしていて、焼酎は糖分がないので、飲んでもよかろうと友人は言います。もともと飲むのが好きですから、渡りに舟。飲み出したというわけです。

今夜はお刺身もあるのでこれまでの1cm適量を少し増やして1.5cmくらい焼酎をついでみたいものです。
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相手を仏陀とすることができる者が

2014年05月14日 09時27分01秒 | Weblog
仏陀となったわたしを想定してみる。

仏陀とは? 

覚者である。真理に目覚めている者である。大悟徹底者である。

迷妄をすでに脱し終えた者である。揺るがない者である。

宇宙の調和に合一した者、大安心者である。完成者である。



仏陀となったわたしは?

どんな眼をしているか?

どんな顔をしているか?

どんな行動をしているか?

これを想像をしてみるのである。



赤い芥子の花が咲いている。庭がこれがために明るい。明るくはなやいでいる。

赤い芥子の花は長い長い首をしている。長い長い首の上に花弁が開いている。これが微風に揺れている。

芥子は仏陀である。

人間ではないが、完成をしているという点では仏陀である。

では、どうして仏陀であると認定するか。

それはユイブツヨブツナイノウグウジンだからである。

唯仏与仏 乃能窮尽。ただ仏と仏とのみが、すなわちよく(宇宙の法を覚知する仏としての互を)窮め尽くす。



相手を仏陀とすることができる者がすなわち仏陀にほかならない。

こういう自己流の理論を組み立てて、わたしは赤い芥子の花の前に立った。

芥子とわたしの二者の間でのみ、この関係は成立することができる。

芥子を仏陀と見たわたしを、芥子がわたしを仏陀として見ている。

これでしばらく二者は五月の朝の安寧に満たされている。
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己を死なしめて他を生かすアポトーシス

2014年05月14日 08時27分48秒 | Weblog
花を咲き終えた柿が小さな実をたくさんつけた。

着けた端(はな)から、実は先を争うようにして落下する。

アポトーシスにはいったのだ。

犠牲死だ。

みずからを死なしめて他者を生かす死だ。

これで最適量の大きな実を豊かに成熟させることができる。

柿の木の下に行ってみるといい。無数のアポトーシスの、死者の群れだ。



細胞もこれをする。

アポトーシスをする。

古くなったものから死んで死んで死んで、次の新しい若々しい健康な細胞を生かす。生かし続ける。

他を生かし続けるためには、古くなった細胞は進んで死を選択して、飄然と去って行くのだ。

去った細胞は犬死にをしているのではない。全体の大きないのちに貢献していくのだ。

全体の命の大河を流れしめてそれで幸福を得るのだ。

アポトーシスをする柿の実もわれわれの体内の60兆個の細胞群も、暗い顔をしたり悲しんだり不安になったりはしていないのだ。



わたしの引き受ける死もまた一種のアポトーシスである。わたしの個体の死が大量の新しい生を呼び寄せるのである。

わたしは、個体のわたしでありながら、同時に永遠を流れる大きな大きないのちの大河だったのである。

柿の実もわたしのいのちも、実は壮大な宇宙の、宇宙ドラマを展開する妙適なジェネラル生命体だったのである。
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誘惑するっていいよね してみたい

2014年05月14日 07時05分21秒 | Weblog
川土手にアザミの花が咲いている。紫の色の色合いがなんとも絶妙である。花を近づけると匂う。

アザミがこの魅力を放っているのはひたすら飛んでくる虫さんのため? 虫さんを招き寄せるため? 誘惑するため?

だろうね。



誘惑するっていいよね。

三郎も美しいメッチェンを誘惑してみたいな。

肉体は衰えたので、肉体という魅力以外で。こころで。たましいで。

霊力発電した100万ボルトの電力を送電して。

ええっ、でも、美しいメッチェンはそんなのでは誘惑できないよね。

だよ。

美しい肉体を誘惑できるのはただ美しくたくましい肉体の魅力だけである。



誘惑する者がいて、そこではじめて誘惑される者が誕生する。

誘惑もしたくないと言われるよりは、誘惑したいほどの魅力があなたにはありますよと強引に誘惑されてもみたいな。

迷惑だ、という人もいるかも。「誘惑されて捨てられて」という映画があったね。

男は女を誘惑する。女は男を誘惑する。するとされるの間柄だ。これで引き合って共存する。

* 

アザミの話に戻ろう。

アザミがアザミの花の色をすると、どうして虫が誘われてくるのだろう?

紫の色の花を着けたら、虫が誘惑されてくるというシークレットを、アザミはいつどこで手に入れたのだろう?

何度も何度も試行錯誤を繰り返したよね、きっと。気の遠くなるほど何度も何度も。

これじゃない、これでもないと。

ここまで進化するのに、アザミは100万年くらいの歳月を費やしたよね。

そしてアザミは賢くなった。虫さんとの対話が成功したのだ。ぴたりと照準が合った。

花の色、花の匂い、花の蜜・・・。すべて適合ができたのだ。

アザミと虫さんとは。どちらもそうすることで利益を得ることが可能になった。

アザミも虫さんも嬉しい嬉しいになった。



アザミは、いまここで咲いているアザミの一生だけではこの難事業を成功させてはいない。

いのちが連続をしていたために起きえたことだ。

ということは、アザミは過去を連続して生きて来たということになる。

永遠に近いいのちの営みをしてきたということになる。

そしてそれはこれからもありうることだろう。

アザミは永遠の過去と永遠の未来を勝ち得て、永遠を凝縮した現在を過ごしているのだ。

なるほど、それでアザミはこんな風にいまここで栄華を極めていられるのだろう。



アザミの紫の微妙な色合いが素晴らしい。アザミは賢者である。画家である。ロマンチストである。

さて、この色を彩色する原料を、ところで、アザミはどこで見つけてくるのだろう? 

その原材料を根から吸い上げてきたとして、あの細い身体のどこに、染色工場があるのだろう? 

どの色とどの色を混ぜ合わせたら、その色になるかということをどうやって知り得たのだろう。

放っている匂いの、その絶妙の匂いどうやって構成させたのだろう?

花の蜜の蜜工場はどこにあるのだろう? 甘い糖分はどうやって調合したのだろう? 

そしてその蜜が虫さんの薬になるというプラスαを追加し得たのは?



アザミの不思議。アザミは不思議を完成させているのだ。

「そういうのはみな遺伝子が操作することなんだよ」って声が聞こえてきそうだね。

遺伝子って、その生物を伝えて遺していく本質的生命元素ってことだよね。

過去から未来まで流れて下る生命の大河。古いけれども常に新しい生命の維持機構。

次から次へプラスを重ねて進んでいく。



野にある草の花ですらこうである。まして人間は・・・と思いたくもなる。



長くなった。朝ご飯ですよの声が呼んでいる。今日の結論はこうだ。

アザミは永遠を生きてきた。いのちは連続している。

わたしのいのちもまた永遠を生きて来たので、今日を生きているのだ。

そしてまた永遠を生き継いでいくことになる。

安心しろ。いのちの切断は起こらないのだ。
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