<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

兵児帯をしめる

2015年07月13日 17時41分53秒 | Weblog

昨日から兵児帯をしている。これは父の日のプレゼントだった。中々その気になれなかったのだが、やっと決心をした。しかしあまりにも飄々然としていて、釣り上げられた一物が落ち着かない。腰の左右は裸のままだから、兵児帯は夏用なのだろう。冬は寒そうだ。昔の人は日本式立ち位だっただろうから、無難にこなせただろうが、さぶろうは洋式便座に座って放尿をたす習慣なので、その度にいちいち取り外さねばならない。これがいささか面倒である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汗の重さは充実感の重さ

2015年07月13日 17時17分01秒 | Weblog

さあ、これからサイクリングに出掛けよう。さいわいに雨も上がった。空気がひんやりしている。城原川の左岸を一路南下する。途中からは車が通らない道になる。葦や茅が茂って道に覆い被さってくる。犬を散歩させている人、ウオーキングやジョギングをしている人に擦れ違う。こんにちはの挨拶を交わす。返事を返さない人も居るが、何か事情があって挨拶をする気分になれない人なのだろう。追い越す。鉄道線路の近くまで来て道は途絶えているのでその少し前の細い橋を渡って右岸に出る。ここが折り返し地点だ。用意してきたペットボトルから水を飲む。帰り道はずっとこの右岸だ。車道なので車と擦れ違う。通り越して行きやすいように端っこに寄って止まる。見上げると背振山系が聳えている。ああここが故郷なんだなと思う。このところずっと雨が降り続いていたので川の水の水嵩は増していて、勢いがいい。晴れていれば水面は鏡に成って空の雲を映している。そろそろ汗が滴り落ちてくる。頭にはタオルを巻いてしっかり汗が流れ落ちるのを防いでいるが、顔面はそうはいかないので、おりおりに腰のタオルを引っ張り出して拭き取る。股の筋肉が凝っていて痛い。痛いけれどもぐいぐいぐいぐいペダルを踏み続ける。1から100までの数を数えてペダル漕ぎに集中をする。東西に交差している道路を何度か横切っていく。帰路は上り坂になっているので運動量が増してくる。息が上がる。我慢をする。ラスト100m。五段階ギアのもっとも軽いギアに切り替えて漕ぎ続ける。我が家が見えてくる。アイムホームだ。往復で1時間かかっていたところだが、体力が増し加わってきたのだろう、いまはこれが10分ほど短縮になった。よくここまで回復を果たしたものだ。そう思って嬉しさが込み上げてきたところでわがサイクリングは終了する。自転車をベランダの定位置に戻す。半ズボンと半袖シャツが汗に濡れて重たく感じられるが、これは同時に充実感の重さでもあるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この世のドラマを楽しむ

2015年07月13日 14時12分08秒 | Weblog

薄い青紫の豆の花が咲いています。蔓性で姫林檎の木を登っています。やがて実を結ぶでしょう。

これからジャックと豆の木を想起します。ジャックは天空まで伸びた豆の木をよじて天宮に至り着きます。そして魔神に追いかけられながらも、天の宝物を手にして戻って来ます。子供のフェアリーテイルにはドラマがあります。ドラマ性が強くないと興味が持続しませんよね。子供だってそうですから、大人のそれも推して知るべしです。

さぶろうが書いているこのブログもやはりドラマ性が込められていた方が読みやすいと思いますが、それを怠っています。

昨日NHK教育テレビで「アラジンと魔法のランプ」が取り上げられていました。悪者の魔法使い、ランプの魔神、指輪の魔神、国王、若きプリンセス、そしてアラジンが登場して話が進んでいきます。老人のさぶろうでも3才の幼児のようにわくわくしました。「何かご用でしょうか、ご主人様」魔神が現れてきます。こうしてアラジンの願いが聞き届けられます。40人の男たち女たちが金銀財宝を運び込んできます。貧乏だったアラジンは途端にお金持ちに早変わりします。美しいプリンセスとの恋も成就します。

夏休みに東京の孫がやって来ます。アメリカ映画「アラジン」のビデオをレンタルで借りて来ていっしょに見て楽しもうと計画を立てました。この世にはドラマがあります。ドラマを楽しんでわくわくするのはいいですね、いつまでたってもいいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他の喜びに随うというよろこび

2015年07月13日 08時09分59秒 | Weblog

仏告弥勒・・・・阿逸多 聞是法華経 随喜者 得幾所福 ・・・・ 世世所生 見仏聞法 信受教誨・・・・    法華経「随喜功徳品第十八」より

仏 弥勒に 告げたまわく 阿逸多よ もし この法華経を聞いて 随喜する者あらば 幾ばくの福をか得んや と。世世に生まれるところにおいて 仏を見 法を聞き これを信じて 教誨(教えとお諭し)を受けん

仏(釈迦牟尼仏)は弥勒菩薩にこうお話をなさいました。阿逸多(=弥勒菩薩)よ、この法華経を聞いて随喜する者がいたら、この者はどれほどの福を得ると思いますか。そう問いを発しておいて、その後にご自分でこうお答えになられました。その人はこの後何度生まれて来ても、その都度仏に見(まみ)えることがかない、また仏の法を聞くことができます。その上、これを信じて仏の教誨(おしえ)を受け止めることができるのです。そういう幸福を授かるでしょう。

さぶろうは今朝ここを拝読しました。そして幸福感にひたりました。法華経を聞いてこれを喜ぶことができれば、その後に何度生まれて来ても、仏陀に見えることができるとありました。信じて教えを受けられるとはなんという幸福なのでしょう。これは何にもまして嬉しい予告でありました。

随喜とは人の善、人の幸福を見てこれに随順して歓喜することを言います。ここでは仏陀の教えに随(したが)って歓喜することをさしています。手放しの喜びです。随喜はわたしの善やわたしの悪 わたしの幸福やわたしの不幸が手放しになっています。人の喜び、自然界の喜びがわたしの喜びであれば、喜びはごまんとあるはずです。仏陀の喜びがわたしの喜びであるとすれば、もはやそのわたしは仏と等しいと言えるのかも知れません。

さて、そんな随喜がいまのわたしにできるかどうか。これが最大問題ですけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室内ラジオ体操

2015年07月13日 07時48分13秒 | Weblog

おはようございます。土砂降りの雨が一晩降っていますから、城原川の水嵩が増しているものと思われます。夜が明けてもなお執拗に降っています。予報では九州地方はまだ当分降り続きそうです。

外へは出て行けませんから、室内で、久しぶりでラジオをつけて6時半のラジオ体操をしました。第一、第二合わせて10分間。椅子に座ってですから、上半身だけの体操ですけど。日頃なんにも運動をしていない体は、伸びを繰り返すだけでごぎごぎ音を立てました。筋肉が快を発しています。

蛙がゲコゲコゲコゲコ鳴いています。翻訳すればこれは十中八九「ああ、気持ちいい」「なんといい気持ちだ」なんだろうと推測できます。蛙は雨好きです。田植えが終わった田圃はようやく緑を増し加えています。水がなみなみと張られています。そこをすいすいすいすい蛙とアメンボウが泳いでいきます。ラジオ体操の快感の比ではないはずです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする