すべての宗教は永遠なるもの、つまりもうひとつの命を信じています。この地上の人生は終わりではありません。終わりだと信じている人は死を恐れます。もしも、死は神の家に帰ることだと正しく説明されれば、死を恐れることはなくなるのです。 マザー・テレサ「日々のことば」より
*
マザー・テレサのことばには力が籠もっています。この力を感じます。日本語になってもこれは変わりません。やはり力が籠もっています。力はことばを離れて読む人に伝わってきます。すると読む人にこの力が籠もります。ふしぎです。
キリスト教であっても仏教であっても、宗教の違いによってわたしたちの永遠の命が変容することはありません。終わりだと信じていても、死を恐れていても、やはり永遠の命を生きています。ふるさとの家に戻って行きます。途中で廃棄されることはありません。なぜなら、わたしたちは大いなるものの命をわが命として生きているからです。わが命は大いなるものの永遠の命そのものだからです。
大いなる命の中だけにいてはわたしたちはそれが永遠の命であることを感じることが難しいのです。大いなる命の外に立って、その命を見て、考えて、行動して、生活をして、信に至り着いて、そこではじめて大いなる命を受容感得できて、輝きだしてくるのです。そうすればやっと始めから終わりまでを永遠の命と共に過ごして来たことが納得されてくるのです。
*
さぶろうは今日はそんなことを考えていました。さぶろうはマザー・テレサを敬います。インドの貧しい人たちのうちでももっとも貧しい人たちにキリストの愛のともしびを分けていった彼女の行動の、火のような熱さにこころを打たれます。