毎自作是念(まいじさぜねん) 以何令衆生(いがりょうしゅじょう) 得入無上道(とくにゅうむじょうどう) 速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん) 妙法蓮華経「如来寿量品第十六」最終章、結びの言葉
わたし(釈迦牟尼仏)はいつもこのように念じています。どうしたら衆生(この世に生きているすべてのいのち)が無上道(仏道)を歩くようになり、皆すみやかに仏の境地に到達することができるだろうか、とこのように。
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「どうか安心してください、わたしのこの念は成就をしています」
この句がこのあとに隠されています。さぶろうはそう思います。そこでこの句を加えて解釈を試みました。仏陀の念は念だけで終わるようなものではありません。仏陀の念はかならず成就しています。
衆生は無上道の第一歩を歩き出しており、ここで同時に速成就仏身を身に受けています。如来寿量品で説かれたように、わたしたちはいつも仏陀とともにいるのです。仏陀とともに永遠のいのちを生きているのです。
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「わたしは仏陀である」という仏陀の悟りでは、分け隔てというものがありません。すなわち、「あなたも仏陀です」というところまで波及しています。仏陀だけが悟りを独占することがありません。悟りの功徳も独占することはありません。仏陀としての待遇を受けるのは仏陀だけではなく、すべての衆生もこれを受けています。成就仏身をしています。仏陀を仰ぎ見ることができるようになっています。仏陀が仏陀になったと同時にわれわれも即ち成就仏身になっています。分け隔てがないからです。