<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

自慢することがないという新種の自慢

2015年09月12日 08時56分47秒 | Weblog

自慢するだけのことをしていなければ自慢にならない。自慢にならないということを知っていれば自慢をしないでもすむ。これはいいことなのである。しずかにしていられるからである。ひっそりを通せるからである。

自慢になることをした日にはこうはいかない。忙しくなる。人を見つけて己の所行を吹聴したくなる。あいてがそれで高く評価してくれなければ、追いかけて行って蛇足まで加えたくなる。断られれば今度は不満足に陥ってしまう。ひいては相手を恨んでもしまう。

自慢者の海には波が立つ。風の強い日の海のようにさわさわと波が立つ。あれこれを自慢にしたくて静かにしていられなくなる。

自慢が品切れになればひっそりとなるが、このひっそりの暮らしが妙につまらなくなって来る。このために今度は自己卑下が起こる。

己の自慢も卑下もどちらも慢心のなせる業で相手にしないのが最上の得策なのである。

人間は生きている限りは自慢者である。自慢することを見つけてはたらたら自慢をしたくなる。わが勝利では飽き足らなくなって、今度は我が子や我が孫のことまで持ち出して来てお喋りしたくなる。

おれがこうしたああした。あいつのためにこうしたああした。どうだ、おれを見たか。

こういう大威張りを、ぐるりの回りでも、長年聞き飽きるくらい聞かされて来たので、ほとほと反吐が出た。

自戒に努めようと思うのだが、自戒をしないでもすむほどに、さぶろうにはこのところまったく自慢の種がない。静かだ。これをよしとしよう。

10

9月12日。土曜日。雨は降っていないが空は鉛色をしている。発芽した大根の葉っぱを青虫が食べ尽くしたのを発見して、さぶろうはカンカンに怒っている。よせばいいのに。

 

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我が家流の食の朝の贅沢

2015年09月12日 08時41分14秒 | Weblog

ブレックファストはピザだった。トースターで焼いて、ローリングカッターで切り分けて、食べた。スープは韮入りのチキンスープだった。ほかに木綿豆腐の8分の1。とろりとした。微塵切りにした青紫蘇がまぶしてあった。茄子は縦切りの薄い短冊形。これに鰹節を加え胡麻ダレのドレッシングが施してあった。朝の果物は金(きん)。我が家の畑で獲れた無花果は外は青いのに中はすっかり熟していた。我が家流の食の贅沢に感謝し、どれにもおいしいおいしいをお返ししてこの日の朝のいのちを、爽やかにした。

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我は生涯の開拓者なり

2015年09月12日 08時18分48秒 | Weblog

昨日書いた分を、今朝になってみな読み返してみた。この「おでいげにおいでおいで」に書いたブログ小編を。やっぱりじっくり推敲してからにすべきだったと反省した。でも、書きながら考える癖が付いていて、書いていないと頭のモーターが回り始めないようだ。だったら、やはり、見直しをすべきだった。自分では理解できる文章だったとしても、初めての訪問者にはこれでは通じないのではないかと思える箇所が数カ所あった。それとやはり視野が狭い。恥ずかしいほど狭い。

(これを現代の流行言葉でなんて言うんだっけなあ。自分の興味以外には関心を示さず、社会的な常識に欠ける人のことは「御宅」だったよね)

でもねえ、この年齢になると古ぼけた頭脳があちらこちらへ関心を示してはくれないんだよねえ。まったく不勉強の一語に尽きる。無知の知を否応なく突きつけられる。あんまり突きつけられるともうまったく書けなくなってしまいそうだ。しかしこのブログは自己啓蒙をもってよしとすべきだ。書いて書いて己の無知と未知を耕す。我は生涯の開拓者なり。ま、これからでも遅くない、フロンテイア精神の醸成を狙うしかない。

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冴えないサイクリングだった

2015年09月12日 07時16分50秒 | Weblog

種蒔きをすませたところで、車輪の半径が27cmの自転車に跨がった。白くて細くてしゃれている男物の自転車だ。前輪の植えに網篭が付いている。ここに袋を載せる。袋には井戸水をいれたペットボトルが一個。タオルが2枚、携帯電話、小さなお財布、着替えにする上下が入っている。

つい先だってハンドルの位置に取り付けた計測器はもう故障をしていて、数字がゼロに戻らない。がっかりだ。これじゃ行程距離が測れない。でも、文句を言ってはいられない。出発だ。6時を回っている。ひたすら南下した。いつもの土手道を。だが、どうも力が入らない。筋肉痛が尾を引いている。ちっともスピードが乗らない。国道34号線道路のところまでで引き返した。4キロちょっと超えている地点だ。のろのろのろのろして戻って来た。

加えてお尻のところにできものができていて、ペダルを漕ぐ度にこれがこすれて痛い。往復、大きな車道を5回横断した。落ちていく夕日が西から射してきて眩しいったらありゃしない。丁度退社時間だ。ひっきりなしに走ってくる車が夕日にすっぽり入り込んで影が見えない。危険極まりない。などとぶつぶつ。なんだか冴えないこの日のサイクリングだった。帰宅しても汗を掻いていなかった。そりゃそうだろう、終始、熱が籠もっていなかったんだもの。

この日に発見したもの。1,土手のあちこちに彼岸花。開花はなく、生まれてばかりというところだった。2,草が刈り取られている土手道のあちらこちらにポイ捨ての弁当殻などが目立った。道徳心の高い日本人だったはずなのに。3,自転車に乗ったクラブ活動帰りの中学生と擦れ違う。彼らは挨拶が上手だ。4,犬のお散歩が多い。犬に夢中なので、こちらはチリンチリンとベルを鳴らして通り過ぎる。5,車が走る土手道もある。ここは道幅が狭い。ここで車と擦れ違う。こちらは止まって。軽くお辞儀をしていくドライバーがいる。6,ライトはつけているが、やっぱり夜道は恐い。7,ペダルを漕ぐ運動と歩く運動は違う筋肉を使うんじゃないかな。上り坂は歩くことにする。

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種を蒔いてこれで落ち着く

2015年09月12日 06時54分07秒 | Weblog

家の東脇はもうすっぽり日陰になっていた。3時を過ぎている。ここの一角に浄化槽が埋めてあり、その上を利用して、長細型や丸型のプランターが置いてある。その周囲にもずらりと置いてある。置いたのはさぶろうだ。浄化槽点検の度ごとにお叱りを受けて、移動させられるが、それが終われば、お叱りは聞かなかったことにしてまたもとに戻してしまう。プランターは何年も使っているので古びている。

昨日の夕方はここに陣取った。蚊取り線香器を2個、体の左右に設置して。丸椅子(風呂場用)にどっかり腰を下ろして落ち着いた。プランターの草取りをして、念入りに新たな土作りをして、ようやく秋野菜の種を蒔く。幾種類をも。そして農薬散布して、たっぷり水撒きをしてやる。大小のプランター(深い浅いがあるけれど)を合わせて都合10個くらいが種床になった。満足した。発芽がこれで待たれる。

ここは道路にも面しているから、行き交う人が足を止めて挨拶を交わして行かれる。「なんば、蒔きよっとかい?」「へ、野菜の種を」「なんかいそりゃ、培養土かい」「へ、さようで」「ほう、精が出るのう」「へ、閑でしようがないんで」「泥いじりもよかろうが」「へ、いい遊びになるんで」などと会話する。さぶろうは、聞き取れないほどの小さな「へ」をよく使う。畏(かしこ)まった「へえ」が詰まったものだ。

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ラジオ体操の放送流れず

2015年09月12日 06時44分20秒 | Weblog

午前6時~6時半の間に、震度5弱、マグニチュード5・3の巨大地震が東京湾を震源地として発生したらしい。これだけの大型地震は最近にはなかったことらしい。6時半、いつものようにラジオをつけたが、地震のニュースが続いていて、ラジオ体操はついに放送されなかった。被害がないといいのだが。東京の地下を走るメトロは混乱しているようだ。

予想ではこちらは雨になると言うことだったが、雨はいまのところ降ってはいない。朝露を浴びた草藪の中で秋の虫がちろちろろと鳴いているばかりだ。

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