今夜は眠れるかな。朝寝をしたからな。
グウグウタラタラな男、この男は。働くこともしない。そのくせ、不遜。傲慢。無礼。我が儘を通す。
しかし、己に対してはそうも行かぬ。寂しがる。しゅんとなる。
不安がる。今夜は眠れるかな。
眠れなくなったら、どうしよう。
算段はない。眠れなくなったら、寝ないでいるしかない。
今夜は眠れるかな。朝寝をしたからな。
グウグウタラタラな男、この男は。働くこともしない。そのくせ、不遜。傲慢。無礼。我が儘を通す。
しかし、己に対してはそうも行かぬ。寂しがる。しゅんとなる。
不安がる。今夜は眠れるかな。
眠れなくなったら、どうしよう。
算段はない。眠れなくなったら、寝ないでいるしかない。
偉い人だって、偉ぶる人だって、権力を手中に収めた人だって、それを振りかざす人だって、智者だって、智者に肖る人だって、ひとりでは死ねないのである。死ぬる条件を満たしてもらわなければ、死ねないのである。満たしてもらったので死んでいけるのである。そこで完了しているので、その先は蛇足である。
みな満たしてもらって死んでいけるのである。安心してていい。その先のことは考える必要もない。
秋からは焼酎がおいしい。5対5のお湯割りを啜る。もちろん芋焼酎。おいしい。今夜もそれだった。ふわふわになった。ぷ。もうどうでもいい、どうにでもしてくれという気分になる。
殺されるのは今だと思う。ひとりでは死ねない、人は誰も。
殺してもらわなければ、自力では死ねなかった。病気の力を借りるか、それ以外の力を借りるか。ふん、偉そうにして威張ってみても、ひとりの力では死ねないのである。
物騒なことには言及すまい。せっかくのいい気持ちなんだから。
夕顔が咲いている。幾つも幾つも。庭の高い椿の木によじ登って、そこを征服している。大きい白い花が、夕闇に際立っている。蔓が長く垂れてきてそこにも咲いている。
それを見ている。娘はまだ帰って来ない。娘の帰りを待っている。いつまで経っても親子で、帰りを待っている。帰って来たら、お帰りなさい、お疲れ様の声を掛ける。
夕暮れ。降り続いた雨も止んでいる。村里の秋の夕暮れは静かだ。すぐ家の隣を流れて下る小さな川の、水量が太って、水音が高く響いている。雨は相当降ったようだ。それでも静かだ。もう日が落ちて外の風景があまり見えない。
僕は今広縁に出てリクライニングチェアーに掛けている。網戸から外の空気が入る。台所から炊き込みご飯の匂いが流れて来る。空腹にそれが染み渡る。
牛蒡の匂いもしている。牛蒡は午後からピーラーで削いだ。薄く薄く削いだ。アクが水を黒く濁らせた。水を新しく替えてやった。すると純白になった。指にまだ匂いが残っている。夕食は7時を過ぎるだろう。娘が仕事から帰ってきてからだ。
感情の裸体を海に来て焦がすぎらぎら焦がすそれから帰る 薬王華蔵
*
これも落選した作品。選者の文学鑑賞のお眼鏡には通らなかったけど、なんだか棄ててしまえない。それを此処に引き出して来るのもためらわれるが、お許し頂きたい。
*
感情の裸体は着物を着ていない。剥き出しである。むらむらとしている。ガチガチにもなっている。抑制が効いていない。怒る。嘆く。叫ぶ。唸る。手に着かない。どうしよう。このままでは帰って行けない。海に来てギラギラ焦がすしかない。こんがり焦げるまで身を晒す。少しおとなしくなったようだ。それを見届けてから帰る。
人間誰でもそうとは限らないが、この老爺の場合は厄介である。己の内に感情の獅子を飼っている。よくよく調教しておかないと、これが暴れる。人前でも暴れてしまう。
ドコモショップに来ている。充電ができない。数ヶ月前に充電器を取り替えたばかりなのに。客が混んでいて、一時間待ちを言い渡された。仕方がない。
待つ。充電ができなければ、使えなくなる。ブログが書けなくなる。世界経済の情報が読めなくなる。ニュースが読めなくなる。他の利用はなし。まず使い方をも知らない。
「感動のドラマを生くるひとりです」 鏡の顔は諄々と説く 薬王華蔵
*
短歌としては直截すぎているかもしれない。落選をした作品。
「でもねえでもねえ、お前は苦しい悲しい辛いと呻いているが、感動のドラマを生きているんですよ、いまこそその真っ最中を生きているところですよ」と鏡の中のわたしの顔は説いて聞かせるのである、クドクドと、噛んで含めるように。
*
生きている此の真っ最中を侮るな、オレは感動のドラマの主人公なり。そうなんだけど、現実は違って、侮っているばかり。己を侮蔑していることが即この感動溢れる人生を侮蔑していることになるということに気づいていない。