おおいおおいおおい。僕は呼び掛ける。でも誰とも繋がらない。つまらない。
繋がったら? モジモジしてなんにも答えきれないくせに。声だけ聞きたがる。
ヘンなの。
おおいおおいおおい。誰か繋がってくれないかなあ。
もう真夜中。空には雲もいない。いるだろうけど、見えない。
おおいおおいおおい。僕は呼び掛ける。でも誰とも繋がらない。つまらない。
繋がったら? モジモジしてなんにも答えきれないくせに。声だけ聞きたがる。
ヘンなの。
おおいおおいおおい。誰か繋がってくれないかなあ。
もう真夜中。空には雲もいない。いるだろうけど、見えない。
5
この老爺のすることはこんなことだ。まるでままごと遊びだ。ままごとは数人でするけど、老爺はひとりである。誰も構ってはくれない。だから、したいときにして、したくなくなればやらない。お金になるわけでもない。それでもいい。
4
風呂場に直行してシャワーを浴びた。石鹸でゴシゴシ擦る。ああ、いい気持ちだ。濡れた農作業着は玄関の所で脱ぐことになっている。濡れていなくとも、だ。作業した後は、泥がくっついているので、廊下を汚してしまうらしい。
3
雨は降ったり止んだりした。止んだら、空が赤く染まった。こんなことならもう少し我慢をして仕事を続けるんだったと後悔した。やり出したら、次々にやりたいことが見つかるのだ。それに強く誘惑されるのだ。
2
5時半を過ぎて雨が降り出してきた。雨が降ったらどうにもならない。しばらくは、雨に濡れながら仕事を続けたが、明日の日もあるので、切り上げることにした。農作業着は濡れて重たくなった。
1
午後4時過ぎから農作業をした。しっかり農作業着に着替えて。畑や深鉢プランターに秋野菜の種を蒔いた、いろいろの種類の秋野菜の種を。草取りをして、その後、しっかり土作りをしてから。やり出したら、魔法を掛けられたみたいに、これが楽しいのだ。
わはは、わはは。笑ってみる。
笑うようなことがあったってなかったって、いいんじゃないかな。ともかくにたり。笑ってみる。
これで若干、人生の軌道を修正したことになる。
ついつい物事を悲観していたりする。そしてそれが常態化している。にたりひとつで、それをちょいとだけ修正したことになる。
いつのまにか暗い目をしている。そうして暗い目をすることによって、物知りぶっている。批判する非難する誹謗する。錯覚に落ちている。それを糺す。
自己卑下の泥沼にいる。これも観客のない自己舞踏会に過ぎない。これを抜けてみる。
わはは、わはは、笑ってみる。
笑いを一羽の鳥にして空へ飛ばしてみる。
ふっくらとしている嶺へふっくらとおんなのひとのやうな雲が来(く) 薬王華蔵
*
嬉しい。新聞の読者文芸、貞包選でこの作品が一席となっていた。1席をもらったのは5年ぶりだろうか。いよいよ有り難い。
選評にはこうあった。
「ふっくらと」のリフレインに作者の自然に寄せる思いがうかがえる。独特な物の捉え方に特徴があり、やわらかい表現で自然を丸ごと表現するような大らかさが印象的。「おんなのひとのやうな」には母性への憧れも感じられる。よく見る風景を作者独自の感性と言葉で個性的な絵に仕上げている。
ずいぶんと褒めてもらっている。こそばゆいけれど、身心がふくふく膨らんできて、嬉しい。選評をもらったお陰で、それが絵になってきてふいに輝きだした感がある。ともかく嬉しい。こどもだ、まるで。
雲は秋の雲。ふっくらとしている雲。それが高い山の嶺に留まっている。嶺が抱かれている。嶺自体もふっくらとしているのだが、雲が来るとよけいにふっくらな度合いが増してくる。見ている者でさえ雲にふっくらと包み込んでもらっているような、気がする。おんなのひとというのは、そういうように包み込んでくれる役目を帯びている。嶺もそして男性の一人のわたしも、そこにそうされていることに喜びを感じる。ただし、ここではふっくらとしているのは、雲である。秋の雲である。
雨になっている。雨垂れの音を聞いている。秋雨は大雨ではない。ときには止んでいる。
昨日はよく働いた。今日はやすみの日になる。読む本はたんとある。こまらない。
図書館に行ってもいい。久しぶりに行くとそこが初めて来たときになる。
行灯造りをしている朝顔が9月になって矢鱈とたくさん花をつけるようになった。
それを眺めている。眺めて欲しいという朝顔に応じている。応じているとなにがなしそこに繋がりを覚えてくる。
夏野菜の収穫はほぼ終わった。というのに、ニガウリ、ピーマン、カボチャ、茄子🍆は終わらない。ゾクゾク収穫できる。貯蔵庫に溢れている。むざむざ捨ててしまうには忍びない。人様に差し上げるしかない。
昨夜はこれらを天麩羅にしてもらった。買ってきた牛蒡、薩摩芋も加えてあった。どれもどれもおいしかった。パクパクとパクついた。ニガウリ好きだから、ニガウリへもっとも数多く箸が行った。
有り難いことだ。こうしておいしく食べさせてもらえる。おいしいものが後を絶たずに届けられる。それをおいしいおいしいと舌鼓ができる。老いの身を、これで元気にさせてもらう。自然の恵みに思いを致す。