赤紫色のコスモスの一つの花弁だけ、まぶしい光に跳ねて白くなって見えています。
我が家の庭先に咲いています。いかにも遠慮がちに。
赤紫色のコスモスの一つの花弁だけ、まぶしい光に跳ねて白くなって見えています。
我が家の庭先に咲いています。いかにも遠慮がちに。
さ、花壇に出よう。春になって白い花を咲かせるシャスターデージーの花苗を、昨日、苗物屋さんから3株買って来てある。これを植え付けて上げよう。
此処で根付けると思って、デージーがよろこぶだろうな。勢いに乗って、春までにどんどん成長を遂げていくだろう。
そこまでのプロセスを想像しているだけで、うふふ、うふふになってしまう。いま午前10時20分。気温19・2℃。爽やかだ。
我が家の日陰に置いている椎茸の古い原木数本に,今朝は見事な形の,分厚く力強く、潤いにふくらんだ椎茸がぞろぞろと立っている。見ているだけで元気を湧かす。摘み取って来るのがためらわれる。
秋の大気が健康だという証拠なんだろう。ああ、嬉しい。
お天気がいいぞ。秋晴れだぞ。
見渡す限りで、爽やかな生き方暮らし方をしている大空。
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こんな生き方暮らし方を大空だけにさせておくのはもったいないじゃないか。
レンタルできたらいいなあ。
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自慢にすることがない我が身。
だったら、今日のお天気を自慢にしていよう。
自慢もレンタルできそうだ。
あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのがこころともがな
明治天皇御製 明治37年(1904年)初冬の作品。
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「もがな」は詠嘆の終助詞。万葉集の「もがも」も同一の終助詞。「・・・であったらなあ」の願望が籠もる。
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人間のこころは狭い。小さい。制限されている。制限されていて狭く小さいのに、それを絶対視して、それに振り回されてしまう。
対する大空のこころは広い。大きい。無制限である。Aだ、Bだ、Cだと裁量しないで済んでいる。
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逆でなくて、よかった。大空が人間のこころをしていたら、どうなったであろう。差別選別をしてかかってきたら、わたしなんか、無条件排除になってしまっていただろう。
誰にが息を吸うことが出来る。そういうようにしてある。
Aさんは善良だから吸っていいが、Bさんは社会貢献度が低いから息を吸うのを制限する、などということにはなっていない。ここがいい。
誰もが平等である。選別差別を受けない。秤で量られていない。ここがいい。
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誰もが秋の大空を仰いでいることが許されている。そういう世界にしてある。
Cさんは悪意を抱いているから、10分の1しか見せない、ということがない。Dさんは知識量が多いから、人の見ている大空の5倍に拡大して見せてやる、ということもない。
わたしも、野原に出て雄大な秋の青い空を見上げていられる。有り難いなあと思う。
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選別をしているのは、われわれ人間の側である。善だ悪だと言って差別の眼を向けているのは、われわれ人間の狭い料簡である。ここに捕縛されると闇に落ちてしまう。
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秋晴れの大空がわたしの眼前に広がっている。ああ、良かったなあと思う。爽やかな風が流れている。吸いたいだけ息を吸う。この恵まれた世界にいられるのがわたしだ。改まって、「ああ、良かったなあ」と思う。