<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

即興詩「今夜はナポリタン」

2025年02月08日 17時51分09秒 | Weblog

即興詩「今夜はナポリタン」

 

腹が減ったなあ。

夕方6時。

今夜は大好きなナポリタンのようだ。

ケチャップに染まった玉葱が

さっきから僕を呼んでいる。

 

窓の外が暗くなる。

日が暮れた。

今日はいい日になった。

一日をいい日にしてカーテンを閉じる。

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即興詩「雪の言葉の全部を使って」

2025年02月08日 17時19分16秒 | Weblog

即興詩「雪の言葉の全部を使って」

薬王華蔵

 

宇宙がわたしを大肯定しているのが嬉しくって、

雪が降って来るのだ。

雪がそれを知っていて、

もう黙っていられなくなって、

宇宙を閉じ込めた雪の結晶を、

わたしに降らせて来るのだ。

宇宙がわたしを大肯定しているのが、

雪にも嬉しいのだ。

我がことのように嬉しいのだ。

わたしに雪が降って来る。

しんしんとしんしんと雪が降って来る。

雪の言葉の全部を使って、雪が降って来る。

 

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今日の即興詩「あなたが大好き」

2025年02月08日 16時49分56秒 | Weblog

今日の即興詩「あなたが大好き」

 

大好き。

あなたが大好き。

あなたが何をしていても大好き。

 

笑っているあなたも好きだけど

泣いているあなたも好き、

大好き。

 

こっちを向いてくれてほしいけど

こっちを見ていてくれなくても

それでも。

 

そこにいるだけでいい。

そこにそうしているだけでいい。

大好きになれる。

 

理屈がいらない。

なぜ好きかなんて、

理屈を持ち出さなくていい。

 

全宇宙から大肯定をされているあなたがいて、

全宇宙から大肯定をされているわたしがいる。

ふたりがいま此処にいる。

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わたしは今此処にいます

2025年02月08日 09時32分37秒 | Weblog

「今わたしは此処にいます」とわたしはメールを打つ。宛名宛先なしの。それを書かなくとも、受信してくれそうに、わたしは思っているようだ。

わたしは旅に出ている。行く先も告げずに遠く旅に出ている。もうかれこれ80年になる。旅を送ってくれた人がいるから、その人が、わたしのメールを受信してくれるはずだ。

此処。此処とは何処か。太陽系の地球だ。中心の太陽を回っている星だ。だから「わたしは地球にいます」と打ってもよかったのだが、「此処」というだけで相手は理解ができたはずだ。

 

 

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赤ちゃんを見るのが好きだ。

2025年02月08日 09時11分02秒 | Weblog

わたしは赤ちゃんが好きだ。(誰でもだろうけど)

で、近寄って行って、乳母車の中を覗き込む。

赤ちゃんのお母さんは、身構える。危険到来と感じたのだろう。

そりゃそうだろう、醜い男の顔はどうみても人攫いの顔だ。

すやすや眠っている赤ちゃんもいるが、目を覚ましているのもいる。

どっちも可愛いのだが、目を覚ましているのその目の真ん前に醜悪な人攫いの顔が見えたが最後、赤ちゃんは火がついたように泣き出してしまう。

わたしはごめんごめんを言って逃げ去らねばならない。

目を瞑ってすやすや寝ている赤ちゃんが、愛らしい赤ちゃんの顔じゃなくて、老人の顔をしていることがある。たまにある。

前世の顔を引き摺ったままにしているからだ。(と、わたしは判断してしまう)中途半端にしか脱皮ができていない蛇に似ている。

あ、この赤ちゃんは「人間やり直し」をさせられているんだな、と直感してしまう。(この老爺の直感は当てにならないのだが)

一度二度ではない。こんなふうに感じることがよくある。

前世の顔を引き摺っている赤ちゃんが、人間道再生を果たして、よろこんでいたり悲しがったりしている。

そういうこのわたしも、そうやって再生を果たして赤ちゃんをしていたのだろう、きっと。

そんな再生を見るためにわざわざ近付いて行って赤ちゃんを見ているのではない。赤ちゃんは可愛いから見ているのだけど。

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それがここちよげに、ここちよげに見えている。

2025年02月08日 08時56分20秒 | Weblog

ここちよげに、ここちよげに、冬の大空を一片の白い綿雲がふんわりふくらんで流れていく。

下から仰いで見ている老爺の目には、それがいかにもここちよげに見えている。

そう見ることで、老爺の目もまたここちよげになって細くなっている。

雲をここちよげに見たら、それで人間の目がここちよげにもなる、そこがまた不思議だ。

だったら、ここちよげになることは簡単なことだ、じつにシンプルなことだ。この手に乗らないでなるものか、と思う。

ふんわりふわり大空に浮かんでいた白い雲は、さて、何処を目指して行ったのだろう。

雲のヤツ、歓を尽くしたと感じて、中途ですんなり消えてしまったのかも知れない。

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絵の中のおんなの人は、美しい人をしてくれる。

2025年02月08日 08時40分54秒 | Weblog

朝の光が、屋根の雪に跳ねて、まぶしい。2025年2月8日、土曜日、午前8時43分。畑のキャベツに降り積もった雪も残り少なくなったが、山里の中を走る道はまだ凍り付いているだろう。では、終日、老人は家の中に籠もるしかないか。

クレヨン水彩で、美しいおんなの人の絵を描こうと思っているけれど、実行に移せない。寒くて。手が冷たくて。もうすぐ集落の文化祭が公民館で開催される。土曜日曜2日間。ここに出品しようと。

老人のわたしに付き合ってくれるのは、絵の中の人しかいない。絵の中のおんなの人は美しい人をしてくれる。

でも、こうも長く雪に降り込められるのであれば、その絵の中のおんなの人にすら遇えそうにない。もう2,3日待とう、暖かくなる日を。それ以上に続くのであれば、作品作りは諦めよう。

 

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