今夜は鍋料理のようである。寒い日はこれであたたまれる。
日本酒をこのごろ飲んでいます。熱燗で。年寄りだから、1合で十分に酔います。
夕食はまもなくです。食べることが老人の楽しみです。
今夜は鍋料理のようである。寒い日はこれであたたまれる。
日本酒をこのごろ飲んでいます。熱燗で。年寄りだから、1合で十分に酔います。
夕食はまもなくです。食べることが老人の楽しみです。
この世にあるものは、すべて、最高の価値を有している。
最高の価値を有して最高の瞬間瞬間を生きている。
*
すべてのもの、すべての人がそれぞれに最高の価値を有しているから、そこに高低の順列や差別は生じていない。
大中小もない。甲乙丙丁もない。高い低いもない。1位,2位,3位もない。それぞれがそれぞれのやり方で最高の価値を実践している。<偉い><偉くない>がない。蔑視がない。
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仏陀の目にはそう見えているのである。称賛があるだけで蔑視がない。
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諸法実相。しょほうじっそう。「法」はこの世に存在しているすべてのお命さま。「相」は姿。「実」は、最高の価値。もろもろのこの世の存在者はいつも最高の価値を有して、それを実践しながら生きている、という仏教の教えである。
「諸法実相」は、だから、「すべては全肯定の生き方をして、輝いて耀いて生きている」という教えである。われわれの目ではそんなふうには見えなくとも、仏陀の目にはそう見えているのである。
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「仏陀」では宗教臭いのであれば、「宇宙の意思」としてもいい。「NOT ME」「ABOVE ME」としてもいい。好きな表現に変えてもいい。
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生きても死んでもこの価値は揺るがない。生きていることが最高の価値であって、死んで行くことがまた最高の価値なのである。此(こ)の岸の娑婆世界の暮らしが最高の価値を有し、彼(か)の岸のお浄土の暮らしが最高の価値を有している。
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だったら、どう転んでもいいではないか。
さて、そのサイクリングですが、わたしが乗っていた自転車は錆び付いてしまっています。とても乗れそうにはしていません。手入れを怠ってきたからです。
暑い日は乗っていません。寒い日は乗っていません。雨の日は乗っていません。大風の日も乗っていません。体長を毀しているときにも乗っていません。体調が良くてもその気にならないときは乗っていません。
乗ったのは一年中で、実はほんの数日だったのです。心身快適の日の、乗れる条件が整ったときだけだったのです。あとは放置したままだったのです。きわめて、だから、わたしは我が儘です。我が儘が過ぎています。
愛情が足りていません。すこぶるすこぶる。で、こうやってまたその気を起こして、サイクリングを渇望しています。春が来るのを待っています。これが友人だったならば,疾うにわたしは見捨てられているはずです。
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虫のいい話だなあ、とわたしの自転車は目を剥いていることでしょう。
ふふ、読んでくれる人がいるのかなあ。お爺さんの書くブログを。
「おでいげにおいでおいで」のブログを。
読んでくれる人がほとんどほとんどいないけど、でも、書いているケナゲなお爺さん。ふふ、ふふ、だ。
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「おでいげ」とは「淤泥華」と書く。「淤泥」は「汚泥」に等しい。
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淤泥華は仏教のシンボルである。池の汚い泥に根を下ろして、そこから垂直に茎を伸ばし、空中で清らかに咲き誇る華、つまり蓮の華、白蓮華のことである。
転。極悪を回転すれば菩提になる。煩悩も無明も、エネルギーとして肯定されている。
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「おいでおいで」をしているのは白蓮華だ。お爺さんも「お出でお出で」に吸い寄せられて、仏陀が説法をしている仏教の池へ行く。ここでものを考える。ものを書く。
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であるにしては全編が俗っぽいのだけど。
春になったら春風を乗せてサイクリングに出掛けたいなあ。ふうらりふらり。
サイクリングは、片足麻痺でも、ペダルが漕げる。ゆっくりゆっくり進める。
城原川の川土手をずっとずっと南下して、筑後川と合流する地点まで行く。もうそこは諸富。すぐに大川になる。
川土手は大型車が通らない。比較的安全。途中途中でやすめる。
ペットボトルのお茶を飲む。飴玉をしゃぶる。畦道の野草の花の写真を撮る。
行きがけはずっと下り坂だったが、それがそのまま帰りは上り坂になる。長い長い上り坂になる。老人の脚の筋肉が駄々をこね出す。
何度も途中休憩を入れる。北に位置する連山を美しく見る。連山が遠くからおいでお出でをする。
粉雪に変わりました。ちらちらちらちらと降っています。降りしきっています。
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なるようにして、一日が暮れていきます。
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それに抗(あらが)うことは、だから、ないのです。
粉雪じゃダメだ、吹雪じゃダメだ、ドカ雪じゃダメだ、などと状況評論しないでもいいのです。
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ダメだダメだダメだにしなくていいのです。
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ダメだダメだダメだにすると、いかにもわたしが賢人になった気分がします。錯覚します。錯覚させたいのです。
「眼横鼻直」は禅宗の経典の言葉です。がんのうびちょく、す。眼は横に二つ列んでいて、鼻は一つ上下に垂直している。
これでいいんです。このままでいいんです。
眼を縦向きにしたり、鼻を横向きにしたりしなくていいのです。
ベストにしてあるから、このままで落ち着いていいのです。
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「これでよろしい」の安心は仏陀の涅槃寂静の内容です。
わたしに言い聞かせます。「よろしくないよろしくない」と言い立てるわたしの、ド阿呆の日常に、何度も何度も言い聞かせねば成りません。
今日ももう何度かこの深い穴に落ちました。不安心の深い穴に落ちました。
1
あるようにあっていい。
2
あったらいけない、ということはない。
3
それでもわたしの置かれている現状に異を唱えたくなります。不安になります。
4
これではいけない、などとぼやきます。
5
でも、わたしの力がいちじるしく不足しているので、結局は現状打開には行き着きません。
6
で、右往左往の末で、現状肯定に落ち着きます。
7
これでいい。これでいいんだ、と。
8
すべてがオハカライなんだと。仏陀のおはからいなんだと。
9
わたしのハカライを超えていていいのだ、と。
10
オハカライは仏陀の計らいのことです。仏陀の智慧と仏陀の慈悲のことです。宇宙の意思のことです。
11
ハカライはわたしの計らいです。わたしの計算・計測です。
12
仏陀の大きな計らいで以て、しかあらしめられている、のですから、それをわたしの小さな迷妄の智慧でもって修正を入れないでもいいのです。
13
自然法爾。じねんほうに。
仏陀の法(ダンマ)の爾(まま)に、おのずからに然(しか)あらしめられているのだから、わたしはうんうんと肯いていればいいのです。
14
法(ダンマ)を受けている我が身に向かって、讃美と称賛をしていればいいのです。
15
それをそうしないで、わたしが仏陀になろうと藻掻いてしまいます。
16
わたしの智慧が仏陀の智慧を上回りそうにおもってしまうのです。傲慢心です。
17
これが迷妄です。無明です。畢竟、無明の闇が好きなのです。
18
死ぬまでが、だから、大慌てです。うろうろうろちょろの野ネズミです。
横殴りの雪。西から東に真横に流れて吹雪いています。風の勢いが強いので落下しづらくなっています。
こんなふうじゃ、老爺はいよいよ何処へもいけません。家の中に籠もって、窓から終日、外の荒れ模様を見ているだけです。
空は曇って薄暗くしています。沈痛です。
*
テレビのYouTubeでクラシック全集を聴いています。いまはヴェルデイの歌劇「「運命の力」序曲が流れています。たくさんのクラシックの名曲を数時間ずっと聴いています。今度はリストの「巡礼の年 第3年第4曲 エステ荘の噴水」が流れて来ました。
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いつも「これでいいんだ。これでいいんだよ」と言い聞かせます。老いたらもう少し落ち着けるかなと思っていたのですが、なんのなんの、不安になることが、しばしばあって、うろうろします。大人げなくうろたえてしまいます。
そしてさっきの呪文を唱えます。「これでいいんだ。これでいいんだよ」と。
「あるようにあっていい」のですから。
もうすぐ正午。雪が小止みになってきた。斜め粉雪。
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失っていると得たくなる。
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失っているのは辛い。辛さを我慢して耐えているとふっと希望が泡になって噴き出して来る。得られる時を待つようになる。
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わたしを悲しみに置かれる。
わたしを悲しみに置かれるけれど、これで終わることはない。
続きがある。子供の頃に読んだ漫画本のように、続きがある。
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ページを捲る。何枚も何枚も捲る。
と、そこに、明るさが見えて来る。光が射している。
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わたしはページを捲る。何枚も何枚も捲る。
わたしがそれをそうするようにしてある。その大いなる意図を辿る楽しみが生まれる。
それを楽しみにする。
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わたしを悲しみに置かれることは、つまらないことではない。工夫がいっぱい込められているのだ。
置かれた悲しみの地点にいて、わたしはまずわたしをいとおしむ。
それが済むと、わたしはわたし以外の人をいとしめるようになれる。そこまでの長さがわたしを逞しくしてくれることにもなる。
なくていいものなどあるか軒氷柱(のきつらら)
山鳩暮風
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この作品がN新聞2月3日付けの読者文芸俳句部門秋尾敏選で入選していた。
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選者様に感謝。
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作品が言おうとしていることを酌み取っていただけた。言葉を介してはいるが、以心伝心になった。
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軒氷柱。のきつらら。
昔はどの家もどの家も、その屋根は藁で編んであった。厳寒の日には、藁屋根の藁から氷柱が下がっていた。長く長く下がっていた。裏手は日が射さないので、夕方になってもそのままだった。村里を静寂にしていた。平和平穏にしていた。辛抱強さと慎み深さを表現していた。子供心にも村里の静寂が、小さな落ち着きをくれた。
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この世になくていいものなどはない。いない方がいい人なんていない。
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あっていい。あっていいものばかりだ。それでこの世を造営しているのだ。大威張りでいていいのだ。
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役に立たなさそうにしているものに見えていても、それはわたしの目の貧しさによって、そう映っているだけだ。
それはそれで美しい。それはそれで豊かだ。それはそれで尊い。それはそれで不可欠だ。それがあって全体を構成しているのだ。
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自己を卑しまないでいい。誰も誰も、自己を卑しまないで生きていてほしい。
小中高生の自殺が新聞に報じられていた。悲しい。
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軒に長く長く下がる氷柱が、しっとりして潤って光っている。村里を輝かしている。
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なくていいものなどあるか軒氷柱
みんな存在していいから存在しているのだ。
*
存在は宇宙の意思。宇宙の意思を否定するな。否定するほどのそんな傲慢にはなるな。