「五番街のマリー」の曲にうっとりしている。阿久悠さんの作詞もすばらしい。あんな恋の歌が作詞できたらいいなあ。
あんな曲を書けるというのは、そんな体験、それに近い経験、それに類似したラブロマンスを豊富に持っているから書けるのかなあ。
そうだとしたら、僕には書けない。
まことに残念なことだが、恋をしたことがあまりない。恋はひとりではできないからなあ。一人思いは恋ではあるまい。
*
できるのであれば、今からでもしたいところだが、あまりにあまりに遅すぎている。
よしんばスタートを切ったとしてもラブソングのようにはいかないはずだ。
*
ラブソングが書けるために、その大本のフォール・イン・ラブという体験を授けられねばならない。だが、こればかりは棚からぼた餅式ではないはずだ。
まずは美女には美男がふさわしい。それに加えて双方の意思が要る。それも小石を積み上げて城の垣を築くような。
これが面倒臭い。面倒臭いものはご免だ。
*
この種の人間は、やはり、そういうロマンスをうっとりして聴いているのが一番性に合うだろう。
そうかそういうものなのか、それはいいなあ、それはつらいだろう、それは嬉しいだろう、それは悲しいだろう、と感情導入をしながら。
生涯できなかったことであるからなおさらに、それが放つ魅力が大きくなる。
*
若い頃、学生相手のオールナイトの映画をよく見に行った。安くてしかも3本も見られた。ぷつんぷつんとフィルムが切れることがあったが、我慢ができた。
「頬にかかる涙」というイタリア(あるいはフランス)映画にはうっとりしたものだ。
まるで自分がこの場でその美女と遭遇したかのような興奮をすら覚えた。スクリーン・ミュージックもよかった。
ラブストーリーの映画を見た後なんかは、自分にもこの後の人生でそういう甘いラブロマンスがきっと巡ってくるような気が強くした。
しばらく期待を膨らませていたけれど、それは結局期待だけで終わって、老境に達してしまった。
棚から甘いぼた餅ならぬ甘い恋は落ちてこなかったのである。
あんな曲を書けるというのは、そんな体験、それに近い経験、それに類似したラブロマンスを豊富に持っているから書けるのかなあ。
そうだとしたら、僕には書けない。
まことに残念なことだが、恋をしたことがあまりない。恋はひとりではできないからなあ。一人思いは恋ではあるまい。
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できるのであれば、今からでもしたいところだが、あまりにあまりに遅すぎている。
よしんばスタートを切ったとしてもラブソングのようにはいかないはずだ。
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ラブソングが書けるために、その大本のフォール・イン・ラブという体験を授けられねばならない。だが、こればかりは棚からぼた餅式ではないはずだ。
まずは美女には美男がふさわしい。それに加えて双方の意思が要る。それも小石を積み上げて城の垣を築くような。
これが面倒臭い。面倒臭いものはご免だ。
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この種の人間は、やはり、そういうロマンスをうっとりして聴いているのが一番性に合うだろう。
そうかそういうものなのか、それはいいなあ、それはつらいだろう、それは嬉しいだろう、それは悲しいだろう、と感情導入をしながら。
生涯できなかったことであるからなおさらに、それが放つ魅力が大きくなる。
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若い頃、学生相手のオールナイトの映画をよく見に行った。安くてしかも3本も見られた。ぷつんぷつんとフィルムが切れることがあったが、我慢ができた。
「頬にかかる涙」というイタリア(あるいはフランス)映画にはうっとりしたものだ。
まるで自分がこの場でその美女と遭遇したかのような興奮をすら覚えた。スクリーン・ミュージックもよかった。
ラブストーリーの映画を見た後なんかは、自分にもこの後の人生でそういう甘いラブロマンスがきっと巡ってくるような気が強くした。
しばらく期待を膨らませていたけれど、それは結局期待だけで終わって、老境に達してしまった。
棚から甘いぼた餅ならぬ甘い恋は落ちてこなかったのである。