<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

健康で一年を終わりにする。

2023年12月29日 10時45分19秒 | Weblog

お日様が洗濯物を乾かしてくださる。ものを乾かすエネルギーがお日様にはあるので、そのエネルギーを吸い取って、これでタオルや下着がふんわりふかふかになる。気持ちよくなる。健康が維持できる。健康で一年を終わりにする。(風邪引きはしましたが)

いつものことですが、ありがたいことであります。一年に一度くらいは、それを認めて、お礼を申し述べたいと思います。お礼を申し述べるといったって、お日様の耳にそれが届くかどうかは分からないのでありますが。

ベランダのところに洗濯物が扇型にたくさん吊されています。光を跳ねてきらきら光っています。眩しいくらいです。

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おはようございます、お日様。

2023年12月29日 09時41分11秒 | Weblog

おはようございます、お日様。お日様が12月29日の午前9時45分のわたしを、明るくしてくれています。

お日様は、大地と大空とわたしを明るくしてくれても、明るさ代金を請求されません。無償です。いつもいつも欲しいだけどうぞどうぞです。

有償だったら、どうなるんでしょう? お金に換算できませんが、もしも換算したとしたら、相当の金額になるでしょう、間違いなく。凄まじいパワーなんですから。

でも心配要りません。(心配した人なんていないでしょうが)無償です。お礼のことばすら求められません。よかったなあと思います。お日様は人間のお金には関心が無いようです。

お日様のお陰でわたしが生きています。では、生きている間だけでしょうか、それは? 生きている間だけの愛情ではないとわたしは思います。ずっとずっと面倒を見て下さるはずだとわたしは踏んでいます。死後も、わたしを明るくして輝かしてくださるはずだと確信しています。

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大根でカンコロを作ります。

2023年12月28日 16時10分50秒 | Weblog

家から少し離れた北の畑に大根が育っています。1列ずらりと。でかでかしくなく、丁度いいくらいの大きさになっています。お墓掃除の帰りに、これを3本抜いて来ました。

これで干し大根をしようと思います。カンコロとわたしたちはそれを呼んでいます。皮を剥いて小さく細く棒状に切ります。(この後、ボイルをするやり方もありますが、わたしの家ではそれはしません)

これを網籠に列べてお日様に数日干します。水分が抜けてからからになります。これを保存します。好きな方にはあげます。食べたいときに、水に戻して料理します。わたしはカンコロ料理が好きです。

このお爺さんはこのカンコロ作りの作業をするのが好きです。命令されたら、ノーというかもしれませんが、自発的にするので、時間を気にせずゆっくりのんびりやります。気楽です。これからそれを始めます。

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周りの墓地は墓仕舞いされているので荒れ地。

2023年12月28日 15時53分11秒 | Weblog

お墓掃除を済ませました。石塔の周囲は他所様の墓地になっていますが、南も西も疾うに墓仕舞いをされているので、空き地になっています。空き地だから、管理者がいません。草が生い茂ります。我が家の墓の石塔が孤立しています。ですから、草取りを我が家で担当することになってしまいました。何だかヘンです。我が家のお墓だっていつそうなるか分かりません。子孫が途絶えたら、お墓をお守りする人がいなくなります。無縁仏になって荒れ地になります。我が集落も人口減が深刻化してきています。空き家も増えました。高齢者がいなくなれば、そこは空き家になるしかありません。後継者が残っていないのですから。

お寺さんにお位牌だけを預けて永代供養をするところが圧倒的に多くなっているようです。我が家もそうなるかもしれません。

わたしは、個人的には、お墓無用論者です。わたしは死後あんな冷たい暗い狭いお墓の中にはいません。それもずっとずっとずっとだなんて、イヤです。わたしは即刻、極楽浄土に往生しています。涅槃を得て成仏を果たしています。阿弥陀仏はそれを約束されました。果たされないはずはありません。

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お正月は何をして過ごそうか

2023年12月28日 13時44分31秒 | Weblog

お正月が来る。何をして過ごそう? 凧揚げをするわけではない。独楽を回して遊ぶこともない。年賀の挨拶によそへ回ることもない。挨拶客も来ない。日常とあまり変わらない。

元日の朝には神社詣りをする。近くの八天神社と白角折(おしとり)神社と仁比山神社に詣でる。頂いた年賀状にはお礼の賀状を書く。

法華経を音読する。法華経は長い長い経典だ。そのうちの1章を選ぶことにする。

ま、好きな本を読んでいれば、年末から年始にかけての一週間はすぐに過ぎて行くだろう。

日が照ってあたたかくなれば、畑に出よう。玉葱畑の草がすさまじく茂っている。これを抜き取る作業は数日かかるだろう。

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お爺さんは幸福だった。

2023年12月28日 13時12分35秒 | Weblog

気温が上昇している。あたたかい。冬の厚手の服は脱ぎ捨てて、畑に出た。虫食い白菜を3個収穫した。網状になっている葉っぱを何枚も何枚も取り除いた。見つけ次第、虫を除去した。小さくなった。これは我が家で食べる。食べるまでは屋内で、新聞紙に包んで、保存することにした。

草を取って耕して、土をやわらかくして、そこに高菜の幼い苗を移植した。高菜の苗は、少しずつ時期をずらしながら、プランターに種を蒔いて育てていた。10cm~20cmほどの草丈になっていた。最後にホースで水撒きをした。

土はお爺さんを元気にする魔法の土である。土に触れていると元気になれる。正午を知らせる市役所のチャイムが鳴った。「ご飯ですよ」の声を掛けられるまでずっと畑に居た。お爺さんは幸福だった。

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ご近所様から夏蜜柑を頂きました。

2023年12月28日 08時47分04秒 | Weblog

いい天気です、今日は。寒いけれど、爽やかです。東の空に太陽が昇ってきています。大空と大地がきらきら輝いて明るくなっています。

条件がそろっています、わたしのこころが愉快快感を得るだけの条件がそろっています。愉快にしておられそうです。(そうでなくったって、愉快にしていてもいいのですが)

隣家の北側の屋根瓦にはまだ霜が張り付いていますが、まもなく日射しのあたたかさで解けてしまうでしょう。

家の中は寒いので、お爺さんは軍手の赤茶色の手袋をしています。TOM&JERRYの絵がついています。銀行から数年前にもらったものです。

昨日、ご近所様から立派な夏蜜柑をいただきました。大きなビニール袋にたくさんいれてありました。玄関先に置いてくださっていました。収穫されたばかりのようでした。昨年もその前の歳にも頂きました。有り難うございました。夏蜜柑の肌の色は冬の元気を湧かす色になっています。我が家ではお爺さんが夏蜜柑の分厚い皮を剥く役割になっています。

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今日は墓掃除に行く予定。

2023年12月28日 06時51分33秒 | Weblog

外気温は3・2℃。寒い。今日は12月28日、木曜日。お正月まであと4日となった。

今日は家内といっしょに墓掃除に行く。石塔のまわりの草取りをする。お日様が上がって来て地上を温めてくれてからにしよう。掃除の後で、お墓にお正月用の花を飾る。

お墓はお寺の境内にあるのではない。集落の一角にある。

 

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つくね芋ステーキを食べた。おいしかった。

2023年12月27日 21時28分49秒 | Weblog

今夜はつくね芋ステーキを食べた。やや厚めにして長方形にき切ってあった。塩胡椒だけで、フライパンで焼いて、すこしばかり焼き目をつけてあった。乙な味だった。へええ、こんな料理法があったのか。また是非作って欲しいとリクエストを出した。

泥を落とし、つくね芋を洗って、丁寧に皮を剥いたのはわたし。暇だったから、夕食の手伝いをした。

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落ち葉を踏みしめると静寂が音をたてる。

2023年12月27日 15時49分01秒 | Weblog

落ち葉踏む音に加わる一人かな

西美知子 「玄海」1月号

西日本新聞「俳句月評」にこの句が紹介されていました。今朝の新聞です。

落ち葉踏む音が聞こえるほどに落ち葉が厚く敷き詰められています。あまり人が通らない道のようです。山道を行けば道の両端に吹き集められています。落葉樹が葉を落としています。日にちがたつと湿ってきます。湿ると吸収されてしまうので音がなくなります。だから、音を聞くには新しい落ち葉がふさわしいでしょう。走ると滑ってしまいますから、ゆっくりゆっくり踏みしめて行くべきです。お散歩の途中でしょうか。

「音に加わる」とありますから、初めの人に誰かが加わって来たのでしょう。どちらが作者なのかわかりませんが、一人と一人です。どちらかがそれを敏感に耳で察知したのです。落ち葉を踏みしめて歩く人の跫音に敏感に、すっと反応したのです。そして親しみを感じたのでしょう。共同体験をすると人はやさしくなります。

いずれ、静かな時がそこに流れています。落ち葉の深さを鑑賞できる時間は、静かな時間です。落ち葉をわたしの世界に引き込んでいて、そこにもう一人が、やさしいしめやかな跫音を立てて侵入を図って来たのです。

二人は会話をしたでしょうか、立ち止まって。しなかったかもしれません。過ぎ去って、とうとう見えなくなったかもしれません。

 

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