<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

理由はそれだけです。

2023年12月15日 17時43分14秒 | Weblog

僕は滅多に間食をしませんが、今日はジャムパンに手を付けています。でもそれも、半分で止めました。もうすぐ、あと1時間後に、夕食が待っているからです。腹を空かしていないと、お酒がおいしくありません。理由はそれだけです。

今日はスーパーに立ち寄ったときに、紙パック入り1・8リットル「黄桜」を買いました。黄桜が一番安い値段がついていたからです。今夜はそれを1合ちょっと熱燗にします。酒の味のよいよくないは分かりません。

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コーヒーが美味しいです。

2023年12月15日 17時10分22秒 | Weblog

ぷうう、長々と書きました。疲れました。家内がコーヒーを淹れてくれました。コーヒーがおいしいです。

さっきの経典はサンスクリット語ではこうなっています。

おん・ばん・ざあ・ら・さ・と・ばん 

そ・ぎゃ・ら・か・ばん

此を唱えてみなさん元気になられたことでしょう。さぞかし、自己肯定の幸福の味のするコーヒーだったことでしょう。

わたしゃ如来にまもられて、うれしうれしにさせられる。あなたが如来とほめられて、うれしうれしにさせられる。

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わたしたちは一人一人がダイアモンドの輝きを放っている。

2023年12月15日 16時02分47秒 | Weblog

金剛薩埵摂受故(こんごうさったせつじゅこ)

得為無上金剛宝(とくいむじょうこんごうほう)

金剛薩埵の摂受したまふがゆえに、(われらは)無上の金剛宝と為るを得たり。

「四智梵語」漢文訳。

剛薩埵(こんごうさった)よ、わたしたちは金剛薩埵の慈悲のみ手に包まれて救われておりますから、護念を得て、われら凡夫はただちに無上の金剛宝となり、金剛薩埵と同位の仏体となることができます。

真言宗経典 「四智梵語」 勝又俊教氏の訳文より

金剛薩埵は大日如来と等しい姿の仏様。よって、呼び掛けは、大日如来に呼びかけていることに同じ。金剛宝は大日如来を取り巻く菩薩の一人の名。金剛はダイアモンド。われわれはみなダイアモンド級のTreasure意識体を生きている。

大日如来の慈悲によって救済された者は、凡夫であっても、そのままで大日如来のお傍にあって、金剛薩埵と同位の仏体そのものにならしめられている、と書いてある。(われわれはみなそうだと書いてある)

で、びくっとしてしまうのである。

われわれが大日如来と何から何まで同位同体の仏になっている、というのである。5%、10%、30%、50%ではなく、けちらずに、ずばり100%全部仏にしてもらっている、というのである。1万ボルト、100万ボルト、1万億ボルトの電流の流れる巨大エネルギー体にしてもらって、発動して発光して、常に輝き切っているというのである。こうなれば、我々一人一人がもう宇宙の星々に等しい。ぎんぎんぎらぎらの発熱発光体の星に等しい。(真言宗は凄いなあ)

大日如来は、差別をなさっていないのである。いきなりわれらを大日如来と同等にしてもらったのである。「おまえたちは凡夫だから」という理由付けで値切られたわけではないのである。

これができるのが如来様である。この能力全開の方が仏様なのである。阿弥陀如来も同じである。成仏するというのは、仏様と同位同体になってしまうということである。

ここらあたりの仏教の教えは凄いなあと思います。

でも、「わたしは大日如来なり」「わたしは大日如来と同位同体の仏なり」を、人前でしゃべってしまうと、傲慢な新興宗教の祖になってしまいます。危ない危ない、です。この辺の理解が難しいと思います。

これは「自己の尊厳」ということだろうと思います。それほどまでにわたしたちはみな如来様から大事にされているということだろうと思います。自己を卑しめない最上最高自己認識の問題だろうと思います。

わたしは、拡大解釈の間違った解釈をしているかもしれません。みなさんはみなさんで考えてみて下さい。

この世を生きているということ、そのことが即、如来から大切にされて、守られて救われて、光り輝いているということなのかもしれません。そういう認識の上に立てば嬉しくしていられそうです。

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植物も冬を越すしかない。

2023年12月15日 14時58分09秒 | Weblog

公孫樹(いちょう)のようだ。黄色く色づいてこんもりしている。畑の一角にこんもりアスパラガスが茂っている。夏の盛りを過ぎたので、無惨に枯れて。

植物も冬を越すしかない。冬を越せば春になる。春になればいっせいにまた芽吹くことが出来る。アスパラガスは地中に根を伸ばして生き残ることが出来る。そういう選択をした。

われわれハイレベルな人族も、あんがい、似ているかもしれない。目には見えないのだけど。SPIRITの見えない根を、大空に張っているのかもしれないよ。ヨミガエリを楽しんでいるのかもしれない。

この世の冬を忍耐して、あの世の春の復活を楽しむシステムを、うまうまと採用しているかもしれないぞ。

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お爺さんになっても、1日3食食べている。

2023年12月15日 14時42分30秒 | Weblog

けっきょくは、お昼は、冷凍食品の牛蒡天うどんだった。近くのスーパーで買って来て、家内に作ってもらって、食べた。ん、まあまあ、おいしかった。350円也。あ、そうだった、朝ご飯の残りの、サンドイッチも二分の一食べたんだった。

お爺さんになっても、同じ、いちにち3食を食べている。うまいとかうまくないとか言いながら。

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離れていると、濁世はなつかしい。

2023年12月15日 14時19分38秒 | Weblog

おなじく阿波野青畝の句。

なつかしの濁世の雨や涅槃像

雨が季語だろうか? お釈迦様入滅の日の雨なら、春四月。

涅槃像はお釈迦様の入滅の仏像。息が絶えて寝ていらっしゃるから「寝釈迦」とも。お弟子衆が回りを取り囲んでいる。獣たちも鳥たちも泣いている。

「濁世」は「この世」「五濁悪世」。娑婆世界。煩悩の世。悲しみ苦しみの世。「涅槃」は、濁世の先にある安らぎの浄土。

禅宗寺院では涅槃会(ねはんえ)を執り行う。寺院の御堂には涅槃図が掛けられる。僧侶たちが集まって恭しく経をあげる。御堂の内は、たちまち濁世を超えた静寂に保たれる。一同の者がしめやかになる。

御堂の外に出てみると、雨が降っている。桜を濡らしている。そこでふっと我に返ってしまって、濁世の雨に濡れる。とその雨の雫の流れる落ちる頰に、濁世があたたかく蘇って来た。

一読していい句だと思ったが、わたしの判断はあてにはならない。この世はなつかしいところなのである、そこをわずかでも離れてみれば。嘗めた苦しみも悲しみも、ふっとふっとなつかしいのである。

同じ作者の句に、

山また山 山桜 また山桜

の句があった。

 

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村を通りかかったら、餅搗きの声。

2023年12月15日 13時46分08秒 | Weblog

餅搗きのみえてゐるなり一軒家

阿波野青畝

年が暮れていく。そろそろ正月飾りの餅を搗く頃。我が家は30日を予定している。小さな電動餅搗き機械で、わずかばかりだけど、搗く。搗く楽しみを捨てずに居る。まず正月の飾り餅を作る。残りを蓬餅、白餅小餅、餡餅にする。

一軒家は、村の一軒家だろう。ちょっとした高台に、分限者の住む大きな家があるのだろう。餅を搗いているのは外。大竈も外。焚き木を燃やす火があかあかと燃えている。

臼を囲むようにして、餅を搗く大人たちの声がしているのだろう。こどもたちの歓声も上がっているだろう。もしかしたら、火の炎だけでなく、湯気すらうっすら見えているのかもしれない。

村を通りかかったら、遠く近く、にぎわいが洩れて来た。それだけでつい楽しくなってしまった。正月までもうあと3日。

作者阿波野青畝(1899~1992)は奈良県生まれ。高浜虚子に師事した。山口誓子・高野素十・水原秋桜子とともに「ホトトギス四S」と称された。

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ふふふ、にたりにたり。

2023年12月15日 13時06分12秒 | Weblog

暑い。20℃を超えている。このあと、最高気温が23℃にも上がるらしい。外に出て、ちょこちょこ歩き回っていたら、下着の内側が汗ばんでしまった。冬用の上着を脱ぎ捨てた。

12月の中旬でこれほど暑いとは!

かといって、家の中に入れば、寒い。コタツをオンにしなければならない。

ふふ、お金儲けをしたぞ。思わぬ収入があった。少額の5000円ぽっちだけど。思わぬ、というところがいい。にたり、ふふふになる。

拾う神あり、だ。(ほんとうは、いつも拾われてばかりなんだけど)

 

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いいこともあるものだ。

2023年12月15日 12時39分45秒 | Weblog

お上手。九条葱が上手に育った。いいこともあるものだ。

買って来た苗の、縦・横・長さ、10倍ほどに成長促進した。スコップで掘り上げた。根を損ねないように周囲を深々と掘って。白葱の部分の白がきらきら輝いた。

根を落として、水洗いして、水切りして、ベランダに干した。今夜の鍋料理においしかろう。

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高浜虚子の冬の俳句

2023年12月15日 10時44分55秒 | Weblog

流れゆく大根の葉の早さかな

高浜虚子

冬の俳句、これは。夏の終わりに種を蒔いた大根が、成長をして葉をたくましくするのは秋の終わり。冬には、葉は枯れて、用がなくなった、捨てられて、緑色を喪失している。

昔は、川路という場所があった。小川を引き込んで堰き止めて小さな池にしていた。ここで洗い物をした。虚子が見たのも、この川路の、捨てられた大根の葉っぱだったのかもしれない。

冬の小川は水量が少ないから、そんなに早くは流れ去って行かなかったはずだろうが、道路の上から眺め下ろしている虚子には、執着なくさらりと流れて行く姿を、早しとしたのだろうか。

これも現代国語の教科書でお習いした。高校時代には、これは春の句、夏の句として受け止めたようだったが。大塚文彦先生の解釈に、わたしが逆らっただけだったかもしれない。

78歳のお爺ちゃんになったいまでは、さらりと去って行く無執着が慕わしい。大根の葉ならずとも、月日の流れも、早く速く流れ去って行っていい。そんなふうにも思う。

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