夜の8時になっている。寝ないで起きている。
僕は晩酌したらすぐに酔ってしまう。安上がりだから、1合の酒で酔ってしまう。
いい気持ちになると、ことんと寝てしまう。そういう癖がある。
酔いが覚めると起きる。夜中に目覚める。だから、夜がむちゃくちゃ長い。困る。
なのに、今夜は興奮しているので、眠気が遠離っている。
興奮している。あることを考えているからだ。
夜の8時になっている。寝ないで起きている。
僕は晩酌したらすぐに酔ってしまう。安上がりだから、1合の酒で酔ってしまう。
いい気持ちになると、ことんと寝てしまう。そういう癖がある。
酔いが覚めると起きる。夜中に目覚める。だから、夜がむちゃくちゃ長い。困る。
なのに、今夜は興奮しているので、眠気が遠離っている。
興奮している。あることを考えているからだ。
所修一切衆善業(そうしょういっせいしゅうせんぎょう)
利益一切衆生故(りーえきいっせいしゅうせいこー)
我今尽皆正廻向(がーきんしんかいせいかいこー)
除生死苦至菩提(ちょーせいしーこーしーほーてい)
真言宗経典 「胎蔵界九方便」 第九廻向方便より
*
(仏の)(我に)修めたまひし所の一切の衆(もろもろ)の善業は、一切の衆生を利益せしめんが故なれば、我は今 尽(ことご)く皆 正しく廻向して、生死の苦しみを除いて、菩提に至らしめん。
*
ここの登場される仏様は、真言宗の敬う仏の、大悲毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。奈良東大寺の大仏様もこの毘盧遮那仏です。宇宙仏です。大日如来様と同体の仏様です。全宇宙を全肯定されている仏様です。ですから、わたしに修めさせられた一切のこの世の修行はみなことごとく善業になっています。悪業ではなく善業となっています。そうでなければ、他者にそれをそっくり回し向けることなど出来ません。善業となって居なければ、この世を生きる生きとし生ける者の苦しみを除いてあがることなどできません。菩提は仏様の智慧、仏智の世界の安寧のことです。仏の善業を我に重ねて重ねて、そこ(涅槃界)にみなが到達して行きます。
*
仏様の世界です、此処は。宇宙全体が毘盧遮那仏の宇宙になって居ます。此処で、仏様がわたしたちにこの世の修行をさせておられますが、それがことごとく善業になって行く。このスキームがいいですね。「廻向(えこう)」とは、回し向けていくエネルギーのあり方のことです。わたしたちは互いを正客としています。互いが互いに「モチツモタレツ」して進化を続けています。
数日来、大人のカマキリが部屋のカーテンの裏側に住み着いています。外の野原の寒さを避けて此処に辿り着いたのでしょうが、ここには雨露の水分がありません。生き延びていけるのでしょうか、何日も。いちど、窓の外に出して上げたのですが、また戻って来ています。
わたしの今日の即興詩 「抱擁」
1日が24時間あるなら24時間ずっと/人に一生が与えられているのなら一生の全時間を投げ込んで/ずっと/わたしはあなたを抱擁していたい/1cm1mmの隙間をおかずに/着ているものなんかみんな脱ぎ捨てて/ぎんぎんする光りの星になって
わたしが疲れたら/こんどはあなたに抱擁されていたい/1cm1mmの隙間をおかずに/着ているものなんかみんな脱ぎ捨てて/ぎんぎんする光りの星になって/1日が24時間あるのなら24時間ずっと/人に一生が与えられているのなら一生の全時間を投げ込んで
さみしい/抱擁していないとさみしい/さみしい/抱擁されていないとさみしい/寂しさが力になり切るまで/寂しさがいとしさに代わりきるまで/強引に/無理矢理に
光と闇がそうしているように/空と海がそうしているように/朝も昼も夜も24時間/この世の一切がそうしているように/ぴったりとぴったりと/寂しい感情が湧き起こらないほどに1cm1mmの隙間もなく/美しい今生を生きている美しいあなたを
あめつちに われ ひとり ゐて たつごとき この さみしさを きみは ほほえむ
会津八一
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この広大無辺の天地宇宙に立っているのはわたしひとりのような、寂しさを覚えるときがある。そういうときがしばしば訪れる。耐える。できるだけ耐える。耐えられないときもある。
作者会津八一は、そういうときには、大和の国の都、奈良を訪ねて、古き仏たちに会っている。古き仏たちが、彼の目に微笑みを投げて来るからだ。仏たちは、わたしが此処に居るんだから寂しいことはない、と打ち消してくれる。
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わたしもまたさみしい。さみしがる人間の一人のようだ。わたしは仏ではなくて、いとしい美しいあなたに会いたくなる。といって、そこにいとしい美しい人が会いに来てくれたとしても、わたしの落ちた寂寞の穴の深さは三千万mの深さだから、とてもここまでは下りて来られない。
ちょっとそこまででいいから、外出してみたい。
といって、行くところがない。
*
行くところがないのなら、行けない。
で、いつもじっとしている。巣籠もりをしている。
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巣籠もりをして卵をあたためていたら、もう何羽のひよこが生まれただろうか?
そのひよこの鳴き声もしない。
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灰色をしている冬の雲。
へっちいさんに溜まった灰に、バケツの水をぶっかけた後のような沈んだ色をしている。
賀状書く今日も明日も会う人に
多久市 中嶋清子さんの句
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この作品が、佐賀新聞読者文芸俳句部門、陣内和泰選の2席入選だった。なんとなくわが口に笑みが浮かんだ。ユーモアを感じた。賀状が季題。冬。(春?)
年賀状というのは詰まるところ、「今年もお付き合いよろしくお願いします」というお願いの挨拶状なんだろう。今日も明日の会う人だから、口頭で述べたってよさそうなんだが、わざわざ葉書にする。これで一年、親しさが継続できる。書がうまい人なら、年賀状書きは苦にはなるまい。
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わたしは年賀状はとっくの昔に止めている。書かないと決めているが、もらった分には返事を書いている。礼儀に背くような気がして。
*
さて、俳句として、この句が優れている点はどこなんだろう?はて、と思う。選者は2席に推している。わたしも一読後、すぐにいい句だなと思った。
<ここだ>と思えたら、真似ができるはず。その「ここ」とはどこなのか? 俳句上達法が知りたい。
気温9・5℃。どんよりとした暗い重たい冬空がある。風はないが、寒い。
何処にも行く気になれないで、朝から炬燵の守をしている。お爺さんだから、それでいいんだけど。テレビを付けたって、興味を引かないで、すぐに消してしまう。
*
今朝はS新聞の読者文芸の発表だった。僕の投稿した作品は、川柳部門、俳句部門、短歌部門の、3部門とも落選だった。いつものごとく。がっかりだったが、それにもめげないで、次の週の投稿作品を書いて投稿した。午前中いっぱいかけて。
僕はいい作品が書けたと思って投稿に及ぶのだけど、いつもそれは独り合点に終わっている。評価に値しない、つまらない作品だったのである。しかし、しかし、僕は僕流の作品しか書けない。
今日からまた寒くなるらしい。寒そうな風がアスパラガスの枯れ枝を揺らして吹いている。どんよりしていまにも落ちて来そうな重たい冬空がある。
何処にも出て行かないことにする。お爺さんはますますお爺さんになる。コタツをあたたかくして身をちじめていることにする。日本国中、テレビニュースによると、インフルエンザが猛威を振るっているようだ。くわばらくわばら。
今日は12月15日。月の中半まで進んできた。YouTubeで静かに音楽を聴いて、ゆっくり土曜日している。
あと半月でお正月を迎えることになる。といったって、凧揚げをすることも毬突きをすることもないのだけど。