視力が落ちて落ちて、パソコンの文字が見えずらい。拡大鏡で拡大しても、なお。
で、ブログの文字サイズを大きくしてみた。うん、これでいい。
11月には白内障の手術を受けることにした。両眼とも。これに賭けよう。
かといって、運転をしているときには、フシギフシギ、視界ははっきりしていて、支障がない。
視力が落ちて落ちて、パソコンの文字が見えずらい。拡大鏡で拡大しても、なお。
で、ブログの文字サイズを大きくしてみた。うん、これでいい。
11月には白内障の手術を受けることにした。両眼とも。これに賭けよう。
かといって、運転をしているときには、フシギフシギ、視界ははっきりしていて、支障がない。
夕顔は夕方に咲いて夜明けにしぼむ。
白い。大輪。太い蔓がはい回る。花数が多い。夕闇に見るとはっとする。
香りが香る。
女の人の化粧の匂いがする。あの人が来たんじゃないかと、はっとする。
死があると死の処理をするところが必要になる。
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死がないとすると、死の処理をしないですむ。
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「死んでなんかいません」の思想は明るい。
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死は方便。死んだと見せかけているが、それは物体としての終わりの死。
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非物体は死なない。スピリットは死ぬことがない。永遠の生命を生きているだけだ。
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水のエネルギー、空気のパワーは、本体の水や空気が物質であっても,死なない。変化をするだけだ。ハタラキ続ける。エネルギーとパワーは終わらない。
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ハタライテイルもの、エネルギーやパワーは、死なないでいられるのだ。
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願いもエネルギーである。パワーである。こころもエネルギー体である。死なない。
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神社にはお墓がない。死を処理する必要がないからだ。死を認めていないからだ。気が澄んでいる。
終わりを認めていない。永遠を志向している。
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今日はそんなことを考えてみた。当たっていないかもしれないけど。
葱植えて大地の願い果たしけり
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僕の投稿した俳句作品。やっぱり落選だった。
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大地の願いは大袈裟だったのか?
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葱を植えると、大地が畑になるのだ。畑は人間に施しをすることができる場所だ。大地は利他行がしたいのだ。フカネギの葱苗を植えて上げると、利他をしたいという大地の願いが果たされるのだ。人間がよろこぶのだ。大地が緑を提供できるようになるのだ。
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俳句は17文字。意図意想を込めすぎてもいけない。あっさりがいい。
こけてしまった。転倒した。柱に頭をおもいきりぶつけてしまった。重く痛む。柱にあった金物で腕を切ってしまった。出血した。血管まで切れていなくて、幸いした。足が支えきれないで、前のめりにこけてしまった。膝をすりむいた。ショックだった。これだけ現実に老いているのだ。
頭の打撲は氷で冷やした。2時間経ってもまだズキンズキンしている。
腰を痛めてないですんだ。幸いだった。
よろこばせよろこび上手猫笑う
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僕の投稿した川柳の作品。落選の。
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猫はよろこび上手だ。膝の上に来て見上げて、にっこりにゃあにゃあ笑っている。それで主人の僕をよろこばせている。
よろこび上手とよろこばせ上手。どっちも上手。
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よろこぶのは自利行。よろこばせるのは利他行。猫さん、なかなかやるなあ。
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猫? 猫がよろこぶ? 猫が笑う? そんな芸当ができる?
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そこがミソだ。川柳のミソだ。
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のつもりだったが、これもやっぱりヒトリヨガリだった。選者には伝わらなかったようだ。
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僕の彼女はそれができる。
彼岸花彼岸への道海に出る
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投稿した僕の俳句作品。落選の。
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ヒトリヨガリの。
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秋分の日が過ぎてあちこちに列をなして彼岸花が咲いた。彼岸花は、彼岸への道筋を教えている。そこを辿って行くうちに、海へ出てしまった。
海の向こうに彼岸があるのだろう。彼岸の彼の岸は理想世界の岸辺である。仏陀の世界である。
今日は土曜日。土曜日はS新聞読者文芸の発表の日。一週間の時間を費やして投稿した僕の3作品は落選だった,今回も。がっかりだった。もう何週間何ヶ月落選が続いているだろう。意欲をなくしてしまう。
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☆ 午後3時干し物家族分畳み老爺の今日の労働終える
(老齢のお爺さんのすることといったら、わずかだ。家族貢献は干し物を畳むくらいのことである)
☆ フクロウの顔のアメリカフヨウ咲き去らんとすれば梟を鳴く
(大輪のアメリカフヨウの花は、たしかに梟の顔をしている。花を見て,去ろうとすると、背中で梟の声をして、アメリカフヨウが鳴いている)
☆ 目連の餓鬼なる母の痩身の肋(あばら)の骨にスイッチョの声
(目連はお釈迦様の弟子の目連尊者)(尊者の母上はこどもの尊者をのみ可愛がったので、利他行に逆らったとして、餓鬼道に落とされてしまった、との言い伝え。餓鬼道に落ちたお母さんは痩せ衰えて肋の骨だらけになっていた。スイッチョの秋の虫は、その肋骨のところで秋を鳴いている、餓鬼道を差別しないで)
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どうすれば入選になるんだろう? 分からない。
説明しないと分からないような作品は、いい作品ではないのだろうね。
投稿した僕の作品を一読されて、ナンダツマラナイで一瞥される選者の顔が、ひょいと浮かんで来る。
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まあ、入選しなくても、創作のよろこびをよろこんだから、それでいいんじゃないのかな。で、差し引きゼロにする。
夕方、4時過ぎから外に出た。コメリから買って来た白菜苗12ポットを畑に植え替えた。
それからホースで水撒きをした、あちらこちらのプランターにも。
それから、椅子に触ったままで、夏草が茂って荒れ放題の西の畑の草取りをした。日が暮れて手許が見えなくなるまで。
耄碌爺(もうろくじじい)にしては、よくまあ働いた。花丸💮を上げてもいいんじゃないか。
昨日、ひとりドライブをしていて、「おっとう」と声を大きくして呼んでみた。おっとう、びっくりしただろうな。
昨日、ドライブから戻って来て畑に出て、「おっかあ」と声を大きくして呼んでみた。おっかあ、さぞかしびっくりしただろうな。
地上から大きな声がするから、「何事!?」と思っただろうな。
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ちょっと呼びたくなっただけだったんだ、ごめんね。
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でもね、ちょっと呼びたくなっただけだったんだけど、一瞬だけそこがふうわりして来てあったかくなったなあ。
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何年経ってもわたしのおっとうはおっとう。わたしのおっかあはおっかあ。それを確かめてみたくなったんだ,不意に。