お墓に,死んだ後、ずっといるだろうか?
そこを住まいにしているんだろうか?
狭い地中の、じめじめしたところをアパートにしているんだろうか、われらが魂さんは? 暑い日も寒い日も。年がら年中。
疑問だ。
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でも、どこの国にもこのお墓がある。
あるということは?
そこにご先祖様がおいでになっている、と思っている子孫達がいるということなんだろう。
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かって、「お墓の前でなかないでくっださい」の歌がはやったことがあった。
「そこにわたしはいません」「死んでなんかいません」という歌詞がとっても気に入っていた。
同感だ。
アメリカインデイアンの考え方らしいが。
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我が輩は、そんなところにはいたくない。そんな狭いところに百年千年なんかいたくない。
我が輩は、そんなところに留まっていないで、さっさと次に進んでいるはずだ。
肉体は死んでも、我が輩の魂(=生命本質=宇宙意思分け御霊)は、死んでなんかいない、と思っている。
次なる拠点に進んで行って、グレードアップを果たして、生きて、溌剌として、次の活動をしていると思っている。
これはしかし我が輩の概念だ。証明は不可能だ。
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家内が今朝、早朝散歩をしていて、我が家のご先祖様のお墓に詣でてきたらしい。お飾りの花を取り替えてきたらしい。
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我が輩の肉体は土に帰る。物質元素に戻る。これで一環の終わりにする、つもりだ。執着の幽霊になんかならない。