3両で1編成になっており、びゅう商品専用車の1号車とサービスカウンター付きの2号車は片運転台のキハ48のペア。一般指定席の3号車は両運転台のキハ40が連結。
景色を楽しめるようにワイドな窓が備え付けられています。
中間の2号車はキハ48 1542。指定席はありませんが、おもにサービスカウンター、酒樽をイメージしたスタンドテーブルが備え付けられています。
2号車の車内。
どれも税込みで550円。
これは銘柄により値段が異なるものですが、1000円から2000円くらい。もし、今日もどこかの宿で泊まる予定があれば、1杯くらいはいただくつもりですが、今日は駅からクルマで帰宅する予定があるので、残念ながら禁酒。
およそ1世紀前(100年前)を連想してしまいそうな電球。昔はフィラメントだけど、現在はLEDでそれを再現。自宅でもこの同じ電球を利用し、夜だけ大正時代にタイムスリップ。
まもなく出発。
次は柏崎に停まります。キハ48のエンジンの響きが懐かしい。山口県の山陰本線を思い出してしまいます。
観光列車のコシノシュクラがやってきました。わかりやすく言えば、「新潟県のお酒の蔵」号なんでしょうか。車内のカウンターバーでは、新潟県の銘酒を飲み比べができるメニューもありましたが、夕方帰京し、車に乗る予定があるので、せっかくお酒に関する観光列車に乗っても禁酒です。
国鉄のキハ48を改造されたものです。JR東日本に残るわずかな国鉄車両なのかも知れません。只見線、男鹿線、磐越西線なども少し前までは国鉄のキハ40、47だったんですけど、小湊鐵道に譲渡してしまい、現在は完璧なJR車両に置き換わってしまいました。
わずかな停車時間、目の前が海だという物珍しさもあるのか、車内の観光客がどっと一時下車。
行き先表示は「十日町」。信越本線の長岡で方向転換し、越後川口経由飯山線の十日町が終点。
昨日(11月3日)、会津若松駅で調達した指定席券。予約の時に使ったクレジットカードではなくスマホに表示された予約内容のQRコードだけで発券できる仕組みに疑問を呈していましたが・・・その1ケ月後の12月12日にとんでもない目に遭わされてしまいました。
新潟県から遠く離れた山口県の滝部駅で作ってもらった切符を行使。滝部駅は無人駅だった時期もあり、地元の要請により再び駅員配置駅になった経緯があります。せっかくPOS端末も置かれているので、旅行の計画があれば積極的に滝部駅の売上げに協力。マルス券に似ていますが、発行会社の「西」マークがついていること、発行日の日付がマルスだと半角だけど、こちらは全角。001はPOS端末特有の表示。
越後川口から先はこのきっぷと併用。昨日、只見線の旅で越後川口を通って、長岡まで向かったときは「越後川口 → 長 岡」のきっぷ、長岡から青海川、青海川から越後川口まで別途乗車券を購入済み。
今度は駅周辺の散策をしてみます。
駅を出てしばらく歩くと右側に国道へ上がる路地があります。そこから入って歩くとそのような風景が見られます。
跨線橋だけど、雨風にさらさないように屋根や壁がついています。
上に何かありそう。しばし休憩できるカフェショップだったら嬉しいんですけど・・・
酒屋さんでした。2017(平成29)年の新得駅のこともあるので、旅行で移動中はお酒を飲まないことにしているので、ちょっと立ち寄りにくい。北海道、新得駅の話は こちら。ユーレイさんに(ここ、新得だよ、降りるんじゃなかったの?)と。
11月4日はあいにく曇りの日でした。晴れていたら、もっと映えているかも知れません・・・。ここからの眺めは絶景です。
信越本線の歴史はとても古く明治時代に出来ています。開業当時の駅舎はおそらく木造の建築物だと思います。2007(平成19)年の中越沖地震により、駅舎に損傷を受け、2008(平成20)年に建て替え。
今度は階段を登ってみます。
窓が付いているので、のぞいてみると・・・
このような風景。
11月4日の日本海。冬の間はいつもその風景です。山口県の山陰本線も海が見えるところでも似たような風景。
直江津行きの電車をお見送り。ちょっとした昔の記憶が・・・。
5年1月17日となっていますが、令和ではないのは一目瞭然。きっぷの色が薄青緑色になる前の「みどり」色。「みどりの窓口」の由来となっています。なんと30年前のきっぷですが、熱転写なので、当時のままです。
あの頃は突然の思いつきで出かけることが多く、池袋駅前の高速バス停留所でテキトーに選んだのが上越行きの夜行バス。池袋を22時頃に出発すると、高田駅には朝5時頃到着。今の「みどりの窓口」は早くても7時から開くところが多いのに、当時は始発の数分前には窓口が開く。行く当てもなく、テキトーに「滑川駅まで」とリクエスト。
糸魚川駅に停車している間に、昔懐かしの大糸線キハ52が見えたので、急遽途中下車。糸魚川から前途は棄権し、大糸線経由で東京都区内行きをリクエスト。本来なら、棄権はせず、旅客営業規則第249条に則り、(信)高田から滑川までのきっぷを高田から東京都区内行きに変更申し出をして、区間変更券なるものを発行してもらえるはずだけど、30年前の私はそういった知識の持ち合わせはなく・・・。
直江津からJR西日本に入り、日本海が見られる進行方向の右側に着席。真冬の白波が打ち寄せる海の風景はかなり壮観だったのは今でも覚えています。
高田駅を早朝出発して、普通列車で乗り継いで山梨県の中央本線、小淵沢駅には14時50分。
オレンジ色のボックスはきっぷ入れかと思いましたが、乗車駅証明発行機でした。ほとんどワンマンなので、乗車前にこの券を受け取り、着駅または下車時に精算。
日本海側の信越本線は極端に本数が少ないってわけではなく、1時間に1本程度。
駅を出た直後の風景。赤い鉄橋は国道8号線。
鯨波駅なので、くじらのイラスト付き。
ここを出ると、次は今回の目的地、青海川駅です。
そういえば、東京の「ゆりかもめ」でも「青海(あおみ)」駅があります。青海駅、と文字を見ただけで青海駅に向かうところを間違って青梅(おうめ)に向かわれる方が多く、青梅駅で「ここは青梅(おうめ)駅です。(大きな文字)間違って青海駅と思ってお越しの方・・・」の看板を駅員さんの手作りで掲示。青梅と青海、両駅との移動に2時間以上もかかってしまいます。
日本海の海岸沿いを走行中。
初冬はこのような風景なんですけど、夏の間なら凪ぐでしょう。
まもなく青海川駅に到着します。
ワンマンなので、下車するときにどうしてもきっぷが回収されてしまいます。記念に持ち帰りたいと申し出ると、運転士さんは「はい、大丈夫ですよ、どうぞ」。ありがたく、お持ち帰り。
長岡駅のJR東日本ホテルは自前のレストランを備え付けていないため、連携先のプロント長岡駅店で朝食。広くてテーブルの数が多く、ソーシャルディスタンスのため隣の人の席を空けるような場所にしました。
食事の途中に、60代おぼしき、おじさん達が私の真横のテーブルに着席し、かなりの大声でしゃべり出す。かなりうるさくって補聴器をOFF。他に空いているテーブルがあるんだから、あっちに行けッ!!わざわざ私の隣に来るなんてナンセンス。
今日の旅程は、まず、ここへ。日本海に1番近い駅です。
ん!?青海川駅からの帰りのこの車両に乗る予定なんだけど、なんでまだ長岡駅にいるんですかねぇ??越乃Shu*Kuraは3両で1編成しかないのに、北越急行線で先回りして、ちょうど青海川で私たちが乗れるようになっているかも知れない。
前川駅。
柏崎駅。
観光列車向けの駅名票。
ここは越後線への乗換駅です。JR全線完乗を目指そうと意識していた頃、柏崎から越後線経由で燕三条に向かったような記憶があります。あの頃っていつ頃でしたっけ?と、調べて見たら、なんと2017(平成29)年11月でした。 あの頃の記事は こちら。
今年は平成にすると、35年。計算してみたら・・・もう6年前になるんですかね。はやっ!まるで昨日のように思い出すんですけど。
新潟県内で第2位の都市、長岡駅到着。
今夜の宿は改札を出てすぐそこのJR東日本ホテル。札幌駅前でも同じ系列のホテルがあります。
中国ウイルス対策の旅行支援クーポンがもらえました。2020(令和2)年に実施したGOTOキャンペーンは国の事業だけど、今回は都道府県単位。ワクチン接種証明または陰性証明が必須になり、平日ならホテル代が40%も割り引かれたうえに1人3000円のクーポン券がもらえます。土日祝だと20%割引、クーポン券は1000円。2023(令和5)年1月から割引率が変更されています。
いただいたクーポン券で夕食。友人のリクエストは「寿司」なので、
ウニが2貫も!?それは私の分を友人に差し上げました。寿司ネタの中で1番苦手なものはウニだけなんです。
鶏唐揚げ。他にも飲み物やサイドメニューをオーダーして、ちょうどいただいたクーポン券は使い切り。ごちそうさまでした~!!
小出駅舎。只見線全線乗り通した乗客たちがここで下車。小出駅前にビジネスホテルがありますので、そこで一泊するか、上りの電車に乗って浦佐から新幹線で東京に帰るか、長岡で一泊するか、今の時間帯(17時50分)ならいろんな選択肢があります。
小出駅でも「みどりの窓口」はあります。営業時間は7時から17時まで。端末はJR東日本オリジナルのME4型(沖電気工業株式会社製)。フォントや様式などは日立製作所が開発した端末と全く同じです。見分け方は日立なら発行駅名に続く記号が「F」(東日本の東京支社、大宮支社、横浜支社、西日本)か「R」(九州)、「MR」(北海道、東海)「M」(四国)。東日本だけの沖電気は「E」。
只見線の時刻表。朝5時36分を出ると、次は13時12分。6時から12時まで1本もないなんて、そんなのあり!?
1番奥のディーゼルカーは会津若松からここまで乗り通したもの。明日の5時36分始発用として一晩待機になりそうです。
私たちが乗るのは、18時6分発長岡行きです。運転士のみのワンマンだけど、次の19時30分は車掌さんも乗務。
只見線から乗り換えたお客さんがちらほらと。
東京都区内から十日町行きの乗車券は、越後川口から飯山線に入るため、別途片道として「越後川口から長岡ゆき」の乗車券を事前に山口県の滝部駅で購入。滝部駅はオンラインではなく、POS端末なので稚内から枕崎までJR全線網羅。十日町で打ち切るのではなく、ほくほく線経由、信越本線の黑井までをリクエスト。しかし、POS端末では「北越急行ほくほく線」のデータが入っていなかったため、十日町まで。JR以外の鉄道線は連絡運輸と言い、両社との取り決めで発売できる駅が限られているため仕方がありません。
只見駅を出ると、次は20.8キロ離れた大白川駅。要所時間はおよそ30分なので、只見駅から乗り込んだ車掌さんが車内改札実施っ!
混んでいる車内でも目的地まで正しいきっぷを持っているのか1人1人ずつ確認。JR東日本といっても、まめに検札をするかどうかは支社によります。
只見から西側の新潟支社は検札をするほう。前回、小出から乗車したときも検札を受けました。1人の車掌さんが検札するときは「車内改札」。複数の車掌さんが乗り込んで一斉に検札は「車内特別改札」。特にJR東海の飯田線。たまに3、4名の車掌さんが乗り込み、無人駅に降りるお客さんをロックオンし、きっぷを回収。「機動改札」はJR西日本だけかつて使われていました。オレンジ色の腕章に「機動改札」の文字が入っていて、まるで警察の機動隊?と子ども心ながらにしてビビった思い出が・・・。
ちらっと拝見。磐越西と上越の間に「只見線」が入っていて、全線乗り通すお客さんとそう判断したのか、「ありがとうございます」。チケッターの捺印も欲しいんですけど、中国ウイルスの影響できっぷを受け取って捺印して返すことは省略するところがほとんどです。
田子倉湖。この付近に田子倉駅がありましたが、数年前に臨時駅として格下げし、ついに2013(平成25)年廃駅に。コンクリートの構内は現在でも残っていて、ここは駅の跡なんだとすぐ気づくことができます。
そろそろ日没なので、撮影はお休み。
13時05分、会津若松駅を出発した普通列車の2両のディーゼルカーは17時47分、小出駅に到着。全線135.2キロなのに、なんと4時間40分の長旅です。
2022(令和4)年11月3日16時15分頃。今だったら、少しずつ日照時間が長くなり、17時頃日没時刻ですが、東日本の11月だと16時になると暗くなりかけます。
まもなく只見駅。
只見駅ホームにあった写真。在りし日の只見線キハ40系。千葉県の小湊鐵道に転勤してしまい、現在5両在籍中。只見線だけではなく、五能線で活躍していたキハ40も。特に国鉄色(朱色のみ)のキハ40が2両編成を小湊鐵道で見かけると、子どもの頃過ごしていた山口県の山陰本線を思い出してしまいます。JR西日本はモノを末永く大切に取り扱う社風があるのか、山口県内の山陰本線は国鉄王国。
前回、只見駅にやってきたのは、2021(令和3)年8月最後。その頃、小出から来た汽車は只見駅で打ち切り、折り返し。この先は廃線っぽい雰囲気が漂ってきたのに、現在はもう復旧。東北の11月は16時頃から暗くなりかけるので、電灯もついています。
おかえりなさい ようこそ ただみへ。16時21分から10分間停車です。ここで仙台運輸区(会津若松から只見)から新潟運輸区(只見から小出)に引き継ぎ。新潟運輸区女性車掌さんがホームで待機中、只見に降りた、おばちゃまが車掌さんに声がけ。どうやらきっぷ購入。なるほど、仙台運輸区の車掌さんは巡回や検札とかしていないので、しびれを切らしたおばちゃまがホームで待っている車掌さんに声を掛けたっぽい。すかさず車掌さんは携行POS端末を操作し、オレンジ色のレシートっぽい乗車券をお客さんに交付し、5千円札を収受。釣り銭とともに「ありがとうございます」と会釈するシーン。っていうか・・・只見駅はJR正社員が配置する直営駅なので、駅で精算すればよいことなのに、真面目に車掌さんに申告して乗車券を購入した、おばちゃま素晴らしいです。携行POSで発券した乗車券の文字が小さくてどこから乗ったのかは確認できず。最近の携行POSは高性能に進化し、JR全線対応、しかもIC系交通カード決済も可能になっています。車内でICカードが使えるのは、ICカードが使えるエリア内に限るそうです。
只見線の中心駅、只見駅。福島県最後の駅です。
只見駅の駅員さんも手を振りながらお見送り。
奥に見える建物は数年前にお世話になった、只見荘。会津の郷土料理がとても美味しかったので、今回も只見荘宿泊を計画したものの、予約した時期がちょっと遅れたためすでに満室。只見線が全線復旧し、駅前1分以内の只見荘を利用される鉄道ファンの方が増えているようなので、喜ばしいことです。
落ち着いてきたら、また泊まりに行きますから~!!次は福島県の県境を越えて、新潟県に入ります。となりの駅までとてつもなく長く、およそ30分後。次の駅に着く頃はもう真っ暗でしょう。
2022(令和4)年11月3日の会津塩沢~会津蒲生間の風景。11年間も不通だった鉄路からはかなり絶景になっています。
大都市の風景に飽きてしまったら、只見線に乗りに行こう!
「祝 只見線全線再会」。1度はJR東日本さんが諦めかけていた全線復旧。只見線は豪雪地帯であり、生活の足としてどうしても欠かせないものだと地元住民の熱意により、復旧に関わる費用はJR東日本が3分の1、残りの3分の2は国、県、沿線自治体17市町村で負担。
国道252号線の鉄橋。JRバス代行のときはここを通りました。川の表面が鏡のようになっているので、上の部分がくっきりと映っています。
まもなく会津蒲生駅に到着します。
駅周辺では民家がありますので、秘境駅としてのランキングはされておりません。
北海道夕張市が発祥の「幸福の黄色いハンカチ」。おそらく夕張市を模したものだと思います。今朝起きたら、玄関先に黄色い旗をかけておく自治体もあります。「黄色い旗」は何事もありませんという無事を示す合図になり、もしかけられていないときは見守り隊が安否確認のため訪ねてくるとのこと。次は福島県で最後になります只見駅です。
2022(令和4)年11月3日の16時前。もう11月なので、まだ15時台であっても、この風景です。1年のなかで昼間が短くなる冬至を過ぎ、この頃は少しずつ日照時間が伸びていきます。
会津大塩駅停車。
駅名票はなんと!!これです。ものすごく錆びていて、かろうじて読める程度。まるで廃駅の駅名票・・・。
この風景も美しい。
16時過ぎ。やがて日没時刻です。
やっとJR東日本様式の駅名票に出会えました。会津塩沢駅です。会津川口を出て、本名、会津越川、会津横田、会津大塩駅は古めかしい駅名票のままになっているのは順次取り替えるつもりが2011(平成23)年の集中豪雨により、鉄路が寸断するなどの災害に見舞われたため、交換せず現在に至っていると考えられます。
次は、11年不通だった駅の最後となる、会津蒲生(あいづがもう)駅です。
2011(平成23)年から11年間も休止していた只見線の駅は全部で6つ。長年も廃線っぽい雰囲気を呈していましたが、現在は汽車が再び通るようになりました。
まもなく2つめの会津越川駅です。まわりに民家があるので、秘境駅としてのランキングは除外しているようです。
11年ぶりに開通なので、駅名票も新しくすると思いきや、被災前のまま。11年不通だった駅以外は新しく取り替えたりしているんですけど・・・。国鉄様式に緑色のラインが入っているので、おそらくJR民営化しばらくのものだと思います。推定32年か33年前。
11月3日の風景なので、まだ色づいています。今はモノクロ、あと2ケ月すれば、萌葱色の若葉なのかも。
このような景色を楽しみながら・・・・
会津横田駅。駅名票の劣化が甚だしい。しかし、駅舎に掛けられている看板は新しいJR東日本の様式。休止中は駅舎の入口や窓がベニヤ板で覆われていたんですけど、現在は取り外されています。
JR代行バスの停留所はたしか、奥の国道252号線沿い。おぼろげな記憶が・・・・。ホームは1両分の長さしかなく、後ろの車両は締め切り。出入口は前の車両から。車内の様子はまだまだお客さんが多いです。もう1両増やして3両編成にして、「本名から会津蒲生まではホームの長さが1両分しかございません。これらの駅にお降りの方はあらかじめ先頭の車両にお移しください」とアナウンスすれば事足りる。会津若松駅の混雑っぷりを見ても適切な対応をしなかったな。少なくとも全員着席できるようにサービスしたまえ、JR東日本さんよ。
まもなく本名駅です。2011(平成23)年7月の集中豪雨により、甚大な災害を被った只見~会津川口間の6駅は11年間も休止。夏になると線路から草が生え放題の状態になり、廃線の雰囲気を呈していましたが、地元住民たちの執念な活動が功を奏し、復旧費用の約90億円の内訳はJR東日本30億円、国30億円、残りの30億円は福島県と会津地方17市町村で按分。(1自治体1.6億円前後)。この区間は被災前でも1日3往復だったので、復活後も1日3往復です。しかも、復活した6駅のホームは1両分の長さしかありません。
駅前で女将さんっぽい装いをしている方が降りていかれるお客さんを待っている様子。数名のお客さんが会釈しながら車に乗っていかれたので、おそらく予約した旅館のお迎えなのかも知れません。
11年ぶりに復活したとはいえ、駅名票は被災前からそのままになっていました。
JR代行バスのときは駅前ではなく、ちょっとわかりづらい場所。(当時の記事は こちら )
次は会津越川(あいづこすがわ)駅です。