ちょうと2ケ月前の2022(令和4)年11月3日の15時20分頃、会津川口駅。友人のカメラに入っていたものを拝借。この構図は改札口を出たあたりのホームに入るときの踏切手前。会津川口から只見間が長年も不通だった頃、会津若松から来た汽車がここで折り返すんですけど、鉄路がつながった今日はそのまま只見方面に向かいます。
まさしく、そのとおりです。
前の車両は最近できたばかりの新しいんですけど、会津若松駅で陣取ったのは後ろの車両。車両の年齢は30年近く。
JRの代行バスだった頃は向こうの鉄橋だったけれど、今回はこちら側を通行。
今はすっかりモノクロームな世界になっているかも知れませんが、まだ色づく11月3日の風景は美しい。
この風景が見えてきたら、まもなく「本名」駅です。
ついに2023(令和5)年を迎えてしまいました。明けましておめでとうございます。中国ウイルスは数年で収束するだろうと思いましたが、5年になってもまだまだマスク生活になりそうです。去年から行動制限を無くす動きが出始めるようになり、首都圏の終夜運転も3年ぶりに実施されるようになったとか。
2022(令和4)年11月3日の会津中川駅。
その日は爽やかな秋晴れでしたので、紅葉のグラデーションが美しかったでした。
会津川口駅。30分停車するはずでしたが、会津坂下駅で臨時列車交換のため数分勘停車したので、ここで時間調整。
先頭車両は新型のキハE120、後ろの車両はおよそ30年前の1993(平成5)年頃に製造されたキハ110。
ここから只見駅まで27.6キロは2011(平成23)年の集中豪雨により、鉄橋が流失するなど被災に見舞われてから11年目。やっと2022(令和4)年10月1日より全線がつながり、線路として乗車するのは初めてです。(今まではJR代行バス)
会津若松13時5分出発、会津川口15時15分着。乗車時間は2時間10分。ここで降りて行かれる方が多く、山手線ラッシュアワーのような雰囲気からほぼ席が埋まっている状態で出発。ここから新しい線路なので、バラスト(線路の石)はまだまだ白くなっています。数年経てば、レールと車輪が擦れたときに出る鉄粉が飛散して茶色く染まるでしょう。
車内がすごく混んでいる理由はこのような絶景を見たさで大勢のお客さんが押しかけるっぽいです。
紅葉のグラデーションが美しいです。
2011(平成23)年7月の豪雨により、只見川流域の堤防が決壊したり、鉄橋流失する大きな災害がありました。特に災害が酷かったのは只見から会津川口間でした。11年の歳月をかけ、2022(令和4)年10月1日にやっと全線復旧。
早戸駅は右側のホームなので撮影できず。会津水沼駅は左側なので、撮影。
なーにもないところにたたずむ、会津水沼駅舎。
今の季節、もう真っ白な雪化粧となっているかも知れませんが、晩秋の11月3日はご覧のとおり。
友人のプロ仕様のカメラなので、ものすごくうまく撮れています。
只見線に乗ってよかったと思える、素晴らしい景色。
都会の喧噪さを忘れさせてくれる素晴らしい風景なんですけど、視線を車内に移すと山手線のようで立ち客で大混雑。晩秋の紅葉シーズンだと秘境の絶景が見られるからと一斉に押しかけるからでしょうか。只見線が一部不通区間(只見~会津川口間)だったときは乗客がまばらでものすごく寂しい雰囲気を呈していたのに、凄まじい変貌。
鉄橋を渡る只見線の写真をネットなどでよく見かけるんですけど、もしかしたら、あそこの橋の上から撮影なのかも・・・。
会津宮下駅停車。只見線の中で数少ない「みどりの窓口」のある駅・・・と思い、調べてみたら、オフラインのPOS端末のある駅。江只見線の始発、会津若松駅や終点の小出駅は「みどりの窓口」があり、途中で唯一設置されているのは会津坂下(あいづばんげ)駅のみ。
うちの住んでいる市内のすべての駅に「みどりの窓口」があったのに、現在はすべて対面販売式のマルス端末は撤去。その代わり、指定席券売機鎮座。指定席発売機でできることが限られているので、市内にひとつくらいは「みどりの窓口」を残しておけばよかったのに。合理化が進みすぎて却って利用客に不便を強いられる一方。
かなり混み合っている車内なので、駅ホームが座席の反対側にあるときは撮影できず。次は会津坂本駅です。
「坂本」だけだったら、熊本県の肥薩線にありますが、2020(令和2)年7月の九州豪雨により球磨川が氾濫し、被災。
・被災2年前の2018(平成30)年8月、坂本駅下車時の様子はこちら。
もと貨物列車の車掌室を駅舎に転用。
まだキハ40が走っていた頃の只見線カラー。千葉県の小湊鐵道でも只見線カラーのキハ40が活躍中です。
只見線全線復旧を祝う看板。
今度は会津桧原駅です。「ひのはら」と聞くだけで東京の奥静まった山岳地、伊豆諸島小笠原諸島の「村」を除いて陸地の都内唯一の檜原村を連想。檜原村に訪ねると都会の喧噪さを忘れさせてくれるので、都心のサラリーマン時代、週末になると何度か檜原村へふらりと出かけました。しかし、今は房総半島の田舎町なので、すっかり檜原村は遠くなってしまいました。
旧字体 檜原 のほうがじっくりと来ます。マルス端末でも新潟県の上越線にある「湯檜曽(ゆびそ)」の「檜」が印字できているので、途中で字体を変更しなくてもよろしかったのに。
ねぎし駅です。「ねぎし」と言えば、都内で展開しているチェーン店の「牛タンのねぎし」を連想してしまいそうです。美味しくてリーズナブルなので、上京した際のランチは「牛タンのねぎし」を探してしまいます。
もう1つの「ねぎし」は・・・
横浜市にあるJR根岸線の中心駅、根岸駅があります。残念ながら「みどりの窓口」は令和3年12月をもちまして、撤去。もし、健在だったら・・・
(只)根 岸 → 若 宮
経由:只見線 ¥190
(岸)根岸駅F1発行
横浜の根岸駅で只見線の根岸駅発の乗車券を発券させると、只見線の根岸駅でも「みどりの窓口」があると勘違いしてしまいそう。
新鶴(にいつる)駅は取り損ねてしまいましたが、その次は若宮駅。なーにもない、田舎の駅です。
会津若松から西若松までは会津若松市内。次の駅も合併しているので、同じく市内なんですけど旧北会津村に入ります。
もともと「村」なので、このような光風明媚な風景に出会えます。
会津本郷駅停車。他に本郷と名乗っている駅は全国でいくつかあります。うち、JRの駅は千葉県の幕張本郷駅、福井県の小浜線、若狭本郷駅。そして、わが故郷の山口県山陰本線の宇賀本郷駅。只見線の会津本郷駅、全部で4駅。全国の私鉄も「本郷」と名乗る駅もあります。「本郷」の本家といえるところはおそらく東京都文京区本郷の旧地名、武蔵國豊島郡本郷が発祥。そこから全国に「本郷」という地名を付けられたとか。
車窓はのどかな田舎風景なんですけど、視線を車内に移すとまるで山手線ラッシュアワーそのもの。非常に混んでいます。
車内が混んでいれば、車窓は東京や大阪のような風景になるはずだけど、実際はこれです。ギャップが激しい。
次は会津高田駅停車。長崎県の長与支線にも「高田」があります。新潟県のもともとJR信越本線の「高田」駅は現在えちごトキめき鉄道線に転換。どちらもJR線だったときは長崎は(長)高田、新潟は(信)高田で区別。
会津高田駅全景。1つ前の会津本郷駅も似たような駅舎です。
発車5分前に入線。その頃のホームでは4ヶ所ある乗車口では長蛇の列をなしています。まるで人気列車の1ケ月前同日の10時に指定席券が発売されると同じようにドアが開いたとたん、我先にと熾烈な座席争奪戦。
限られている座席に全国からマルスを一斉にたたくと頑丈な日立製なので簡単にはフリーズしない。ミリ秒で「発信」のボタンを押した順にあっという間に瞬時に完売。西九州新幹線開業当日の朝一列車も数十秒で完売。
定刻通り会津若松駅発車。
七日町駅です。
七日町を「なぬかまち」と読めるんですけど、何日に町とか付く駅は他に「十日町」駅。
滝部の駅員さんに「十日町(とうかまち)」と読み方を書いてリクエスト。POS端末に入力するも駅名が出てこない。気を利かせて「とおかまち」に入力しなおすとやっと出ました。
次は西若松駅。ここで会津鉄道線に分岐します。
JR只見線に乗り入れる会津鉄道のディーゼルカー。実はここからでも東京の浅草まで1本のレールで繋がっています。JR、会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道4社合わせると235.8キロ。
会津若松を6時56分に出発する鬼怒川温泉行き快速「AIZUマウントエクスプレス」、東武線の特急に乗り継げば浅草には11時15分着いてしまいます。AIZUマウントエクスプレスの車両は上と同じタイプの会津鉄道所有。自社のみだけではなくJR、野岩鉄道、東武線にも乗り入れ。
30分のランチタイムを終え、ホームに戻ったときの風景。発車1時間前から並んで待っている人はちらほらと。
只見線発車10分くらい前。
13時5分発の只見線が入線するのは5分前の13時頃。待っている間に次々と郡山発会津若松行きの電車が到着しているので、ご覧のとおり長蛇の列が・・・。もし、すぐ乗換ができるようにとのんびりと出かけていたら、確実に100%座れなくなってしまいます。
JRの駅員さんが只見線のお客さんを手持ちの数取器でカウント。だったら、2両編成ではきついからと1両増結だ!!とかの対策をしてくれよな・・・。
小出行きのディーゼルカー始動。1番前は新しいE130系、後ろは古いキハ110系でした。乗車口の位置を確認してみたら、後ろのキハ110が来る予定です。ドアが開くなり、はやく、はやく!!となだれ込むように熾烈な席取りゲーム。1時間半前から並んでいる人達はほぼ着席できましたが、のんびりと後からきた人は座れなくなり立席。
11月3日の午前11時30分、只見線の始発駅の会津若松駅。只見線は会津若松から小出まで135.2キロ、全線乗り通すのに1日3往復しかありません。せっかく全線復旧したというのに、全体の時刻表を見ると、かなり極端。
会津若松駅の只見線時刻表を見ると・・・
6:08 小出
7:41 会津川口
13:05 小出
17:00 小出
17:42 会津坂下
19:40 会津川口
21:46 会津川口
7時41分も次は、13時5分まで汽車がありません。その次は17時。42分後にも発車していますが、おそらくは学生の下校時間に合わせて運行かも。21時46分、会津若松を出ると終点の会津川口には23時31分。会津川口駅周辺は、本当になーにもない田舎町なので、この時間になって帰宅時間はあり得ない。
山口県の何もない田舎の山陰本線もかつては下関駅を22時22分に発車して、終点の滝部駅には23時25分到着する汽車がありました。宵っ張りに汽車を走らせても、車内は乗客が1人や2人のガラガラ状態が続いては赤字になるので、数年前のダイヤ改正からこの汽車はもう切り捨てし、滝部方面は2時間早まって20時13分発が最終列車。
若かった頃は時間を持て余し、かなり節約派だったので、東京から普通列車乗り放題の青春18きっぷでずーっと下関まで乗継ぎ。当時の下関発最終列車は22時22分なので、うまく接続し、1日かけて田舎に帰れたことも。
会津若松駅21時46分発の汽車は本当に需要があるのか、JR東日本は見極めて欲しい。まるで空気を運ぶ状態だったら、この汽車を需要のある昼間の運行に割り当てるとか。
13時05分発の汽車は2両編成で運行するため、1時間半前から並んで待つわけだけど、友人と交替で場所取り。荷物を置いて友人とその場から離れてしまうと、ちょっと不安。私が先にランチして、私が戻ったら友人はランチ、ということになりました。
会津若松駅の中にあったラーメン屋さん。駅の外にある地元の方がよく利用するラーメン屋さんは「小」であっても、かなり大盛り。駅の中にあるラーメン屋さんのターゲットは他のところから訪ねてくる観光客なので、普通盛り。塩味のさっぱりとしたラーメンでした。ごちそうさま。
会津若松駅舎。
会津若松駅は磐越西線、只見線および会津鉄道の3路線しかありませんが、磐越西線がスイッチバックになっています。
改札側のホームは主に郡山からの電車が発着。電化区間はここまでで新津方面はディーゼル。
5月の只見駅だったら、向こうの山々に雪が残っています。緑深くなっている風景なので、おそらく撮影は7月下旬から8月上旬にかけてかも。
3番線ホームがすごいことになっています。30分のランチタイムを楽しんだあと、私が戻る頃はもう長蛇の列。福島県と新潟県を跨ぐ秘境路線だというのに、この風景はあり得ない。
ここが福島県なんですけど、まるで北海道で見たような風景。
このような田舎町を堪能中。
快速なので、猪苗代を出ると次は磐梯町に停車、その次は終点の会津若松駅。
快速が停まる主要駅なので、POS端末設置駅。
東長原駅通過。
広田駅も通過。
駅舎が立派なので、有人駅かと思いましたが、無人駅でした。
広田駅舎の反対側。車窓の風景はやがて都会になり、会津若松駅。ドアが開くなり、乗客たちがいっせいに目がけて3番の只見線ホームに猛ダッシュするので、つい、私も猛ダッシュして3番ホームの「只見線乗り場」と書かれている乗車位置で並んで待ち。今の時間は11時21分。
小出行き只見線が出発するのは13時5分だけど、友人が事前に調べたとおり、只見線が山手線のようなラッシュアワーになっていること。2時間前でも、甘く見ないほうがいいという友人の判断のとおりでした。
そのことをつゆ知らずのんびりと会津若松駅に着いたら、只見線はもう長蛇の列の最後尾。それで5時間以上も立ったままだとかなりきつい。
現在は紅葉シーズンが終わっているので、只見線が山手線のようだという表現はもう終わっているかも知れません。
猪苗代駅。千円札の肖像でお馴染みの野口英世さんの故郷として知名度が高いところです。
みどりの窓口は絶対にある、かと思ったら、2022(令和4)年10月31日をもちまして、閉鎖されてしまいました。次々と合理化が進み、対面できっぷが買えなくなってしまうのは残念なこと。その代わり、オペレータ機能なしの単なる指定席発売機が設置されましたが、乗車変更や学割、ジパング倶楽部(男性65歳以上、女性60歳以上)の割引などの対応ができなくなってしまいます。オペレータ機能付きであれば、カメラで会員証などで確認できるので、みどりの窓口を廃止するなら代替としてオペレータ機能付きの券売機設置を望んでいます。
今乗っている電車は「快速」なので、次の停車駅は磐梯町駅です。
11月3日は小春日和でした。
翁島(おきなしま)駅通過。ここは猪苗代町内にありますが、もともと翁島村でした。野口英世さんの生家はこの付近のようです。
磐越西線の「上(じょう)・・・・」反射的に「こ」と答えた方は、全国の駅名を頭の中でインプットしているすごい人間。私は無理でした。「じょう・・・なんだったけ?」という感じに答えられず。正解は「上戸(じょうこ)駅」でした。全国の路線名はほとんど頭の中にインプットしているんですけど、全国の駅名までは・・・。みどりの窓口でマルスをたたく駅員さんは自社だけではなく、全国の路線名などもすべて覚えておいたほうが私みたいに複雑な経路を指定するリクエストがあってもスムーズに対応が出来るようになりますから・・・。
11月3日は紅葉真っ盛り。緑、黄緑から茶色へのグラデーション。
こちらは上戸駅舎。友人の一眼レフのカメラは瞬時に連写もできる機能がついています。私の持っているデジカメはレスポンスが遅い。
こちらも美しい福島県の風景。
川桁(かわげた)駅通過~!!
こちらは磐梯山。冬期は複数のスキーリゾートがオープンされます。
現在、「磐越西」なので、続きはまだまだ長期連載となりそうです。
快速の停車駅は、郡山を出ると、まだ都会の郡山富田に停まって、次は喜久田、あおがしまではなく、あこがしま通過。磐梯熱海、猪苗代、磐梯町、終点会津若松。
ほっこりするような田園風景。「あこがしま」と音は「あおがしま」に似ているんですけど、安子ヶ島駅通過。
次は磐梯熱海駅に停車。この近くに温泉街があります。おそらく静岡県の熱海温泉をあやかったものだと思うんですけど、こちらは「磐梯」を冠して「熱海」。みどりの窓口はあったはずだけど、残念ながら令和4年10月31日をもちまして、マルス端末は撤去。静岡県の熱海駅はJR東日本(在来線の東海道本線)とJR東海(新幹線)の2社が同居。トイカとスイカの境界駅だけど、相互利用は解放・・・していなかった。熱海駅にJR東日本のスイカ専用、JR東海のトイカ専用の改札機があり、両社をまたいで利用する場合はいったん熱海の改札を出る必要があり、かなり面倒。同じJRなんだから、他社であっても相互利用を解放すればいいのに。
磐梯熱海駅を出ると、次は千円札の肖像でお馴染みの野口英世氏の故郷、猪苗代までノンストップです。
只見線大混雑の情報を受け、予定より2,3本前の早い新幹線で郡山駅到着。山形新幹線「つばさ」と東北新幹線「やまびこ」が連結していますが、次の福島駅で分離します。
うしろはかつての東北新幹線最速列車「はやて」のE2系ですが、現在はほとんど「やまびこ」での運用となっているようです。
磐越西線の「快速」あいづ号なんですけど、見た目は全く普通電車と変わらずです。
右側の「郡山富田」は磐越西線、「日和田」は東北本線の駅。
スマホのえきねっとで指定席の予約を取ろうと思いつつも、「×」(満席)なので、もしかしたら、車両1両ごと指定席で満席ってことは只見線に乗るお客さん?と思っていたんですけれども・・・
指定席はたったの14席でした。今はガラガラの状態ですが、出発する数分前に到着する新幹線からのお客さんの予約で満席ということは理解できました。
出発する時間が迫ってくるつれに次々とお客さんが乗り込み、自由席車両ではほとんど席が埋まっていました。客層を観察するとほとんど中年か高齢者。ハイキングウェアなので、まさか!?只見線?と思いましたが、終点の会津若松駅に到着したとたん、恐ろしいことに一斉に3番線の只見線ホームにめがけて猛ダッシュ。(只見線が出発するのは2時間後なんですけど・・・)
指定席は1両まるごとかと思っていましたが、14席でした。かつての磐越西線は「特急」が走ってしましたが、現在は「快速」に格下げ。指定席は特急の名残なのかも知れません。