小倉からここまで800m徒歩。同じ道で戻るよりもわずか800mでも帰りは電車。
改築前の西小倉駅はローカル駅っぽい雰囲気だったのに、今はもう近代化。
今からもう30年近く昔・・・。西小倉駅の窓口で新しいPOS端末が置かれてあったので、西日本区間の回数券を購入。POS端末はNEC(日本電気)製品がほとんどだけど、西小倉駅にあったのは富士通。フォントは日立が開発したマルスと全く同じですが、POSはオンラインで結ばれていない端末になります。
その頃、目的地まで2枚の切符で分割すると通しで買うよりも若干安くなる法則を発見。例えば、下関から長門二見まで680円(現在の運賃)だけど、長門二見から梅ヶ峠まで330円、梅ヶ峠から下関までも330円。合わせると20円安くなる660円。ただし、普通のきっぷを購入すると、目的地まで680円なので、330円区間の切符で精算しようと思っても精算額は350円。回数券を用意すると、梅ヶ峠からなので330円。わずか20円といっても、回数券は10枚の運賃で11枚も使える。お得感倍増。
小倉はJR西日本エリアと接しているので、山口県内の運賃。
故郷の長門二見まで900円なーり。物心ついた頃は780円だったのに、40年近く経って値上げはわずか120円。少ないお小遣いでやりくりしていたので、もっとお得なきっぷの買い方とか、よく考えていたみたい。
西小倉駅の名所は小倉城なので、そのようなデザインになっています。ちなみにとなりの小倉は祇園太鼓。
二日市行きの815系電車がやってきて・・・
小倉行きがやってきました。交直流タイプの415系1500番台。
デビュー時はワインレッドの座席だったとは記憶していますが、あれからもう30年以上経過しているので、新しいのに取り替えているようです。
国鉄末期の1986(昭和61)年製造。もう35年になりますかね・・・。28くらいまでは青年、それを過ぎると壮年、40過ぎると初老・・・。山陰本線のキハ40や47は製造されてからもう40年以上になる。当時の国鉄色に戻してバリバリの現役なので、国鉄を懐かしむ方は是非とも山口県の山陰本線へお出かけくださいませ~。
井筒屋の向こう側は柴川。「柴川」の名前はずっと覚えている理由は柴犬の「しば」に川を組み合わせたもの。このあたりは小倉城を抱える城下町となっています。リバーサイドはご覧のとおり通路も整備されており、夏の間なら涼みながら散策もできそうです。
柴川を渡ると、このあたりはかつてダイエー小倉店があったところ。現在は、いろんなお店が入居している複合施設に生まれ変わっています。今の時代、「ダイエー」のロゴマークが消滅しており、どうなったんでしょうか・・・とネットで調べてみたら、イオングループに継承しているようです。
なるほど、ここはプロ野球ソフトバンクの本拠地、福岡県。お父さん犬のモニュメント。ソフトバンクの社長は韓国系日本人なので、一家の大黒柱である父をイヌに見立てているという噂もあります。韓国語の「ケーセッキ」はイヌを使った侮辱語でありますし・・・。そんな事情も知らない日本人は白いお父さん犬がコマーシャルに出ただけでも可愛い~!!とはまってしまうのは何故なんだろうと思います。自分も北海道犬のファンだし。
昔はなかったヤマダ電機。小倉周辺の繁華街ではなく、西小倉駅の近くにありました。
西小倉駅。
ここはもともと小倉駅。1958(昭和33)年に現在の小倉駅に移転し、小倉の西側に位置するので「西小倉」と改名。鹿児島本線の駅ではなく、長らく日豊本線の単独駅として、鹿児島本線の電車は各駅停車であってもすべて西小倉を通過。1987(昭和62)年、JR九州発足時に通過する線路に鹿児島本線のホームを新設。小倉を出ると日豊本線に分岐して西小倉という表記でしたが、1987(昭和62)年から西小倉で分岐。
西小倉駅は特急停車駅ではないため、特例により100キロ以上の乗車券であっても小倉の改札を出ない限り西小倉から小倉間の往復乗車は認められています。
繁華街側の小倉駅南口。反対側の北口も昔は何もなく寂しいところだったけれど、今はホテルやいろんなショップが入っている複合施設のあるあるcityなどもあり、かなりお洒落な印象に変わっています。
30年以上昔からずーっと同じ場所でロッテリア、マック。なーにもない漁村では「ハンバーガー」なるものは皆無。田舎から小倉に来ると、少ないお小遣いでごちそうが食べられるところは、あそこしかない。両方食べ比べしてみて、ロッテリアのほうが私の好みの味だった。とくに「えびバーガー」が大好物。なーにもない田舎に住んでいた頃はマクドナルドのことを「マクド」。しかし、関東に来てからもう長くなっているのでもうこちらの「マック」で定着。どうしても外せないのは、うどんの「つゆ」。西日本バージョンのほうが自分に合っている。
これも昔からあった老舗の「シロヤ」。ジローさんの行きつけのパン屋さん。
ジローさんが週1回は10個や20個購入して、何もない田舎へ。40年前は1個50円。ミルクパンにシナモンをかけているのは当時から変わらぬの味。
オムレットも美味しい。今の時間18時過ぎだけど、全部完売なんですかっ!!オムレットは何もない漁村へのお土産に喜ばれる。
魚町銀座。昔はなかったスターバックスもあります。パチンコ店も。フィーバーパワフル熱狂マニアだった20代。7,7,リーチのスロー回転。滑り込むことはなく枠内に7がぴたっと止まり、華やかなネオンカラーが輝く。大当たり直後にすぐリーチがかかり、これも連チャンでフィーバー。福沢諭吉さんゲット!!と酔いしれたあの頃が懐かしい。今はギャンブル大っ嫌いです。1度は全財産をすられてしまい、身も心もボロボロになったこともありましたからね。当時の銀行通帳を見ると、万札を小出ししながら引き出し、1日だけでも10枚も。要は負けるほど取り返そうと闘争心むき出しになる。今だったら、福沢諭吉さん10枚も!?何してんだ!あんたはよ!!とタイムマシンに乗って20代の自分に「いい加減、目を覚ましなさい!!」とぶん殴りたいほど。
ここはもともと富士銀行だったのは覚えています。「みずほ」は富士と第一勧業が合併したもの。都心のサラリーマン時代に作ってもらった第一勧業銀行本店の通帳およびカードは「みずほ銀行本店」から「東京営業本部」に変わっても現役で利用中。昔だったら、口座開設申込書に自分の好きな支店を選べたけれど、今は1人につき1口座のみ。支店は自宅および勤務先の最寄りとするに変更。自由に選べたときに「那覇支店」の口座を作っておけばよかった。東京営業本部よりウチナー好きとして那覇支店のほうがじっくり来る。実際、沖縄のコンビニといえばファミリーマートと言われるほど店舗数も圧倒的に多い。みずほ銀行の連携ATMはマイレージクラブのお取引状況による判定によりファミリーマートのATMでも手数料無料で月3回利用できる。昔はセブンイレブンのATMでも無料で利用できましたが、現在は要手数料。
井筒屋小倉店。昭和時代からあります。ふてにゃんが若かった頃、1階の化粧品コーナーに足しげく通うので、子どもだった私は化粧品のいい香りに「都会に来たんだ~」と感じたことも。1階の玄関にカラフルなライトを変わる変わる照らす大きな噴水があったのは覚えていますが、今は???昔は田舎にはない「都会」を味わいたいと百貨店に行くのをとても楽しみにしていたんだけど、今は全然違う。むしろ、何もない秘境のほうが落ち着く。
折尾から各駅停車でおよそ25分。小倉駅到着。815系は交流専用なので、関門トンネルを潜れないので、向かいのホームで下関行きの交直流411系1500番台が待機。下関の次は佐伯行き。途中の停車駅は行橋、中津、別府とはずいぶんとノンストップ。今から別府に行って温泉と思っても時間がね・・・。
まだ新しそうに見えますが、1986(昭和61)年デビューなのでもう34年前になります。あの頃、東京に憧れていて、ここでも新しい山手線みたいな電車が来た!!とものすごく斬新な印象がしたのは確か。今の山手線はE235系(2017年~)、その前はE231系(2002年~)、E231系が出る前は205系(1985年~)なので、ちょうど同期になります。山手線と同じ形式のE235系が総武横須賀線向けにデビューしたばかりで内房線や外房線へ直通。新しいもの好きなので、真っ先に乗りに出かけるのが私のポリシーなんですけど、中国ウィルスのせいで乗る機会が奪われつつ。
今日も東京都における中国ウィルス感染者は1471名(2021年1月21日)。市内での感染者情報も入るんですけど、元日から20日間だけで250名の方が感染されており、数名程度の少ないベースだった半年前に比べるとかなり急ピッチで拡がっている状態。緊急事態宣言の解除基準は都内1日500人以下のようだけど、目標値までほど遠い。以前のような暮らしを・・・と願いを込めて疫病退散アマビエさまの入鋏印付きの年賀状を作ったのになんだか空しい感じ。
小倉駅の有人通路で「鹿児島中央→【区】東京都区内」の乗車券と若松駅でタッチしたスゴカを差し出し、精算。そのスゴカは出場済のデータが入っているので、次回入場時にバタンと改札の扉が閉まることはない。スゴカを精算するのを失念し、そのままJR東日本のスイカエリアで入場しても「前回の出場処理が完了していません」とエラーになり扉が閉まるかどうか不明。有人通路で調べてもらっても「ここで他社の未収受区間を勝手に精算することはできないので、九州のスゴカエリアでしてもらってください」と言われたら、もう大変。
小倉駅も改築し、昔に比べるとかなりお洒落な雰囲気に変わりました。特記すべき事項は・・・JR九州(赤色)とJR西日本(青色)のみどりの窓口が仲良く隣同士。
小倉駅真上のJR九州ホテルにチェックイン。南口に真新しいホテルが建っているところがいくつかありますが・・あの場所はかつての永照寺跡地。そして、幽霊がよく出る小倉コレットからそんなに離れていない場所。いろいろ検討してみた結果、幽霊とは無縁な北口よりも昔から鉄道用地であった小倉駅真上のほうが安全。
フロントは7階ですかい!?
案内された部屋は新幹線側。
ホテル仕様のリモコンでも字幕を出せればオッケー。たまに出せないものがあるので、情報保障のためフロントでメーカー純正のリモコンを借りるなりして「聞こえない人は字幕が必要です」とアピールしておこう。
ドームのようなものは改札口真上。向かいは新幹線ホーム。
JR九州側の小倉駅南口。ちなみに反対側の北口はJR西日本。昔は連絡通路で離ればなれ、かなり不便だったけど、今はすっかり改良。在来線はJR九州の南口で集約し、新幹線の改札口は向かい。(昔の北口在来線改札口はJR西日本の駅員さんなので、九州の在来線を案内するなど自社ポジション外の業務)
昭和時代なら「小倉郵便局」。平成に入って間もなくの1990(平成2)年に「北九州中央郵便局」に改称。「北九州中央郵便局」が別の場所に移転し、ここは「小倉駅前郵便局」に変更。都会の象徴であるコイル切手販売機も設置していたので、小倉に来たらコイル切手を何枚か購入して田舎へ帰ったり・・・。コイル切手とは、自動販売機で売られている切手。窓口で売られている通常の切手は、シートから切り離すための目打ち(切手を簡単に切り離すことができるように付けられた連続の穴)が4辺にあるが、自動販売機向けは1000枚をロール状なので、左右の辺には目打ちがないもの。
今の時代、コンビニなどで24時間買えるところが増えているので、切手自動販売機の需要がなくなり、郵便局が民営化になる直前の2006(平成18)年頃消滅。
小倉郵便局のとなりに「三菱銀行」があったのは覚えている。DD51のディーゼルー機関車や自動車、家電の製品に三菱マークがついていて、何で金融機関の銀行もあるのかと不思議に思ったことも。東京の伊豆諸島や小笠原を結ぶ船はすべて山口県下関市で製造された「三菱重工業」の製品。
幽霊が頻繁によく出る、いわくつきの百貨店。ここはもともと永照寺の墓地だった。歴史はとても古く、1495(明応4)年から引き継がれていますが、平成の初め頃、駅前の開発に伴い、お寺を付近の大手町に移転させた。墓地のあった区画では丁寧に掘り起こし、土葬時代の人骨も発掘。深く掘ってもまだ500年昔の人骨が出てくる。すべては難しく、途中で収集は断念。その土地の上に百貨店を建ててしまったため、500年以上の眠りから目覚めた幽霊たちが現世の従業員の前に現れるようになりました。最初に建てたのは「そごう」。いつの間にか破綻し、今度は「玉屋」。これも数年で破綻し、「伊勢丹」。これもダメになり、また「コレット井筒屋」に代わり、数年前も閉店。今は「小倉アイム駅前」に変わりました。駅前1等地だというのに、相次ぐ破綻は墓地の霊魂と深い関わりはありそうです。
「幽霊に寿命はあるのか?」と言われてみれば、私もわかりません。東京都千代田区の大手町にある平将門の首塚も1000年以上続いています。土地開発のため、他の場所に移転させようと重機を操作し、不慮の事故を起こして亡くなられた方もいらっしゃる。今も東京都の文化財に指定され、大切に祀っており、その場所から移転せず。幽霊に寿命はなく、何千年も生き続けているということになります。
30年前は国鉄っぽい雰囲気の駅舎に「ジョイロード若松」の看板もあった。ジョイロードは2008(平成20)年頃まで存在していた、JR九州の旅行センター。今は旅行代理店の「JR九州旅行の窓口」に変わっています。(ちなみにJR東日本は「びゅうプラザ」。切符の発行箇所は「VP〇〇」)
駅舎のとなりにコンビニのファミリーマード。JR西日本ならセブンイレブンだけど、九州はファミリーマード。JR東日本のNewdaysお弁当はしょぼい感じがするので、セブンイレブン並みに美味しくしてくれたらね・・・。
若松駅前の風景。30年前は駅舎の様子はしっかり覚えているけど、駅前の様子はどんな風景だったのか・・・。
八幡方面。
門司からずーっと続いている国道。小倉、戸畑を経て若戸大橋でショートカットして若松に至る。JRだとわざわざ折尾に行って、鹿児島本線で小倉はかなり遠回りになります。若松から戸畑までショートカットするのに路線バスもありますが、本数が少なすぎる。若松港から戸畑港を結ぶ北九州市営の渡船は本数が多く片道100円。しかし、若松駅から港まで徒歩15分。
駅前で199号線と分岐し、495号線。折尾から博多方面の遠賀(おんが)に向かう道路。411号線は東京都の青梅街道、奥多摩に行ける国道。435号は山口市から美祢あたりを通って下関市豊北町の特牛に抜ける国道。
目の前が戸畑だけど、帰りも本数が多いJRで。
スゴカをタッチ。折尾に降りなくても、小倉の有人通路で「鹿児島中央→【区】東京都区内」の乗車券とスゴカ一緒に差し出せば若松から折尾までの280円差し引かれ、出場処理。
折尾駅鹿児島本線ホームに出ると、ちょうどよい時間。17:00発は小倉行き。
羽犬塚行きの行き先表示。「犬」の文字が入っているので、思わず撮影。JR九州は「犬」の文字が入っている駅が2つもあります。犬飼駅、羽犬塚駅。犬川駅は山形県米坂線にあります。千葉県でも有名な銚子市の犬吠駅。テレビのコマーシャルの出ているお父さん犬を飼ってみたいなと思うんですが、なかなか叶えず。その代わり、ソフトバンク&ヤフーモバイルの卓上カレンダーで癒やされているところ。ここから羽犬塚まで同じ福岡県内だけど、かなり遠いです。久留米を超えたあたりまで走行して熊本県境までちょい手前。筑豊本線みたいにチマチマと区間ごとの運転ではなく、途中博多を通り、乗客の入れ替わりも多いので遠距離運用。
折尾駅の鹿児島本線時刻表。坪尻駅は1日3本しかなく、過激な時刻表だけど、こちらは毎時ごとの本数も多いので待たずに乗れるダイヤ。
2020(令和2)年1月15日の午後8時45分頃、日本国内のおける中国ウィルス第1号患者が神奈川県相模原市の病院で検知。
中国籍の日本人で30代男性が2019(令和元)年12月20日、日本から武漢に帰省。1月6日、日本に帰国。武漢市内において未知の中国ウィルス感染。中国ウィルスが中国全土に流行っているさなか、中国の大型連休の春節。湖北省のみ入国を禁ずるといった日本政府の失態により、中国全土からの来訪者をストップしなかったため、多くの中国人観光客が日本に来訪した。今回もまた日本政府のザルすぎる政策により、再び緊急事態宣言が発令している状態ですが、前回と異なる点は中国ウィルスが拡がる原因は飲食店に当たるとして時短営業を求めているのですが・・・多くの人は飲食店とは関係ないからと思っているからこそ中国ウィルスが拡がっている原因だと思います。もっと自衛策を・・・。
30年前の印象とはずいぶん違う若松駅。
昔は栄えていたような感じがしますが、激変!?
当時の賑わいさもなく、かなり衰退している状態。
筑豊本線0キロポスト。原田まで66.1キロ続きます。
昔は直営駅でみどりの窓口があったのに、今は無人駅。リモートで対応する機械が置かれています。モニターの真上にカメラとマイク。
今回は折尾駅で途中下車し、スゴカをタッチしているので、そのまま自動改札にタッチして出られるんですけど、「鹿児島中央 → 【区】東京都区内」の乗車券で精算するのに、確認台にきっぷを乗せて呼び出しボタンを押すわけですが・・・向こうの駅員さんはカメラを通して私の姿が見えるわけですが、私からは向こうの駅員さんは見えないってことでしょう。お互いに見えていたら、筆談もできそうだけど、どうなんだろう。
フル装備の自動改札機だけど、紙のきっぷを挿入する部分はふさがっている。ICカードのみ対応。紙のきっぷを入れるポストはあります。結論から言うと、この状態だとキセルし放題に変わりないので、車掌さんも乗務し、ちゃんと確認したほうがいいですよ。人員削減など合理化が進みすぎ、なんでも機械がやってくれるからとチリも積もれば山になる取りこぼしを生じてしまう恐れがあります。
9月26日の気温。暑くも寒くもなく、ちょうどいい数値。
昔は「みどりの窓口」の看板があって、マルス端末も置かれていたのにすっかり寂れてしまいました。30年前はL型マルスなのか、バタバタ式のM型だったのか・・・どうも記憶はありません。L型はドットプリンタ式できっぷの両端に用紙送り込みの穴がついていたもの。L型は駅名を4文字の電報略号で入力。大昔のコンピュータは今よりもデータ量がかなり微少で「ビット単位」で通信。例えば、長門市は「ヒロナト」、小倉は「モシコラ」など。経由を入力するのもすべてカタカナ、「サンイーサンヨーカコシ」(山陰・山陽・鹿児島線に変換して印字される)。下関駅で駅員さんが端末を操作するのをよーく観察していたため、当時の広島および門司鉄道管理局の電報略号を今でも覚えているのは、非常に異端な人間なのかも。
前回来たときはなかった、新しい本城駅。(前回、といっても平成の初め頃)調べてみたら、2003(平成15)年開業。折尾から二島の間の地図を見ると、住宅がひしめき合うようなところなので、おそらくはここに新しく駅を作って欲しいという請願駅?と思いましたが、そのような記述は見当たりませんでした。
次は二島駅。フル規格の自動改札機がありますが、折尾駅鷹見口のように通せんぼバーのセンサーを切っている状態。
交通系ICカードならタッチして通過。紙のきっぷの方は、この運賃箱に入れるようです。となりにある機械は「係員対応精算機」。カメラ読み取り台にきっぷまたはIC系交通カードを置いて、「呼び出し」ボタンを押す。やったことはないので、リモートでどう反応するかちょっと不明。完璧に無人駅のようだけど、ろう者が利用するときはどうすれば?JR西日本も対面の「みどりの窓口」を廃止し、リモートで対応する「みどりの券売機」に置き換える駅が急増中。今は中国ウィルスのせいで検証ができない状態だけど、もし、リモートで音声での会話が必要だとしたら、無言で自動券売機のきっぷを購入し、途中駅の有人みどりの窓口で使用開始後のきっぷを変更する区間変更券を発券する対応になるかどうか・・・。(無人駅からの場合は無人駅から目的地まで。何もない田舎に住んでいた頃は途中のみどりの窓口で無人駅発の乗車券をよく発券していた)
改札口をウォッチング。スゴカを持っている人はタッチする様子が見えますが、きっぷ箱に入れず無札で素通り!?定期券所有のお客様だと思うんですけど、無人駅なのでチェックはできない。自動改札機をフル規格にして、紙のきっぷや定期券、スゴカすべて対応すべき。扉が閉まった場合はとなりの係員対応精算機で精算券を出してもらう方法がよいのでは。今のままでは、キセルし放題、ザルすぎる(守備が穴だらけ)の自動改札機。ワンマンなので、車掌さんの乗務は付かない。キセラーによる取りこぼしの損害額より人件費のほうが高いので合理化が進んでいるってことですかね・・・?
ここでも同じく無人駅でフル規格の自動改札機にセンサーを切っている。「係員対応精算機」は若松から新入まで設置されており、駅集中管理の「スマート サポート ステーション」というシステムのようです。ここは中間駅が全駅を担当。集中管理なので、全駅を1ケ所で対応。「奥」の文字が付いているので、「奥白滝」や「奥多摩」など内部へ深く入ったところの静かな雰囲気がしますが・・・ここでもボートレース若松の最寄り駅で周辺に飲食店、そして住宅街。
電車でも架線のないところを電化区間で充電した畜電池で走行中。
山の斜面にまで家が建っている。母方の祖母も小倉北区足立山の斜面に住宅街。そこに家が建っていました。バス停から急な傾斜を登って10分くらい。子どもの頃はあの坂道でも楽々と登れたんですけど、今はジジィなのでたぶん息切れをするかも知れない。車で登るのにあまりにもそびえ立つ坂道にちょっと危険なくらいなので、その家にたどり着くのに、別ルートのジグザグ道になります。
次の駅が見えてきました。
ここは藤ノ木駅。もう隣は終点、若松。福島県の磐越西線「会津若松」はみどりの窓口があって、有人駅だというのに、若松の本家だと言えるべき駅は無人。北九州市「若松」の手話表現は、「若い」+「松」だけど、福島県の会津若松は「切腹」。最初にその表現を知ったときに、「会津若松」ってこう表現するんですかっ!?と驚いたんですけど、自分が山口県出身だと伝えず。気まずい雰囲気になりそう。
(★の数が多ければ利便性が高い)
<JR九州>★
JR九州発行のICカードのスゴカはクレジットカードと一体タイプなので、有効期限を迎える前までに残高を全部使い切る必要がある。有効期限を過ぎて残高が残っている場合は、使えなくなる。新カードへの繰り越しは不可能なので払戻手数料220円。クレジットカードによるスゴカへのチャージは窓口や券売機では不可。残高が何円以下になったら、自動改札機にタッチした際にいくらチャージするかあらかじめ券売機で設定。
<JR西日本&JR四国>★★★
スマートICOCAはJR西日本発行のJ-WESTカードまたは一般のクレジットカードと紐付けており、JR西日本およびJR四国エリアのICOCAチャージ機でワンタッチで金額を指定し、チャージ。スマートICOCAは最終利用日から10年間有効なので、更新に気にすることは無さそう。
<JR東海>
トイカは現金のみチャージ。クレジットカードからのチャージできるシステムはありません。
<JR東日本>★★★★★
1番使い勝手がいいのはJR東日本のモバイルスイカ。JR東日本エリアにお住まいの方でなくても、スマートフォンにアプリをダウンロードすれば、全国どこでも使えます。紐付けるクレジットカードはJR東日本発行のビューカードだけではなく、一般のクレジットカードも登録可能。
ビューカードと一体しているスイカの更新は残高が残っている場合のみ手数料無料でビューATMで払戻し可能。
スイカさえ持っていれば、沖縄のゆいレールでも使える便利なシステム。スイカでゆいレールに乗れても、ゆいレールの発行するOKICAは内地では使えないので注意。つまり、全国に相互解放しておらず、スイカのみ片利用。
<JR北海道>★★
クレジットカードと一体しているキタカで利用可能エリア内のみどりの窓口でクレジットカードによりチャージが可能。カード記載の有効期限内に全額使い切る必要がある。有効期限を過ぎて残高が残っている場合は、使えなくなる。新カードへの繰り越しは不可能なので、払戻手数料220円。
若松行きは15時58分、7番乗り場。
東口の改札に入ってすぐのところ。ここは昔の1番線。筑豊本線の下りホーム。向こう側は若松方面。
2017(平成29)年1月1日をもちまして、利用廃止。翌日の1月2日から新ホームに移設。
こちらは西口方面。
西口改札口。2021(令和3)年1月2日から、あちこちの改札口を廃止し、1つに集約する新折尾駅舎オープン。
・令和3年1月2日から新折尾駅舎オープン
大正時代の面影を残すべく、当時の東口を再現した建物になっています。
中国ウィルス・・・決断が遅すぎる日本政府の失策により、都内における感染者が毎日2千人超え。日曜日は1487名になり、「4日ぶりに2千人を切る」と状況がよくなったような言い方でニュースに出ましたが、日曜日で千人超えはあまりにも多すぎる。
若松線ホームの駅名票。
ここからは非電化の若松線なので発車する前にパンタグラフを下ろし、畜電池によるハイブリッド走行。
こちらは折尾駅からかなり離れすぎている鷹見口。
地元の人なら理解できるけど、遠い地域の人だと折尾駅A・B乗り場って何ぞやって思われそう・・・。
わかりづらく不便な駅から、わかりやすく便利な駅へ整備しますと看板がありました。もう・・・確かに。昔から鹿児島本線から筑豊本線に乗り換えるのにいったん改札を出て、再び改札に入るなんて、そんなのあり?と思っていましたから。
旧筑豊本線折尾駅。通せんぼバーがついているフル装備の自動改札機設置。
注意書きをよく見ると、「お乗り換えのお客様は、きっぷを入れずにそのままお通りください」。つまり、無札で通ろうとするお客様や有効ではないきっぷを挿入しようとするお客様を排除するための扉が閉まるセンサーを切っている状態。
扉が閉まるセンサーを切って、しかも無人。鷹見口に発着する電車を狙い、堂々と遠くからの無札や無賃乗車など鉄道営業法違反を行使するキセルを幇助しているのではありませんか。1人くらいは駅員さんを終日配備し、徹底的に当駅まで有効な乗車券なのかチェックしたほうがよいのでは。
鷹見口で発着する列車は各方面、ほぼ1時間に1本。
ちょっと覗いてみました。鷹見口の折尾駅ホーム。
昔のレトロっぽい雰囲気がする折尾駅のほうが旅情をかき立ててよかったのに・・・。
メインであるはずの東口の風景。あれ?昔は都会のような光景だったのは記憶しているんですが、あまりにも変わりすぎている。
歩行者専用の飲み屋さん街。お酒とは無縁な子どもの頃、まわりを散策したときにここは飲食店街と認識したのは確か。あれから変わらずの風景が残っていました。
令和3年がスタートしたばかりだというのに・・・毎日のように喜べない暗いニュース。本日の都内における感染者数は1591名。全国で6004名。(2021年1月6日21時発表)過去最多の記録を更新。年末年始のJR利用者もかなり減少し、昨年比68%減。中国ウィルスの原因を究明するため、WHOが中国を訪問する予定だったが、中国が拒否。今回のウィルスだけではなく、過去のSARSも中国から。感染者は好きで罹っているわけではなく、いくら対策をしても見えない敵にやられてしまうこともある。
折尾駅の案内図。1階のコンコースは長い通路を通らなければならず、かなり複雑。
かつての筑豊本線が発着していた鷹見口も北口から250mも離れている。今も鷹見口ホームが使われていて、発着する列車もあります。鷹見口への連絡はいったん改札を出て、通路を通って、再び改札なので、特例による「特別下車」が認められています。
令和2年9月はまだ工事中。
東口は栄えているところで北口はこんな風景でしたっけ??なーにもない田舎の漁村に住み続けていると、下関に出かけただけでも「都会だ!!」と映る。たとえば、青ヶ島の秘境な風景に慣れすぎると、八丈島は「都会だ~」と感じ取れると同じように・・・。母島で長く暮らしていると父島の風景が都会に見えるといった話も聞いたことがあります。
これが私の知っている折尾駅の風景。今はもうすっかりなくなっています。
鹿児島本線の下を潜って、左側は鷹見口、右側は東口。
ここはもともと旧駅舎があったところ。昔の方がレトロっぽさ雰囲気が漂っていたのに、もったいないことをしたな。旧駅舎が合った頃の駅前はとても賑わっていたのに、気のせいなのか今はもうすっかり寂れている。ネットでぽちっとしただけで簡単に手に入る時代、店舗に出向かう人が減少しているのかシャッターが閉まっているテナントが目立っていました。
筑豊本線の折尾駅到着。私の覚えている筑豊本線の折尾駅は鹿児島本線の改札口からいったん出て、別の場所にあったはず・・・。100キロ未満のきっぷは原則として下車前途無効、回収されますが、ここだけ乗り換えは例外的に特別下車は認められていました。大都市近郊区間同士を発着する乗車券を除き、100キロ以上の乗車券であれば「途中下車」。「特別下車」は100キロ未満の乗車券または大都市近郊区間の大回り乗車中など本来途中下車は認められない区間であっても、鉄道事業者の都合によりいったん改札を出なければ他の列車に乗り継げない場合に限って、いったん改札口の外に出るのを認められるケース。新幹線の新高岡駅や佐久平駅など新幹線から在来線へ乗り継ぐのに中間改札がなく、「下車前途無効」と記載された乗車券でもいったん改札の外に出られるのも「特別下車」。
そのまま若松に行っちゃえばいいですが、問題なのは若松駅は無人駅化。自動精算機に名刺サイズのマルス券を突っ込めば自動的に折尾から若松まで280円と表示され、ICカードなどで精算券が出て自動改札機から出場する仕組みだけど、今回所持している乗車券は自動改札機や自動精算機に対応していない細長い120ミリ券。自動精算機のカメラ読み取り台にきっぷを置いてリモートで対応するらしい。ろう者が音声対応のみのリモートではてこずるのは必至。耳の聞こえない方が利用するのを想定しているのかそこまでは検証はしていませんが・・・。1番良い方法は、リモートでもリアルで対面で対応ができると同じようにお互いに顔が見え、カメラ越しで筆談が可能になること。JR西日本では、長門市駅や宇部新川駅など対面販売の「みどりの窓口」を撤去し、リモートの「みどりの券売機」増殖中。ネットで予約したe5489は自ら操作して発券はできますが、私みたいに複雑な変な経路を要求するのに機械では対応できないので、受話器を取ってリモートになるのは必至だけど、どう対応できるか。
実際に経験してみて、不備があればJRさんに要望をするつもりでしたが、今回はパス。折尾駅で改めて乗車券を購入する形で1本見送り。
昔の折尾駅は上は鹿児島本線、下は筑豊本線。クロスするような立体構造。今はすっかり変わっています。両方とも高架になりました。
今も折尾駅はまだまだ工事中。完成のイメージは上の写真になりそうです。
かなり離れているので、連絡通路をてくてくと歩き・・・
あそこが出口ですかね・・・!?2014(平成26)年、折尾駅に出かけたときは駅舎はもうすでに取り壊され、内部の構造はレンガだったというのに、その面影すら無くなっています。
複雑な構造だというのは昔から変わらず・・・。
経由を1つ1つ確認するようにまじまじと眺め、筑豊・鹿児島線のところでここでも途中下車の対象だと確認が取れ、「折尾」の途中下車印をもらい、改札口の外へ。
もうすっかり変わっていますね・・・。ここでも仮設の駅舎でまだまだ工事中。ここでも「みどりの窓口」があって、少し離れたところでも「みどりの窓口」。
取り壊された旧駅舎は1916(大正5)年に建築されたもの。現在もまだ現役であれば、築105年になるはずだった。鹿児島空港の最寄り駅、嘉例川駅は明治の建築物でも現役。1903(明治36)年なので、118年。日本一の最長寿、田中カ子(かね)ささんと同じく、118歳になりました。大還暦の120歳になっても長生きして、新記録を更新できるように・・・。
東京都における中国ウィルス新規感染者は1月2日、814名だと発表がありました。祝日なので、検査の数が減少しているさなかの数字なので、かなり多い方だと思います。東京都だけではなく、東京と往来が多い埼玉県や神奈川県、千葉県の1都3県で再び緊急事態宣言を出すか、政府が検討中のようです。(1月2日22時現在)
新入駅。これも縁起良さそうな駅名ですが・・2021年版の年賀状は昨年の世相を表した乗車券にしました。アマビエさまの海老津駅(福岡県の鹿児島本線)または海老名(神奈川県の相模線)を使おうかなと思いましたが、アマビエと、海老津。全然違いますしね・・・。
厄神駅はうーん、どうなんだろう。中国ウィルスがなければ、例年のとおり、干支の駅名から縁起のよい駅名ゆきの組み合わせになりますが今年は特別。全く違うものを作りました。
丑年といえば、真っ先に思い浮かぶのは故郷の難読駅、特牛駅。こう書いて、読みは「こっとい」。
JR四国の徳島線にも「牛島」(うしのしま)駅があり、牛の島、青ヶ島を連想するような切符を作るなら「青 島 → 牛 島 経由:日南線・日豊・小倉・新幹線・岡山・宇野線・本四備讃・予讃・土讃・徳島線」にするか、故郷を宣伝するのなら、「特 牛 → 於 福 経由:山陰・美祢線」どちらも山口県内にあり、ご近所同士なので運賃は990円なり。
毎年1月1日から有効の乗車券を年賀状に載っていますが、正月早々この区間のとおり旅行に行かれるんですかって数年前、聞かれたことはありますが・・・いや、それは遊び心で発券したものだけなんです。ほかにも、乗車券は自作したものなんですかって聞かれたことはありますが、自分で作ったら有価証券の偽造罪に問われるので、駅名は自分で選んで、ちゃんと駅で発券されたものをスキャンして載せただけです。
次は筑前植木駅。
なんで駅名票は「みどり」になるか不明ですが・・・鞍手駅。
ピンボケになり、あまり見えませんが、ここは「福岡県鞍手郡鞍手町」。福岡県って、意外と「郡」を多く残しています。遠賀川(おんががわ)駅も遠賀郡遠賀町。北九州空港の半分は小倉南区と京都郡(みやこぐん)苅田(かんだ)町。やみくもに合併せず、従来の行政地域名を大切にしているかも知れません。
ここからは中間市。筑前垣生駅。
国鉄時代、ここから「香月線」が延びていた。1985(昭和60)年3月31日を以て廃線。昭和60年も丑年。平成9(1997)年が一回りで平成21(2009)年は二回り、今年、令和3(2021)年は三回りになるので、36年経過。次の丑年は考えたくないんですけど、令和15(2033)年。
終点の香月駅は北九州市八幡西区内にありましたが、特定都区市内の【九】北九州市内に含まれていませんでした。北九州市内をいったん出て、再び北九州市内なので、香月駅は除外されていました。
例外的に広島県内にある山陽本線の海田市駅は「広島県安芸郡海田町」だというのに、特定都区市内の【広】広島市内に含まれています。広島市と広島市に挟まれた駅なので、厳密に言うと区域外であっても【広】広島市内の駅に編入。海田市駅だけ除外すると、運賃計算が大変。着駅が「【広】広島市内」と表示されている乗車券で海田市に下車すると広島市外なので、となりの駅からの運賃をいただきますとか、さらに隣の駅に行くと「【広】広島市内」適用なので、運賃はいただきません。どう見ても矛盾を生じるので、そのようになりました。
東水巻駅。次は【九】北九州市内の折尾駅。昨年7月の集中豪雨により、久大本線の鉄橋が流され、豊肥本線もまだ不通区間。代替案として、「連続1 鹿児島中央 → 東水巻 経由:日豊・鹿児島線・筑豊」「連続2 東水巻 → 【区】東京都区内 経由:筑豊・鹿児島線・山陽・山陰・美祢線・厚狭・新幹線・東京」を検討しましたが、これも計画倒れ。
連続1は北九州市内を出て、再び北九州市に戻るなら、【九】北九州市内ではなく、「折尾」といったような単駅表示になりますが、連続2は【九】北九州市内になり、小倉で途中下車できなくなります。それで北九州市内から外れる「東水巻」までにしようと考えていましたが、実行せず。
2021年、令和3年が始まりました。昨日は令和2年最終日。東京都における中国ウイルス感染者が1337名、全国で4521名。これ以上、感染者が増えると医療崩壊が生じかねない状況になっているというのに、国はGOTOキャンペーンをストップさせるのも非常に遅かったし、経済を回すために緊急事態宣言を出さない方針だそうです。経済を回すよりも人命のほうが大事だと思いますが・・・
ちょうど1年前、令和2年の新年を迎えたときは誰もが想像しなかった事態が起こりつつになっています。令和3年は収束し、来年は明るく期待できるような新年を迎えればと切に願っています。
小竹駅。
ここは国鉄時代、100円の収入を得るのに経費は740円かかるとして赤字ワーストワンとして有名な幸袋線の始発駅。赤字ワーストワンなので、赤字路線を整理するときにぱっさりと真っ先に切られてしまいました。1969(昭和44)年廃線。幸袋線は小竹から二瀬(ふたせ)までのわずか7.6キロ。
次は勝野駅です。ここでも、筑前宮田駅までの5.3キロの宮田線もいったんJR九州に引き継いだものの、1989(平成元)年12月に廃線。上山田線が廃線になる前に1度乗りに行きましたが、宮田線は1度も乗りに出かけたことはなく廃線後、代替バスで廃駅を探検しに行ったような記憶が・・・。
国鉄時代の筑豊地区は北海道みたいに網の目のように張り巡らされていたというのに、筑豊本線だけ残し、田川線、糸田線、伊田線は第3セクターの平成筑豊鉄道に転換。
次はまもなく直方。電気、畜電池どちらも使えるハイブリッド型車両です。架線から畜電池に充電し、折尾から若松間の非電化区間でも自力で走行が可能になります。
直方駅に降りたのも1991(平成3)年。ちょうど30年前になる。小竹、勝野駅も貫禄にある木造駅舎、直方駅も古い駅舎だったとは記憶していますが、今はすっかり変わっています。
ここで途中下車して、直方の街並みを散策しようかと思いましたが・・・
接続する電車がまもなく発車するので、そちらへ。若松線の若松行き。
駅前の様子もすっかり変わっていますね・・・。
新型電車なので、ドア真上に液晶モニター付き。案内放送の代わりにディスプレイで現在位置などの情報を把握。
桂川駅は段差を無くすバリアフリーに対応すべく改築工事中。
福北ゆたか線は電化されており、博多から鹿児島本線、篠栗線、桂川からの筑豊本線に直通し、直方までもしくは折尾まで。
天道駅停車。山形県のは「てんどう」という駅はありますが、漢字は「天童」。
無人駅なので、簡易スゴカ改札設置。IC系交通カードは入場から出場までしっかり管理しているので下車するときにタッチしておかないと次回の利用ができなくなるので、注意が必要です。
次は飯塚です。
そういえば、ここ。1988(昭和63)年8月31日を以て廃線になった上山田線への乗り換え駅。ちょうど夏休みなので、廃線になる前に1度乗りに行くか・・・と上山田線を経由する乗車券を途中の下関駅で発券し、ふらりと日帰り旅。「経由:山陰・山陽・鹿児島線・筑豊・上山田線・日田彦山」といった熱転写で印字されたものだけど、100年でも消えず永年保存が効く。記念に手元に残しておけばよかった。当時の飯塚駅は駅員さんが多く駐在していたのに、今は営業時間 平日7:00~ 9:30、16:00~20:00 土休日7:00~9:30、16:00~18:00。なんと、朝9時半から夕方4時までは無人駅。
飯塚は無人駅になる時間帯もありますが、新飯塚は営業時間 4:50~22:30 年中無休。こちらのほうが市役所に近く、飯塚市の中心駅。
次は浦田駅。
直方方面の出口は青空改札だけど、IC系交通カードをタッチする機器は雨にさらわれると壊れるので、屋根付きになっていました。
なまずた駅。なまずといえば、地震の予知を行う魚。
鯰田駅も寂しい。32年前、上山田線が動いていた頃は通行票の受け渡しのため、ほとんど有人駅。JR九州発足後1年5ケ月で第三セクターに引き継ぐことはなく廃線。利用者がそこそこいたような気がしますが・・・。上山田線廃止後の様子が気になり、1992(平成4)年も路線バスで再来訪。あれからずーっと行っていませんがGoogleマップのストリートビューで確認できる。わざわざ現地に出向かなくて便利な時代になりました。
原田線は緑色。1日数本しかないところだというのに律儀にナンバーリング割り当て。桂川から5駅目なので、JG05。
ところが、ボロ房線は田舎のローカル線扱いなのかナンバーリング無し。
そういえば・・・12月21日からボロ房線にも、真新しくてピカピカのE235系初デビュー。古くてお下がりばかりだったボロ房線に脚光。
ユーチューブにE235系がボロ房線に閉じ込められたという動画を見つけましたので、共有させていただきます。
新しくって乗っていて、気持ちいい電車なのかも。山手線は2015(平成27)年デビューなので、もう5年経過しています。
待っている間、立て続けに電車が停車。久留米行き。
新旧混合編成。手前は817系、そのとなりは813系。どちらも新しそうだけど、実は813系、総武横須賀快速線のE235系がデビューする前の旧型のE217と同期。1994(平成6)年デビュー。JR東日本のE217系は古くてぼろい感じがするのに、九州の813系は新しく見えるのはデザインがあまりにも斬新だからでしょう。
平成6年らしく、方向幕は回転式。
数分後・・・また電車がやってきました。こちらは原田線発車待ちだというのに、間隔が短すぎる・・・。
今度は鳥栖(とす)行き。長崎本線の起点でもあります。
やっと来ました、原田線のキハ40。
30年前だったら、DD51ディーゼル機関車に6両のレッドトレインだったというのに今は1両ワンマン。山陰本線も然り、その頃の朝夕は6両や8両の客車だったというのに、今はキハ47(2連)+キハ47(2連)など短編成化。人口減少の過疎化が進み、国鉄時代みたいに長編成で運行するのは厳しくなってきたそうです、
車内も国鉄っぽい雰囲気が漂い、懐かしい。子どもの頃はキハ40は今のE235系のようで真新しくてピカピカな雰囲気だったというのに、もう40年近く経過。
キハ40からエンジン置換した、キハ140。当時の国鉄は莫大な赤字を抱えており、エンジンの性能を節約するため、馬力の少ないものを取り付けていた。民営化のJR九州が馬力アップのエンジンに置換。一度は改造しているので、140に改名。キハ40は製造時からのエンジン。
なるほど・・・国鉄車両にスゴカは通用しないってこと。国鉄時代のキャッシュレス化は1985(昭和60)年からのオレンジカード。クレジットカードのJNRカードのみ。今も全社共通のJRカードとして引き継ぎはしていますが・・・切符に「クレジット」と表示があれば、JR他社でも払戻しが可能。2020(令和2)年4月1日より、「クレジット」表示は廃止し、他の一般カードと同じく「C制」。それまでの「C制」は払戻しや変更は自社のみ取り扱い。他社で発券したきっぷに変更の申し出があると、取り消しの証明印を捺印し、「払戻ヨロ」。発行駅と同じJR会社の窓口で払戻しになりますが、今年の4月より一般のクレジットカードでも全国どこでも取り扱いが可能なり、全国共通のJRカードは持っていてもメリットはなさそうです。
チャイニーズウィルスの飛沫防止のためのビニールカーテン。チャイナという国は全世界の尊い生命を奪うウィルスの震源地。コウモリを食用にしているので危険なウィルスを発生させたのではないですか。そのせいでビクビクしながらの生活を強いられている状態。
国鉄時代だったら、当たり前のように灰皿。その跡がくっきりと。
ワンマン仕様なので、国鉄時代についていた「乗務員」の扉が取り外されています。国鉄時代、キハ40や47を開発するときに経費削減のため、冷房はなかった。現在は後から取り付けています。山陰本線のキハは冷房なし、JR九州の415系は冷房付き。蒸し風呂のようでむさ苦しいキハから九州の電車に乗り換えると「涼しくって気持ちいい」はもう過去の話。現在の山陰本線の冷房率は100%。