〇〇のはなし号は、宇賀本郷から長門二見間の校風明媚な風景を楽しむため、速度を出さずに徐行運転。観光列車でなくても、普通列車も速度を若干落としての運行。昔の普通列車はかなりの速度(50キロ~60キロ)で走り抜けた区間なんですけど、景色が眺められる昼間は速度を落としているのか、3.6キロを7分間。時速に換算すると、30キロ。いつも乗っている地元の方は「この汽車、もっと速く走れ!まどろこしい」と思っているかも知れませんが、毎日この風景を眺められるなんて贅沢ではないでしょうか。
このあたりはうちのジローさんが半世紀以上も自分の庭だと称していた素潜りの現場。サザエやあわび、ウニの名所なので、二見郵便局の風景印は夫婦岩にウニをあしらったデザインになっています。
ちょうどこの位置にしばらく車窓を楽しんでもらおうとしばらく停車します。
真ん中のぽつんと浮かぶ島を遠望モードで撮影。グーグルマップでは「壁島」と表記。本当にこの島の名前は「壁島」で合っているかどうかは不明ですが・・・この近くの「壁島」はここからおよそ10キロ離れた和久という小さな集落の沖に花崗岩でできた岩礁群があって、海鵜(うみう)が越冬するため渡来するところで有名。ちなみに特牛(こっとい)と角島の間にある無人島は「鳩島」。
上の写真の少し左側を撮影。グーグルマップで確認すると名無しのようです。
停まっている位置からは二見夫婦岩が見えます。
今までは三重県の二見浦が本家だと思っていましたが、歴史をひもとくと、ここが「二見」の発祥地。三重県の二見が有名になりすぎてここは存在感がないという感じですが、本当はここが本家だったのです。
およそ160年前、日本の元号が「安政」(1854年)から毎年の1月2日、二見の若者が褌1枚で海に入り、体を清める「みそぎ」。岩をよじ登り、大しめ縄の張り替えを行う伝統行事がありましたが・・・かつては若者だった人達が高齢化になり、厳冬の海に入るのは無謀だし、風化によってできた亀裂の入っている岩をよじ登るのもちょっと危険。足が滑って転落すると命の保障もない。二見の人口がかなり減少し、少数人員での張り替え作業は困難になり、1月2日の定番行事は2017(平成29)年をもちまして廃止。2018(平成30)年のお正月からは実施せず。
大しめ縄はホンモノではなく、およそ10年間交換はしなくてよいような素材が使われています。安政→万延→文久→元治→慶応(ここまでは江戸時代)明治からは一世一元。大正→昭和→平成→令和。
旭川から稚内行きの特急でおよそ3時間半。そろそろ最果ての地だなと思わせるような風景は原野に向こうは日本海。勇知から抜海の間でも似たような風景が山口県でも見られます。
宇賀本郷を出て、左側の車窓。〇〇のはなし号は偶数席が海側なんです。予約するときにシートマップを見せてもらって、海側のどれかの座席を選べば絶景を独り占めにすることができます。
この風景を見て・・・
これは、まるで・・・
勇知~抜海間の風景。(JR北海道・最果ての地、宗谷本線。2018(平成30)年5月撮影)
これも北海道の最果てです。山口県の宇賀本郷~長門二見間の風景を北海道だ!と掲載すれば、見間違えそう。
こちらの風景は青ヶ島かな?全国のいろんな各地へ回り、何もない故郷の風景が小笠原や北海道の勇知から抜海間、青ヶ島に似ているなあと感じますが、ここに住んでいた頃はこんな風景なんて面白くない!東京山手線から見える都会的な風景のほうがにぎやかでいいな、とか・・。今だったら、人造物だらけの山手線よりもこの風景がいいに決まっているんでしょ!と過去の自分に言い聞かせたい。
湯玉を出ると、次は宇賀本郷。この区間は1914(大正14)年に開業し、湯玉のとなりは5.8キロ先の長門二見。ところが、44年後の1958(昭和33)年の日本は高度経済成長期真っ盛り。地元の請願により、湯玉から2.2キロ地点に新しく「宇賀本郷駅」設置。これから利用者が増えるのを見込んでせっかく新設された駅だというのに、現在は1日の利用者はわずか3名。
まるで北海道の宗谷本線、最果ての地に向かう途中の日本海側って感じがしますが、ここは山口県下関市。小笠原に帰ったような気分をさせてくれる風景や北海道のような風景、さまざまな景色が見られます。
まもなく、うがほんごう。
「本郷」という駅名は全国で「幕張本郷」、「若狭本郷」。「本郷」の本家は東京都文京区内にある東京メトロ線の「本郷三丁目」駅かな。
宇賀本郷駅を通過する様子を動画編集。字幕を付かないと、通過中なのかどうかはわかりづらかったので、字幕も付けてみました。
動画編集ソフトから縦の駅名票が見える位置を静止画として抜き取り。
目にとまらないほどの速さで通過するので、文字もぶれてしまいました。国鉄時代の宇賀本郷はDD51の牽引する長編成の客車は通過。短編成の客車やディーセルカーなら停車。たぶん、長編成の客車だとホームに入りきれないからだと思います。次は、長門二見。
今のような交通が発達していない、昭和30年代までは小さな地域ごとに市町村を置いていた。現在は下関から長門粟野までを下関市内と一括りしていますが、昔はいくつかの町村があって、役場もあったそうです。今の小笠原村も父島の中心地となる大村、父島の南は扇村袋沢村、母島も2つの村があって、中心地は沖村、北は北村。硫黄島も硫黄島村として独立。このあたりでも、昭和30(1955)年頃までは小串町を出ると、宇賀村の湯玉。駅の近くに「宇賀郵便局」「下関市役所宇賀支所」があるので、もともと旧宇賀村の中心地だったとうかがえる。
長門二見も「豊浦郡宇賀村字北宇賀」。昭和30年にいくつかの村を合併し、二見は「豊北町」に編入。郵便区域は宇賀郵便局管内の759-62。30年くらい続きましたが、1985(昭和60)年頃から滝部郵便局に移管し、759-55に変更。消印も「山口宇賀」から「山口滝部」に変更。2007(平成19)年、郵便局が民営化になり、消印も「下関」に変わりました。ところが最近は山口県全域、ポストから回収したはがきや手紙などはすべて宇部市の山口郵便局に運ばれ、「山口」の消印になります。下関市内宛てでもいったん宇部市を経由して戻る配達ルートになりそうです。
タイトルのとおり、「小笠原へ帰りました」とこの写真を載ってしまえば、東京から南へ1000キロの父島だと思わせるような風景。
実は、この写真、東京から西へ1000キロ、山口県の山陰本線、小串駅と湯玉駅の間にある風景なんです。ずーっと何もない田舎に住んでいた頃、毎日のようにこの風景を眺めては「大都会のトーキョーに行きたい」と想い続けていたのは何故なんだろう。今だったら、青ヶ島や小笠原に移住したい気持ちが・・・。
上の2枚だけは、父島でも似たような風景はありますが、3枚めの写真は小笠原にない風景。
向こうの島は男島(おんしま)。そのとなりにある小さな島は女島(めんしま)。人は住んでおらず無人島。
手前の部分だけ拡大すると母島の南崎だと錯覚してしまいそう。
下は本物の南崎(母島)風景。山口県の故郷に小笠原のような風景があったとは!!JR西日本さんもこの風景を自慢できる場所だと、「〇〇のはなし号」に乗っているお客様もこの風景を楽しませるように数分間は停車します。粋な計らい。
今のような観光列車が走っていない30年くらい前。平成の初め頃はワンマン化されておらず、すべて車掌さんが乗務。小串を出ると、次の駅まで比較的長くなるし、小串から先は無人駅が続くので、検札開始っ!!検札を実施したあとは無人駅で下車しても回収されず持ち帰れた。昔の切符アルバムを広げてみると「い」「ろ」「は」の文字が浮き出る検札鋏で入鋏した痕跡がたくさん。検札がなかったら、ドアを開けたら、出口のところに猛ダッシュ。きっぷや現金による運賃収受。今でも「ワンマン」であってもたまに車掌さんが乗務し、無人駅からのお客様の顔を記憶、あとで座席まで伺うロックオン。長門二見という無人駅から乗車すると、発車して間もなくロックオンされたこと何度も。乗る前に用意しておいた変な経路を書いたメモを渡すと、「ここで発行は出来ないから下関駅の窓口で」と言われ、
「ゆき」だけ手元にあるけど、「かえり」は無い。おそらく、車掌さんが出口に猛ダッシュし、回収してしまったかも。平成4年なので、もう30年近く昔になります。熱転写なので、永久的に脱色や文字消えの心配はありません。
「まるで小笠原」の動画を1分近くお楽しみください。(音が出ます)
川棚温泉を出ると、次は小串。山陰本線は幡生から京都まで673.8キロ。東北新幹線が青森まで延伸されたのに伴い、盛岡以北の在来線が第三セクターに転換されたあとは山陰本線が日本一長い路線となりました。昔の国鉄時代は長距離鈍行の客車や夜行急行列車や長距離特急などで門司を朝一の列車に乗れば23時頃には福知山。1度乗ってしまえば、1日中乗り通すことはできました。先頭はDD51ディーゼル機関車、自動扉ではない古くてボロ客車(オハ33やスハ42、ナハ10)なので1日乗り通すだけで腰が痛くなりそうです。今では考えられない、全車両喫煙車両。満員に近い4人掛けボックスでタバコを吸っても誰もお咎めはなかった。1964(昭和39)年の東海道新幹線開業当時の0系も16両全部喫煙可。昭和の人間は他人の煙を吸わされても平気だったのか。嫌煙権についてのクレームがあり、1977(昭和52)年に16両のうちたったの1両だけ、タバコの煙が嫌いな人は奥へ追い出せ!と言わんばかりに1番端っこの16号車のみ禁煙車を設け、徐々に禁煙車両を増やし、今はもう立場は逆転。座席では吸えなくなっている全車両禁煙が当たり前になっている。
下関から長門市までは開業当時から国鉄が敷設したわけではなく、もともと民営の長州鉄道。小串までは1914(大正3年)開業した影響なのか、今も下関から小串までの本数が比較的多く、小串を過ぎるとぐーんと少なくなります。長州鉄道が長門市まで敷設を目指していたのですが、1928(昭和3)年に国鉄が長州鉄道を買収。つまり、小串から先は国鉄敷設。
小串に近づくと、ご覧のような立派な建物が見えます。私の記憶では「国立山口病院」。幼い頃、頭皮がぱかっと真っ二つに割るアクシデントを起こし、1度だけ救急車で運ばれお世話になったところです。古い建物をそのままリニューアルしたのかなと思い、ホームページで調べてみたら、建物の老朽化に伴い、全面建て替えとのこと。
2000(平成12)年、国の病院から豊浦町立病院に引き継ぎ、2005(平成17)年の平成の大合併により豊浦町が下関市に変わり、下関市立病院に名称変更。2016(平成28)年、市から譲渡され、現在は「山口県済生会豊浦病院」。なーにもない田舎であっても、このようにいろんな設備を整えている病院が近くにあると安心です。
観光列車なので駅本屋側の1番線ではなく、3番線に入線。
キハ47 101番。この番号は子どもの頃乗ったことがあり、ン何十年ぶりの再会。新製時に国鉄の小郡運転所に配属されてから他のところへ1度も転属していない車両。今回ペアを組んだキハ47 1065も同じく配属されてからずーっと山口育ち。
道理で他の地域でキハ47を見かけると、ものすごく懐かしくなります。キハ47の側面にかけられた「新津 ←→ 馬下」のサボ、国鉄のキハ47に乗りたさで新津を新潟だと見間違え、危うく誤乗 の記事は こちら。
ここで折り返す列車が多いせいか、駅名票も新調。京都あたりの山陰本線はラインカラーが採用されており、紫色となっていますが、ここはJR西日本の標準カラー。
真ん中に見える〒マークは「豊浦郵便局」。かつては集配を行う局と、無集配局があり、こちらは郵便番号が759-63地域の集配局なので、土日祝日でも郵便窓口は開いていたような記憶があります。しかし、現在は下関郵便局に属する各地の集配所に変わっているため、今は時間外窓口の取り扱いは無くなっています。
湯玉までは線路が海岸を沿うように走行。
9月の終わり、とはいえ、まだまだ夏の風景。本当に懐かしい。
吉見から梅ヶ峠までの風景。吉見駅は市街地だけど、少し離れただけでもこの風景。ここからだと海岸は見えませんが、本州最西端の吉母(よしも)海水浴場や本州最西端の岬、毘沙ノ鼻(びしゃのはな)もこの近くです。梅ヶ峠駅も、本州最西端の駅。
2月13日 23時07分頃、大きな地震がありました。震源地は宮城県・福島県で震度6強。10年前の東日本大震災を彷彿。津波をよぎりましたが、津波の心配はありませんという文字に安堵。この地域では「震度3」となっていますが、体感的に震度4かなと思います。遠く離れた青ヶ島村も震度2。
梅ヶ峠駅を通過して、黒井村駅に向かう途中。9月の終わり頃なので、稲刈りが終わった直後。
汽車通学のときはいつも海側の座席を好んでいたため、この風景はもう脳裏に焼き付いているほどなんですが、あれからずーっと変わらない。
まもなく、黒井村駅。
黒井村駅も通過。次は川棚温泉駅。稲刈りが終わっているところもあれば、まだなところもある。
まもなく川棚温泉。
駅を見るために座席を山側に移動して・・・
川棚温泉駅停車。旧豊浦町役場の最寄り駅しかも観光地の温泉も近くにあるので、特急、急行、快速すべて停車。昔は有人駅でキヨスクもあってにぎわっていたのは覚えているのに、今は無人駅化。有人駅時代は「みどりの窓口」があってもおかしくないほどの利用者数、自動券売機もなく、硬い切符の硬券で対応し、オレンジカードも使えるように精算器設置。当時、長門二見から下関までの運賃640円。長門二見から川棚温泉まで230円、川棚温泉から下関まで390円。合わせると620円。20円のお得になるし、オレンジカードも使える。20円を節約するため川棚温泉で降りて次の汽車で下関。20円節約するなら次の汽車まで3、40分待ち。今だったら、コスト的にわざわざ川棚で降りなくても下関に直行。ものすごく暇を持て余した頃なので、わざわざ川棚に降りて、切符を買い改め。下関からの帰りは390円区間のきっぷで乗車し、巡回中の車掌さんに長門二見までを申し出。 「原券 下関→390円区間 収受・変更区間 下関 → 長門二見 250円 下関車掌区」のレシート。そうじゃなくて、この切符は、川棚温泉まで。川棚温泉から長門二見までを作って欲しいの!と申し出ると、「乗車券 川棚温泉 → 長門二見 230円 下関車掌区」のレシートに発行替え。そのときに対応してくれた車掌さんは私のことを20円をケチるセコいクソガキだと思われたかもしれません。今となっては恥ずかしい話ですけど。みどりの窓口で「下関→川棚温泉」「川棚温泉→長門二見」の2枚をあらかじめ買えば良かったかもしれませんが、オレンジカードを多量収集していて、オレンジカード対応券売機で優先購入。
自動券売機がありますが、4月になれば早くも無人駅化10年。次の停車駅は小串。
市街地の風景が続いていた安岡を出ると、風景は一変します。海岸沿いの国道191号線と並行。
福江駅は開業当時からずっと無人駅だと思っていたんですけど、1914(大正3)年から1971(昭和46)年まで60年近く有人駅だったそうです。
下関 ★ 直営駅 みどりの窓口あり
幡生 ★ 業務委託駅 みどりの窓口あり
綾羅木 2020(令和2年)10月1日 無人駅
安岡 2005(平成17年) 無人駅
梶栗郷台地 2008(平成20)年開業時より無人駅
福江 1971(昭和46)年 無人駅
吉見 2005(平成17)年 無人駅
梅ヶ峠 1971(昭和46)年 無人駅
黒井村 1991(平成3)年4月1日 無人駅
川棚温泉2011(平成23)年4月1日 無人駅
小串 ★ 1991(平成3)年4月1日より業務委託駅
湯玉 1989(平成元)年10月24日 無人駅
宇賀本郷 1958(昭和33)年より地元の請願により開業当時から無人駅
長門二見 1989(平成元)年10月24日 無人駅
滝部 ★ 1991(平成3)年4月1日より業務委託駅、2008(平成20)年よりNPO団体による簡易委託駅に移行。
国鉄末期は福江、梅ヶ峠、宇賀本郷を除き、全部有人駅だったのに、ほとんど無人駅化されています。
30年前に比べると、海の色がきれいに変わりました。昔は晴れていても、ご覧のような色ではなかったような気がします。
ここは本当に旧市内の海?って思えるほど、砂浜もきれいになっていました。この周辺でも下水道を整備し、生活汚水を海に流すようなことはしなくなったからでしょうか。
まもなく、吉見。蓋井島の島影がうっすらと見えます。日本一絶海の孤島、青ヶ島へは何度も出かけているのに、何もない田舎に住んでいた頃、近くにあるはずの蓋井島は1度も上陸したことはありません。面積2.35km2人口は87人。青ヶ島は面積5.97km2 人口165人。面積を2倍にすると人口も2倍になる比率は同じくらいなので、蓋井島も下関市内にある秘境だと考えてもよいかもしれません。
青ヶ島への交通手段は1日1便の東方航空のヘリコプターおよび年間の就航率が6割、伊豆諸島開発のあおがしま丸と知られていますが、蓋井島行きは下関市営の渡船で1日1往復のみ。夏季はさらに1便増やし、片道40分。小学校はありますが、令和2年度は7名。中学校はありません。
吉見駅通過。出札窓口や駅事務室も備え付けられているのに無人駅化になってから16年経つ。
吉見駅前はわりと市街地を形成。
旧市内の最北端を過ぎると次は梅ヶ峠。下関市と合併する前は豊浦郡豊浦町。梅ヶ峠駅ホームの真ん中で下関市と豊浦町の境界があり、改札口は豊浦町内にあるので、駅の所在地を豊浦町としたそうです。家のど真ん中で境界線が敷かれ、こちらの部屋は〇〇市、となりの部屋は△△市といったような境界を跨ぐような家屋もありますが、住民票に登録する住所をどちらの市に属するかは玄関の位置により決めるそうです。もし、玄関も2つの市にまたがっていたらどうなるんでしょうか。となりの市にはみ出ている家屋の固定資産税の扱いはちょっと不明。
幡生駅で運転停止した〇〇のはなし号が出発すると、「快速」なので川棚温泉までノンストップ。山陰本線に急行が走っていた頃、下関発16時28分の「急行ながと」は益田行き。途中、安岡、吉見、川棚温泉、小串に停車し、長門二見も停車。下り特急「いそかぜ」と交換するため、上りのみ停車。普通列車だと要所時間およそ60分のところ、47分。わずか13分早いだけで急行料金500円なり。(平成元年4月から消費税3%込み520円)。オレンジカードで下関→50キロまでの急行券を購入し、通り過ぎる駅を眺めては優越感に浸っていた。あれから30年(?)ぶり、急行が消滅した今も再び通り過ぎる駅を眺められるなんて思いもしなかった。
綾羅木駅通過。今は無き山口県立聾学校下関分校のあったところなので、幼い頃から祖母に連れられて汽車通学。小学に上がると、自分だけで通学するようになり冬の間はまだ暗いうちに出発。(西日本なので、夜明けの時間がとても遅い)綾羅木の風景は今でもしっかりと脳裏に焼き付けていますが、Googleマップで様子を見ると、子どもの時からあったものと新しくできたものと混在。
半ドンの土曜日は午前11時30分下校。綾羅木発12時47分発の汽車で長門二見に着くのは13時50分。ほとんど自宅に帰ってから昼ご飯だったけど、綾羅木駅に向かう途中に小僧寿しがあって、バッテラ6貫入り140円(昭和時代当時の価格)を買い食いするのが密かな贅沢だった。巻き寿司のエビマヨも大好物だった。1本70円、握り8貫は300円だったと記憶している。小僧寿しのあった場所は残念ながら更地。そのとなりにスーパーの丸富さんがあったんですけど、それも無くなっている。
実家近くの滝部も小僧寿しがあったのに、これもいつの間にか消滅。小僧寿しは今もあるんだろうかとネットで検索してみたら、山口県各地に店舗があったはずなのに今はもう無くなっています。
さらに調べてみたら、東京都13店舗、千葉県17店舗。近くに小僧寿しがあるとはまさしく灯台下暗し。今でも、バッテラ6貫は302円、握り8貫518円、エビマヨ128円。消費者物価指数の推移から見れば、この価格は妥当だと言える。近所の小僧寿しで子どもの頃大好きだったメニューをもう1度懐かしもうと思っています。
綾羅木を通過して梶栗郷台地までの間。子どもの頃は田園風景だったのに、今はもうすっかり都会。
戦前、綾羅木と安岡の間に「梶栗」駅がありましたが、長く続かず廃駅。綾羅木のニュータウンとして宅地開発が進み、ホームセンターや大型スーパーなどのお店も出来ている。それで2008(平成20)年3月のダイヤ改正から「梶栗郷台地」駅として復活。この駅も通過。
かつて急行の停車駅だった「安岡」は通過。国鉄時代からJR民営化直後では、ほとんど有人駅が続いていたのに、今はもうほとんどずーっと無人駅化。
安岡といえば、何だろう・・・昭和から平成にかけてテレビの野球中継でよくマウンドに立っていたジャイアンツの投手、宮本和知氏が通っていた下関工業高等学校の最寄り駅。巨人が勝つと地元も盛り上がっていたので、おのずと私も巨人を応援するようになったのは確か。山口県内の山陰本線沿線は旧千円札の肖像となっている伊藤博文初代総理大臣、安倍晋三前首相など著名人輩出。
安岡を出ると、次は福江です。旧市内・・・ここでは滅多に「旧市内」という言葉は使いませんが、下関市は豊浦郡4町(豊浦町、豊北町、豊田町、菊川町)と合併しているので、もともとの市内を「旧市内」だそうです。「旧市内に行く」といえば、下関駅からおよそ10キロ圏内を指します。福江は旧市内の海岸にしては、まあまあきれいなほうだと思います。
快速〇〇のはなし号の停車駅は
新下関・下関・川棚温泉・小串・滝部・特牛・阿川・人丸・長門市・萩・終点、東萩となっており、30年前は記憶があやふやだけど、海水浴シーズンのみの臨時快速「コバルトブルー号」だったと思う。長門二見は無人駅化後になっても、水質が日本一きれいと言われている土井ヶ浜海水浴場の最寄り駅なので、快速は停車。当時は普通なら非冷房、快速は急行と同じ車両が使われていて、急行券を買わなくても涼しい車両に乗れてかなり贅沢だったとか・・・。今の時代100%冷房だけど、昔は特別な料金を払わないと涼むことはできなかった。JRに乗って海水浴に出かけるお客さんがかなり減少し、海水浴客輸送を目的とした臨時快速は消滅。JR北海道の留萌線も「浜中海水浴場駅」も平成の初め頃はかなり有名でした。北海道の夏はとっても短い。もっとも暑くなる7月下旬から8月上旬まで何もないところに停車し、待機していたJR北海道の社員がドアのところにタラップを取り付けて乗降客の取り扱い。
下関を出ると、ほとんど海岸沿いを走行しますが、風光明媚な風景が見られるのは小串から長門二見間。長門二見で内陸の「滝部」に向かうので、海岸沿いから急に「く」のように曲がります。山陰本線の線路が敷かれる大正14(1925年)当時の滝部村は人口が多く、街を形成していたため、強引に線路を誘導。線路はいったん内陸に入りますが、阿川で再び海岸沿いになります。
出発前までは乗客たちがあちこち記念撮影に動き回っていましたが、まもなく発車しまーすと放送があったとたん、指定された自席に戻りスタンバイ。しばらくすると、ドアが閉まり、発車。今まで二見に帰るといっても、車がないと高齢者の移動に不便なところなので、どうしても空港からレンタカーを使ってしまいます。山陰本線の汽車は9年ぶりになります。かなりご無沙汰なので、ワクワク・・・。
下関駅を出発して間もなく国道191号の真上にかかる鉄橋を通過。ちょうどここから国道191号線の起点。
国道191号線はほぼJR山陰本線と並行するような形で長門市や萩へ向かいます。文字が小さくて申し訳ないんですけど、道路標識は主要な地名が表示されており、1番下の地名はここから比較的近い主要な地名。国道435号線と交差する特牛(こっとい)47キロ。その上の長門市は79キロで美祢線と平行する陰陽連絡の国道316号線の交差。萩まで105キロ。〇〇のはなし号も萩に行ってしまいます。
191号線の終点ってどこまで続くんだ?と益田まで??この先からは9号線でしょ?と思い、調べてみたら、な、な、な、なんと益田市を経て広島市中区の広島市役所前まで。
子どもの時からずーっとある線路沿いの住宅。居室の前でひっきりなく電車や深夜でも長編成の貨物列車が通り過ぎ、うるさくないのかなって思っちゃうくらい。
ここでも傾斜に住宅、真上にある茶色の立派な建物って何だろうとGoogleマップで調べてみたら「アミティビブレ下関」という集合マンション。すぐ調べられる便利な時代になりました。
時刻表では通過扱いですけど、幡生でドア扱いはせず運転停車。
ここで気づいたんですけど・・・
山口県内の駅構内 全面禁煙!!
これは本当に素晴らしい。灰皿の掃除をしなくてもいいし、健康増進につながる。うちの職場でも緊急事態宣言が出ている間は屋外の喫煙所は閉鎖。敷地内終日禁煙の状態です。それでニコチン離れが急速に進んでいけたらと願っています。
幡生駅のホームは2本あり、改札口のある駅本屋から1番から4番。ホームの内側にある2番、3番線は山陰本線。京都からずっとつながっていいる山陰本線の終点はここですが、便宜を図るためすべて下関始発。幡生を出た山陰本線の線路はしばらく山陽本線と並行しますが、途中でいきなり山陽本線の下を潜ります。
幡生に止まってもドアが開かない状態・・・。
いよいよ出発の時刻になりました。
〇〇のはなし号の向かいはJR九州の車両、小倉行き。
6番線の「〇〇のはなし号」から見える駅名票はナンバリングなし。
反対の7番線はJR九州向けのナンバリングがついていました。
出入口の階段付近に停まってくれればいいのに、なぜかすーっと奥で停まっている。
新幹線「のぞみ」は16両編成、最後尾の16号車は博多に向かっているのではなく、東京。この法則に従い、〇〇のはなし号も東京に近い長門市方面から2号車、後ろは1号車。東北新幹線や北陸新幹線は東京に向かって1号車から順番。
改造前のナンバーはキハ47 1107。(ノーマルの1000番台はトイレ無し)。子どもの頃から山陰本線に配属された1131番なら記憶にあるけど、1107番は・・・?もともとは福知山に配置され、その後、後藤(米子支社)に転勤し、山口に来た頃はもう「みすゞ」用に改造なので、面識のない車両。
前は赤なのに後ろは紺色。グラデーション塗装。
1号車は・・・
改造前のナンバーはキハ47 46。46番は子どもの頃乗った記憶がなく、調べてみたら、もともとは岡山県の津山線に配属し、2003(平成15)年、山口に転勤。その頃の私は東京なので、道理で46番と言われてもぴんと来なかった。
私の座席は・・・ここ。1号車12番D席。
となりのA席のほうが、窓ガラス1枚分の景色を楽しむことができるけれど・・・D席はうーん。
ハーフの窓。
この座席が不満だからと、変更してしまったんだけど、5番A席は・・・
十分車窓を楽しめない場所だと思う。
座っても、海を見たくて横に向いてしまうかも。
12番D席に1番近いドア付近。
1号車は「和風」をテーマにしたインテリア。
2号車は「洋風」。
どちらの雰囲気がいいかといえば・・・「和風」かな。
後ろの車掌室から見た眺め。左は海側、右は山側。山陰本線は風光明媚な海岸沿いを走行するので、左側の偶数番のほうがお勧め。ただし、ネット予約だと自分の好きな座席を選べないので、みどりの窓口で海が見える偶数番がいいと話せば、海側の空席になっている場所を教えてくれるので、ここがいいです!とリクエストしておけばより良い座席をゲットできそうです。
前回、ここに来たのは2019(令和元年)の8月、国内で唯一、鉄道整備技能士の国家資格を持つろう者の後輩が母校の同窓会を企画。主に新幹線のメンテナンスや故障箇所の原因を突き止めるメカトロニクス系なので、きっと天職なんだろうな、たぶん。「来年、令和2年もやりましょう!」と約束はしたものの・・・中国ウィルスのせいで、なかなか開催する状況ではなかった。中国っていう国はよくも兵器ウィルスを作り、人と人とのつながりを分断させがったな!と恨んでももう仕方がない。いちるの望みはスマホのやりとりで繋がっている状態。
中国のせいで日本の鉄道業界や航空業界も厳しい経営を強いられている状況です。貯めていたANAマイレージも次々と有効期限を迎えてしまいましたが、特別措置として2020年3月末から2021年2月末で有効期限を迎えるマイルは2021年3月末まで延長しました。この状況を鑑み、2021年3月末で有効期限を迎えるマイルは2021年9月末まで再度延長するとのことです。ANAのホームページを見ても、内容を理解できなかったため、ANAさんに問い合わせてみたところ、上記のような回答がありました。つまり、2021年3月末でマイルが失効するからとあわてて3月末までに特典航空券を用意して強行的に旅行はしなくても良い、ということです。
なーにもない田舎の漁村に住んでいたころ、この風景を「大都会」と捉えていました。もっと上の都会を・・・と小倉や博多。それでも足りないから、東京の新宿や渋谷に行きたいと憧れ続け、都心のサラリーマンになったものの、数年で挫折。根っから田舎人なので、都会の雑踏には不向きだったかも知れません。
シーモールや大丸はずっと昔からありました。左側はもともとダイエー下関店。サンヨーのワープロが19800円っ!!と売られていて、人生初のOA機器。1番最初に購入したメーカーがサンヨーだったので、白物家電もサンヨーを好んで買ったのは確か。サンヨーブランドがパナソニック(旧ナショナル)に引き継いだはずなのに今は日立かな。日立は1度購入すると永遠に壊れない頑丈なメーカーなんです。青ヶ島に住んでいると、家電具は空気中に塩分が含まれていて数年でお陀仏になることが多いみたいですが、日立のエアコンなどはもっと長持ちできそうなイメージ。
そっか・・・ここに来れば、関釜フェリー乗り場の近く。初めての外国旅行はここから。韓国語の知識ゼロの状態でガイドも付かず個人旅行。1回目は失敗し、2回目以降はOSが韓国語版のパソコンを購入し、独学でハングルを学び・・・北朝鮮国境付近の都羅山駅や新炭里駅まで自力で行動。しかし・・・長い間韓国語を使う機会がないと忘却してしまい、今、韓国に出かけるとしてもちょっと無理かも。あの頃は好奇心旺盛なので、よく行動できたなって我ながら感心。ジジィになった今もあの頃に戻ればいいですが・・・。
シーモール入り口。10時開店なので、今の時間まだ開館準備中。
大丸の入り口。
本州最西端とはいえ、東京や千葉でも見かけるロゴばかり。
幼い頃、ふてにゃんに連れられてランチはいつもここ。大阪で本店を抱えている「杵屋」なので、うどんつゆは西日本。埼玉県の川越駅改札真上の店舗に「杵屋」があり、あああっ!懐かしい!!とそこで食事したほど。東日本エリアでも西日本のうどんを味わえる全国チェーン店だけど、千葉ではあまり見かけない。店舗情報を見ると、市川駅、松戸駅、イトーヨーカドー幕張店とか、あまり立ち寄らないエリアなのは残念だけど、東京駅八重洲地下でも店舗あり!!
スターバックス下関駅前店でちょっと時間つぶし。小倉でアボカドえびサンドを食べて、下関でもサンドかよ!?
小倉駅名物の「かしわうどん」。うどんつゆはあっさり系の西日本なので、これも懐かしい味になります。小倉駅に来たら、下関行きの電車に時間が余ったら1杯とか・・・。
鹿児島中央駅を出発したのは9月25日。10月から九州に関する記事を連載し、やっと4ヶ月で本州。
小倉を出発するといっても、およそ1ケ月後にまた舞い戻る予定。家族で帰省旅行だけど、北九州空港からレンタカーなので、小倉駅に行くことはなさそう。
下関行きの電車がやってきました。昭和の4,50年代から使われ続けている古いほうの411系。新しいのはステンレス製の415系1500番台だけど、こちらは昭和61年。JR九州自社の電車は斬新なデザインの新しい電車が次々と開発しているのに、本州へつながる電車は依然国鉄車両のままです。JR西日本へ送り込むために交流、直流どちらも使える高価な車両を新しく開発したくないからでしょうか・・・。2,30年以上にわたる人口や鉄道のニーズなどを予測できなかった1987(昭和62)年当時、国鉄分割時に関門トンネルはJR九州、瀬戸大橋はJR四国、青函トンネルはJR北海道所有とすると決定されたみたいですが、経営基盤の強い本州から島国へつながるものとして、本州のJR所有としたほうがよかったかも。
411系のぞろ目。クハ411 111。平成11年11月11日、横須賀総武快速線のクハ111 1111に脚光を浴びました。(今はもう廃車)
九州人はなぜかブラインドが大好き。JR九州は「情熱」の赤色なので、太陽の光も眩しい。それでブラインドを下げる傾向が多いみたいだけど、私みたいな旅人は目を遮られるものは大っ嫌い!!
門司駅。駅名のイラストは九州に関門トンネル。ここはもともと、1891(明治24)年に「大里(だいり)」駅として開業。戦前の技術で本州と九州を繋ぐ海底トンネルを1942(昭和17)年に開通させると、ここが九州の入り口として「門司」に改名。明治時代に開業した終点の門司は「門司港」に改名した経緯を持っています。
門司を出発すると、デッドセクション。交流2万ボルトから直流1500ボルトに切り替えます。門司駅を出発した動力で惰行しながら切り替え。そのときの車内は室内灯が消され、10秒くらい非常灯が点灯。昭和時代の地下鉄銀座線も駅に近づくとポイント切り替えのため瞬時停電。乗ったのは1300形だったと思う。調べてみたら、1949(昭和24)年から1986(昭和61)年まで活躍。廃車になるギリギリ乗っていたことが判明。
故郷近くの駅にやってきました。下関駅。ここのナンバリングはJA53番だけど、起点の博多から53番目とは駅の数が多すぎる。小倉はJA28番とJA51番と併記。博多から28番目であるのは確かだけど、51番は山陽本線につながるための番号。51番小倉、52番門司、53番下関。
下関に到着して、9時31分新山口(旧小郡)に接続。JR九州の電車が小郡まで直通していた頃もありましたが、2005(平成17)年頃、ぷっつりと下関で分断。自社の車両を他社に乗り入れる代わりに、他社も自社に乗り入れ、車両の貸し借りを帳消しにするわけですが、JR九州が下関から小郡まで走行し、JR西日本が下関から小倉までの山陰本線のキハが乗り入れ。どうも不釣り合いになるので、お互い貸し借りするのをやめてしまったようです。
赤いJRロゴから青いJRロゴへ。ずっと昔、何もない漁村に住んでいたころ、赤と青をしょっちゅう往来。現在は東の「緑」のエリアなので、そうだ、赤のところへ!は無理。このポスターは中国ウィルスに対してのJR西日本の取り組み。
9時46分小串行きはノーマルのキハ47だけど、その次は座席を予約してある観光列車。
「下関」の下車印を押してもらい、改札を出場。すかさず、改札横の券売機を確認。
JR西日本のICOCAエリアなら、IC系交通カードで切符を買えます。ここでも対応していれば、山陰や山陽方面の切符をIC系交通系カードで購入可能になる。つまり、山陰や山陽でもIC系交通カードでも買えるはずだと確認してみたところ、な、な、な、なんとICカードは受け付けず非対応。
チャージ機は改札の横にありますと書かれていますが、JR九州が下関駅に間借りする形でスゴカのチャージ機を設置。
この券売機で使えるのはオレンジカード。キャッシュレスの時代なので、ICカードでも使えますと柔軟な対応をしてもらわないと・・・。
下関駅の対面による発売の「みどりの窓口」も時間短縮。11時から15時までの4時間は昼休み。お客さんに対応しない分、内部の仕事に取り組んでいるかもしれません。昔の下関駅は5時から23時までだったのは記憶していますが、働き方改革の影響なのかも知れません。
みどりの窓口が閉まっている時間は、こちらの券売機を使ってくださいって案内されています。
JR西日本管内で急ピッチで設置が進められている、遠隔地のオペレーターと通話できる「みどりの券売機プラス」。
対面式のみどりの窓口と同じく、原券をカメラの読み取り台に置いて、遠隔地のオペレーターさんが映像を確認し、新たに発行替えとなる乗車券などを発券し、原券は上にあるポストに入れるようだけど・・・・。入れないで再利用する悪い輩がいるかも。合理化が進みすぎると、さっきのような悪用する輩が増えてしまわないか懸念もあります。対面式の「みどりの窓口」のほうが安心。
例えば、私のように複雑な経由を組み込む乗車券を発券して欲しいとオペレーターさんに伝えるのに、「鹿児島中央から東京都区内まで。これから経由を言います。かなり、長くなります。ひとつひとつずつ的確に操作をお願いします。まず、鹿児島中央から鹿児島まで鹿児島線。鹿児島から大分まで日豊本線」「はい」「大分から熊本まで豊肥本線、熊本から原田まで鹿児島線」「はい」「原田から折尾まで筑豊本線。折尾から門司まで鹿児島線」「はい」「門司から幡生まで山陽本線、幡生から長門市まで山陰本線」「はい」」「長門市から美祢線で厚狭まで。厚狭から新幹線で東京。この経由で乗車券を発券してください」「はい、わかりました。確認のため、私からも経由欄を言います」こんなふうにやりとりしないとあかんだし、もう・・・対面式のみどりの窓口であらかじめメモした経由欄を見ながらの操作はてっとり早いかも。みどりの券売機プラスを西日本管内で増え続けるのは反対!
西小倉でスゴカをタッチすると、設定しておいたオートチャージ1万円加算。JR東日本エリアで消費するといっても、今は中国のウィルスのせいで世界中に多大なる犠牲をもたらし、しかも日本でも1都11県を対象に緊急事態宣言が出ている。こんな御時世なので、再び趣味活動に制限が・・・。
世界に甚大な迷惑をかけている中国が大っ嫌い、MADE IN CHINAも嫌い!と言いつつも、料理だけは別。今、食べたい気分は中華料理。職場でもいつも頼んでいる出前屋さんも、中華系のお店。去年までは、出前の注文受け、各店舗へ電話、ウェイター、各店舗ごとの会計、出前屋さんへの代金支払い・・・皆さんのお腹を満たす完璧なメシアシ。
今は違う職場に変わり、ウェイターだけで随分楽になりましたが・・・電話をする当番はいつも新入社員の若い子が変わる変わる。ある日、「汁なし担々麺」をオーダー。寒い日でも、常温なので、全然問題なし。ちょいピリ辛さがくせになる味。注文したはずなのに、なかなか来ないんですよ。電話当番の若い子に「ねえ、〇〇〇さんのとこに電話した?」と確認すると「申し訳ございません。うっかり失念しておりました」「〇〇〇っていうお店は何度も電話をしても、なかなか出てくれないんですよね・・・」その子は何で知っているんですかっ!?って表情をしていたので、「まあ、前のところにいたときは毎日私があの店に電話をしていたんですよ・・・シェフとおばちゃま2人で切り盛りしているお店なので、10コール以上でもなかなか出ないときは、いったん、切ってすぐリダイヤルすると、おばちゃまが「はーい、〇〇〇でーす」ってすんなりと出るんですよ。さっきかけたときはなんで出てこないんだ!?とずっこけそうになりましたけど、あれはたぶん、お待たせしましたって謝らなきゃあかんなので、鳴り止んで次に鳴ったらさっきとは違う人と思ってすぐ出るからくり。もう・・・こっちは忙しいから長く鳴っていても早く出ろ!なんですよね」「はい、わかりました。今度からめげずに出るまで挑戦しておきます」
〇〇〇というお店だけではなく、常連になっている他の出前屋さんの性格もすべて把握。
出前屋さんも電話受付ではなく、「LINE受付はじめました」だったら、すごく便利になるかも。注文内容をLINEで打ち込み、送信。「既読」の表示が出ていれば受付済。人気殺到メニューのものはあっという間に売り切れになるので、「申し訳ありません、〇〇〇は売り切れになりました」と打ち込んで返事すれば事足りるし、双方、電話でやりとりする時間も省ける。注文内容がLINE内で残せるので、聞き間違いとかも防ぐ。りーん、りーん、りーん、りーん・・・・ひっきりなく注文の電話が鳴りっぱなしでその都度対応しなくていい分を仕込みに回せるメリットも多いかも・・・。
ホテルの窓からが新幹線ホームが見えます。
夏から秋への変わり目、9月終わり頃。改札真上の屋上ではまだビアガーデン、バーベキューをやっていました。
ふわふわとしたベッドなので、快適な眠りに入り・・・翌朝の風景。ずっと向こう側は日本海になります。
ホテルは素泊まりプランで予約したため、朝食は出ません。その代わり、小倉駅のサブウェイで朝食。subwayは地下鉄という意味になりますが、なぜサンドウィッチの店名になっているのか・・・。アメリカに本店があって、国内の主要都市なら店舗を構えています。subwayのあるところは都会の象徴だけど、うちの住んでいるところは店舗無し。スターバックスがあるだけでもまだマシなほうかな。
好きな具材を選んでオーダーするシステムのようなので、組み合わせの内容をメモに書いて店員さんへ渡すと、店員さんもポケットからメモを取り出して、どのようになさいますか?とかの筆談。来客者は耳が聞こえない方なので、筆談で応ずるコミュニケーション能力が高い店員さんでした。
朝食後、下関行きの電車までたっぷり時間が余っているので、「あっ!そうだ!山陰本線の臨時列車、〇〇のはなし号の座席変更だ!」と、JR九州小倉駅みどりの窓口内にある、MV機(みどりの券売機)に指定席券を差し込み。
JR九州ネット予約したときに、シートマップなるものが表示されず、何度も座席変更を試みても、山側の座席を移動しながらの変更。もう・・・私は海側、すなわち、偶数番の座席が欲しいのに!!」とあきらめ、1号車5番A席を確保。シートマップが出ないので、コンピュータが「あんたが窓側をリクエストしているのなら、A席なんでしょ!!」とコンピュータが山側を指定。「もう、そこは山側なんでしょ、海側に変えろ!」と操作しても、いつも決まって山側。
MV機に指定席を吸い込まれ、変更手続き。普通ならシートマップなるものが表示され、好きな座席を選べるのに、MV機が勝手に変更後は1号車9番A席ですとぺっと機械から吐き出し。
眉間にしわをよせ、じけじけと眺める。9番はね・・・・奇数なので同じく山側なんでしょ!!とすぐみどりの窓口のお兄さんに「MV機って、シートマップが出て自分で座席が選べるって思ったんですよ。それができなくて、勝手にそれが出てきたんです。海側の座席に替えたいのでできますか」と懇願。
「はい、いいですよ」とすんなりと快諾。タブレット端末を取り出し、〇〇のはなし号の座席はどうなっているか確認。マルスをたたき、タブレット端末に表示された海側の12番D席が空いています。その座席でいいですか?って聞かれ、「おおー!それでお願いします!!」とリクエスト。
¥***の指ノミ券を発券。とびっきりの笑顔になり「ありがとうございます!」とお辞儀。観光列車はネットで予約しても座席の構造が複雑なので、シートマップが出ないのがネック。出発前に座席を変更したいときはMV機ではなく、対面の「みどりの窓口」で確認したほうが良さそうです。小倉駅ーR3発行。小倉駅の3番窓口を意味しますが、R3は今年の令和3年そのもの。JR九州のMR52型は平成末期の28年頃にデビューし、次の元号となる「令和」がまだ未発表なのに〇〇駅ーRと指定。旧機種は「MR」の表示、そのまま引き継ぐことはなく「R」とした意図は・・・??ちなみにJR西日本、JR東日本は「F」、JR四国は「M52」、JR東海およびJR北海道は「MR」。「E」はJR東日本のみでOKI電気のME4端末。