クソ忙しいのに、スマホの着信電話。ドコモの見える電話(音声を文字に、文字を音声に変換する)ですが、自席で電話するわけではないので、少し離れた場所で電話に出ました。知っている人だったら、名乗るけど、知らない番号なので、名乗らず。クレジットカード会社から名乗る方で「〇〇〇〇さまでいらっしゃいますか?」私の名前で間違いなので、「はい、さようです」またクレジットカードの不正利用検知の電話なのか?と頭をよぎり、話を聞いたら、「カードローンについてお電話差し上げましたが、今少しお時間よろしいでしょうか」丁寧にお断りして切りました。そういった、必要のない電話は非常に迷惑です。数日前にカードローンキャンペーン契約したら2000ポイント!!とダイレクトのはがきが届いたのを思い出し、あの電話かよ・・・。契約してくれと必死に電話をするみたいだけど、大抵の人は勤務時間中で暇な人ではないことをわかってくれよな!!
寄居を出ると、今度はアイスクリームの販売です。アイスクリームの種類は5,6種類。ブルベリーが好きなので、ブルベリーに指差して購入。現金だけではなく、キャッシュレスのpaypayも対応。昭和イズムの秩父鉄道のはずなのに、今の時代にふさわしく柔軟な対応をしていただけるのは大変ありがたい。同じく昭和イズムの小湊鉄道も見倣って欲しい。
まるで新幹線の車内で販売される「シンカンセンスゴイカタイアイス」のようです。差し込んだとたん、プラスチックのスプーンが一部欠けてしまいました。
なるほど、秩父鉄道本社のお膝元、埼玉県熊谷市で製造されたものでした。固かったけど、時間が経てば少し柔らかくなり、美味しくいただけました。
アイスをいただきながら、真夏の長閑な風景を堪能。
次の停車駅は、長瀞駅です。ネットで予約した弁当の出前が行われるんですけど、配達員は誰なのか、代金のやりとりはどのように行われるか気になるところ。
C58のボイラーの傍らにあるもの。これって何だろう・・・?
蒸気を発生させるための燃料室はこちら。
現在、日本で石炭が採れるところは北海道の炭田のみになりました。昭和時代なら、福岡県の筑豊地区にたくさんの炭山があり、その輸送のために網の目のように鉄路が敷かれていました。閉山となった今は、国鉄時代末期に廃線。一部はJR九州に引き継いで廃線となった路線もあります。
山口県美祢市にある大嶺もかつては炭山なので、明治時代に厚狭から大嶺まで鉄路が敷かれ、南大嶺から長門市まで線路が出来ると南大嶺から終点大嶺までの2.8キロは「大嶺支線」と呼ばれていました。1997(平成9)年、廃線直前のダイヤは1日6本の長閑なところでした。明治時代に建てられたという貫禄にある大嶺駅に魅力を感じ、東京から1000キロも運転し、美祢インターを出るといつも大嶺駅に立ち寄り。そう、かつての炭山があった大嶺駅では、多くの人で賑わっていたのに、閉山後は急速に過疎地に・・。
1997(平成9)年3月31日に大嶺支線の廃線が決まり、わざわざ東京から最後の大嶺支線に乗りに帰ってきたとき。長門市駅#発行のマルス券になっていますが、当時はWindows NT3.5搭載の熱転写式MR12型。のちに、MR32、そしてMR52も配備されましたが、2021(令和3)年1月31日に直営駅でありながら、みどりの窓口閉鎖。その代わり、リモートの話せる券売機設置。バリアフリーに対応しており、リモートで筆談や外国語も対応可能です。
蒸気で発生したエネルギーで動輪を動かします。100年以上前の発明なんですけど、本当にすごいなあと思います。今の時代だったら、すぐ電気のモーターに頼りがちなんですが・・・。
この動輪を見ながらジローさんの手話語りを回想。「うちのオカン(私から見れば祖母)って、耳の聞こえない人は危ないから出かけてはいけませんと箱入り息子のように取り扱われ、非常に不満だった。俺だって何でもできることをアピールしたくて、長門二見から京都までのきっぷを買った。当時は三等、二等、一等があって、三等が一番安い。二等はまあまま高い。一等は豪華な座席なので高いんですよ。カネがないので、三等で。山陰本線はD51だけど、山陽本線は動輪直径がちょっと大きいC62だったんですよね。山陰本線のD51はまどろっこしいけど、山陽本線のC62はかなりスピードもあって京都まで夜を徹して疾走してくれたんです」「無事に京都に行けたんですか?」「そうですとも、京都に行った証となるお土産をオカンに見せてぎゃふんと言わせたな~」20代頃の話なので、鉄道省が日本国有鉄道に改めた昭和24(1949)年以降の話になると思います。
国鉄時代、宗谷本線から九州の鹿児島本線、日豊本線も全国津々浦々、夜行列車が活躍していた時期もありました。夜を徹して、石炭をくべる助機関士さんとペアになって、ひたすら目的地まで操縦とはかなり労力が必要だったかも知れません。
平成の末期にできたばかりの、ふかや花園駅停車。
さくらがわ駅通過。蒸気機関車はそんなにスピードを出さないので、通過する駅名も撮れています。
寄居駅でしばらく停車します。
後ろにぶらさがっている車両は電気機関車。もし、蒸気機関車が故障した場合に備えて連結しているかと思います。パンタグラフは下がっているので、完全に蒸気機関車が牽引。
9月22日(金)の1日限定でSL58654号が18年ぶりに豊肥本線で走行しました。58654号は1922(大正11)年に製造され、国内で最古の現役SLですが、残念ながら2024(令和6)年3月をもって引退することになりました。SLの後ろにディーゼル機関車のDE10が連結されていたのはおそらく立野駅の急勾配、スイッチバックの走行時にDE10機関車も補助として動かしている可能性はあります。
運転席のところへ行ってみました。
電気やディーゼルに頼らず、蒸気のみで動かすものなので、配管だらけにいろんなメーターもついています。
今の時代、SLはもの珍しさもあるのか、寄居駅でも、撮影会。
パレオエクスプレスの熊谷発三峰口行きの停車駅は、ふかや花園、寄居、長瀞、皆野、秩父、御花畑の6駅のみで要所時間はおよそ2時間半です。急行だったら、1時間半ですが、余計に1時間かかるSLはゆったりと流れる車窓の風景を楽しむことができます。
私の席は13A。
2時間半かかるので、念のため飲み物を用意してしまいましたが、車内販売もあるし、寄居(12分)、長瀞(9分)、秩父(8分)での停車時間が長いので、駅の自動販売機で購入可能でした。
SLの機関士さんが急発進、急ブレーキを避け、ガクンといった振動をしないように、ゆっくりと動輪を動かし、駅に停まるときもちゃんと計算したうえでブレーキ。今日はガクンとしない、寝台特急並みの技量でした。静かで滑らかな動き、素晴らしい。
国鉄時代、山陰本線のDD51ディーゼル機関車が牽引するレッドトレインの50系客車で通学するのが日常茶飯事。運転が荒っぽい機関士さんに当たってしまうと、急にハンドルを動かすのかディーゼル機関車が急発進。そうすると、後ろの客車はガクッガクッ!!と連結器伝いで衝撃な振動。「今日の機関士さんはイライラしているのか?」と思ったほど。当時は親方日の丸の国鉄なので、どなたも文句言えず。
国鉄時代によく見かけた、行き先のサボ。サボといっても、鉄道用語。今のようなインターネットがなかった国鉄時代、少ないビット数で通信ができるようにカタカナだけの電報略号がよく使われていました。サボはさぼりの「サボタージュ」を意味するのではなく、「サインボード」を2文字にしたのでは、という諸説もあります。
JR西日本の山陰本線ではキハ40や47が活躍する国鉄王国なのですが、行き先表示はすべてLED表示に変わりました。昔は下関駅で山陰、山陽、九州各方面のサボを差替える職人さんがいましたが、今はもう役目を終えています。
ところが、JR北海道ではキハ40をJR西日本みたいにLED方向幕を取り付ける余裕がないのか、現在もサボが使われていますが・・・最近、サボを差し込まない函館エリアのキハ40が増えているとか・・・。記事は こちら。よく利用される地元の方なら、サボがなくても行き先は頭の中でインプットしているかも知れませんが、私のような道外からの旅行者だとぱっと見てどこに行く汽車なのか判別できず躊躇してしまいそうです。
うちの指定席はここ。秩父鉄道はかなりIT化が進んでいるので、スマホまたはパソコンとクレジットカードさえあれば、国内だけではなく世界どこからでもシートマップの予約状況を確認しながら指定席の予約が可能です。指定席料金は1000円。JRだったら、ネットで予約しても最終的に駅で予約した内容のきっぷの発券が必要ですが、こちらはスマホのメール本文が指定席券代わり。
この車両はもともと国鉄が昭和44(1969)年から製造された急行型座席客車の12系客車。国鉄がJR東日本に継承し、秩父鉄道に譲渡しました。12系が出る前は、戦前に製造されたオハ33やスハ42が使われていました。山陰本線も自動ドア付きの50系レッドトレインが出る前は戦前の古めかしい客車が使われていました。自動ドアではないので、かなり危ない車両。もし、今もオハ33やスハ42だったら、冷房もなく蒸し暑い車内になりそうです。
C58363
1944(昭和19)年2月 兵庫県の川崎車輌で製造後、東北地方の釜石機関区をはじめ、仙台、長町、小牛田、石巻、郡山など東北地方各所で活躍し、1972(昭和47)年、国鉄の無煙化により、廃車。引退後は国鉄から吹上小学校に貸与する形で動態保存。1987(昭和62)年、車籍復活。
秩父鉄道で運転が始まったのは1988(昭和63)年からなので、今年35年目になります。
国鉄で活躍していたのは1944年から1972年までの28年間、休止期間は16年間、秩父鉄道35年間、あわせると、もう79年目。
こちらはボイラー。水を石炭で加熱し、車軸を動かすエネルギーの蒸気になります。
運転室の後ろは炭水車。多量の石炭や水が積まれています。
三峰口に着く頃は山ほどあった石炭はなくなりそうです。電気や軽油に比べるとどのくらいの経費がかかるかわかりませんが、SLのほうがすごくかかりそうです。
蒸気機関車の人気っぷりはすごいです。動力源は石炭でお湯をわかして発生した蒸気がエネルギーになって車軸のピストンを動かす仕組み。北海道から九州までこんなに手間がかかる蒸気機関車が活躍してた時期もありました。
蒸気機関車がバックして入線するかと思ったら、電気機関車が牽引。
機関士さんと、石炭を入れる機関助士さん。2人でペアになります。こんなに炎天下、エアコンのないさなか、ボイラーから出る熱もあって過酷な職場環境なのかも。
タバコの煙は非常に不愉快ですが、この煙は昭和の懐かしい香りが漂います。
煙がおさまり、撮影タイム。
7月29日の朝。ホテルの朝食バイキングで好きなものを選んで・・・。
この日も朝から気温がぐんぐん上がり、猛暑日です。汗だくになり、熊谷駅へ。
10時15分ギリギリではなく、余裕をもって30分前に駅に到着。秩父鉄道はかなりIT化が進んでおり、SLの予約はクレジットカード決済のインターネット完結。しかも、SL車内で販売するお弁当もネット予約すれば、当日は座席まで出前してくれる優れもの。配達してくれたお弁当代の支払いは、スマホでPayPay。ホンモノの昭和イズムは現金専用の小湊鉄道。
きっぷもICと印字されているので、SLの終点、三峰口駅まで交通系ICカード決済。例の自動改札機はICカード専用機なので、きっぷを駅員さんに提示しながら通り抜けます。自動改札機を通過したことを示すパンチ穴はありません。
急行羽生行きは、元西武鉄道の101系。これも昭和レトロ車両のひとつ、西武秩父線開業に合わせ、1969(昭和44)年から数年間は製造されたものです。山岳路線向けとして開発されたものなので、秩父鉄道にはマッチしているかも知れません。
首都圏私鉄の「急行」は無料ですが、秩父鉄道の「急行」は急行券が必要です。大人210円、子ども110円。野上~長瀞間、秩父~影森間のみをご利用される場合は、急行券は不要です。
急行券を用意できずそのまま乗ってしまっても、車内で急行券を購入することになっていると思いますが、車掌さんは大忙しでは・・・。
なーにもない山口県の漁村で暮らしていた頃、急行に乗るのに50キロまで520円(消費税3%時代)の急行券が必要でした。東京で暮らすようになり、私鉄の「特急」「急行」「準急」「特別快速」「快速」「各停」など種別の多さに驚かされ、「急行」は急行券が必要だと勘違いしたことも。
東武や西武の特急は豪華な車両が使われているので、特急券が必要ですが、京王、東急、京急、京成の特急は普通のロングシートなので、特急無料。
せっかく、ここに来たのならご当地メシにしたいんだけど、駅前では該当するものはありません。
サイゼリヤは全国チェーン店なので、パス。水産もありましたが、熊谷は埼玉県の北部にあり、海からちょっと遠い。自分へのご褒美にステーキでもしますか。
肉だけだと栄養が偏るので、オクトパス付きのサラダもオーダー。おそらく、タコを食文化としていない、モーリタニアからの輸入されたものだと思います。モーリタニアでは、見た目の気持ち悪さから食べる習慣はないとのこと。日本でも、クラゲは見た目気持ち悪くて食べ物ではないと認識していますが、中国では食材とされていると同じ感覚なんでしょうか。
7月に入ってから慣れない仕事でほとんど残業続き。1円たりの誤差とか書類の不備とか、かなり神経を使います。7月の終わり。やっと、その一区切りが終わったばかりなので、キンキン冷えた冷たいものをオーダー。
ステーキ屋さんなので、スープもお肉入り。
ステーキ屋さんの窓の外。カワラバトちゃまが休憩中。
うちのキジバトちゃまも、人に懐いてくれればいいのに。エサちょうだいって竿のところに来てくれますが、頭をなでなでしようと思っても逃げられてしまいます。
お手頃な値段なので、国産ではなく、海外からの輸入品だと思います。ちょっと硬かったんですけど、美味しかったでした。ごちそうさま。
秩父鉄道の熊谷駅改札口。自動改札機が設置されていますが、すべてICカード専用。紙のきっぷは有人通路を利用するのかと思ったら、自動改札機の上にあるきっぷ回収箱に入れてくれ、と。きっぷ印字面の金額を確認しなくてもいいのかと思いながら通り抜けてみましたが、通せんぼの扉は開いたままです。フル規格の自動改札機に見せかけた簡易改札のようです。
ICをタッチすると、運賃のとおり徴収するけど、紙のきっぷは例えば初乗り運賃のきっぷを回収箱に投げて通り抜けることもできるので、キセルされるのではないのですか。もしかしたら、回収されたきっぷはすべて正しい運賃の実績があるので、チケットキャンセラー(お客さんを信用して、きっぷを確認しない)方式をとっているかも知れません。
熊谷駅は新幹線停車駅なので、コンコースも広くて長いです。
今の時代、対面販売式の「みどりの窓口」がかなり減り、その代わりにリモートの「話せる券売機」または指定席券売機の設置が急速に増えています。今年の9月からJR東日本の「指定席券売機」で他駅発の500円以下となる、きっぷは発券できないようになっているとのことです。例えば、新宿駅で大分県の日豊本線にある「重岡 → 宗太郎」のきっぷをリクエストしても、券売機が重岡は他駅発、運賃は230円と判断していれば、買えないことになっています。
心なき鉄道ファンのキセラー対策として、そのように設定を変えたらしいです。キセルの手段はあえてここで書きませんが、以前から気になる案件。
JR九州の小倉駅もとなりの西小倉まで170円区間の発券枚数に対し、西小倉で回収できたのは全体の1割。残りの9割は自動改札機の扉を開けてもらうための投資、といった、ふざけた使い方をする心の廃れた方が多数。そのため、券売機の170円ボタンを一時的に消した経緯がありました。出所は、こちら。
7月28日の17時30分現在の気温は33度。今までエアコンが効いている電車で移動していたので、急に暑い世界を歩いていたら、汗が滝のように吹き出てしまいました。熊谷は、日本一暑い都市として知られているとおり、夕方になっても炎暑。30度を超えるような日があまりないところは北海道かなと思いましたが、旭川や帯広では35度の実績あり。30度を超えないところは、意外と首都圏の近くにありまして、なんと118年間、「猛暑日なし」と記録されていいる千葉県勝浦市。新聞記事は こちら。
日本一暑い都市にふさわしく、ミスト噴出中。熊谷駅は新幹線停車駅とはいえとも、駅前にホテルがなく、最短距離で600m。たったの600mとはいえとも、着いた頃は汗びっしょり・・・。チェックインして、指定された番号の部屋に入ると、たばこのにおいが猛烈。もしかしたら、見誤って喫煙可の部屋を予約してしまったかもとスマホで予約内容を確認すると禁煙で予約しているので、再びフロントに戻り、クレーム。誤って喫煙可の部屋を渡してしまいましたと禁煙ルームのキーに取り替え。取り替えてくれた部屋は、たばこのにおいもなく快適。愛煙家はそういったヤニ臭さの部屋でも平気で過ごせると思うのですが、吸わない人だと刺激が強いのは確か。
この駅ができた1901(明治34)年当時、武川村なので、駅名もそのようにしたとのこと。武川村、川本村、川本町を経て、2006(平成18)年から深谷市。
ひろせ野鳥の森駅。2003(平成15)年開業の新しい駅です。野鳥の森という駅名なので、いろんな野鳥が集まってくると思いましたが、なかなか見当たりません。うちの家だったら、野鳥のキジバトちゃまがえさをねだりに来ていますが・・・。
石原駅。ここではふつうに「いしわら」と読みますが、京都府内にある山陰本線の石原駅は「いさ」と読む難読駅。
やっと、今夜の宿、熊谷駅に到着。
こちらは、国鉄の101系が廃車になった頃、代わりに東急線のお下がりがやってきました。カラフルな色帯なので、新しそうに見えますが、1980(昭和55)年製造なので、もう、よんじゅう・・・さん年目。東急は「東京急行電鉄」の略だと思っていましたが、2019(令和元)年9月2日に社名変更が行われ、「東急電鉄」が正式名称になりました。
寄居を出て、となりの駅、桜川駅です。駅名票の左下にある次の駅って・・・
「おまえだ!」という、なかなか面白い駅名。
おまえだ駅舎。
漢字にすると、「小前田」駅でした。
小前田駅を出ると、ふかや花園駅。秩父鉄道の歴史はとても古く、レトロっぽい駅舎が続くのに、ここだけは自動改札機もあったりして新しいです。調べてみたら、この近くに2022(令和4)年に開業したばかりの「ふやか花園プレミアム・アウトレット」という商業施設があり、「ふかや花園」駅は先行し、2018(平成30)年設置。まず、駅を設置し、建設工事が行われたようです。
そういえば、千葉県のイオンモール幕張新都心の最寄り駅、幕張豊砂駅が2023(令和5)年3月に開業。こちらはまず2013(平成25)年にイオンモール幕張新都心ができて、後から新しい駅ができたわけですが、ふかや花園駅はアウトレットモールが出来る前に先行開業。まだまだ続きは長いです。今日はこの辺で・・・。
昭和イズムであるはずの秩父鉄道だというのに、パスモ鉄道事業者に加盟していますので、今はキャッシュレスで電車に乗れます。首都圏で残る昭和イズムの鉄道業者は千葉県の小湊鐵道、いすみ鉄道かな。小湊鐵道でも最近は無人駅に自動券売機が設けられていますが、現金オンリー。ICカードできっぷが買えるように改造してくれれば・・・。
これから向かうところは、18.9キロ先の熊谷駅です。
令和時代にふさわしく、駅名票も新しく鳴っていました。昭和を死守する小湊鐵道は国鉄様式の駅名票です。
やってくる電車は、昔活躍していた国鉄101系(昭和32年にデビューした国鉄初の新性能通勤型電車)だったら嬉しいんですけど、もうとっくに9年前(2014(平成26)年3月23日)に中央線のオレンジ色の戻した車体でラストラン。その後廃車になってしまいました。
やってきたのは・・・どこか見覚えのある車両でした。なんと1972(昭和47)年に製造された旧都営地下鉄三田線の6000系。秩父鉄道に車両を譲ったときに5000系と改番。
ずっと昔、三田線といえば板橋区の高島平から三田(山手線田町駅)までの区間だったのに、現在の路線図を確認したら、目黒まで開通しており、東急目黒線に直通し、新横浜までつながっています。相鉄線にも乗り入れ、三田線経由海老名行きも。千葉の田舎に転居してから何十年経ちますが、首都圏鉄道路線図の目まぐるしい変化に驚愕。
何もない漁村で過ごしていたころ、なぜか地下鉄は都会の象徴なので、乗るのが好きだった。都心を移動するのに地上のE電よりも地下鉄を選ぶとか・・・。E電という言葉はもはや死語になっていますが、国鉄時代に長年も親しんでいた「国電」がJRになっても「こくでん」と言えずに、JRーEAST(東)のEを取り、「いーでん」と呼んでくださいと宣伝はあったものの、なかなか定着できず結局「ジェーアール」になってしまいました。都営地下鉄の懐かしい車両で熊谷までしばしの旅です。
7月28日なので、緑も濃くなっています。
荒川を渡って、寄居駅。東京23区内の中で1番マイナーなところは荒川区と言われているらしいです。荒川区内に山手線は通っているかと聞かれたら、思わず「通っていない」と答えてしまいそうですが、実際は通っています。西日暮里駅、日暮里駅は荒川区内。
寄居駅に到着し、下車。ここは埼玉県大里(おおさと)郡寄居町。群部に鉄道路線が3つも乗り入れるのは非常に希だそうです。
ここで大勢のお客さんが降りて行かれました。大半は東武線または秩父鉄道に乗換えでしょう。
寄居駅の改札口。駅舎は秩父鉄道が所有しており、東武鉄道、JRは間借りしています。改札口は各社ごとの簡易改札機が設けられています。例えば、JRから東武線に乗換えるのに、JRの簡易改札に出場タッチして、改めて東武線の簡易改札機に入場タッチ。
対面販売でもIC系交通カードに対応しており、秩父鉄道の駅員さんが発券。パスモだけではなくJR各社のICカードでも決済可能。
小川町駅前の風景。のどかな田舎です。
ここから寄居まで東武線とJR八高線どちらも行けます。地図を確認すると、無駄に一緒に並行するのではなく、それぞれ違う場所を通って再び寄居で一緒になります。
東武線は寄居まで270円、JRは240円。東武線は本数が多くて便利なのに、JRは・・・
13時58分の次は16時15分。2時間以上も汽車が来ない時間帯もあります。
東武線の寄居方面ホーム。池袋または相鉄や東急線、東京メトロからやってくることはなく、東上線の運行系統はここで分断されます。小川町から寄居までは4両または6両編成で運行。
東武線は駅名票などは池袋からずーっとここまで統一されていて、都会的な装いですが、JR八高線だと地方ローカル線のムード満載。
16時15分発の汽車がやってきました。群馬県の高崎行きですが、寄居までしばしの旅です。