グーグルマップで周辺を確認すると、駅からおよそ200メートル先に泰阜(やすおか)小学校、中学校があるはずだけど、この道で本当に合っているか不安。
ものすごく獣道になっていて、生活感が全く感じられません。
あまり遠くまであちこち歩くと遭難してしまいそうなので、とりあえず、ここまで。何々集落行きとかの目印になるような看板はありませんでした。
またここに戻ってしまいました。喉が渇いたと思っても、周辺に自販機無し。そんなときに備え、平岡駅で購入したペットボトルの水は重宝します。小和田駅もそうだけど、岡谷駅で何本か用意。何時間も電車に揺らされると常温に戻ってしまいますが、夏場は熱中症にならないためにあらかじめ用意した方が良さそうです。
ん!?家のような建物が見えます。
天竜川を挟んで対岸側なので、田本駅利用者の家とは言えなさそう。ここは泰阜村だけど、あそこは阿南町。
ここが駅の出入口。改札口になります。
豊橋行きの電車まであと30分の待ち時間。奥の待合小屋で水を飲んだりゆっくり休憩。臨時の急行秘境駅号が運転される日は乗客の安全確保のため、ここでも数人の要員が配備されます。「急行」は主要駅しか停まらないはずなのに、こちらは秘境駅ばかりまめに10分~20分停車。すべての秘境駅を効率よく回れる電車だけど、駅に電車が停まっている間は大勢のお客さんが駅の物珍しさで降りて行かれるので「秘境」の雰囲気は半減されます。発車する直前ならすべての乗客は駅に取り残されることはなく車内に戻っているので、その間に誰もいない状態で撮影するしか・・・。
田本駅ホームで上を見上げたところ。今の時代にふさわしく、LED照明になっています。
取り付けてから長年も経っているのか、色褪せています。「たもと」と、うっすらと文字が見えます。
山奥の断崖絶壁だけど、青ヶ島の三宝港も断崖絶壁。しょっちゅう崖崩れの落石で道路が塞がるため、崖から引き離した空中道路の青翔橋を2007(平成19)年開通。ここはしっかりコンクリートで施工されているので、落石のおそれは無さそうです。
ここが田本駅改札口。豊橋側のホームの端っこにあります。ここに切符入れの小さなポストが掛けられていますが、飯田線は車掌さんが徹底的に検札やきっぷ回収をしているので、人間自動改札機そのもの。たぶん、ポストを開けてもきっぷは人間自動改札機に回収されているので、1枚も入っていないかも知れません。
ここが改札口の通路なんてすごすぎる。日本一秘境駅の小幌駅は改札口というところはありません。小和田駅は有人駅の名残なのか、改札口跡はあります。
あそこの階段を登って・・・・
あそこに向かいます。そうしますと・・・・
眼下に田本駅全景が見えるようになります。急行秘境駅号も田本駅に停まりますが・・・人がわんさか~。青空改札口も大行列の状態だったけど、今回は秘境駅を独り占め。それにしても、まわりに人が暮らしている民家が1軒もない小和田駅もそうだけど、何のためにこの駅があるんでしょうか。
為栗駅は秘境駅だけど、となりの温田駅は開けた街並みが見えるようになります。
泰阜村だけど、特急が停まる無人駅。
ん!?気になるお店が・・・!?
拡大してみました。
昔のブルートレインを連想してしまいそうな「鉄道」。鉄道関係グッズが置いてあるんですかね・・?「文具のクボタ 温田」で検索してみると電話番号はヒットするが、営業をやっているかどうかは不明。土日はお休みなので、シャッターが閉まっているだけなのかも。
温田を出ると、次は田本。平岡駅を出た直後、私をロックオンした車掌さんが再びやってきては「まもなく、田本です。乗車券を回収させていただきます」(心の中で「えっ!?さっき乗車券見せたので、下車時は持ち帰り可能かと・・・山口県の山陰本線ではワンマン実施前では全列車車掌さんが乗務。山口県は「まっとうにやり抜く」という県民性なので、車掌さんは検札が大好き。きっぷに「い」「ろ」「は」などの鋏痕を残したら、下車時の回収はなかった。ここでも同じかと。「あの、すいません、記念に持ち帰りたいんですが・・・」「そうですか。少々お待ちください」と言いながら後ろの車掌室へ小走りで。また戻ってきて、律儀に検札スタンパーで入鋏済。
ありがとうございます 豊橋運輸区 でした。午前中なので、再利用のおそれがあるとして乗車済を示すためだと思いますが、田本に2度も用事はないんですけど・・・。むしろ、乗車または下車のお印としてスタンプがあったほうが嬉しいです。
田本駅到着。断崖絶壁のふもとに駅ホーム。
電車が行ってしまいました。
電車が出ると、しんと静まりかえった駅。
人は私以外誰もいないんですけど、小さな蟻たちが蠢いています。こんな秘境駅だというのに近くに蟻の巣があるらしい。
天竜峡方面。
こちらは豊橋方面。いったい、出口はいずこに!?過去に1回、急行秘境駅号で訪ねたときは、豊橋側に出口があったのは覚えています。
天竜峡行きの電車がやってきました。朝一の豊橋発6時の電車が8時31分平岡駅到着。93.8キロの要所時間は2時間半。6時頃何をしていたかと言いますと・・・まずは朝ご飯。その後、4階の温泉で朝風呂。
駅直結なので、出発時刻の10分くらい前にチェックアウト。
平岡駅を出た直後。天龍村の中心地なので、住宅が密集。
次の駅も、4.7キロ先の為栗駅です。要所時間は6分。
平岡駅で乗ってきたお客さんの特徴を覚え、速攻で行き先をお伺いし、携行POSで発券。
今度は私のところで「きっぷはお持ちですか~」とのことなので、提示。「たもと、ですね。ありがとうございます」とお辞儀されましたが、(この人、田本で降りてどうするつもりなんだろ?)って思われたかも知れません。
川の色がすごく綺麗です。
おそらく、青く見えるところは深いところになっているかも。
為栗駅。ここでも秘境駅です。この先も秘境駅が続きますが、特に田本駅は断崖絶壁に佇む場所として、秘境駅度は上位にランキングされています。
昨日通ったばかりなんですけど、再び通ります。都区内から都区内ゆき、一周するような乗車券だと小和田で下車すると反対方向へは逆戻りはできません。それで、別途乗車券をあらかじめ用意。
片道 小和田 → 平 岡 昨日のうちに使用。
連続1 平 岡 → 田 本 今回行使
連続2 田 本 → 小和田 田本から帰りに都区内から都区内ゆきのきっぷに接続
豊橋18時20分発の特急ワイドビュー伊那路3号飯田行きが20時15分平岡駅停車。しかし・・・誰も乗っていないガラガラな状態で発車。
もしかしたら、運転士と車掌さん2名で飯田まで空気輸送!?JR東日本は来年3月ダイヤ改正で中国ウイルスの影響により、首都圏も含めて東日本全域を対象に本数を減らすそうです。この特急も秘境駅ばかり続く駅を通過して飯田までではなく、乗客が見込めそうな本長篠あたりまでにしたほうがいいのでは・・・。
23時。平岡駅の夜間停泊。翌朝、平岡駅発は6時20分伊那松島行き、6時48分豊橋行き。乗務員専用の宿泊室が備え付けているはずなので、もしかしたら、この旅館のどこかにあるかも知れません。
根室駅5時31分発も夜間停泊。根室駅の事務室で泊るのではなく、乗務員宿泊室になると思います。
全国で1番秘境って言われている夜間停泊は備後落合駅。周辺にコンビニや飲食できるお店も全くありません。翌朝6時の出発に備え、なーにもない秘境の備後落合駅で宿泊。漆黒の暗闇にしんと静まりかえったところなので、そこで泊るなんて心細いかも。
翌朝。夜間停泊した電車が2本到着。上下出発に備え、待機中。
運転士さんもゆっくり寝る暇も無く、タイマーセットしておいたベッドが起き上がる自動起床装置が作動し、出勤。特に始発を担当する運転士は朝寝坊しましたとは絶対にできないので、音が鳴る目覚まし時計ではなく、ベッドが動き出し、自動的にむくりと起き上がる装置。JR九州の新幹線駅で駅員さんが起床装置のタイマーセッティングを忘れたため、始発の新幹線に乗れなかったハプニングが起きたばかり。
今日の天気は曇りか・・・雨降らずが幸いかな。
1階のレストランで朝食です。
ごはんはおひつごと出されましたが、1人にしては超大盛りですよ・・・。お椀一杯盛れる程度の量にしなさいってば・・・。
飲食できるところは1階と4階。
一般客の宿泊フロアは3階だけど、乗務員宿泊室はこのどこかにあるはず。
秘境だというのに、立派な施設になっているのは郵便局のかんぽ保険で融資されたものでした。私もかんぽ保険に加入しており、お世話になっています。入院はしたくはありませんが、万が一、もしもに備えて・・・。
朝食を終え、部屋に戻ると、可愛らしい来訪者が・・・。
カーテンを開けて、こっそりと様子を拝見。鳥さんですね・・・。
スズメのような大きさだけど、なんと言う鳥さん?
しばらくしたら、相棒が飛んできました。
楽しそうにおしゃべりしていますねぇ・・・。いったい、何の話??鳥さんが飛び立ち、しばらくしたあとはチェックアウト。
無人駅なので、前日、JR東海の東京駅八重洲側窓口で発券してもらった切符には入鋏省略。
長野県下伊那郡天龍村、平岡駅前の風景。
Googleマップで確認すると、コンビニや飲食店はありませんが、すべて複合施設の平岡駅の中にあります。
駅側の部屋にしたいと予約時にリクエストを出したとおり、駅側の部屋を割り当ててくれました。駅側ではない部屋は、高台から眺めた天龍村中心地の眺めになりますが、駅側の眺めもいいんじゃないかな。
1階はレストラン、2階は駅改札口、売店、旅館のフロント、3階は宿泊フロア、4階は会議室、レストラン。予約したサイトの口コミでは「部屋の中がタバコ臭くって。私はヤニカス(※)ではありませんから!!」と苦情の書き込みがあるのに気になり、チェックインの前にタバコのにおいが酷かったら、消臭対策をお願いしたいと連絡したら、「当館は令和元年より全館禁煙となりましたので、どうぞご安心くださいというお返事があったとおり、部屋のタバコ臭さに関しては心配無用でした。ホームページの更新方法など詳しい人がいないせいなのか、基本情報のデータは古いままです。
(※)ヤニカス 喫煙者を侮辱している言葉。
4階の温泉では、誰も居なかったらカメラを取り出して撮影するつもりでしたが、何人か日帰り温泉の利用者がいらしていたため、断念。温泉からの眺めは絶景でした。
今度は夕食付きで、と予約したので4階の温泉と同じフロアにあるレストランへ。
レストランからの眺めなんですけど、温泉からの眺めも同じでした。
ご飯が運ばれてきました。
湯上がりにキンキン冷えたビールがうまい!!朝からずーっと鉄道旅に小和田駅探検。これで疲れが取れました。
8月7日の18時40分頃。8月過ぎると、日没時間が早くなったような気がします。
ろう者の方なので、メモに書いて伝えるコミュニケーションリテラシーは合格。でも、ご飯が大盛になっているんでしょう・・・。私の容姿を見て大盛だっ!とか?
夕食付きで頼んだものの、自動的に鶏照り焼き定食になったんですけど、素泊まりにして、この中から好きなものをオーダーすればよかったんじゃないかな。もし、鶏が苦手が人が泊りに来て、あちゃー!だったら、どないすんねん?
19時前。まわりは暗くなってしまいますが・・・・
平岡駅ホームは非常に明るいです。
かつては直営駅で「みどりの窓口」があったのに合理化が進み、無人駅化が進んでいます。特にJR西日本。対面販売のみどりの窓口を撤去し、その代わり、リモートで対応する「話せる券売機」が増えています。「話せる」という名称付きだけど、実際はカメラを通しての筆談が対応なので、実質対面販売の「みどりの窓口」と変わりない機能が備え付けています。
間もなく伊那小沢駅です。この駅も秘境駅のひとつとして含まれています。急行「秘境駅号」の停車駅。今年の11月も運行が予定されていますが、ツアー会社があらかじめ座席を押さえているため、一般に売り出す座席の数はわずか。そのため、瞬殺で「満席」だそうです。
JR北海道では駅を存続させるだけでも駅としての収益よりも管理代がかかるからと廃駅に追いやられる駅が多いさなか、JR東海は観光列車の急行「秘境駅号」が運行されるほどの人気が出ています。経営基盤などの条件があまりにも違いすぎたのが原因なのかも知れません。
秘境駅だというのに、駅舎は最近建て替えられたみたいです。小和田駅みたいに味のある駅舎のほうがいいのに。
次は鴬巣駅。ここでも秘境っぽさ雰囲気が漂います。鴬巣を出た直後、車掌さんが私のところに訪ねてきて、「次は平岡です。きっぷを回収します」と「きっぷ」の身振りをしていたので、「えええー!記念に持ち帰りたいんですけど」とメモに書いてコミュニケーション。「はい、どうぞ~」。
回収されず、手元に残せました。その日のうちにまた小和田に行って再利用はしないと信用してくれたのか、「済」のサインは無し。平成初め頃の山陰本線はワンマンではなく全列車車掌さんが乗務。検札しないときは無人駅の改札口に猛ダッシュで駆け込み、きっぷを回収。検札したときは、乗客の行き先は把握したとして回収しない。ワンマンが導入されても、車掌さんが途中から乗り込み検札を実施。飯田線の場合は検札して、下車時もちゃっかり事前に回収する儀律さは素晴らしい。JR東日本やJR北海道では特急の指定席に座っている人は検札しないんだけど、特急に乗れないはずの青春18きっぷや2枚のきっぷで中間無札とか自由席特急券を買わないキセラーによる被害を防ぐため、もう少し車内改札を厳しくするとか見習って欲しい。
平岡駅に着きました。下車客は私1人だけ。
ここでは跨線橋がないため、踏切を横切って駅舎へ向かいます。
踏切を渡りながら・・・
さっき乗ってきたばかりの電車は18分間停車。運転士さん、車掌さんもしばし休憩。
平岡駅舎はH13年建築。2001年なので、ちょうど20年前です。その頃は直営駅で「みどりの窓口」があったのに、現在は残念ながら無人駅。
旅館の存在を知ったのはずっと昔、急行秘境駅号に乗車したとき、平岡駅で休憩のため、長時間停車。改札を出るとすぐフロント。秘境駅めぐりの拠点に使えるなと密かに思い、やっと今回利用。
豊橋方面だけど、線路が二股に分かれています。左は本線、右は行き先止まりのようだけど・・・
接写してみたら・・・もう1つのホームがありました。調べてみたところ、蒸気機関車が勾配でものぼれるようにスイッチバックの跡地とのこと。
少年2人は1両目、私は後ろの2両目。どなたもいらっしゃいません。まるで貸切の状態。失敗してカメラのヒモが映ってしまいました。
小和田駅を出ると、間もなく・・・車掌さんが「きっぷはお持ちですか~」と検札。とっさに東京駅で用意したきっぷを提示。飯田線と同じJR東海の東京駅なので、(3- )。他社を示す「タ」の印字は無し。
「平岡までですね、はい、ありがとうございます」とお辞儀しながら、となりの車両へ。少年2人の検札。すぐ戻ってきたので、おそらくは私みたいにあらかじめきっぷを用意しているか、それとも青春18きっぷかも。JR北海道、JR東日本も飯田線みたいに数名の車掌さんが乗り込み、徹底的に検札すればよろしい。例えば、札幌から旭川まで136.8キロもあり、要所時間1時間半。都市間移動の需要も多いのか、日中は30分おきに発車。指定席の乗客は指定席特急券を所持しているはずだからと検札しないといっても、乗車駅付近と下車駅付近の2枚とか、青春18きっぷで乗るキセラーもいるかも知れない。JR東海(JR西日本)みたいに目的地までの正しい乗車券をを所持しているか、自由席特急券ならチケッターを押して、払戻しを防ぐとか、通路を歩きながら乗客からの申告を待つのではなく、自ら積極的に検札を実施するとか職務をまっとうにして欲しい。
次は中井侍駅。ここでも秘境駅にランキングされています。
小和田駅で途中下車して、逆戻り。
ここでも秘境駅です。今夜の宿は秘境駅ばかり続く駅だというのに、JRホテルにしてもいいくらい平岡駅改札直結の温泉ホテル。駅舎そのものがホテルだけど、天龍村の公共施設なので、温泉は宿泊客だけではなく村民の日帰り温泉でも利用可能となっています。
8月7日 16時40分の小和田駅。気温はなんと33.5度。近くに天竜川が流れているせいもあってか、暑苦しさはあまりなかったような。もう10月の終わりに差し掛かり、今はもう暖房。石油ストーブや石油ファンヒーターは灯油の給油が億劫になり、ジローさんに給油させるのも非常に危険。燃料タンクの蓋をしっかり閉めない状態だったりするので、電気のほうが安心。今の灯油代は1リッターあたり96円。去年は63円だったりするので、かなり高くなっている。電気のほうがお得かも。
いったい、いつからそこにあったものなんでしょうか。前回「急行秘境駅号」でやってきたときはそんなものはなかったです。
2021年11月の3日間、豊橋から飯田間の「急行秘境駅号」を走らせる予定がありますが・・・ほとんどツアーを企画している旅行会社があらかじめ席を抜いてあり、一般席の数はわずか。10時打ちでも瞬殺で満席。
崖っぷちの上に駅舎なので、崩れ落ちないようにつっかえ棒で支えている状態。
山登り用の杖も備え付けられています。
駅ノートのイラスト。色鉛筆まで持参し、楽しく描く人もいらっしゃるんですね。駅にある重機はどうやって搬入したのか、と。確かに駅周辺では外界につながる道路はありません。
それってこの重機にことなんですね。電車が走らない深夜帯、レールを走らせる台車に重機を乗せて運ばれてきたかも。
新聞記事。政令都市のポツンと秘境駅。確かにここは浜松市天竜区。もしも、JRの特定都区市内制度を【松】浜松市内に適用するとしても、小和田駅は浜松市の中心駅の浜松を出て、再び浜松市内に入るので、適用外になります。
やがて日が暮れてきました。
8月7日の17時頃の太陽の位置。もう少し下がると暗くなってしまいます。山奥の日の入りは平地に比べると若干早い。
行きはJR東海の313系でしたが、帰りは国鉄末期の211系でした。
小和田からの乗客は私と、小和田駅熱狂マニアの少年2名。車掌さんはあとから検札ロックオンするため、3人の特徴をチェック。
さらば、小和田駅。
日本最北端の「みどりの窓口」がある稚内駅の時刻表に比べると、秘境駅の小和田駅とほぼ似たような本数。
稚内駅(上り)
5:20 普通 名寄 入鋏省略(6:10まで駅員不在)
6:36 特急サロベツ2号 旭川 改札実施
10:28 普通 名寄 改札実施
13:01 特急サロベツ4号 旭川 改札実施
17:44 特急宗谷 札幌 改札実施 17:45まで駅員営業中
18:03 普通 名寄 入鋏省略(駅員不在)
20:11 普通 幌延 入鋏省略(駅員不在)
稚内駅到着(下り)
8:08 普通 始発 音威子府 集札実施
12:07 普通 始発 旭川 集札実施
12:40 特急宗谷 札幌 集札実施
17:23 特急サロベツ1号 旭川 集札実施
19:49 普通 始発 名寄 運転手さんに渡す
23:47 特急サロベツ3号 旭川 車掌さんが集札
小和田駅(上り)
7:05 普通 豊橋
8:34 普通 豊橋
10:11 普通 中部天竜
13:42 普通 豊橋
16:01 普通 豊橋
17:49 普通 豊橋
19:34 普通 豊橋
20:31 普通 豊橋
小和田駅(下り)
6:43 普通 伊那松島
7:33 普通 飯田
8:13 普通 天竜峡
11:17 普通 天竜峡
13:19 普通 伊那新町
16:11 普通 天竜峡
17:16 普通 伊那新町
19:10 普通 伊那新町
21:29 普通 天竜峡
集札箱。スマホのカメラを突っ込み、回収されているものはあるか確認。きっぷや現金1枚もありません。何故かと言いますと・・・飯田線は車掌さんが乗務しており、厳しい機動改札を兼ねているので、そこに何も入っていないのは納得。禁煙マークは当然なことです。ご協力お願いします。
小和田をもじって、「こわだ~」(怖いだ)
駅ホームからは傍らを流れる天竜川が見えます。
こちらは長野県の辰野方面。
こちらは豊橋方面。トンネルとトンネルの間にぽつんと駅があります。トンネルに挟まれた秘境駅といえば、北海道の室蘭線、小幌駅も。
中国ウイルス感染者がかなり減少に向かっています。19日の新規感染者は全国232名(東京都36名)。まだまだどこかで中国ウイルスが潜んでいるかも知れないので、油断は禁物です。
秘境駅にお馴染みの「駅ノート」。
復刻版だけど、第1号は昭和54(1979)年1月。
第1号は佐久間高校の生徒。喫煙中ですって・・・。記念すべき第1号はこの内容だと情けない。高校生なのに「照子は喫煙中です」って。秘境駅に訪ねてきた感想くらいは書けっつーの。1979年で高校1年生だとしたら、1963(昭和38)年生まれ。今は58歳のおじちゃま、おばちゃまになっています。
1993(平成5)年の小和田駅ブーム時に大勢のお客様がお見えになられ、メッセージを記されたものが掛けられています。当時のまま色あせることはなく永久的に・・・。
ノートを記す事務机の上にありました。電波時計のようだけど、ウェーブのマークがないので電波は届いていないみたい。小和田駅のために時計の電池を持って行く人はいないと思いますが、定期的に電池交換をする人もいらっしゃるそうです。駅ノートに書かれた内容を見ると、今から10年くらい前にどなたか寄贈されたようです。
昭和の初め頃にタイムスリップしたかような窓サッシ。
小和田駅が開業したのは1936(昭和11)年。当時はおそらく白熱球の電球だと思うんですけど、LEDの電球で当時を再現したほうがいいのでは・・・。
小和田駅前の様子。「三県境界駅」の小さな石碑が見えますが、かつてはホームでも長野県、静岡県、愛知県の三県境のモニュメントがあったはずだけど、今は撤去されているようです。
今日のテレビ番組。たまたま見ていたら、飯田線沿線の秘境暮らしをクローズアップ。大嵐駅から1キロも続く薄暗い幽霊トンネルを通って、山道を歩いて4,50分というところに「夏焼」集落があり、女性3人が暮らしているとのこと。長女のお母様が最後の住民で10年くらい前にお亡くなりになり、廃村になるところが、先祖から住み続けていた集落を絶やしたくないという思いから、この土地に戻ってきたとのことです。
大嵐のとなりは小和田。天竜川も見えるところに昭和30年代に建てられた家に女性3人が暮らしています。テレビで見たときと同じく川の色がエメラルドグリーン。
これも有名です。駅に1番近いミゼットの廃車。
これでくるりと一周して、さっきと同じ場所に戻ります。確かに外界とつながっているような道はありませんでした。絶海の孤島ならぬ陸の孤島。
8月7日の風景。あれから2ヶ月経っているので、今頃は黄色く変っているかも知れません。
小和田駅に戻ります。
昔は駅前が栄えていて、駅員さんも駐在。今はもう小和田駅を使う人は秘境駅マニアのみに・・・。
庇の下に照明器具があったので、撮影。今の時代、LEDに移行しつつですが、ここでは蛍光灯でした。パナソニック、ノーマルの白色。国鉄の古い車両は必ず昭和の「白色蛍光灯」。今の新しい車両はLEDの自然な見え方を再現できる3波長タイプ。白色の蛍光灯はまるで半世紀前にタイムスリップしたかような雰囲気になります。
電車が来るまで残り30分。今度は駅の中でひまつぶし。
奥の方へ行くともう行き止まりです。このあたりへのアクセス手段は電車でしかなく、廃屋だらけの駅になぜ電車が停まるのか。もうとっくに廃駅にして通過してもおかしくないんですが、秘境駅だらけの飯田線に私みたいな秘境駅が大好きな人は集まってくるので、利用価値はあります。ここは東海道新幹線のドル箱路線を抱えているJR東海なので、沿線の自治体からの援助なしでずーっと鉄道ファンの方が利用してくれる限りは北海道みたいに容易く廃駅にすることはできないでしょう。ちなみに日本一秘境駅の小幌駅は豊浦町が駅としての光熱費、トイレの整備などを補助しています。自治体からの支援を受けている駅は、稚内市の抜海駅、幌延町の雄信内駅、糠南駅など。年間の利用者ゼロに近い駅なんですが、全国からマニアが訪ねてきては地域にお金を落としてくれるメリットはありそうです。
廃車が2台ありました。
これはなんというクルマなんでしょうか。2005(平成17)年に公開された昭和30年代の東京を舞台にした「三丁目の夕日」に出ていたクルマも「ミゼット」という車種。映画で見たときと全く同じです。
昭和30年代の日本人は小柄なので、これでも2人乗りでした。
ミゼットの近くに小和田駅で使われていたと思われる運賃表が放置されていました。
運賃改正のたびにシールで貼っていたと思いますが・・・現在の運賃を調べたら
小和田 → 長 野
経由:飯田線・川岸・中央東・篠ノ井線・信越
10月12日から10月14日まで ¥4,070
いったい、いつの頃の運賃表なんでしょうか。小和田駅が無人駅化になったのは、1984(昭和59)年なので、その頃の運賃なのか、調べてみました。3年後の1987(昭和62)年、JR発足時の運賃を確認したところ、1540円までの切符は100キロ未満なので、途中下車はできません。国鉄のサービスをそのままJRに引き継いでいるので、そんなに急激な値上げは考えられません。1260円までとは、昭和59年当時のものではないと判断。
JR発足時の途中下車ができない切符は1540円以下だけど、現在は1690円以下。34年間でわずか150円の値上げ。値上げ率を計算してみたら、9.7%ということは国鉄末期の運賃にそのまま10%足したということになります。国立国会図書館では日本国内で発刊された資料をすべて所蔵しているので、あそこに行けば調べられると思います。
「基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。」として、地元の大きな図書館つまり中央図書館のレファレンスコーナーで運賃が1260円のきっぷはいつの時代のものか調べたいと相談すればいいですけど、地元の図書館は毒を以て毒を制す的な不面目なことなどがあったので、あれから1度も行っていないし、ちょっと行きづらくなっている。
従業員が寝泊まりする建物?製茶工場なので、湯のみ、ポットが見えます。あとはフライパンなどの調理道具も・・・。
ヤマイチしょうゆ!?小和田駅なので、静岡県産?と最初は思っていましたが、ネットで検索してみたら、創業明治25(1892)年の山形県高畠町の木村醤油店。現在もネットショップなどで販売中です。はるばる山形県からどうやって運ばれてきたのか気になるところです。
1956(昭和31)年、佐久間ダム建設により、小和田駅周辺が水没し、飯田線および駅舎がぽつんと残されている状態なので、おそらくダムが出来る前に軽トラで運ばれてきた可能性はあります。英作文テキストやノートは見た目、まだ新しく、最近置かれたようです。いったい、どんな目的で置かれたのか謎だらけです。
ドラムも気になります。下にあるものは湯沸かしのボイラー?
駅から少し離れた場所に川の見える場所にたどり着きます。
朽ち果てかけている家屋。
急行秘境駅号で来たときは停車時間が短く、ゆっくりと散策はできませんでしたが、今回は1時間。たっぷり時間はあります。
道があるといっても、クルマが通れるような道幅ではありません。奥のほうに何かあるか気になるので、見に行きました。
坂に下って、右側はこの建物。
そして、その向かいは・・・
ネットでいろいろ調べてみたところ、この建物は「製茶工場跡地」。ブルーシートがかけられている向かいの建物はおそらく従業員の宿舎??
なぜかレジスターが・・・。わざとらしく、目に付く場所にぼつんと置かれたかどうかはちょっと不明ですが、「昭和30年代レジスター」で画像を検索してみたら、似たような機械の画像がたくさん出ます。
ネットの画像では、数字のボタンがたくさんついていて、数字のボタンを打ち込んで総額が出るときはチーンと鳴って、下のお金を入れる引き出しが開く仕組みのようです。自分で買い物ができるようになったのは昭和の終わり頃。すべての商品に値札シールが貼られてあり、レジに持っていくと、価格の数字を見ながらレジ打ち。レシートもカタカナのみのドット打ち ブモン01、ブモン02・・・とか具体的な商品名はなかった。今の時代、商品をバーコードリーダーを通すだけで自動的に金額が入力されるが、昭和時代に遡れば、商品を手に取って値札を確認。それからレジ入力・・・なので、結構時間がかかったのでは。お菓子1つや2つくらいは、すぐ会計は終わってしまうけど、買い物かごいっぱいのときの精算方法はどうしていたのはしっかり見ていないので、記憶にないです。