いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

イッピンNHK 「ふうわり 極上の着心地~和歌山 ニット製品~」

2023-12-02 10:18:17 | イッピンNHK

 第223回 2019年5月21日 「ふうわり 極上の着心地~和歌山 ニット製品~」リサーチャー: IMALU

 番組内容
 シンプルなスウェットパーカー。軽くて柔らかく、しかもくり返し洗濯しても風合いが失われない。「極上の肌触り」と人気のイッピンだ。明治時代からニット製品を作ってきた和歌山。今も、世界から注目される高品質のニット生地を作り出している。その現場へIMALUさんが。ニットを編む「吊り編み機」という古い機械や、様々な生地を作る職人技、新しい機械で難しい編みに挑戦する会社など、和歌山のニット製品の底力に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201905211930001301000 より

 スウェット「ループウィラー千駄ヶ谷店」には、外国人に好評のパーカーがあります。
 「ループウィラー」は「吊り編みスウェット」を世に広めた立役者。
 日本に現存する吊り編機によって編まれた生地のみを使用し正統なスウェット、Tシャツを製造しています。
 
 代表の鈴木諭さんは、大学卒業後、商社に入社します。
 そこで糸のセールス中に出逢った和歌山の「吊り編み機」に魅せられ、「ループウィラー」を立ち上げ、“世界一正統なスウェット”を誕生させました。
 
 着心地抜群で、長持ちするとその秘密を探るべく、IMALUさんが進化し続けるニット製品を生み出している和歌山に向かいました。
 
 LOOPWHEELER 千駄ヶ谷 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-51-3 山名ビルB1F

 

 カネキチ工業

 和歌山は、丸編ニット生地生産国内1位を誇るニットの総合産地で、良質なニット製品が生み出されていて、愛用者も多数。
 様々なタイプの生地を作り出すのに大きな役割を果たしているのが「吊り編み機」です。
 
 大正9(1920)年)創業の「カネキチ工業」は、その現代では希少な「吊り編み機」を稼働させている老舗メリヤスメーカーで、
上記の着心地抜群のパーカー生地を作ったのもカネキチ工業さんです。

 「吊り編み機」は、ニット生地を編み立てる旧式の編み機です。
  1900年初頭に日本に輸入され始め、1960年代まで日本のニット産業界の第一線で活躍していました。
 その後、量産を重視した「高速の編み機」が主流になっていき、生産性や採算性が極めて低い吊機は使われなくなり、姿を消していきました。
 
 「吊り編み機」は、現在、機械メーカーは生産を終了しており、吊機の多くも廃棄処分されてしまっているため、吊機を稼働させている工場は世界的に見てもごく僅かになってしまっています。
 
 「吊り編み機」は、スイッチひとつ押せば簡単に稼働するというような機械ではありません。
 一台一台の吊り機には全く違う性格や個性があったり、その日の気温や湿度によっても機械の状態が変動します。
 また「吊り編み機」が存在しても、それを調整出来る職人がいなければ、生地は編めません。
 機械自体も今では生産されていないため、メンテンスも欠かせません。
 そのため、職人の存在が不可欠。
 職人の熟練した技術や経験が必要とされるのです。

 カネキチ工業の職人の皆さんは、常にその状態を見極めながら、手間暇を掛けて稼働させています。
 
 職人に求められる難しい技術はたくさんあり、例えば「吊り編み機」には、1000本以上もの「ヒゲ針」という針がついているのですが、これを職人は自らの目と手の感覚で、等間隔かつ水平に揃えなければなりません。
 これらの技術習得には永い年月が掛かります。

 カネキチ工業 和歌山県和歌山市紀三井寺1469

 

 森下メリヤス

 森下メリヤスは、明治40(1907)年創業の和歌山で最も古い丸編み生地メーカーです。
 
 生地メーカー創業から「丸編み」一筋。
 古い吊り編み機やヴィンテージ編み機、コンピューター編み機と多種多様な機械を200台強保有する国内有数のジャージ素材製造メーカーで、経験値の高い洗練された生地職人が、上質な「Japan Quality」の生地を生産しています。
 日頃から整備を行き届かせているため、どの編み機も常に稼働出来る状態です。
 
 日々、新しい生地の開発にも取り組んでいて、優れた技術を持つ染工場と提携することで生地の風合いにもこだわっており、海外ラグジュアリーブランドから依頼が来るという世界一流の生地メーカーです。
 
 森下さんは、「織物で出来ている商品をニットで表現したらどうか」という思いを持っていて、コンピューター制御出来る製造機械を導入。
 コンピューター制御出来ても不具合は生じるため、1本1本の糸と向き合う職人の腕と目は欠かせません。
 
 森下メリヤス - 貴志川工場 - 和歌山県紀の川市貴志川町前田36 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Wakayama/Knit より

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イッピンNHK 「ふだん使いを美しく なつかしモダン~岡山の焼き物~」

2023-12-01 07:57:19 | イッピンNHK

 第222回 2019年4月30日 「ふだん使いを美しく なつかしモダン~岡山の焼き物~」リサーチャー: 生方ななえ

 番組内容
 岡山県では倉敷を中心に、普段使いの焼き物が作られ、その素朴さとモダンな雰囲気が人気を集めている。陶器の表面に入るひび、「貫入」にこだわり、細かくくっきりとした「貫入」を出すことに成功した岡山の職人。民芸の巨匠バーナード・リーチの指導を受け、才能を開花させた倉敷の職人たちがいた。いま、その後継者が現代の暮らしにあわせて作る「なつかしモダン」な器の数々。独自の技法を、モデルの生方ななえさんが探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201904301930001301000 より

 

 岡山県と言えば「備前焼」が有名ですが、毎日食卓で使う「普段使いの焼き物」もいろいろあります。
 これらの「普段使いの焼き物」は、素朴な味わいとモダンが融合して、今、人気を集めています。
 手のひらサイズの「豆皿」には多種多様な模様があって、チーズにミニトマトなどを載せて、オシャレに使うことが出来ます。
 縁に模様があり、真ん中が無地のお皿に料理を載せれば、食べ物の彩りを引き立たててもくれます。
 今回のイッピンは、ドコか懐かしく、モダンな「岡山の普段使いの焼き物」の魅力に迫ります。
 
 
 1.「貫入」(陶芸家・林拓児さん)

 陶器の表面に出来たヒビ「貫入」に、栃渋を染み込ませて模様とする林拓児(はやしたくじ)さんの作品には、時を経た骨董のような佇まい、詫びた風情が感じられます。

 岡山市の陶芸家・林拓児(はやしたくじ)さんは、愛知県瀬戸市の製陶所の四代目として生まれ、倉敷芸術科学大学で学び、平成28(2016)年に岡山県に築窯・移住しました。

 林さんのわざとヒビが入った皿はカタチもユニークで器の縁が緩やかにうねっています。
 古くから「貫入」の入ったお皿は作られてきましたが、林さんの「貫入」は細かくはっきりしています。
 また、縁の緩やかうねりも林さん独特のものです。

 林さんはまず、板状にスライスした土を自作の型に被せて手で叩いてはめていきます。
 30分乾かしたら型を外し始めましたが、土はまだ柔らかいままです。
 それを成形して、形を整えていきました。
 すると縁に、緩やかなうねりが生まれていきました。

 ここから「貫入」を入れていきます。
 陶器は、素地の上に釉薬を施釉してから、高温で焼成して作ります。
 焼成すると、釉薬は溶けてガラスのような層となって陶器の上を覆います。
 焼成後、陶器自体の温度が下がっていきますが、その時の収縮度が、陶器本体の素地と釉薬との間で違うので、この差が大きいと釉薬がヒビのような状態になって固まります。
 これを「貫入」と言います。
 林さんは細かい「貫入」を入れるために、成分を変えて試行錯誤を繰り返したそうです。

 窯出しすると、「ピンピン・・・」と風鈴が鳴るような美しい音がします。
 これは「貫入」が生まれている音だそうです。

 その後、どんぐりのかさを入れて2週間程経った「栃渋」(とちしぶ)と呼ばれる染液にお皿を入れ、「貫入」の部分に栃渋を染み込ませ、模様を美しく際立たせます。
 この方法は、織部焼の色を出すために使われていたのだそうです。
 一日つけたら水洗い。
 タオルでしっかり拭いて完成です。
 温かみのある緩やかなうねりのある皿が生まれました。
 
  2.スリップウェア(羽島焼・小河原常美さん)

 岡山県の倉敷では、普段遣いのお皿が作られてきました。
 その代表的なお皿は「スリップウェア」です。
 この技法はイギリスから伝わったもので、イギリスではかつて広く使われていた皿でした。

 「スリップウェア」を倉敷に伝えたのは、柳宗悦、濱田庄司らとともに民芸運動に参加した英国人工芸作家のバーナード・リーチ(1887-1979)です。

 リーチは香港で生まれましたが、生後まもなく母を亡くし、幼少期の4年間を京都で育ったことから、日本に愛着を持っていました。
 21歳の時、ロンドン美術学校で、詩人で彫刻家の高村光太郎と交友を結んだことが縁で、明治42(1909)年、22歳の時に再び来日。
 以来13回に渡り、来日しました。

 昭和9(1934)年、後に「大原美術館」を開館した実業家・大原孫三郎の民芸運動を支援するために4回目の来日で初めて倉敷を訪れました。
 その後も戦前・戦後と、度々倉敷を訪れて、大原美術館で講演や展覧会を開催したり、若手を指導しました。

 大原美術館 岡山県倉敷市中央1丁目1−15

 

 倉敷の陶工・小河原虎吉(おがわらとらきち)もリーチに指導を受けた1人です。
 虎吉は14歳の頃よりロクロ職人として陶芸の道を歩みましたが、「ロクロの名人」として知られ、その腕前は早くから民芸運動家の間でも一目置かれていました。
 
 昭和21(1946)年、戦後の復員してくると、大原総一郎を始め、当時、倉敷の民芸普及に力を注いでいた文化人達が力添えにより、羽島の地で「羽島焼」を開窯。
 ひたすらに作陶活動を続け、昭和32(1957)年のブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞したり、天皇家に花瓶を献上したりするなど、その実績もどんどん積み上げていきました。

 虎吉が亡くなった後は、三女の和子さんとその夫・勝康さん、そして四女の常美さんの三人が窯を引き継ぎ、自ら採取し精製した倉敷の土を用い、登り窯で焼き上げて作陶を続けてきました。

 しかし5年前に勝康さんが、そして今年3月に和子さんが亡くなり、後継者もいないことから、令和4(2022)年11月をもって、倉敷「羽島窯」76年の歴史に幕を下しました。
 
 番組では、常美さんの作った「スリップ豆皿」が紹介されました。
 素朴な模様ですが、どこか西洋を感じさせるハイカラさのある豆皿でした。
 
  3.押紋(倉敷堤窯・武内真木さん)

 倉敷にはもう一人、リーチが認めた職人がいました。
 武内晴二郎です。
 武内晴二郎は、大原美術館の初代館長・武内潔真の次男として生まれ、日本民藝運動を起こした河井寛次郎や濱田庄司、柳宗悦らから教訓を受けました。

 戦争で左腕を失うものの、昭和35(1960)年に倉敷市の西郊を流れる高梁川の旧い堤の跡に「倉敷堤窯」(くらしきつつみがま)を築窯し、積極的に作品を作り続けました。
 型物を中心に、スリップ・型押・象嵌などの技法を駆使した作品は、重厚で力強いもので、片手では極めて難しいと思われる陶芸活動へのチャレンジ精神に周囲の人達も敬服し、感嘆させました。
 陶芸家・濱田庄司氏は「武内晴二郎君の陶器は手で作ったというより眼で作ったと言いたい気がします」と評する程でした。
 
 武内晴二郎君の陶器は手で作ったというより目で作ったといいたい気がします。
 見て見て見た結果です。
 陶工として手の修行は久しいとは云えませんが、一家中が大した目と心とを持ったなかで暮らして来て、積もり積もった拠りどころが仕事の芯になっています。
 昨秋私はちょうど初窯の窯出しに立ち会えて、こくの籠った数々の大鉢を無類だと思いました。
 君が手の不自由だということも余計に思いを深めているかと思います。
 形が歪んでも傷が出来ても気になりません。
 これ程多くの陶工達がいろいろの試みをしている中で、立派に新しい道を見せてくれました。

 現在は、ご子息の武内真木(たけうち まき)さんが倉敷北部で採れる粘土を使って作陶されています。
 
 縁につけられた「押紋」と呼ばれる力強い連続模様が印象的です。
 これは石陶器と石膏で出来た丸い「型」でつけていくのですが、真木さんによると、先代の晴二郎さんが作ったものも合わせると、「型」は全部で160種はあるそうです。

 まず、スライスした土を石膏の型枠にのせて押し付けていきます。
 縁の部分は折り返して厚みを出して強度をつけていきます。
 縁を削って表面を滑らかにしたら、湿った土に「押紋の型」がくっつかないように粉を乗せていきます。

 「押紋の型」は縁に指を使って這わせていきます。
 その力加減は絶妙です。
 くっきりと模様が浮かび上がってきました。

 乾燥させたら型枠から外し、素焼きをします。
 釉薬をかけて本焼きしたら、完成です。

 繰り返し使っても飽きが来ず、使い続けることで味わいが出るのを目指したお皿です。
 
 倉敷堤窯 岡山県倉敷市酒津1660-65

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Okayama/Yakimono より

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イッピンNHK 「よりスタイリッシュに!よりモダンに!~佐賀 肥前吉田焼~」

2023-11-30 08:15:41 | イッピンNHK

 第221回 2019年4月23日 「よりスタイリッシュに!よりモダンに!~佐賀 肥前吉田焼~」リサーチャー: 黒谷友香

 番組内容
 有田焼の産地、佐賀県で日常使いの器を作り続けてきた「肥前吉田焼」。知る人ぞ知る焼き物が今、スタイリッシュに進化している。絶妙な濃淡を生む伝統の絵付け技法を駆使して、美しいグラデーションを表現した青一色の皿。そのほか、昔ながらの水玉模様をポップにアレンジした器や、側面に切り込みが入っているのに飲み物がこぼれない!という不思議なカップなど。斬新なアイデアを実現させる職人技に、女優の黒谷友香が迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201904231930001301000 より

 

 ≪参考≫ 肥前吉田焼について

 佐賀県・嬉野市吉田は、日本三大美肌の湯「嬉野温泉」と「嬉野茶」が全国的に有名です。

 この地で400年余前から作られている焼き物が「肥前吉田焼」(ひぜんよしだやき)です。
 佐賀県と言えば、日本の磁器発祥の地として名高い「有田」ですが、有田町から車で30分程の嬉野市を中心とした地域では、日常使いの焼き物が作られてきました。

 「有田焼」などとは異なって、「肥前吉田焼」には形や様式などこれといった特徴はありません。
 唯一の特徴は、日常生活に根ざした器を作ること。
 その精神は今もこの地に受け継がれており、十数件ある窯元それぞれが「今の生活」のための器を作り続けています。

 その「肥前吉田焼」では、歴史や伝統により培われた技術を用いるだけでなく、新たな可能性を模索する動きが生まれています。
 新しいデザインや遊び心のある作品が作られています。
 
 平成28(2016)年からは「肥前吉田焼デザインコンペティション」もそのひとつです。

 また肥前吉田焼窯元協同組合では、嬉野市内20か所において、嬉野市の特産物をPRするために、「カプセルトイ販売機(通称ガチャ)」で、肥前吉田焼のマグネットの販売を行っています。(1回500円(税込み))。


  
 1.「副久 GOSU」シリーズ(副久製陶所)

 「副久製陶所」(そえきゅうせいとうじょ)は、昭和28(1953)年に創業した窯元です。
 初代は、唐子模様の器を中心に製造。
 2代目は、墨を用いた白抜き技法である「墨はじき」、伝統的な筆による絵付け技法である「濃み」(だみ)の技法を生かして、白地を青で装飾する伝統的な焼き物を手掛けてきました。

 現在は、三代目となる副島久洋(そえじま ひさひろ)さんが、奥様の美智子さんと共に、代々継がれてきた技法を用いながらも、新しい挑戦を続けていらっしゃいます。

 「副久 GOSU」は、平成27(2015)年に開発されたグラデーションを巧みに生かした青一色のお皿のシリーズで、好評を博しています。

 その特徴は「濃み」(だみ)。
 久洋さんは、一年の月日を掛けて独自に5段階の濃淡の呉須を開発し、伝統の「濃み」(だみ)の新たな表現方法を確立し、現在7タイプのお皿を作っています。

 「濃み」(だみ)とは、素地に絵付をする際に、絵付けの輪郭線の中に太い濃筆で呉須を含ませて塗っていく技法のことです。
 筆を指で押さえることで、呉須の量を調整して色の濃淡を表現することも出来ます。
 輪郭部分の絵付けが男性の作業であり、「濃み」を作成する「ダミ手」は女性の職人の作業であったと言われています。
 濃みの技法を習得するには実に長い訓練が必要とされ、本当に熟練技です。

 「副久 GOSU」でも「濃み」を行うのは、奥様の美智子さんです。
 専用の「濃み筆」という筆に、「呉須」というコバルトの顔料で出来た絵の具を含ませて、一定の速度で中心から色付けをしていきます。
 色は5段階あり、その色の濃さによって「濃み」のやり方も変えていきます。
 水分の多い場合は筆から絞り出す量を少なめに、色が濃いものは絞り出す量を多めにして「濃み筆」を動かしていきます。
 一つ一つが手作業なので、2枚と同じものは出来ません。
 
 仕上げは、夫の久洋さんが行います。
 回転台を使って皿の裏側に色を一気に塗り、銘を入れたら、釉薬をかけて焼成します。
 焼き上げると、濃厚の異なる美しい青色が浮かび上がりました。
 水の波紋のように美しいお皿です。

 副島さんご夫妻は、この「副久 GOSU」の開発をきっかけに、器に呉須の花が咲いたような「hana」シリーズを誕生させたり、デザイナーとのコラボレーションや地域の企画にも熱心に取り組みを続けていらっしゃいます。
 
 副久製陶所 佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁

 

 2.「水玉食器」(副千製陶所・副島謙一さん)

 「副千製陶所」(そえせんせいとうじょ)さんの代表作は、昭和21(1946)年に誕生し、「肥前吉田焼」の代名詞とも言われ、ホテルや旅館などでよく見掛ける青と白の水玉模様の手彫り水玉柄」の土瓶です。

 平成22(2010)年には、「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞しています。

 その水玉土瓶が現代の生活スタイルに合うようにとモダンでデザイン性溢れる水玉の器に進化し、評判になっています。

 3代目の副島謙一さんは、「水玉模様」を「掻き落とし」と呼ばれる伝統技法を用い、一つひとつ手彫りでモダンでスリムな土瓶や急須、水差し、フリーカップ、湯飲みなどを制作しています。
 全国でも「搔き落とし」で彫る職人は少ないのだそうです。

 成形は弟の副島弘明さんが「排泥鋳込み」(はいでいいこみ)という手法を用いて行います。
 作業開始から16分で中の泥漿(でいすい)を排出したら乾燥させ、型を外します。
 そして、茶こしや注ぎ口をパーツを取り付けていきます。
 「排泥鋳込み」(はいでいいこみ)
 石膏型に流し込んだ泥漿(でいしょう)を一定時間放置した後、必要な厚さになったら余分な泥漿を流し出す成形方法です。
 石膏型が泥漿(でいしょう)の水分を吸収して張り付く性質を利用したものです。
 主に急須や花瓶など、中が空洞になった袋状の器の量産に適している手法です。

 水玉を施す作業では、副島謙一さんが防塵マスクを装着して、工業用ドリルを改良した「リューター」という道具を巧みに使って、直径1.5㎝の水玉を削っていきます。
 
 一見、 ランダムに削っているように見えますが、基準があるそうです。
 かつての「水玉土瓶」は水玉の数は多かったのですが、単調なものでしたが、謙一さんは、水玉と下地のバランスにこだわって、余白の部分も水玉を生かすように削っています。
 
 素焼きを終えたら、釉薬をたっぷり厚めに掛けて、削った水玉の角を柔らかくします。

 次に水玉に色をのせていきます。
 この色付けの作業を行うのは、奥様の由紀子さんです。
 色付けは、筆で塗るとムラが出来るため、黄色の絵の具の上から黄色いフィルムでコーティングして、水玉に色を定着させます。
 焼成するとフィルムは無くなり、美しい水玉模様が浮かび上がりました。

 副千製陶所 佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁4116−13

 

 3.「yongo-hingo」(224porcelain・辻諭さん)

 元々、有田において御用焼を営む「辻家」の出として約170年前の安政年間(1854~1860年)に創業した「辻与製陶所与山窯」(つじよせいとうじょよざんがま)。
 他の「肥前吉田焼」の窯元と同じく長きに渡り佐賀の「有田」や「伊万里」、長崎の「波佐見」の下請けとして表に出ることなく、その技術を影で磨いてきました。

 現在、「肥前吉田焼」の中で目覚ましい活躍を続け、トップランナーとして走り続けている辻 諭さんは、「辻与製陶所与山窯」の6代目・辻 賢嗣さんの長男です。

 辻 諭さんは、実家の細工人(ろくろ師)のもとで修行したり、有田の窯業大学校に通って技術や知識を習得ていく中で、
「肥前吉田焼」を埋もれさせることなく、吉田で焼き物を作る意義を明確にしたいと思うようになりました。

 そして、磁器の産地として長い歴史とその中で培ってきた技術を下地としながらも、有田焼のような様式がないからこそ
これまでの価値観に捉われることなく、自由なものづくりが出来るのではないか思い、平成24(2012)年に「肥前吉田焼」の磁器ブランド「224porcelain」を立ち上げました。

 「224porcelain」の「224」は「ニーニーヨン」と読みます。
 これは「2・2・4」 辻与=「ツ・ジ・ヨ」というダジャレで決めたそうですが、珍しい名前なのですぐに覚えてもらうことが出来ますし、数字だと海外でもそのまま読んでもらうことも出来ます。

 辻さんが手掛けた作品には、自家焙煎するための「PRIVATE ROASTER」(プライベートロースター)、紙を使わないセラミックコーヒーフィルター「caffè hat」(カフェハット)、雲の形をした器やポットの「Cloud nine」(クラウドナイン)、 
醤油をかければ”おにぎり”の形が浮かび上がる醤油皿「おにぎり」、アロマディフューザーの「kisetsu」(キセツ)、「shirakaba」(シラカバ)、「Fragrance fruit」(フレグランスフルーツ)など、ユニークなものが沢山あり、どれも好評を得ています。

 その中でも特に人気なのは、「yongo-hingoよんごひんご」という名前のちょっとまがった形をしたへんてこな「マグ」です。
 「よんごひんご」とは、佐賀の方言で「真っ直ぐでない」「曲がっている」「歪んでいる」こと。

 「yongo-hingoよんごひんご」は、切り目が入り凹凸になっていることで、手にピッタリフィットし持ちやすくなっています。
 また二重構造になっているので、淹れたてのコーヒーも熱さを和らげることが出来るだけでなく、保温効果もあります。
 一方冷たい飲み物も水滴が付きにくいので、ノンストレスで使うことが出来ます。

 二重構造の成型は、職人の木村定二さんにより、「排泥鋳込み」(はいでいいこみ)という手法を用いて行われます。
 型が水分を吸って行くと繋ぎ目のない二重構造のカップが出来上がる。
 
 「排泥鋳込」(はいでいいこみ)
 石膏型に流し込んだ泥漿(でいしょう)を一定時間放置した後、必要な厚さになったら余分な泥漿を流し出す成形方法です。
 石膏型が泥漿(でいしょう)の水分を吸収して張り付く性質を利用したものです。
 主に急須や花瓶など、中が空洞になった袋状の器の量産に適している手法です。
 
 次に、凹凸の部分を作ります。
 凹んだ部分は、生地が柔らかい状態のうちに、水に濡らしたナイフを斜めにして切り目を入れていきます。
 出っ張りは、木べらを使って手前に押し出します。
 
 そして辻さんが釉薬を塗ります。
 目指すのは雑味の鮮やかな「白」。
 そのために独自に配合した釉薬を使います。
 窯で13時間焼き上げたら、完成です。

 224porcelainの工房には、器が買えるショップや嬉野茶や地元のランチを夜はバーとしてお酒と水タバコが楽しめる「saryo」というカフェが併設されています。
 
 224porcelain 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙909

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Saga/Hizenyoshidayaki より

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イッピンNHK 「多彩!絹のような輝き~兵庫 麦わら細工~」

2023-11-29 07:59:31 | イッピンNHK

 第220回 2019年4月9日 「多彩!絹のような輝き~兵庫 麦わら細工~」リサーチャー: 三倉茉奈

 番組内容
 兵庫県の城崎温泉。ここに江戸時代から伝わる優美で精巧な工芸品がある。素材は麦わら。帽子やストローとして使われた麦わらを縦に裂いて伸ばすと、絹のような光沢を放つ。これを箱の全面に貼りつけ、花鳥風月や幾何学模様をはめ込んでいく。同じ色でも、繊維の方向によって光の当たり方が変わり、濃淡や明暗が異なって見える。高級な飾り箱やアクセサリーなどで、それぞれ繊細な技を披露する職人たちを三倉茉奈さんが訪ねる。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201904091930001301000 より

 

 1.城崎温泉の麦わら細工

 ・城崎温泉
 兵庫県北部、日本海に面する豊岡市にある「城崎温泉」(きのさきおんせん)は、今から1300年前、城崎の地を訪れた道智上人(どうちしょうにん)が、病気で苦しむ人々を救うためにお経を唱え続けたところ、満願し湧き出した霊湯だとされています。
 現在、80件の温泉宿が軒を連ねていて、令和2(2020)年に開湯1300年を迎えました。

 ・「麦わら細工」の起こり
 この「城崎温泉」には、江戸時代から伝わる優美で精巧な工芸品があります。
 麦わらを鮮やかに彩色して貼り合わせて絵柄を作った「麦わら細工」です。
 「麦わら細工」の技法は日本では城崎にしか伝わっておらず、その色彩と絶妙な光沢は、他に類を見ない伝統的工芸品として高く評価されています。

 「麦わら細工」が城崎温泉で誕生したのは、今からおよそ300年前の江戸時代中期(享保の頃)に、城崎に湯治に来た因幡国(鳥取県)の半七という職人が、竹笛や独楽などに色とりどりの麦わらを張り、宿の店先で売って宿費の足しにしたのが始まりと伝えられています。
 
 当時から城崎温泉は人気の湯治場で、「麦わら細工」は手頃な土産として発展。
 箱物や絵馬に細工したものも出来て、その美しさに魅かれたドイツ人医師のシーボルトも祖国へのお土産として買っていったそうです。
 「城崎麦わら細工」はシーボルト・コレクションにも収録され、海を越えて城崎の職人の技術が知れ渡りました。
 
 明治に入ってからは、高名な画家が城崎温泉に来遊して下絵を描いて図案を与え試作させたことから、芸術の高い作品も生まれていきました。
 明治35(1902)年には、「セントルイス万国博覧会」で最高名誉賞牌を受賞したとされています。
 
 職人も現在、職人は5人しかいないそうですが、伝統技術と新しい技法と時代色を盛った、罫紙文庫・文箱・小物入れ・名刺入れ・菓子器・切手入れなど、様々な製品が製作されています。
 
 城崎麦わら細工伝承館 兵庫県豊岡市城崎町湯島376-1

 

 2.かみや民藝店

 「かみや民藝店」は、日本で唯一の郷土民芸品「麦わら細工」を製造販売しています。
 平成29(2017)年10月17日には、「マツコの知らない世界」で、「かみや民藝店」の「名刺入れ」が紹介されています。

 2代目店主の神谷勝さんは、「城崎町指定無形文化財 城崎麦わら細工工芸技術保持者」に指定され、「兵庫県技能功労賞」も受賞されています。
 番組では、神谷さんに「麦わら細工」の制作過程を見せていただきました。

 「麦わら細工」は全て手作業で行われています。
 「麦わら細工」には、豊岡市栃江の「裸大麦」のみが使われています。
 「裸大麦」は大麦の一種で、節と節(節間)が長く、弾力性があり、光沢があるため、加工に適しているのです。
 その「裸大麦」の茎を様々な色に鮮やかに染め上げ、箱や色紙などに張っていきます。
 
 シート状のものを何かに接着する場合、一般的には「貼る」という字が用いられるのですが、「城崎麦わら細工」では「張る」を使用しています。
 「一面を覆う」「緩みなく引き締める」といった意味を含めるためだそうです。

 神谷さんは麦わらをくわえ、湿り気を加えて行きます。
 これを竹べらで2つに割いて平らにします。
 次に、ご飯を使って米糊を作ります。
 麦わらの裏側に米糊を薄く塗り、箱に張っていきます。
 麦わらは色合いが1本1本異なるので、それを慎重に選んで、蓋だけでなく側面にも張り付けます。

 椿の花となる部分には赤い麦わらを使います。

 麦わらを染めるのはとても大変な作業です。
 麦わらの表面は「キューティクル」という角質層で覆われているのですが、この「キューティクル」には油分が含まれていて水を弾いてしまうため、まず油を取り除かなければならないのです。
 
 油を取り除くために、重曹を入れたお湯で煮ます。
 麦わらの表面に含まれる油分の量は時季により異なるため、微妙に調整が必要となります。
 
 次に油分を取り除いた麦わらを白くするために、酢酸に浸し、その後、化学染料で染めていきます。

 「模様張り」は、まず下地となる麦を張ります。
 椿の花が描かれた下絵を箱の上に載せ、鉄筆でなぞり、跡をつけます。
 次に、麦わらについた線に沿って切込みを入れていきます。
 切り取った部分に、象嵌という技法のようにはめ込むパーツに薄く糊をつけて張っていきます。
 遂に椿が完成しました。

 麦わらを原料とした「麦わら細工」は、使い込むほどに、絹のように滑らかな手触りと上品なつやが飽きのこない風合いを醸し出します。

 「かみや民藝店」では、平成16(2004)年、皇太子殿下(現・天皇陛下)ご夫妻に、愛子様誕生祝いとして「大文庫・コウノトリ」を献上したそうです。
 コウノトリは幸運を運ぶ鳥であり、赤ちゃんを運んでくれるとも言われています。
 豊岡市では、「コウノトリと共に生きる豊岡」をスローガンにコウノトリを絶滅から救おうと、昭和40(1965)年よりコウノトリの繁殖などを行っています。
 
 なお「かみや民藝店」では、ポストカードやブローチ、ジュエリーボックスなどの麦わら細工の体験が出来ます(約60分~90分)。

 かみや民藝店 兵庫県豊岡市城崎町湯島391

 

 3.かみや民藝店 三代目・神谷俊彰さん

 現在、伝統的な絵柄だけでなく、緻密で幾何学模様を施す技法も生まれています。

 かみや民藝店の三代目・神谷俊彰さんは、伝統的な技法を守りながら色の組み合わせなど、現代的な感覚を盛り込んだ作品を作っています。
 これを「菱張り」と言います。
 
 まず「キカイ」という神谷さんお手製の道具で麦わらを細く割きます。
 次に、色の異なる麦わらを張り合わせ、米糊を塗って指先に挟んで整えます。
 これを箱に張り付ければ、菱形の外枠が完成です。
 
 次に菱形の内側の網目模様へ。
 今度は太い麦わらと細い麦わらを15本張り合わせて、糊を塗ります。
 細い麦わらを挟むことで強度が増し、またアクセントにもなります。
 横一列に和紙に張ってシートにしたら、縦に裁断して短冊状にします。
 極細の短冊をずらして網目模様を作り、これを菱形の枠の内側にはめ込んだら、完成です。
 
 
 
 4.麦わら細工のアクセサリー

 麦わらを使ったものには他に、指輪やピアス、ネックレスといった「アクセサリー」もあります。
 
 なないろの友井田千穂さんの作るアクセサリーは、伝統的な幾何学模様が美しく、麦わらの鮮やかな色合と光沢はメタリックで現代的な印象があります。

 前野惠子さんは麦わらで編んだ指輪作りの名人です。
 お父様の前野次郎さんは、「麦せん民芸店」を営む傍ら、「伝統工芸・麦わら細工」の保存振興に努められた方でした。

 麦わらの指輪は、明治の初め頃に気軽な土産にと女性達が作り始めました。

 材料は、赤と白の麦わらです。
 赤い麦わらは先端を細く割いたものを使います。
 前野さんによると、大切なのは麦わらを常に湿らせておくこと。
 乾くと割れたり折れたりしてしまうからです。

 赤い麦わらを指のサイズに合わせて輪にし、次にその輪の隙間に白い麦わらを差し込んで編み込んでいきます。
 赤い麦わらと白い麦わらを交互に編んで模様を作り、先端を内側に差し込んで、完成しました。

 むぎせん民芸店 兵庫県豊岡市城崎町湯島378

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Hyogo/mugiwarazaiku より

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イッピンNHK 「海・空・大地を器の中に~沖縄 やちむん~」

2023-11-28 08:36:33 | イッピンNHK

 第219回 2019年4月2日 「海・空・大地を器の中に~沖縄 やちむん~」リサーチャー: 佐藤藍子

 番組内容
 沖縄の海のエメラルドグリーンを取り込んだ人気の皿は、沖縄の伝統的な焼き物「やちむん」に、新風を送り込んだ。琉球王国に始まるやちむんが、今は南国らしい色や柄が特徴の普段使いの器となっている。全国から集まった陶芸家たちが、オリジナリティ溢れるやちむんを作っている現場を、佐藤藍子さんがリサーチ。海の色を表現した皿だけでなく、白地に空の青が映えるお椀、土の質感がそのままのカップなど手作りの器の秘密に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201904021930001301000 より

 

 1.壺屋焼窯元「育陶園」

 沖縄の海のエメラルドグリーンを取り込んだ人気のリム皿を作る工房です。

 リム皿の「リム」とは、お皿の一段上がった縁の部分のこと。
 その縁があるお皿のことを「リム皿」と言います。
 リム皿のリム部分の幅もお皿によって様々ですが、総じてリム皿にお料理を載せると、お料理が映えとても美しく見えます。
 更に実用性も兼ね備えているため、使いやすく重宝します。

 300年以上も壺屋でやちむんを作り続ける「育陶園」さんの定番は「唐草文様の器」です。
 「彫」ではない、新しい唐草模様を表現しています。

 「育陶園」では他にもの2つのブランドを手掛けています。

 「guma guwa」(ぐまーぐわぁー)は、シンプルで使い勝手のよい形で繊細な女性の手にも馴染みやすい軽さと薄さと持ちやすさがあり、手に取るたびにほっこりし、毎日の暮らしを心地良くしてくれる器です。

 「時を味わう」をテーマにした、モダンで大人かっこいい「やちむん」を目指した器やシーサーを展開しています。
「Kamany」とは、「窯の根」のこと。
 先人の手仕事に敬意を込めた“原点を忘れないものづくり”を軸にしています。

 「育陶園」本店 沖縄県那覇市壺屋1-22-33

  
 ノモ陶器製作所[読谷村/野本周さん]

 野本周さんは、真鍮から作られている釉薬を使って「海の色を表現した皿」を焼いている作家さんです。
 「陶芸 城」(ぐすく)で修行した後に独立、やちむんの文化が深く根付く読谷村で「ノモ陶器製作所」を立ち上げました。
 
 野本さんは、釉薬の調合から成形、仕上げ、焼き上がりまで、全ての工程を一人でこなしています。
 野本さんの代表作は何と言っても 「オーグスヤー(沖縄の緑釉)」を使った透明感のあるグリーンが美しい器です。
 まるで光を帯びたような美しさが魅力です。

 野本さんが作る器は、オーソドックスな形のものが中心で、日常使いにちょうど良い、程良くシンプルで飽きのこないデザインになっています。

 陶器工房 壹[読谷村/壹岐幸二さん]
 京都出身の壹岐幸二(いきこうじ)さんは沖縄県立芸術大学の一期生です。
 沖縄県立芸術大学への入学を機に沖縄へ移住しました。
 
 後に師となる大嶺 實清先生の最初の授業で、「沖縄のやきものを見せてやろう」と連れて行かれた博物館の蔵で、琉球王朝時代の「卵の殻のような白い」沖縄の古陶に出会い、感動。
 
 大学卒業後は、研究生の時代を経て「大嶺工房」で修業し、琉球陶器の神髄を追求しました。
 そして、平成8(1996)年「陶器工房 壹」を設立しました。
 
 「陶器工房 壹」では、壹岐さんが窯を仕切り、奥様が絵付けを担当。
 数名のお弟子さん、パートさんと共にひとつの作品を生み出す工房スタイルを取っています。
 
 壹岐さんの代表作と言えば、端正な形状と白化粧にコバルトで大胆な絵付けを施したオリジナル食器です。
 学生時代に博物館で見た王朝時代の「卵の殻のような白」に通じる作品です。
 
 また、琉球王朝時代よりも更に前、約400年前に現在の那覇市で焼かれていた「湧田焼」を現代的にアレンジした「mintama(みんたま)」シリーズもあります。
 
 沖縄の陶芸を突き詰めていくと必ずといっていいほど「湧田焼」にぶつかります。
 「白化粧」が沖縄に入ってきたのは18世紀後半。
 薩摩の影響が強いのに対し、「湧田焼」はそれ以前の16世紀から17世紀くらいのもの。
 「湧田焼」は効率良く生産するために、器の中央部を無釉にして重ね焼きをしていました。
 その中心部には「点打ち」が出来ます。
 壹岐さんは、この中心部の点打ちの意匠をそのまま「目玉」=「mintama(みんたま)」(沖縄の方言)に見立てて、色の種類を増やし、「mintamaシリーズ」を生み出しました。
 
 陶器工房 壹 沖縄県中頭郡読谷村長浜925-2

 

 陶房「土火人」[うるま市/山田義力さん]
 山田義力(やまだよしりき)さんは、沖縄生まれ沖縄育ち。
 山田さんも大学生の時に大嶺實清さんの授業を受け、大嶺實清先生を師事。
 沖縄の大地を感じさせる、砂まじり、小石まじりの土の質感がそのままのカップを作っていらっしゃいます。
 
 陶房「土火人」(つちびと)の陶器の特徴の一つが、斑模様の器です。
 陶器の中に満天の星空が広がっているように見えます。
 翡翠色をした器も特色の一つ。
 光沢が漂いつつも、どこか素朴な風合いとグラデーションが魅力的です。
 
 陶房「土火人」 沖縄県うるま市川崎151

 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Okinawa/yamuchin より

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イッピンNHK 「モダンで斬新!異素材との融合~長野 木曽漆器」

2023-11-27 08:34:27 | イッピンNHK

 第218回 2019年3月19日 「モダンで斬新!異素材との融合~長野 木曽漆器」リサーチャー:南沢奈央

 番組内容
 表面に赤い漆を塗ったカップが今、大人気。実は木ではなくガラスに漆を施したもので、中は色とりどりの線で彩られ「まるで万華鏡のよう」と評判だ。これは椀や盆などの生活雑器で有名な長野の木曽漆器。近年では異素材との融合を図り、新たな境地を切り開いている。使うほどに艶が増していく漆塗りの革財布や、最先端のハイテク技術を駆使して生まれた酒器など。伝統とアイデアを融合させたものづくりに、女優の南沢奈央が迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201903191930001301000 より

 長野県の木曽平沢は長野県の伝統的な工芸品「木曽漆器」の産地で、工房の数は90以上あります。
 その「木曽漆器」は、今、思わぬ進化を遂げています。
 
 
 1.百色-hyakushiki-「蕾盃」(丸嘉小坂漆器店)

 ガラスに赤一色の漆で塗られた器。
 中には色とりどりの線があり、まるで万華鏡のようです。

 これは、「丸嘉小坂漆器店まるよしこさかしっきてん」の「百色-hyakushiki-」というブランドの「蕾盃つぼみさかづき」です。
 「百色-hyakushiki-」というブランド名は、万華鏡の別名「百色眼鏡」から名付けられました。

 ガラスに漆を塗るきっかけとなったのは、木工職人の小坂玲央さんが、先代の作ったガラス天板をはめた卓袱台に漆を塗ったのが始まりです。
 ガラスに漆を塗っても剥がれてしまいますが、そうならないように長野県工業技術試験場とともに研究を進め、平成6(1994)年に漆とガラスのマッチングに成功。
 「すいとうよ」の販売を始めました。

 更に共同研究を重ねて、ドリンク用途だけでなく、より幅広い用途で使用出来る耐久性を達成して生まれたのが
「百色-hyakushiki-」です。

 「百色-hyakushiki-」はこれまでの漆器とは違い、金属製のカトラリーを使用することが出来ます。
 また油物も気軽に盛りつけることが出来ます。
 中性洗剤を使用したスポンジ洗いも問題ありません。

 丸嘉小坂漆器店 長野県塩尻市木曽平沢1817-1

 

 2.漆塗りの革財布「漆-URUSHI-」(未空うるし工芸)

 長野県塩尻氏木曽川に工房を構える「未空みそらうるし工芸」は漆塗り製品を製造している工房です。
 
 「木曽漆器」の伝統技術を受け継ぐとともに、新たな漆の可能性を探求して、「jaCHRO」(ジャックロ)というブランドを立ち上げ、様々な素材との融合により、新しい漆塗り製品を生み出しています。

 「jaCHRO」(ジャックロ)とは、世界から「japan」と表現されてきた「漆・漆器」と、「色彩論」を意味する「chromatics」を合わせ、漆の持つ様々な彩りと可能性を新しい形で世に発信することで、「漆塗り製品を知らなかった世代にも興味を持って欲しい」という強い思いから誕生したブランドです。

 そんな「未空うるし工芸」のブランド「jaCHROじゃっくろ」が紳士用高級革製品ブランド「キプリス(CYPRIS)」とコラボして出来上がった「漆-URUSHI-」(「jaCHRO leather」)は、革と漆とのコラボレーションで生まれた財布です。

 未空うるし工芸が独自に考案した技法を用いて、幾重にも塗り重ねられた漆の深みのある独特の色合いと
さりげなく散りばめられた細かなラメにより、光の当たり方でその表情を変えます。
 また、革素材の経年変化と漆の経年変化を同時に楽しむことも出来ます。

 飲み物の温かさを程良く伝えることの出来る厚さの漆塗り「CUP SLEEVE」(コーヒースリーブ)もあります。
 
 未空うるし工芸 長野県塩尻市木曽平沢1905-7

  
 3.「TOSO」(山加荻村漆器店)

 創業明治45(1912)年の「山加荻村漆器店」は、中山道の「贄川宿」(にえかわじゅく)と「奈良井宿」(ならいじゅく)の間には、木曽平沢の「漆の郷」(うるしのさと)と呼ばれるエリアにあります。
 
 屠蘇器とそき「TOSO」は、人気の料理研究家・宮澤奈々さんとのコラボレーションから生まれたオリジナル商品です。
 他に、お盆「BON TEMAE」「SUZU bon」があります。

 艶消ししたマットな風合いの黒い屠蘇器の「TOSO」は、3Dプリンターで作られました。
 そして食器洗浄機で洗えるように、「漆」を敢えて使わず、ウレタン加工が施されています。
 
 山加荻村漆器店(本店・蔵ギャラリー) 長野県塩尻市木曽平沢1766

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Nagano/Kisoshikki-2 より

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イッピンNHK 「華麗にして繊細~東京 ガラスの器~」

2023-11-26 08:51:05 | イッピンNHK

 第217回 2019年3月5日 「華麗にして繊細~東京 ガラスの器~」リサーチャー: 小芝風花

 番組内容
 東京のガラス製品が面白い。東京といえば、江戸切子が有名だが、従来の直線的な幾何学模様ではなく、金魚やトラが曲線で彫りこまれたグラス。また、一度廃れた技法を復活させ、ガラスの表面に霜や雪の結晶のような複雑な模様を浮かび上がらせたもの。さらに古代メソポタミアで生み出されたガラスの粉を練って、思い通りの造型を施していく、特殊技法。女優の小芝風花さんが、職人たちの工房を訪ね、驚きのワザを見せてもらう。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201903051930001301000 より

 

 江戸切子(但野硝子加工所)

 但野硝子加工所は江戸切子を製作する工房です。
 こちらの2代目、伝統工芸士の但野英芳 (ひでよし) さんが作る江戸切子には、冬の樹木、金魚、スカル、スパイダーなど、
動植物や水など自然界のモチーフが写実的に描かれていて、従来の直線的な幾何学模様のイメージとは、随分違う印象です。

 江戸切子が幾何学的な模様ばかりであったのには、理由がありました。
 ガラスは硬い素材なので、ダイヤモンド素材の道具でないと深く彫れません。
 筆で絵を描くのとは違って、回転する研磨機で図柄を削り出していきます。
 曲線や細かい表現をするのには、道具に工夫が必要でした。
 
 直径15cm程のダイヤモンドホイールが基本の道具として、細かな動きが出来るように、10cm、7cmのもの、更に5mm、3mmといったサイズのものと、但野さんは、様々なサイズ、太さ、粗さの道具を作り、それらを使い分けることによって、複雑なものや小さな部分が描くことが出来るようになりました。
 そのことにより、表現の幅が広がり、独自の作風が開花していきました。
 
 素材にも、独自のアレンジを加えています。
 色のついた「江戸切子」は、透明なガラスの外側に色ガラスの層を作って削ります。
 透明なガラスと色ガラスの2つを合わせるのは比較的たやすいのですが、更にもう1色加わると、機械で作ることは出来ないので、作家さんにお願いして「宙吹き」で作ってもらいます。
 各色の面積や色が入る位置を細かく指定することは難しいため、大まかな比率を伝えて吹いてもらうのだとか。
 
 作ってもらったガラスの色を生かしながら、図柄の構成を調整し、彫っていくそうです。

 但野硝子加工所 東京都江東区大島7-30-16

 

 サンドプラスト(マツウラブラスト・松浦健ニさん)

 職人の街・東京都葛飾区にある「マツウラブラスト」では、松浦健二さんが、細かい砂と風圧でガラスを削る「サンドブラスト技法」と江戸切子の技術を組み合わせ様々な柄を丹念に彫りこんだガラス細工を作っています。

 組合員のマツウラブラスト(サンド・硝子彫刻)がご紹介されます。

 「サンドブラスト」は、研磨材(粒子)をコンプレッサーの圧縮空気に混ぜて吹き付けて表面を加工する方法です。
 1870年にアメリカでベンジャミン・テルマンという人が船舶の錆落とし用の工業向けに開発しました。
 日本に入ってきたのは、その17年後の明治20年。
 東京工芸学校窯業科に導入されたのが最初です。

 「サンドブラスト」の魅力は、何といっても精密な図柄を描きながら、シルキーな質感をガラスに与えられること。
 しかも、ガラスだけでなく、今では、様々な素材への応用が試みられ、多くの伝統技術と組み合わされた作品がたくさん生まれています。
 
 木型職人の家に生まれた松浦さんがサンドブラストの道に入ったきっかけは、取引先のガラス工場に木型を納めに行った際、そこの社長さんから新しい仕事「サンドブラスト」を勧められたことからでした。
 
 勧めてくれたことが嬉しく、また何より「サンドブラスト」をやっている人が少ないところに惹かれ、基本的なことだけ習うとポンと独立したそうです。
 
 新しい業種であったため、何でも自分で工夫しなければなりませんでしたが、松浦さんは、新しいことに次々とチャレンジし、サンドブラストのパイオニアとして、業界をリードしています。

 松浦さんの作品は、透きガラスのコップに膠を巻きつけ、乾燥した膠がガラスの表面を剥ぎ取ることで描かれる自然な模様です。 
 
 マツウラブラスト 東京都葛飾区東新小岩8丁目30-5  

 

 パート・ド・ヴェール(HALI'S Glass Art Studio・由水直樹さん)

 レポーターの小芝風花さんが注目した「お香入れの器」。
 手掛けたのはHALI'S Glass Art Studioのガラス作家の由水直樹さん。
  「キルンワーク」と呼ばれる成型法を用いて、ガラス作品を制作しています。

 「キルンワーク(Kilnworking)」とは、冷えたガラスを組み合わせて、電気炉(キルン)に入れ加熱し、変形・融着させる手法です。
 
 「キルンワーク」 の中でも「パート・ド・ヴェール」という技法は、色ガラスの粉や粒を石膏の型に充填し
電気炉(キルン)で焼成する技法で、古代メソポタミアで生み出されました。
 
 「パート・ド・ヴェール」とは、フランス語で「ガラスの練り粉」という意味です。

 「パート・ド・ヴェール」は吹きガラスの発明と共に滅びますが、アールヌーボーの時代にフランスで再興されます。
 しかし、一子相伝のため、再び途絶えたしまった、幻の技法です。

 由水さんは、切り抜いた粘土をサラダボウルの形の粘土に貼り付け、石膏を塗って型を作ります。
 次にくぼみを埋めるように色や濃度が異なるガラスの粉を置いていきます。
 サラダボウルの厚みは、粉の量で決まるのだそうです。
 電気釜にセットして3時間ほど焼き、4日かけて冷まします。
 こびり付いた石膏を洗い落とし、サラダボウルは完成しました。

 HALI'S 東京都目黒区自由が丘1-22-3 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Tokyo/Glass より

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イッピンNHK 「繊細で優雅 北国の輝き~秋田 銀線細工~」

2023-11-25 07:28:04 | イッピンNHK

 第216回 2019年2月26日 「繊細で優雅 北国の輝き~秋田 銀線細工~」リサーチャー: 笛木優子

 番組内容
 銀線の透かし模様がきらめく、ペンダントや指輪。白と銀に輝く、さざんかの花のブローチ。太さ1ミリ以下の純銀を繊細に操って作られたアクセサリーは、東北・秋田の「銀線細工」。極細の銀線から、ピンセット一つで渦巻きや唐草模様を作り上げ、炎を操って立体的に組み合わせていく。銀ならではの輝きと緻密な手仕事の秘密に、笛木優子さんが迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201902261930001301000 より

 

 1.竹谷本店・渡邊圭子さん

 天保元(1830)年に創業した銀線細工の工房「竹谷本店」は、金銀を使った煙管(きせる)づくりから始まりましたが、
 現在は、ペンダントやブローチなどのアクセサリーをメインに制作・販売しています。
 
 その「竹谷本店」の銀線細工の制作を一手に引き受けているのが、キャリア30年の職人・渡邊圭子(わたなべ・けいこ)さんです。
 元々手先が器用で細かい作業が得意だったという圭子さん。
 高校を卒業後、秋田の工芸学校で銀線細工を学んだ後、「竹谷本店」に就職しました。
 以降、渡邊さんは約30年間、「銀線細工」を作り続けています。
 
 渡邊さんに「銀線細工」の製作工程を見せていただきました。
 材料は様々な太さの純銀の線です。
 まずは太さ0.3㎜の2本の銀線を木の板で挟んで何度も転がして撚り合わせていきます。
 続いて、撚った銀線をローラーにかけて平らにします。
 これを銅板に巻き、等間隔の折り目を付け、ピンセットで曲げていくと、直径僅か1㎝の花弁の形が現れました。
 今度は太めの銀線を撚らずに使って、唐草模様を作りました。
 
 全てのパーツが出来たら、直径3㎝の銀枠の中にはめ込んでいきます。
 パーツの長さと形を均等に合わせていきます。
 残った空間に、更に細かいパーツを使って埋めていきます。
 
 全てのパーツを入れたら、「ロウ」で銀線同士を固定します。
 「ロウ」は銀と真鍮を混ぜた粉で、この「ロウ」を水で溶いて、パーツの隙間に塗り込んでいきます。
 バーナーであぶると、「ロウ」が溶けてパーツの隙間に入り込んでいきます。
 「ロウ」に含まれた真鍮は、純銀よりも低い温度で溶け出し、パーツの隙間を銀で埋めて固定します。
 
 パーツが固定されたら、酸に漬けて真鍮などの不純物を取り除きます。
 この時、酸の影響で銀の表面に細かい傷がつき、ペンダントは真っ白になってしまいました。
 
 続いて、木の枠に押し付けてペンダントに立体感を出して、形を整えていきます。
 表と裏をバーナーで繋げたら、白くなっていた表面を金属の棒を押し付けて磨いて、ピカピカに光るペンダントが完成しました。
 素朴な銀線を巧みに操って生み出した、美しいフォルムです。
 小さなきらめきに丹念な手仕事が詰まったイッピンです。
 
 竹谷本店 秋田県秋田市中通二丁目4-3

 

 2.「金銀線工房しんどう」(進藤春雄さん)

 秋田銀線細工頂点のお一人、「金銀線工房しんどう」の進藤春雄さんは、15歳から修行を始め、60年近く銀線細工一筋の人生を歩んできました。

 指先とピンセットを駆使する繊細な技法、自然をモチーフにした独創的なデザインが評価されて、日展や日本伝統工芸展で何度も入選を果たした他、平成5(1993)年の皇太子殿下(現・天皇陛下)御結婚に際し、秋田県からの献上お品・銀線香器「春の夢」をまた令和元(2019)年には天皇即位を祝い、秋田県からの献上お品・銀線香器「清閑」を製作しています。
 
 進藤さんは、蕗やワラビなどの秋田の自然をモチーフとした作品を製作しています。
 中でも美しいと評判なのが、「山茶花」のブローチです。
 花弁や葉も全て細い銀線で作られています。
 
 進藤さんは、挟んだだけであっという間に花びらの形にしてしまいました。
 花弁枠が出来たら、中に入れる渦巻き状に巻いた「平戸」(ひらど)を3本撚りの銀線を使い、ピンセットで「の」字に巻いていきます。
 「間隔が狭いと丸くなるし、空けると長くなるので、 その中間を狙ってバランス見ながら自分なりに調整しているんです。」
 大きさは僅か1㎝。
 花弁の枠に入れ、ピンセットで締めていきます。
 
 金銀線工房しんどう 秋田県秋田市桜4丁目3−12

 

 3.桜の花びらの指輪(房工房・佐藤房雄さん)

 今、若い女性達の注目を集めている指輪があります。
 桜の花びらが唐草模様の上を軽やかに舞うデザインが可愛いと大評判。
 作ったのは、新進気鋭の銀線細工職人・佐藤房雄さんです。
 
 佐藤さんは20歳の時、地元にある「秋田ふるさと村」で初めて銀線細工の実物を目にしました。
 元々シルバーアクセサリーが好きで、高校卒業後に、シルバーアクセサリーを作る職人になりたいと思い、東京にある宝飾の専門学校に進学しました。
 学校では、銀を中心とした色々な技術を学んでいましたが、その繊細な技術に魅せられ、秋田銀線細工職人になることを決意したそうです。
 
 「銀線細工すとう」の須藤至さんに飛び込みで弟子入りし、15年の修行を経て、平成27(2015)独立。
 様々なオリジナル作品を発表しています。
 
 佐藤さんに、桜の花びらの指輪の製作模様を見せていただきました。
 特徴は、流れるような輪郭線が切れ目なく続くこと。
 これまでも銀線細工の指輪はありましたが、太い枠の中に模様を入れたものが主流でした。
 佐藤さんは、枠を取り払った、のびのびした指輪を作りたいと考えたそうです。
 
 材料は、太さの違う4種類の銀線と、撚った銀線3種類です。
 まず、一番太い銀線で骨格になる唐草模様を作ります。
 次に使うのは、2番目に太い銀線。
 次第に線を細くして、模様も小さくしていきます。
 
 今度は撚った銀線で隙間を埋めていきます。
 唐草模様と同じく、次第に銀線細く、パーツを小さくしていくと、様々な太さと大きさのパーツが重なり、起伏に富んだ表情が現れてきました。
 
 「少し背の高さですけど、凹凸をつけることで、より立体感が出るので、見た目の良さっていうのが出てくると思います」
 
 指輪のサイズを決める棒に巻きつけて、慎重に曲げていきます。
 佐藤さんは、模様が美しく見えるようにと、敢えて丸くしてから、パーツを付けていきます。
 慎重にパーツを置いてバランスを確認します。
 パーツの位置が決まったら、バーナーでそっと固定すると、上手く繋がりました。
 残った隙間にも、小さなパーツをはめ込んでいきます。
 縦5㎜程の花びらを指輪の上に置いたら、完成です。
 こだわり抜いた材料と技で銀線細工の枠を打ち破ったイッピンです。
 
 「自分にとっては、この新鮮みがあると言うか、機械では出来ない、やっぱ手作りならではの繊細な感じを出せるって一番魅力かなと思います。」
 
 遠くヨーロッパから伝わり、北国秋田で育まれた銀線細工。
 涼やかな輝きには職人たちの静かな情熱が込められていました。
 
 房工房 秋田県横手市十文字町海道下68-31

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Akita/SilverFiligree より

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イッピンNHK 「伝統の技でスタイリッシュに!~富山・高岡の金属製品~」

2023-11-24 08:41:25 | イッピンNHK

 第215回 2019年2月12日 「伝統の技でスタイリッシュに!~富山・高岡の金属製品~」リサーチャー: 中山エミリ

 番組内容
 控えめな金色が愛らしい、円すい形のフォルム。たたくと「チーン」と澄んだ音色が響きわたる。実はこれ、仏壇に欠かせない「おりん」を現代風にアレンジしたもの。日本有数の金属産業の町、富山県高岡市では今、伝統の技法を組みあわせた斬新な製品が次々生まれている。銅を青く深い味わいに加工した、ぐい飲み。ビールの冷たさを維持し、鉄の持ち手がしっかりと支えるビアカップ。新しい金属製品の魅力を、中山エミリがリサーチ!

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201902121930001301000 より

 

 1.「おりん」(能作)

 能作さんは大正5(1916)年に高岡の地で鋳物の製造を開始しました。
 平成12(2000)年頃から、高岡銅器の鋳造・加工技術を応用したベルや風鈴等の真鍮製のインテリア雑貨を手掛けています。

 

 2.R&W ビアマグ(織田幸銅器)

 「織田幸銅器」さんは、長年に渡り銅鋳物製品の製造・販売に携わってきた会社です。
 「RED&WHITE(レッドアンドホワイト)」は日本語では「紅白」。

 様々なお祝い事の贈りものに最適な商品を、毎日の生活の中で、ジュエリーのように輝くものを作りたい。
 そう考えて生まれたオリジナルブランドです。

 「R&W ビアマグ」は純銅のマグで、冷たい飲み物を注げばすぐに同じ冷たさになり、キープしてくれるので、飲み終えるまで冷たいまま頂くことが出来ます。

 底面が丸みを帯び、一見倒れてしまいそうに思えますが、鉄の持ち手がしっかりと支えるビアカップです。

 モスコミュールカップやアイスコーヒー用のカップもあります。

 
 
 3.Guinomi Sake Cup(四津川製作所・喜泉 KISEN)

 四津川製作所は、高岡市金屋町において代々続く高岡銅器製造元です。
 「喜泉」は創業当時から受け継ぐ雅号です。
 人々の暮らしに喜びと潤いを添えたいという思いが込められています。

 「KISEN」は雅号「喜泉」に込められた思いを進化させ、現代の暮らしにも届けたいと生まれたライフスタイルブランドです。

 「Sake」は木と金属を組み合わせたユニークでスタイリッシュな酒杯です。
 ベース部には真鍮を用いているためずしりと重く、安定感は抜群。
 美しさが際立つプロポーションをしています。

 ターコイズブルーの渋い色合いは、長年使った銅板に吹く緑青のイメージで、引き締まった雰囲気を持つ深遠な色合いは、いつまでも眺めていたい”蒼色”になっています。

 

 四津川製作所 富山県高岡市金屋町7-15

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Toyama/TakaokaDouki_3 より

 

 「能作」の本社FACTORY SHOPにも昨年行かせて頂きました。

 面白い!

 ぜひ一度行ってみてほしいショップです。

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イッピンNHK 「千年受け継ぐ 優美な木工~京都・京指物~」

2023-11-23 06:21:49 | イッピンNHK

 第214回 2019年1月29日 「千年受け継ぐ 優美な木工~京都・京指物~」リサーチャー: 安田美沙子

 番組内容
 京都。観光客をもてなす「木のぐい飲み」が人気だ。凜とした円柱形に、美しい木目。日本酒を注ぐと、ふわりと杉の香りが立ち上る。木と木を巧みに差し合わせた木製品は「京指物」と呼ばれ、その歴史は平安時代にさかのぼる。伝統の茶道具に隠された、粋なデザインの秘密。桐箱のフタに、多種多様な木片から花模様を描くワザも紹介。技術と美意識を受け継ぎ、挑戦を続ける職人たちに、安田美沙子が迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201901291930001301000 より

 

 1.「吉野杉ぐい呑」(桶屋近藤・近藤太一さん)

 京都紫野の大徳寺近くにある工房「桶屋近藤」を構える近藤太一さんは、桶を専門に作る桶職人で、全ての工程を一人で行っています。
 
 近藤さんは、京都精華大学から大学院まで進んで、修了後は大阪芸術大学に勤務していました。
 任期終了後に、中川木工芸の3代目の中川周士さんに「手伝いに来い!」と言われ、その時に見た「木工芸」の人間国宝・中川清司さんの仕事ぶりに痺れ、師事。
 職人として桶や樽の製造技術を学びました。
 その時、近藤さんは既に29歳。
 職人としては非常に遅いスタートだったので、必死になって仕事に打ち込んだそうです。
 平成21(2009)年に独立して、工房「桶屋近藤」を創業。
 平成28(2016)年には「京指物 伝統工芸士」に認定されています。

 近藤さんはの作る桶は、清々しい凜とした姿と国産の良質な杉、椹などの木目の美しさが特徴です。
 その桶の技術を使って現代の暮らしに落とし込んで作った「木のぐい吞み」が人気です。
 材料は奈良の「吉野杉」。
 木目が美しく、江戸時代から酒樽などに用いられてきました。
 日本酒を注ぐと、ふわりと吉野杉の木の香りが立ち上ります。

 作り方を見せていただきました。
 まずは、吉野杉を丸みのついた鎌で割って、アーチ状の木のピースを作ります。
 これを組み合わせて円柱にしていくために、鉋(かんな)で緻密に整えていきます。
 この時「正直型」という道具を使って、型と木のピースが隙間なくピッタリ合うように、少し削っては型に当て、正確な角度に調整していきます。
 この部分の角度が揃っていないと水が漏れたり、強度が下がってしまうため、光に透かしながら、光を漏らさないように削り合わせます。
 
 「正直型」は桶のサイズに合わせて手作りした定規です。
 円の中心に角度を合わせて、木のピースの側面を削る角度を定めた道具です。
 「”正直を押す”と言います。正直者の正直。
 横の角度を正確に合わせないとキレイな円にならない。
 ですから、正直にやらないと正確な桶が出来ないよって言います。」
 
 八枚から十枚を組み合わせてキレイな円柱になったら、接着剤でしっかり固定して、一晩乾燥させます。
 パーツの繋ぎ目を削って美しく仕上げていきます。

 そして、飲み口から底にかけて、緩やかに厚みを変えていくために、たくさんの工具を使って正確に削っていきます。
 直接口が当たる飲み口は柔らかに薄く、底は分厚くすることで強度を持たせています。
 外側を削るには、丸みのある、通称「外カンナ」を使います。
 内側を削るには、「外カンナ」とは逆向きに膨らんだカーブがついた「内カンナ」を使います。
 7種類ものカンナを駆使して10分程削って、美しい曲線が浮かび上がった、理想の形になりました。
 
 桶の大きさや角度に合わせて沢山のカンナを使い分けなくてはならないため、近藤さんの仕事場には、壁に一杯に鉋が掛けてあります。
 近藤さんは、先輩から譲り受けたり、古道具屋を回ったりして様々な鉋を集めていて、仕事に合うように改造しながら、使っているそうです。

 次は、丸く切った底板をはめていく作業です。
 専用の小さな鉋でサイズを調整したら、鉄の棒を取り出して、底板を力強く擦り始めました。
 
 これは「木殺し」という作業です。
 杉の木の繊維には空洞が多く、スポンジのような構造をしています。
 圧力を加えることでこの空洞がギュッと圧縮され板がわずかに縮むので、底板をはめ込んでいきます。
 そして最後に補強のため、タガをはめたら、完成です。
 完成後に水につけると、元通りに杉板が膨らみ底板がピッタリと密着します。
 
 丁寧な道具選びと、手仕事から生まれ美しい形。
 杉の香りとともに職人の思いまで漂ってくる贅沢な一品です。
 

 桶屋近藤 京都市北区紫野雲林院町64-2

 

 2.桐箱(森木箱店・森久杜志さん)

 京都では、茶の湯に使う陶芸品を入れるために「桐箱」作りが発展しました。
 茶碗などを入れる「桐箱」の無駄のない美しさは、簡素さを尊ぶ茶道の世界で愛されたのです。
 そして、紐を掛けて”ふたがき”をした「桐箱」の紐の種類だったり仕様を見るだけで、中に入ってる陶器だったりの値打ちが大体分かるため、「桐箱」は入れ物として重要でした。
 因みに「木箱」を重んじる文化があるのは、日本だけだそうです。

 森久杜志さんは、創業100年以上になる森木箱店の4代目です。
 美術大学で陶芸を学んだ後、1年間釉薬の勉強を行ない、修行に入る形で家業を継がれました。
 プロとして小手先ではなく、10年以上体で覚えた「桐箱」作りで、伝統を受け継いでいらっしゃいます。

 「桐箱」作り伝統の技を拝見しました。
 まず板を丁寧に削り落とし、箱の形に組み立てていきます。
 この時、凹凸を組み合わせて木を木に指し込むため、「指物」と言うのだそうです。
 釘として使うのも木で、金属は一切使いません。
 「釘などの金具を使うと、 そこが錆びて腐食して木を傷めたりするので、 却って木で作る方が丈夫で長持ちする」

 箱の形に組み立ててからが、桐箱職人の本領発揮。
 蓋に「天盛り」という丸みを施していきます。
 「天盛り」は、厚めの材を用いて蓋の表面を削り出し、四方に盛り上げたものです。
 職人によって形が違ういわばトレードマーク。
 薄く静かな美しい曲線は、職人の腕の見せ所です。
 
 「てっぺんを頂点にして、丸く仕上げていくことによって 触った感じでほんわりとなるように仕上げていきます」
 
 森さんは蓋の上から2㎜のところにラインを引くと、鉋で勢いよく削り始めました。
 そして、理想の丸みを求め、何度も触り心地を確認します。
 30分後、奥ゆかしい、触って初めて丸みが分かるという優しいカーブです。
 完成した天盛りに平らな板を乗せると、両端がかすかに浮いています。
 その幅は僅か2㎜です。
 
 時を超え愛され続ける京都の桐箱。
 釘を使わず仕上げた、柔らかい風合いから職人の矜持が覗く逸品です。

 

 森木箱店 京都市山科区川田清水焼団地町4-1

 

 3.木彫刻(彫刻工房 小谷・小谷純子さん)

 今、女性達の間で可愛いと評判の桐箱があります。
 優雅な模様が流れるように側面まで。
 よく見ると花びらや葉の全てが木を組み合わせて作ってあります。
 
 作ったのは、小谷純子さん。
 「京指物」の伝統工芸士でただ一人の女性の職人さんです。
 細やかな彫刻や象嵌の技法で文箱やブローチ、手鏡などを作っていらっしゃいます。
 
 小谷さんは、元々コンピューター関係の職に就いたのですが、ハードワークで体を壊したことがきっかけで、自分のペースで長く続けられる仕事をしようと、京都伝統工芸専門校(現:京都伝統工芸大学校)に入学し、木彫刻を学びました。
 卒業後は親方の下で8年間修行した後、独立し、現在は自宅を工房として活動しています。

 茶道具や仏壇関係の仕事が多いそうですが、その合間に展示会用の作品等オリジナルの作品も製作しています。
 中でも代表作が花模様の桐箱です。
 
 作り方を拝見しました。
 家具や建築の仕上げに使われる薄くスライスし、その裏には紙を貼って補強してある僅か0.5㎜の極薄のシートから小刀で、花びら、茎、花弁とパーツを切り抜いていきます。
 桐箱の上に直接パーツを置いて位置を確認したら、大きさに合わせて輪郭線彫り、小さなノミで極薄のパーツと同じ0.5㎜分だけを彫り下げていきます。
 そしたら先程のパーツを木肌にぴたりと埋め込んで、接着剤をつけて固定させます。
接着剤が乾くまでテープでしっかりと留めておきます。
 15時間かけてパーツ70個が全て入りました。
 最後に金でアクセントを付けて完成です。
 
 素材や地色の違いでコントラストが際立ち、愛らしい小花がクッキリと姿を現しました。
 伝統の桐箱をモダンに生まれ変わらせた可憐な木の花。
 京指物に新たな風を吹かせる逸品です。

 

 彫刻工房 小谷 京都府京都市南区西九条島町5-2

 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Kyoto/Kyosashimono より

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