いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

イッピンNHK 「山から生まれた暮らしの道具~秋田・工芸品~」

2023-12-12 09:17:35 | イッピンNHK

 第233回 2019年9月24日 「山から生まれた暮らしの道具~秋田・工芸品~」リサーチャー: 生方ななえ

 番組内容
 東北を縦断する奥羽山脈。その山の恵みが生んだ工芸品が秋田県にある。横手市の山に自生するアケビのツルで作る手提げかごは、丈夫で型崩れしない。800年の歴史を持つ湯沢市の漆芸。地元の漆の木からとった漆だけを使い、1年をかけて塗り上げられる椀は、ほのかに赤みの差す独特の光沢を放つ。また、明治時代に一度途絶えた仙北市の焼き物、白岩焼。よみがえった神秘的な青色に、陶芸家が託したのは、雪解けの風景だった。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201909241930001301000 より

 

 1.中川原信一さんのあけび籠

 東北では、昔から農作業の合間にあけび、ぶどう、葛、くるみなど山で採れる植物を編んで籠を作り、農作業の他、買い物かごとして使ってきました。

 プラスチック製の籠が普及し、山で採れる植物から作る籠の需要は減り、作り手も減ってきました。
 そのような中、秋田県横手市金沢に住む中川原信一さんは、カゴづくりの名人と称された父のもとで修行を積み、あけびの籠を作り続けています。
 
 その高い技術により、平成15(2003)年全国網み組み工芸展では大賞受賞など民芸関係の数々の賞を受賞されています。

 中川原信一さんは、横手の山で自生したあけびを自ら採集し、奥様の恵美子さんが蔓についた葉や根を丁寧に取り除いて、10日間天日干しします。
 更に室内で2カ月以上乾燥させて、しっかり水気を抜きます。
 これで、あけびの芯の中まで締まっていくのです。

 中川原さんは、編む前に蔓を奥羽山脈の伏流水に浸けます。
 それから、自らの感覚だけで、ふっくらとしたフォルムの籠を編み込んでいきます。
 消耗が激しい持ち手部分は、山の恵みを受けた良質な蔓を使い、しっかりと巻きつけていきます。

 

 2.川連漆器・寿次郎

 800年の歴史を持つ湯沢市の「川連漆器」(かわつらしっき)は、素朴でふくよかな形をし、ほのかに赤みの差す独特の光沢を放っている漆器です。

 「寿次郎」は明治初期に創業した後、代々変わらず、原材料の全てに天然素材を用い、全ての工程を手作業で行い、製造から販売に至るまで一貫して関わっています。

 佐藤史幸さんは石川県立輪島漆芸技術研修所で学んだ後、父・幸一さんの指導を受けながら、作品を作っています。
 そして、「自分で掻いた漆でお椀を塗ってみたい」という衝動に駆られて、地元湯沢産の「漆」を集めてもいます。

 史幸さんは早朝に「漆」を採取します。
 採取出来る貴重な木をなるべく傷つけないように、気を配ります。
 採取後、1年間おいて発酵させます。
 仕上げ塗りに使う半透明の飴色の「漆」を塗ると、質感とワインカラーの光沢が生まれてきます。
 
 塗り始めてから出来上がるまで1年を要しますが、後の世にも「漆」が残っているようにと、史幸さんは仲間とともに植樹にも勤しんでいます。

 秋田・川連塗 寿次郎 秋田県湯沢市川連町字大舘下山王119-3

 

 3.白岩焼窯元「和兵衛窯」

 「海鼠釉」の深い青色が印象的な「白岩焼」は、今からおよそ240年前、現在の仙北市角館町において秋田藩初の窯元として生まれました。
 
 当時秋田藩では鉱山の採掘が盛んで、鉱物の精製時に使う陶製の耐熱容器「ルツボ」を作る技術者として呼ばれた現在の福島県浪江町の「大堀相馬焼」の関係者・松本運七が創始しました。
 その技術は当時珍しいものだったので、角館のお役人は 「この技術を 外に漏らしてはならない」という「他言無用」の証文を、書かせるほどでした。
 
 そんな「白岩焼」でしたが、明治になり藩の庇護を失うと、衰退。
 更には、明治29(1896)年の真昼山地震により全ての窯が壊滅状態となり、わずかに復興した窯も明治33年には窯の火を消してしまいました。
 
 それから70年後、昭和に入って、江戸期の窯元の一人、渡邊勘左衛門の末裔・渡邊すなおさんが、昭和50年に「和兵衛窯」を築窯、白岩焼復興を果たしました。
 
 この頃、「白岩焼」と「樺細工」を訪ねて、民芸運動の柳宗悦と陶芸家であり人間国宝の 濱田庄司が度々同地を訪ねていました。
 昭和49年に当時の秋田県知事小畑勇二郎の依頼により濱田庄司が白岩の土の陶土適正の検査を行うと陶土としての質の良さが判明し、渡辺すなおさんに助言しました。
 すなおさんの夫、渡邊敏明さんが平成5年に登窯を完成させました。
 
 現在、お嬢さんの渡邊葵さんも「和兵衛窯」で制作活動されています。
 水色と赤茶色のコントラストが魅力的なお皿を作っています。

 陶芸家の渡邉葵さんは赤茶色になる部分には赤土が配合された土釉を使い、神秘的な青色は独特の「海鼠釉」で出しているとおっしゃいます。
 この海鼠釉には、「あきたこまち」の籾の灰を混ぜているそうです。
 水色と赤茶色のコントラストで、長い冬が終わり、雪の間から赤茶色の土が見え始める春の到来を表現しているのだそうです。

 白岩焼 和兵衛窯 秋田県仙北市角館町白岩本町36-2

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Akita/crafts より

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イッピンNHK 「神秘のきらめき 多彩な造形~茨城のガラス製品~」

2023-12-11 09:01:20 | イッピンNHK

 第232回 2019年9月10日 「神秘のきらめき 多彩な造形~茨城のガラス製品~」リサーチャー: 白石美帆

 番組内容
 茨城県は工芸が盛んな土地で、ガラス工芸もそのひとつ。県外から作家が集まり、多彩な作品が生まれている。緻密な模様が施され、優美な輝きを放つクリスタルガラスのグラス。柔らかな曲線、立体的な表面のグラスにはまるでイチゴのような模様が。ガラスとは思えない香水瓶は不思議な色合い。光をかざすと美しい輝きが。多彩な造形の器を作り上げる職人や作家の技や情熱を紹介。白石美帆さんが茨城のガラス製品の魅力に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201909101930001301000 より

 茨城のガラス工芸製品・古墳時代からカガミクリスタルまで
 NHKイッピン「神秘のきらめき・多彩な造形 茨城のガラス製品」で紹介された「カガミクリスタル」の製品や茨城県龍ヶ崎市にある工場見学情報、河上智美さんのいちごグラスなどの作品、茨城ガラス工房での体験教室情報や通販でのお取り寄せを探してみました。

 目次

 1 茨城のガラス工芸製品・古墳時代からカガミクリスタルまで
 2 なすび亭の吉岡英尋氏とのコラボ・江戸切子が特徴の和乃美
 3 カガミクリスタル・茨城県龍ヶ崎市の工場見学情報
 4 体験は茨城県北茨城市のガラス工房SILICA(シリカ)がおすすめ
 茨城の伝統工芸では笠間焼、結城紬、春慶塗がありますが、ガラス工芸もよく知られています。

 茨城県南部のつくば市上境地区の上境作ノ内(かみざかいさくのうち)遺跡からは、古墳時代後期(6世紀後半から7世紀前半)の古墳4基が見つかりました。

 そこからは、馬型や人型、円筒型などの埴輪(はにわ)とともに装飾品のガラス玉が出土しているんですね。

 龍ヶ崎市には皇室ご用達で世界各国にある250以上すべての日本大使館・領事館においても使われているという「カガミクリスタル」の本社・工場があります。

 また、古河市には東京都中央区日本橋に本社をおく日本の耐熱ガラスメーカー「HARIOハリオ」の工場、また北茨城市には体験型施設のガラス工房SILICA(シリカ)があるだけでなく、茨城を拠点に制作活動を行う個人作家もたくさんいます。

 なすび亭の吉岡英尋氏とのコラボ・江戸切子が特徴の和乃美
 NHKイッピンで取り上げられたのはカガミクリスタルの「FeelJapan 和乃美」。

 「和乃美」は日本料理店「なすび亭」のご主人・吉岡英尋さんが、カガミクリスタルと共同開発した限定品の「和食に溶け込む新たな冷酒杯」です。

 杯に注ぐまで日本酒の香りを保ち、和の食卓に馴染むよう考案された美しい形状で、装飾は江戸切子伝統文様の菊つなぎが施されています。

 このほかにもカガミクリスタルといえば、タンブラー、ロックグラス、ワイングラス、花瓶などが人気がありますね。

 カガミクリスタル・茨城県龍ヶ崎市の工場見学情報
 ちなみに、カガミクリスタルでは茨城県龍ケ崎の本社工場で工場見学を受け付けています。

 1000℃を越す温度に溶けたクリスタルガラスの型吹きや宙吹きなどから、切子を彫り込む工程やグラスの表面を彫り込んでいく工程などが見学できます。

 所要時間は約50分、土日・祝祭日はお休みのようです。予約は電話にて事前申し込みが必要です。交通アクセス・連絡先などのくわしい情報はこちらをチェックしてみてください。

 体験は茨城県北茨城市のガラス工房SILICA(シリカ)がおすすめ
 茨城のガラス工房で体験してみたいという方は、茨城県北茨城市のガラス工房SILICA(シリカ)がおすすめです。

 ガラスの原料は大部分が硅砂(Silica Sandシリカサンド)から出来ていることから名づけられたそうです。

 ここでは、吹きガラス体験、バーナーワーク体験、サンドブラスト体験、リューター体験、ジェルキャンドル体験、フォトフレーム体験、編込み体験から季節限定の体験教室まで幅広く行われています。

 開催時間もそれぞれ違っているのでくわしくはこちらをごらんくださいね。

*https://riversidelabo.com/ibarakigarasu/ より

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イッピンNHK 「進化する“みやび”~京都 工芸品と菓子~」

2023-12-10 08:28:31 | イッピンNHK

 第231回 2019年9月3日 「進化する“みやび”~京都 工芸品と菓子~」リサーチャー: 三倉茉奈

 番組内容
 千年の都、京都。御所を中心に優雅な文物が次々と生まれ、それが庶民の間に広まり、親しまれていった。優雅な御所うちわが進化した「透かしうちわ」。あおぐのではなく、見て楽しむ。また、皇室の祝い事で引き出物によく使われる「金平糖」。いまでは60種類以上の味が楽しめる。さらに京都名産の竹を使った繊細なアクセサリーで人気を集める女性工芸家。京都ならではの工芸品と菓子の魅力、その製作過程を紹介する。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201909031930001301000 より

 千年の都・京都は、政治だけでなく華やかな宮廷文化の発信地でした。
 雅な品々がここから庶民の間に広まり、やがて驚きの進化を遂げていきます。
 今回のイッピンは、京都ならではの雅な色、形そして味に迫りまりました。
 
 
 1. 透かしうちわ(京うちわ「阿以波」十代目・饗庭智之さん)

 奈良にある国宝「高松塚古墳」の壁画には、日本のうちわと言われる原形「翳」(さしば)を手にした女性が描かれています。
 うちわは元々、高貴な女性が顔を隠すために使うものでした。
 都が京都に移ってからも、うちわは優雅さの象徴であり、庶民の憧れでした。
 江戸時代には、花や鳥や虫などがまるで日本画のように繊細優美に描かれた絵柄をつけたうちわ「御所うちわ」が大流行し、夏の暑さをしのぐものとして欠かせない存在となっていきました。

 「阿以波」(あいば)は、初代長兵衛が近江高島の“饗庭(あいば)”より都に出て元禄2(1689)年に店を開いたことに始まります。
 「阿以波」(あいば)という名は、静と動の禅語「江月照し、松風吹く」に由来するそうです。
 七代目より「うちわ専門店」となり、「御所うちわ」の伝統を伝える「京うちわ」を作り続けてきました。
 現当主は、その十代目の饗庭智之さんです。
 「京うちわ」の製作技術を今に伝えるとともに、新たな「うちわ文化」を創造し続けています。

 「透かしうちわ」は、一般的なうちわとは違い、紙が全面に貼られておらず、細い骨に繊細な切り絵細工が施されています。
 うちわの表面の切り絵の美しさは勿論、ライトや日光が当たると壁に浮かび上がる陰影までも楽しめます。
 
 普通のうちわでは骨の数は50本程ですが、「透かしうちわ」は倍の100本必要だと言います。
 壊れやすいので強度を高めるために骨の数を多くしなければならないのだそうです。

 眺めて涼をとるために作られるようになった「透かしうちわ」ですが、お客さまから「冬に合ううちわはありませんか?」という問い合わせが増え、現在では、様々な四季の模様が入ったうちわが作られています。
 花を生ける代わりに「透かしうちわ」を飾ったりなど、現代の「うちわ」は、インテリアとしても利用されています。
 

 京うちわ 阿以波 京都府京都市中京区柳馬場通六角下る井筒屋町422

 

 2.「竹のアクセサリー」(「京竹籠 花こころ」小倉智恵美さん)

 京都・嵯峨野は京都は全国でも指折りの竹の産地で、美しい竹林が有名ですよね。
 茶筅、茶杓などお茶の道具など、竹を使った工芸品作りも盛んに行われています。

 京竹籠 花こころの小倉智恵美さんは、独特な感性で今注目を集める竹細工職人です。
 竹割から仕上がりまでを一貫して行い、機械を使わない丁寧な手仕事で、日本の美の温もりと日常シーンで輝く美しさを兼ね備えた逸品を制作していらっしゃいます。
 今一番の人気は、竹で作ったアクセサリー「バングル」です。

 小倉さんは神奈川県出身。
 平成16(2004)年に京都伝統工芸専門学校(現・大学校)竹工芸専攻卒業し、平成23(2011)年に自身のブランド「京竹籠 花こころ」を立ち上げました。
 平成26(2014)年にパリで開催された「ジャパン・エキスポ」で注目され、バングルやリングなどのアクセサリーや
繊細な編み方のテーブルウェアが人気を呼びました。
 
 小倉さんは京都で学んだ昔ながらの方法を大事にしています。
 なたを使って竹を幅1㎜以下になるまで割っていきます。
 細いところだと、0.5mm幅の極細の竹ひごを指先に神経を集中させて、より緻密な模様にしていきます。
 
 
 3.手作りの金平糖(「緑寿庵清水」五代目・清水泰博さん)

 皇室の祝賀行事の引き出物「ボンボニエール」。

 ボンボニエール(Bonbonnière・仏語)
 ボンボン(砂糖菓子)を入れる 菓子器のこと。
 明治22(1889)年の「憲法発布記念式典」にて配られて以来、皇室の慶事の記念の引き出物として用いられるようになりました。
 令和の天皇陛下御即位の大礼に際しての記念の品にも選ばれました。
 そして中の菓子は、現在では概ね 「金平糖」が入っています。
 
 「ボンボニエール」の中には様々なお菓子が入れられますが、中でも多いのが京都の「金平糖」です。
 金平糖は16世紀ポルトガルからもたらされたと言われています。
 (ポルトガル語では「confeito(コンフェイト)」と言うそうです。)
 京都にその製法が伝わったのは江戸時代で、以来この町の人々に親しまれ、また皇室ゆかりの菓子になりました。

 創業が弘化4(1847)年という「緑寿庵清水」は、日本で唯一の金平糖専門店で、現在は約60種類程の金平糖を作り出しています。

 直径2m程の鉄の釜を熱して回しながら金平糖を作ります。
 鉄の大きな釜を回しながら職人がタイミングを計って蜜を入れ、様々の味をつけていきます。
 なんと2週間という時間をかけて、少しずつ少しずつ蜜をかけ、粒を大きくさせ、あの独特の突起をつけていきます。
 
 緑寿庵清水 京都府京都市左京区吉田泉殿町38番地2

 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Kyoto/Craft_sweet より

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イッピンNHK 「かけるだけじゃない!技を生かしたものづくり 福井メガネ産業」

2023-12-09 08:33:02 | イッピンNHK

 第230回 2019年8月13日 「かけるだけじゃない!技を生かしたものづくり 福井メガネ産業リサーチャー: 安田美沙子

 番組内容
 「つる」の部分が山なりにカーブを描いていて、かけたときに圧迫感が少ない斬新なデザインのメガネが話題だ。これはメガネ製造の産地、福井で作られたイッピンで、美しいカーブは熟練の職人が手作業で施したもの。そして今、メガネ作りの技術を生かし、新たな製品も続々誕生。メガネフレームの素材で作ったスプーンや、メガネの「つる」の構造を応用したユニークな製品も!?福井のメガネ作りの技を安田美沙子がリサーチする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201908131930001301000 より

 

 福井県は、国内生産フレームの9割以上のシェアを持つ「めがねの産地」です。
 
 「めがねミュージアム」には、福井県内約50社のMade In Japanの最新モデル3,000本以上を展示販売しているアンテナショップの「めがねShop」、眼鏡づくりを体験出来る「体験工房」、眼鏡の歴史をより深く知ることが出来る「めがね博物館」 、その他、鯖江市内の名菓に、最近人気を集める眼鏡の加工技術を応用した製品が販売されています。
 
 めがねミュージアム 福井県鯖江市新横江2-3-4

 1.「FLEA」

 「FLEA」は「フリー」と読み、「蚤」(のみ)という意味です。
 「フリーマーケット(flea market)」のことを「蚤の市」と言いますが、その「フリー」です。
 
 「フリーマーケット(flea market・蚤の市)」の語源
 ・蚤がわくほど古いものが売られているため

 ・元々古い絨毯を売る市で、蚤がたくさんいたため

 ・古い品物が人から人へと、蚤のように渡っていくため

 ・品物に多くの人々が蚤のように集まるため

 
 
 「女性を可愛く演出するメガネ」を基本コンセプトに、平成10(1998)年、「FLEA」(フリー)は誕生しました。
 「日本人の女性の肌に馴染む色」
 「十人十色」コンセプトにカラーバリエーションも豊富です。

 ですが「FLEA」(フリー)の特徴は何と言っても「顔に着けた時の軽い掛け心地」です。
 一般的には、眼鏡の「ツル(テンプル)」は真っ直ぐですが、「FLEA」(フリー)の眼鏡は、蚤(FLEA)がピョンと跳ねるような、上方に大きくアーチを描いた”テンプルライン”になっています。

 

 デザイン(オプティックマスナガ・増永幸祥さん)

 蚤がジャンプする姿をイメージして作られた「FLEA」のメガネをデザインしたのは、オプティックマスナガの増永幸祥(ますなが ゆきよし)さんです。
 増永さんは、メガネの「ツル(テンプル)」の部分にこだわり、「ツル(テンプル)」が湾曲したデザインとフィット感を追求してきました。

 「ツル(テンプル)」はメガネの掛け心地を左右する重要なパーツです。
 「ツル(テンプル)」は両耳に掛けることで、メガネの重量を支えているためです。
 テンプルと耳のカーブがフィットしていないと耳の上部に引っかかり、大きな負荷が掛かってしまいます。
 アーチ状にカーブした部分で頭を包み込むように支えてくれるため、「FLEA」のメガネは抜群のフィット感が得られるのです。

 圧迫感なく、ズレにくいのも特徴です。
 テンプルとフレームの繋ぎ目に「一ケ智」という部品を使用しています。
 丁番が 一体になっている「一ケ智」を使用することで、テンプルの開きを抑え、メガネがズレるのを防ぐことが出来ます。

 オプティックマスナガ 福井県鯖江市つつじヶ丘町1-3

 

 製造(平等眼鏡製作所・平等浅教さん)

 「FLEA」の独特な、頭をふんわりと優しく包み込むような湾曲した形状、実はこれ、1本1本職人さんの手曲げによって作り出されています。
 「FLEA」は、誕生した時から現在まで一貫して「MADE IN 鯖江」にこだわり、全て同じ工場の同じ職人さんに生産を任せています。

 「FLEA」のメガネフレームの「ツル(テンプル)」を作るのは、平等眼鏡製作所(たいらがんきょうせいさくじょ)の職人歴40年の平等浅教さん、ただお一人です。
 増永幸祥さんのデザインを高い技術で具現化しました。
 昔からの手法で一本一本手作業で作って、同じ形にしています。
 
 平等眼鏡製作所 福井県鯖江市上河内町32-1

 

 2.クリップ式チタンスプーン「Picklip(ピックリップ)

 鯖江の精密なメガネは、各部品が分業して生産されていて、1つのメガネを作るために10以上の会社が関わっています。
 近年、メガネの各部品の製造技術を生かした新製品が生まれています。

 「Picklip(ピックリップ)」は「Pick(摘む)」+「Clip(挟む)」の造語です。
 指で持つ(摘み挟む)とクリップの開口部が同時に広がるため、容器の縁にクリップを負荷を掛けずに行え、脱着も容易にスムーズに行うことが出来るスプーンです。

 

 開発(吉岡ロゴテック・吉岡敦之さん)

 「吉岡ロゴテック」は、ツル(テンプル)の部分にレーザーで文字を彫り込む作業を専門に行なっているメーカーです。
 吉岡敦之さんは、メガネのフレームに使われている金属チタンの弾力性を別の製品にも行かせないかと考え、クリップ式チタンスプーン「Picklip(ピックリップ)」を開発しました。
 
 このスプーン、上部がクリップ式になっているので、使った後のスプーンをグラスの縁に挟んだまま飲むことが出来、また繰り返し混ぜることが出来るため、ウィスキーや焼酎などをステアする時に重宝します。
 しかも、クリップの部分に好きなチャームをつけられるので、パーティーの時は自分のコップが分かりやすいです。

 
 材質には「高級弾性チタン合金」を使用していますので、軽量で弾性があり、錆びませんし、アレルギーレスで体にも優しく、衛生的でもあります。
 
 経済産業省主管のクールジャパン2015「The wonder 500」にも選ばれています。
 「マドラー」や「ココアスプーン」、転がっても絵が上向きで止まる縁起のよい箸「起き上がり個箸」などもあります。

 吉岡ロゴテック 福井県福井市花堂南2-13-16

 

 ベータチタン(服部製作所・服部祥也さん)

 吉岡さんが製造を依頼しているのは、チタンのメガネフレームを作っている会社「服部製作所」さんです。
 
 「チタン」は軽くて錆びなくてアレルギーも少ないので、メガネの材料として多くのメリットがあるのですが、硬いので加工の難しさがネックになっています。
 今まで通りのやり方で作ると、金型の方が壊れてしまうそうです。
 服部製作所さんでは長年の金型作りの技術の生かして、チタン加工のレベルを高めています。
 
 社長・服部祥也さんに紹介していただきました。
 材料はメガネフレームに使われている「ベータチタン」という金属です。
 まず、スプーン全体の形にくり抜いた「ベータチタン」に穴を開けます。
 この穴を開けたところが最終的にクリップの部分になります。
 クリップ部分に弾力性を持たせるために、チタンをしなやかな弾力が生まれる最適な厚み0.6㎜にまでプレスして薄く加工していきます。
 周囲の気温によって伸びたり縮んだりする金属なので、同じ作業でもその日の気温や湿度によって変わってくるため、正確に0.6㎜にプレス出来るよう、毎日機械をセッティングし直していきます。
 プレスが終わったら、手作業でUの字に曲げクリップの形にしていきます。
 最後にコーティングをしたら完成。
 
 服部製作所 福井県福井市下河北町7-111

 

 3.「鯖江 耳かき」(Kisso)

 Kissoは、福井県鯖江市にあるメガネの材料商社です。
 Kissoでは10年前より、メガネフレームに使われる樹脂からカラフルなアクセサリーの開発を始めました。

 中でも人気なのは、「鯖江 耳かき」です。
 金属の小さな匙がつややかな樹脂で覆われているとてもスタイリッシュな耳かきです。

 メガネには、樹脂製の「ツル(テンプル)」の強度を高めるために、金属を入れる技術が使われていますが、この「鯖江 耳かき」にもこの技術が生かされていて、柄の部分にチタンの芯を挿入し、強度が確保されています。

 また、高級メガネフレームの素材「セルロースアセテート」を使い、”かけ心地”から”かき心地”へと
素材のフォルムを変えた耳かきです。
 「セルロースアセテート」は、コットンを主原料とした天然素材由来のバイオマスな材料で、アレルギーが少なく、肌に優しく馴染む素材です。
 その濡れたような艶は、磨けば磨く程に輝くのが特徴です。
 
 平成25(2013)年には「GOOD DESIGN AWARD 2013」GOOD DESIGN賞、平成28(2016)年には「OMOTENASHI Selection(おもてなしセレクション)」などを受賞しています。

 このカラフルで透明感のあるグルーミングブランド「Sabaeシリーズ」には刃物の町として名高い岐阜県関市の爪切りに、「セルロースアセテート」を組み合わせた「鯖江 爪切り」の他、「鯖江 靴べら」、 
「アニマルピンズ ANIMALE」、おしゃれな「ペンダントルーペ」、アクセサリー「KISSO」などがあります。

 これらの製品を作っているのは樹脂製のメガネフレームの製造会社です。
 担当の橋本俊之さんは、まず機械で樹脂を耳かきの形にカット。
 この後、樹脂を熱し、指でつまみ上げた時のしなり具合を見て、一気に穴を開け、樹脂に金属を挿入していきます。
 穴あけはワンチャンスで、熱した後、手早く行われます。
 この時、手袋をすると樹脂の状態が分からないといい、橋本俊之氏は素手で作業を進めていました。
 

 Kisso 福井県鯖江市丸山町4-305-

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Fukui/glasses より

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イッピンNHK 「歴史が育む 技の冴え~栃木の服飾~」

2023-12-08 09:09:58 | イッピンNHK

 第229回 2019年7月23日 「歴史が育む 技の冴え~栃木の服飾~」リサーチャー: 鈴木ちなみ

 番組内容
 栃木県ならではの服飾品。まず、日光東照宮参詣のために作られた「日光下駄」は草履と下駄が一体化したもの。雪深い冬場の参詣のために生み出された。栃木は日本一の麻の産地でもあり、古代の技法を復活させ、麻紙のバッグが開発された。さらにかつての水運の拠点・大田原市で、伝統を受け継ぐ藍染職人が手がける、モダンなデザインの藍染のシャツ。栃木ならではの素材を使い、伝統が育んだ技に一層の磨きをかけたイッピンの数々。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201907231930001301000 より

 

 1.日光下駄

 格式を重んじる社寺参入の際には「草履」を使用するのが原則でした。
 ところが、日光東照宮を始めとした日光の社寺は石や坂道、雪も多く、草履で歩くには不便なため、草履の下に下駄を合わせた「御免下駄」が考案されました。
 
 大名を始め、神官や僧侶の正式な履物として用いられましたが、明治になると、より履きやすい改良型が作られ、
一般庶民にも愛用される「日光下駄」が生まれました。

 石や坂道を歩く際の安定や、雪をつきにくくするため、下の方が広い八開きの台木に竹の皮で編んだ草履表を麻糸で縫い付けられています。
 夏涼しく、冬温かいのが特徴です。
 日光下駄の主な材料は、台木と草履に編む竹皮と、鼻緒に用いる真綿木綿に野州麻などです。
 
 星野リゾート「界 日光」では、「日光下駄」を使った『日光下駄談義』という舞台が行われています。
 日光下駄の成り立ちや魅力がストーリー仕立てでご紹介されています。

 

 2.麻紙布・マシヌノ(野州麻和紙工房・大森芳紀さん)

 鹿沼市は麻の生産量日本一を誇る産地です。
 鹿沼の麻は古くから「野州麻」(やしゅうあさ)と呼ばれ、美しい光沢があり、薄くしなやかで丈夫なのが特徴で、全国各地に出荷されています。

 野州麻紙工房の8代目大森芳紀さんは平成13(2001)年に「野州麻紙工房」を設立し、日本で唯一、麻を原料にした和紙作りを始め、麻の独特な質感を活かしたランプシェードなど、和のインテリアを手掛けています。
 他にも、麻の繊維(麻垢)を使って、「麻紙布・マシヌノ」を作りました。

 「紙布」は昔、神社などで紙衣として用いられ、布のように強い紙で、多少の水に濡れても破けることはありません。
 この「麻紙布・マシヌノ」を使って野州麻紙工房オリジナルのでバックを作りました。
 持ち手部分には精麻を挟んで縫い合わせ、内布は工房が厳選したヘンプ布を使っています。
 一枚づつ手漉きで紙漉きをしているため、同じ商品でも色の出方が異なります。
 とても軽く、使うほどに布は柔らかくなり、肌に馴染みます。
 麻の繊維は縁起ものであり、魔を除けるとも言われています。
 日常使いはもちろん、贈り物としてもご利用いただけます。

 
 3.黒羽藍染(黒羽藍染紺屋・小沼雄大さん)

 かの有名な俳諧師・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で14日間も滞在したのが栃木県大田原市黒羽です。
 江戸時代、大田原市は水運の拠点であったため材木商が数多く、職人達が着る印半纏は 「紺屋」と呼ばれる染物屋で作られていました。
 
 この黒羽で200年以上「藍」を建て続ける染元があります。
 1804年創業の「黒羽藍染紺屋」です。
 豆汁に松の根を燃やして作る良質な煤「松煙墨」を混ぜて下染めする 「紺染め」の技法により、藍の色がより濃くなり、色褪せにくくなるのが特徴です。

 創業200年余の「黒羽藍染紺屋」の初代・紺屋新兵衛が残した藍甕を守り、その伝統的手法を現代に受け継いでいるのが8代目・小沼雄大さんです。

 小沼さんは、父・重信さんの勧めで、東京の江戸川区指定無形文化財・「長板中形」の技術保持者、松原 與七さんに師事。
 師匠のもとで型染めの修行を積み、実家に戻ってからも紺屋を手伝いながら月に何度か師匠のもとに通い、技術を身に付けていきました。
 雄大さんが24歳の時、重信さんが早世。
 紺屋の暖簾を受け継ぎました。
 
 若い小沼さんが手掛けるのは藍染めのスニーカーやTシャツ、紙袋を模したバッグなどです。
 柄はもちろん、色味も同じものがない唯一無二の魅力。
 「伝統工芸品を特別なものとして意識してもらうより、若い方にも自然なかたちで気軽に親しんでもらえるよう、
自分自身こんなものがあったらいいなって気持ちをベースに、作品づくりに取り組んでいます」

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Tochigi/Clothing より

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イッピンNHK 「食卓を華やかに!うるわしの器~和歌山 紀州漆器~」

2023-12-07 07:12:03 | イッピンNHK

 第228回 2019年7月16日 「食卓を華やかに!うるわしの器~和歌山 紀州漆器~」リサーチャー: 前田亜季

 番組内容
 「紀州漆器」の産地、和歌山の職人が作ったゆがんだフォルムに漆の艶やかさを持った盃。木地がひょうたんで作られている。海南市は漆器作りが昔から盛ん。伝統の根来(ねごろ)塗りを応用した室内用プランター、ガラスに漆で装飾しナイフとフォークが使える皿など、最新技術と伝統を融合させた、新たな製品を生み出している。その現場を前田亜季がリサーチ。何気ない暮らしに彩りを添える漆の器を目指す、紀の国の職人技に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201907161930001301000 より

 

 1.紀州漆器(漆屋はやし:林克彦さん)

 紀州漆器の伝統工芸士「漆屋はやし」の林克彦さんは、代々、紀州漆器職人の家系に生まれ、京都で修業し、代々受け継いだ伝統技法を土台にしながらも、斬新なアレンジを加えた上質な商品を製作しています。
 
 林さんは、「和歌山の風土が育てたもの」を使用することにこだわっています。
 
 紀州漆器は、豊富な紀州材を使って木椀を製造し、椀木地に漆を塗り、加飾するという「分業制」が導入されて発展を遂げてきました。
 ところが2000年に入ると、ろくろを挽く職人達がいなくなり始めます。
 林さんは近い将来、同じ地域で活動するろくろ挽きの職人がいなくなり「器の木地」が手に入らなくなるのではないかと案じ、自分で調達出来る素材を探すことにしました。
 
 林さん素材探しの理念は、「和歌山の風土が育てたもの」を使用すること。
 最初に取り組んだのは、「みかんの皮」でした。
 和歌山がみかんの豊かな産地であることに目を付けたのです。
 既にみかんの皮を使って器を作っている職人さんもいたのですが、漆塗りの器を作るのは林さんだけです。
 
 そして、職人生活の転機となる素材「ひょうたん」と出会います。
 「ひょうたん」もみかんと同様、地元で調達することが出来る素材です。
 
 「ひょうたん」は全部形が違い、不揃いですが、林さんが漆を塗って器に仕上げることで、生まれ変わります。
 「ひょうたん」のくびれた部分を盃にします。
 まず、「ひょうたん」を乾燥させて輪切りにします。
 その内側に布を張って、下地を塗っていきます。
 岩を細かく砕いた粉と漆を混ぜたものを塗り、器の強度を高めます。
 一回塗るごとに湿度と温度が調整された部屋で漆が乾くのを待ち、また塗ったら乾かしと、何回も上塗りを重ねていきます。
 内側だけで2ヶ月も掛かります。
 
 次は、外側に流れるような模様を塗っていきます。
 まずは「黄緑」の漆を刷毛目を残すように塗ります。
 通常は、塗ってしばらくすると平らになって刷毛目が消えるのですが、この「黄緑」の漆は粘り気が強く、刷毛目が残りやすくしています。
 わずかな刷毛目の凹凸が模様になっていくのです。
 
 次に塗るのは「深緑」の漆です。
 今度は刷毛目が残りにくい漆で「黄緑」が隠れるほど塗ったら紙やすりで砥ぐと、下の「黄緑」の刷毛目が浮き出てきます。
 器全体をまんべんなく均等に砥ぎますが、模様はまばらです。
 敢えて刷毛目を残した「黄緑色」の漆の高さが異なっているためです。
 「黄緑色」の高い部分だけが浮かび上がります。
 その模様は一つ一つ違います。
 
 林さんは、最近も新たな素材に挑戦しています。
 「椿」や「梅干しの種」に漆を塗り、アクセサリーやケータイストラップなどを製作しています。

 林さんのお祖父様が紀州漆器の職人だった頃は、まだ重箱や硯箱を作っていました。
 しかしそういったものは、現代では求められにくくなっています。
 そのため林さんは、5、6年前から自分で作った物を自分で売るようにしています。
 それは、使う人のこと。彼が目指したのは、様々なお客さんと出会い多くの声を聞くことで、今の生活の中で使いやすい器を作ることを目指しているのです。
 
 「紀州漆器」は他の産地よりも漆を厚く塗るので、熱が伝わりにくく、熱い汁物を入れた場合でも、手にちょうど良い温もりを感じさせることが出来る料理用の器としても愛用されてきました。
 独特の「ほっこり感」が、昔から食卓を豊かなものにしてきたのです。
 
 林さんは、洋食ベースになった現代の食文化に合わせて、ワンプレートで食事を楽しめる器やパスタ皿などフォークとナイフで食事を楽しむための紀州漆器を考えました。
 
 漆屋はやし 和歌山県海南市船尾222

 

 2.ヒノキの間伐材で作られた室内用プランター「Te Pot」(島安汎工芸製作所)

 大正5(1916)年創業の「島安汎工芸製作所」は、木取り、組立、塗りの全ての工程を自社工場で一貫して行い、販売までの全てを行う、日本最大級の漆器専門メーカーです。

 「島安汎工芸製作所」には、伝統的な「根来塗」の商品から、洋風のテーブルセットやカジュアルでシンプルな重箱など、和モダンな漆器まで多くの商品がラインナップされています。

 四代目社長の島 平(しま たいら)さんは、長い年月を伝統を守り続けながらも、先んじて改革を行い、カジュアルな漆器を作り、若者にも受け入れられるようにしているとおっしゃいます。

 伝統ある「紀州塗」をモダンなデザインにアレンジしたのが、平成12(2000)年に誕生した「Neo Japanesque 汎」シリーズです。
 上質な質感と豊富なカラーバリエーションで好評を博し、人気ブランドになりました。
 
 更に、「Neo Japanesque 汎」の感性と世界遺産熊野のヒノキを融合させたエコ漆器「Njeco汎」シリーズも注目されています。

 「紀伊の国」は、「木の国」とも呼ばれ、和歌山県の古い国名である「紀の国」は「木の国」が転じたものとも言われているくらい豊かな森林資源を持ち、その森林面積は、県の面積の4分の3以上に当たる約36万1千㌶にも上ります。
 そのうちの約6割は民有林で、成長が早く建築に適した針葉樹の「スギ」と「ヒノキ」が多く植えられています。

 森林の育成には、間伐作業が欠かせません。
 そして発生した間伐材は今まで利用価値のないものとされてきました。

 「島安汎工芸製作所」では、地元のものを大切に使っていきたいという思いから、その間伐材を加工した台形集成材を使用することによって、エコでありながらスタイリッシュな「Njeco汎」を生み出したのです。

 開発から製造まで手掛けたのは、5代目の息子の島圭佑さんです。
 圭佑さんは京都嵯峨芸術大学短期大学部、石川県山中にある「挽物轆轤ひきものろくろ技術研修所」で学び、その後帰郷して、代々続く「島安汎工芸製作所」に入社しました。
 現在は、身につけた技術を活かして、商品の開発・制作に携わっています。

 圭佑さんは、LEXUSが主催する「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2018」の和歌山県代表に選出されたことがきっかけで、熊野古道のヒノキの間伐材を使った室内用のプランター「Te pot」を制作することになりました。

 コンセプトは「捨てられるはずだった材料を育てる器へ」。
 「Te pot」という名前には、「手のひらサイズ・テーブルや食卓にも置ける」「特別な土地である熊野古道というパワーを手元に」という意味が込められています。

 圭佑さんは、「Te pot」をダイニングテーブルやキッチン、寝室など、様々な場所で使うことが出来るように水受けを一体化させ、更にスタイリッシュなデザインにこだわりました。

 「Standardタイプ」は、ヒノキの木目を活かして仕上げられたナチュラルなデザインで、自然な木目と節目を楽しむことが出来ます。

 一方「Premiumタイプ」は、「根来塗」の技法を用いてモダンな色味にアレンジした「変根来」(かわりねごろ)という塗りで仕上げられた高級感のあるデザインのもので、和室・洋室どちらでもインテリアに馴染みます。

 まず、外側から鉋(かんな)をかけます。
 間伐材には「節」(ふし)が入っているため、同じ力で削ると「節」に引っかかって吹っ飛んでしまう可能性もあり、難しい素材です。
 ただ、芯が抜けていて削る部分が少ないため、材料を余り捨てることもないため、「エコ」でもあります。

 形が整ったら、小さな刃物を使って表面を滑らかにしていきます。
 そしてプランターの縁の部分を土などを入れやすくするために広げていったら、プランターの形は出来上がりです。
 
 次に「金」の漆を塗って模様を出していきますが、そのために、まず下地に「白」の漆を塗ります。
 こうすることで、その上に塗る金色がより鮮やかになるのです。
 その上に更に「オフホワイト」を塗って3つの層を塗り重ねます。
 紙やすりで砥いでいくと、「金」が浮き出て美しい模様が出来ました。
 これは伝統的な「根来塗」を応用した塗り方で、経年劣化をしたように「金」を出したら、完成です。
 
 島安汎工芸製作所 和歌山県海南市大野中507-1

 

 3.漆ガラス食器「GLASS JAPAN」(塗り工房ふじい:藤井嘉彦さん)

 「塗り工房ふじい」を主宰するさんは、漆器業を営む家に生まれた藤井嘉彦さんは、若い頃、家業の漆器業の修行のため、中東・米国・欧州などを見聞し、製品の輸出や百貨店での展示に奔走していました。

 海外ではフォークやナイフがメインのカトラリーのため、表面に傷が付きやすいフォークやナイフを多様する洋食器の分野に「漆」は不向きでした。
 海外のテーブルウェアとして受け入れられない「悔しさ」が藤井さんが独自の漆器を開発するきっかけなりました。
 
 平成13(2001)年に「塗り工房ふじい」を立ち上げます。
 そして、海南市黒江の伝統技術と革新を融合した今までの漆器のイメージを変える新しい洋食器を生み出しました。
 ガラスに、漆工芸技法の一つである「蒔絵」を施した世界初の漆を主としたガラス食器「GLASS JAPAN」(グラスジャパン)です。

 藤井さんが独自の漆技塗りとガラス食器を融合させた、「GLASS JAPAN」(グラスジャパン)を開発した背景には、
伝統に対する熱い想いがありました。
 
 「伝統工芸をそのままの形で後世に残そうとするだけでは、 その文化は生き残れないでしょう。
 伝統を大切にするなら、時代に応じて変化させなければいけない」

 ガラスは表面が滑らかで漆がつきにくいことから、藤井さんはまず、強力な接着剤「プライマー」を独自に開発。
ガラスの裏面からこの「プライマー」と漆を塗り、更にその上に、食洗器対応のコーティングを施すことにより、カラトリーの使用が可能になったのです。

 現在、「GLASS JAPAN」(グラスジャパン)は料理を格上げする器として、海外の有数のホテルやレストランなどで採用されている他、南紀白浜空港の記念品にも使われています。

 その後藤井さんは、器以外にも、グラスやプレート、カトラリーの柄、タイルやパネル、テーブルなどのインテリア類まで、ガラスと漆を融合した製品を次々と作り出しています。

 藤井さんは、丁寧に脱脂したガラスにスプレーガンで「プライマー」を裏面全体に吹きつけます。
 それから、商品によっては金箔や銀箔を載せてからエアーで吹き飛ばすと、迫力ある模様が現れてきます。

 その上に漆を塗り重ねていきます。
 「GLASS JAPAN」(グラスジャパン)は器の裏側から塗りを施すため、通常の漆器とは逆の順序で塗らなければなりません。
 生まれる色味を目で確認出来ないので、熟練の技術だけが頼りです。
 塗料を吹きつける音や振動など限られた情報を基に、何百枚もの器に同じ色味を再現していきます。

 漆器を漆器たらしめているのは、その色味です。
 藤井さんは、漆黒をベースに朱色などの「漆」を塗り重ね、一度の塗りでは表現出来ない奥深い色を表現します。
 仕上げに「黒」の漆を塗ります。
 裏側は黒一色になりましたが、表面にはキレイな小宇宙が広がっています。

 最後に、全ての食洗機に対応出来るテーブルウェアにするため、ガラスを粉剤してパウダー状にしたものを漆に練り込み何層にも重ねて、表面をクリアにしました。

 塗り工房ふじい 和歌山県海南市名高532-4

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Wakayama/Kishushikki より

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イッピンNHK 「技の巧みな掛け合わせ~長崎 波佐見焼~」

2023-12-06 07:54:22 | イッピンNHK

 第227回 2019年7月9日 「技の巧みな掛け合わせ~長崎 波佐見焼~」リサーチャー: 南沢奈央

 番組内容
 皿やカップ、そしてポットもピッタリ重ねる事ができ、見た目もモダンと人気の器がある。これは正確に重なるようにするため、皿作りが得意な工場、ポット作りが得意な職人と、それぞれ別の所に発注して作ったもの。高い技術力を持つ焼き物の里、長崎の波佐見町で生まれた「波佐見焼」だ。ほかにも手作業で彫りを施して温かな風合いを出した器。子どもや、お年寄りも使いやすいと評判のカップなど。女優の南沢奈央がリサーチする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201907091930001301000 より

 1.HASAMI PORCELAIN(西海陶器)

 「HASAMI PORCELAIN」(ハサミポーセリン)は、長崎・波佐見焼の老舗商社・西海陶器と、L.Aを拠点するデザイナー・篠本拓宏さん(tortoise)が共同で開発したグローバルなテーブルウェアです。

 アメリカで先行販売され人気となり、平成23(2011)年には日本でも発売されて以降人気を博して、今ではスタンダードなテーブルウェアとして定着しています。
 まさかのアメリカから逆輸入な波佐見焼です。
 2015年のグッドデザイン賞を受賞しています。

 「HASAMI PORCELAIN」(ハサミポーセリン)は、磁器に10%程の陶器を混ぜた土で生み出された「半磁器」なので、通常の磁器よりも優しい感触でありながら、陶器に比べてもシャープさがあります。

 マットでしなやかなである一方、土の手触りにも似たざらりとした感覚も感じられます。

 電子レンジや食洗機もOKなので、日常の器として使うことが出来ます。
 
 また日本のお重のように、器同士をピッタリ重ねて収納出来るためスペースを取りません。

 皿とポットの本体、ポットの蓋はそれぞれ違うところで作られています。
 ディレクターの陶磁器デザイナー・阿部薫太郎さんが精密な設計図を作ってそれを持ってそれぞれの職人と連絡を取り合いながら実現させました。

 「皿」は「ローラーマシン」で成形しますが、生産を軌道に乗せるまでが大変でした。
 「HASAMI PORCELAIN」(ハサミポーセリン)は、磁器に10%程の陶器を混ぜた土で生み出された「半磁器」なので、磁器と同じように扱うと歪みが出てしまうからです。
 磁器の原料は比較的水分が少なく、型に入れると石膏が水分を吸収してくれるため形が崩れることはありません。
 しかし「半磁器」の原料は磁器よりも水分が多いため、同じ石膏を使うと早く乾燥してしまうため、変形してしまうのです。

 そこで、乾燥するスピードを遅らせるために、従来のものよりも水を吸いにくい石膏を探り当てることで、
この難題を解決。
 「半磁器」という特殊な焼き物を㎜単位の正確さで作ることに成功しました。

 「ポット」の本体は「鋳込み」という製法によって成形します。
 急須や花瓶など、中が空洞になった袋状の器の量産に適した方法です。

 「半磁器」の原料を水で溶かした「泥しょう」を、乾燥した石膏型に流し込んで作る成形法です。
 石膏型が泥しょうの水分を吸収して張り付くので、目指す厚みになったら型の中の泥しょうを排出して乾燥させ、型から外します。
 縁の厚みは厳密に決められており、その誤差は0.5㎜以下。
 待つこと40分。
 普段の磁器を「鋳込み」を作る時よりも3倍もの時間を掛けて作ります。

 「蓋」は「機械ろくろ」によって成形します。
 器の外形をした石膏型に陶土を入れて回転させ、金属板のコテを当てながら水を使って生地を滑らせ形を作る
「水ゴテ」とも呼ばれる成形法です。
 主に飯碗や湯呑、カップなど回転体の成形に適しており、職人による高度な技術が必要です。

 作るのは、「機械ろくろ」の道で40年以上に渡り生地屋一筋のキャリアを歩んでこられた溝口明さんです。
 溝口さんは石膏の型に半磁器の土を載せると、コテを当てて土が伸ばし、型を埋めていきます。
 簡単にこなしていますが、まさに修練のたまものです。
 蓋は薄く表面積は広いため乾くのが早いので、早くやることが肝心なのだそうです。

 次に焼きの工程。
 ポットの本体と蓋は一つの釜で焼き上げます。

 西海陶器 長崎県東彼杵郡波佐見町1 折敷瀬郷2124

 

 3.手彫りの技「飛びがんな」の器(利左エ門窯)

 波佐見焼の始まりは400年前に遡ります。
 隣の佐賀県の、磁器の「有田焼」と陶器の「唐津焼」もその頃に生まれました。
 「波佐見」はその2大ブランドの影響を受けて、陶器も磁器も作る町として成長し、かつ有田や唐津よりも値段の手頃な日常の用途に使われる食器の生産地として発展してきました。

 「利左ェ門窯」(りざえもん)さんは、陶器(土もの)を手掛けている町内では珍しい窯元です。
 また、分業制ではなく自社で生地づくりから焼成までの全ての工程を一貫生産を行う、「職人集団」の窯元でもあります。
 昭和43(1968)年に初代の名から「利左エ門窯」と命名して開窯、現在は13代目の武村裕宣(たけむら ひろのり)さんが経営を、弟・博昭さんが商品開発を担い、職人さんとともに、いにしえの伝統を受け継ぎながらも、現代の多彩な食生活に合うモダンで温かみのある手頃な値段の器を作陶しています。

 「利左エ門窯」の一番人気は、削り専用の特殊な道具を使って、焼く前の素地の表面に彫りの深さと広さを一様に揃えて紋様を作り上げていく「鎬」(しのぎ)の技で作られた器です。

 彫っていくと立体感のある表情に。立山貞子さんが黒い土で作ったカップに等間隔に太い線をひとつひとつ丁寧に彫っていきます。
 これは「線彫り」というもので、黒土の上に白い化粧土を施したカップは彫ったところ出た黒いラインのシンプルな模様がモダンで、手仕事ならではの味わいが出ます。

 黒の鉄の様な質感でマットな色合いが高級感を醸し出している「玄鎬」(くろしのぎ)シリーズは、落ち着いた色合いが料理を引き立ててくれる、落着いた大人の雰囲気の器です。
 スタッキングも良く、収納性にも優れています。
 「2017年長崎デザインアワード」で奨励賞を受賞しています。

 長崎の爽やかな青い空と青い海をイメージしてデザインされた「蒼鎬」(あおしのぎ)シリーズは、他のカラーの倍の時間をかけて焼き上げることによって深みのある色「蒼」になっています。
 お料理をより鮮やかに魅せてくれるだけでなく、流行中のグレートーンや定番のホワイトとの相性も抜群です。

 「黒刷毛飛び鉋」や「白刷毛飛び鉋」のお皿も「利左エ門窯」さんの人気のアイテムです。
 「飛び鉋」(とびかんな)は放射状に広がる細かな模様をしたものです。

 生地に化粧土を塗り適度に乾燥した器をロクロに載せてゆっくり回します。
 特殊なハガネの道具「鉋」を同じ力で押し当て化粧土を削っていくと、美しい紋様が浮かび上がります。
 熟練した職人だけが出来る、昔から受け継がれた特殊な技法です。

 職人歴34年の井手義信さんが黒い化粧土を乗せた皿を鉋で削っていきます。
 その作業はあっという間で3秒。
 大きさの揃った粒が同じ間隔で出来ています。
 釉薬をかけて焼いたら完成しました。

 利左エ門窯 長崎県東彼杵郡波佐見町稗木場郷548-3

 

 2.motteシリーズ(aiyu(アイユー))

 波佐見焼の磁器の中に、ユニークな形で大人気なものがあります。
 握力が弱くなってきた高齢者の方、手が自由に動かせない方、手の小さなお子様が分け隔てなく、一緒に食卓を囲んで、楽しく食事をしていただきたい・・・その思いから生まれた、aiyu(アイユー)さんの「motteシリーズ」です。

 「aiyu」がものづくりを始めたのは明治30(1897)年。
 皿山郷の窯元で「小吉陶苑」を開業し、昭和の食卓で活躍した「若竹シリーズ」など、多くのヒットシリーズを生み出しましたが、昭和57(1982)年に閉窯しました。

 昭和59(1984)年、現社長の小柳吉喜さんが「aiyu」としてオリジナル商品のデザイン開発をスタートさせ、波佐見焼をセレクトして広める活動を行う一方で使い手目線のオリジナル商品開発・デザイン開発に取り組み続けています。

 手の不自由な人のためのカップを作ろうと考えた「aiyu」の社長・小柳さんは、福祉用具メーカー「シーズ」の代表取締役・山﨑 一雄に器の形についてアドバイスを求めます。
 「シーズ」は、障害者用のオーダーメイド製品、チャイルドシート、高齢者向けの椅子、誰もが使いやすいプロダクトの開発などに取り組んでいるメーカーです。

 こうして生まれた「motte」のカップには、大人の指4本が収まる程の大きさの持ちやすいリング形状のハンドルがついています。
 内側には丸みを持たせソフトな握り心地になっています。
 取っ手の下の部分はテーブルに接するように設計されているため、少々のことでは倒れないほど安定感も抜群です。
 またハンドルに通した指がカップに触れた時にもなるべく熱くないように、ハンドルとカップの接合部分は二重に、厚みを持たせてあります。

 motte-マグカップ(S)」は、ハンドルが2つついたキッズサイズのmotteマグです。

 「スープマグ」は、重心は低く、口径は広くなっています。
 スープの具をスプーンで掬いやすいような傾斜もついています。

 磁器の重さを活かした「プレート」は、片手で掬う時にプレートを押さえることが出来なくても、プレートが動きづらくなっています。
 また内側には返しが付いているので、細かいものでも掬いやすくなっています。
 より食べこぼしを少なくするためのリムも付いています。

 「e-series」は人間工学に基づいて作られたシリーズです。
 子供もお年寄りもいろんな人が持ちやすく、使いやすい形を考えてデザインされています。

 「KIRITRU IRON」シリーズは、独自に開発された特殊な釉薬がかかった部分と素地の部分のコントラストが特長の器です。
 封筒をモチーフにしたプレートとハンドルがハサミのようなマグカップは食器としてはもちろん、小物収納にもおススメです。

 「重宝皿」は、アイユーの人気ナンバーワンのお皿です。
 小さなくぼみと溝がついていることで様々なシーンで活用出来る便利なお皿です。
 スタッキング出来るのでまとめ買いもおすすめです。

 aiyu 長崎県東彼杵郡波佐見町皿山郷380

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Nagasaki/Hasami_2 より

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イッピンNHK 「薄くて丈夫 伝統の技~岐阜 美濃和紙~」

2023-12-05 09:10:29 | イッピンNHK

 第226回 2019年6月18日 「薄くて丈夫 伝統の技~岐阜 美濃和紙~」リサーチャー: 生方ななえ

 番組内容
 美濃和紙の魅力を紹介。和紙に施された模様が部屋中に投影され、幻想的な雰囲気を醸し出すランプシェード。和洋どちらの部屋にも合うモダンなデザインが、女性たちに人気だ。「これが和紙?」と誰もが驚く“水うちわ”は、透けるような薄さで出来ている。かつて涼を取るのに使われ、近年若い職人たちの手で蘇ったイッピンだ。無形文化遺産にも登録され、伝統の技から生み出された美濃和紙を、モデルの生方ななえが徹底リサーチ!

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201906181930001301000 より

 

 1.美濃和紙のランプシェード(彩光デザイン)

 和紙に施された模様が部屋中に投影され、幻想的な雰囲気を醸し出すランプシェード。
 彩光デザインさんの作品です。

 彩光デザインさんは、刃物が名産品で有名な岐阜県の関市にある世界的に有名な岐阜県の和紙照明のブランドです。

 関市に隣接している岐阜市と美濃市は、それぞれ「岐阜提灯」と「美濃和紙」で有名であり、「美濃和紙」を使った「岐阜提灯」は昔から身近な存在でした。
 この和紙を透した灯りは、とても優しく、そしてとても柔らかく、 和洋どちらの部屋にも合うモダンなデザインが、女性に大人気です。

 「美濃和紙」は、原料である「楮」(こうぞ)の木の皮の白い部分を繊維状にほぐして使用します。

 それを井戸水に浸けて、「トロロアオイ」の根から抽出した粘液「ねり」を混ぜます。

 「ねり」は楮の繊維の広がりを均一にするために使われます。
 「ねり」のない水で紙を漉くと、繊維の水中滞在時間が短く、すぐ水が落ちてしまい繊維が均等に散らばりません。
 薄くて丈夫で、保存性に富んだ和紙の特徴は、この「ねり」があってこそなのです。

 続いて紙漉き。
 手漉き和紙は「簀桁」(すけた)という用具に原料液を汲み込み、よく揺すって繊維同士を絡み合わせて作ります。
 「簀桁」(すけた)は、繊細な竹のすだれに編まれた「漉き簀」(すきす)に「漉き桁」(すきけた)を取り付けたものです。

 美濃では、「縦揺り」(たてゆり)に美濃独特のゆったりとした「横揺り」(よこゆり)を加えて漉いていく方法が発達してきました。
 繊維を縦横無尽に高い密度で積層させていくことで、「美濃和紙」ならではの地合いと薄くて丈夫な和紙になるのです。
 「簀桁」(すけた)に水が入るとその重さは10kgにもなるため、紙を均一に漉くのはとても難しいそうです。

 次に、ランプシェードに使われてたレースの様な網目を施していきます。
 漉き終わった紙を模様が入った型の下にセットし、上から水をシャワーの様にかけるだけ。
 これは「落水」と呼ばれる技法で、型の穴の部分の楮を水で弾くことで模様が出来上がります。
 その後、板状の乾燥機に丁寧に貼り付けて10分程乾燥させて完成です。
 
 紙漉き職人で伝統工芸士の市原智子さんは、
「完成するまで本当に大変。重労働です。これから何年出来るか分からないけれど、新しいものにも興味があるので挑戦してみたい気持ちがある」とおっしゃっていました。
 
 そして最後の仕上げ。担当するのは岩井恵美子さんです。
 「美濃和紙」が作られている岐阜県は「岐阜提灯」や灯篭、和傘の一大産地としても有名ですが、その伝統工芸品「岐阜提灯」の作り方からヒントを得たという方法で、ランプに仕上げていきます。
 まずランプシェードの型を組み立てたら、ワイヤーを巻いていきます。
 叩くようにして糊をワイヤーに着けたら、美濃和紙をカミソリの刃を一定の角度で当てながら貼り付けていきます。
 際も気を使うのが和紙と和紙の繋目の部分。
 影になって浮き出てしまうので、綺麗なラインで同じ細さに切っていかないと美しく仕上がりません。
 これを乾かして型を外せば、モダンなランプシェードの出来上がりです。

 岩井さんは、「和紙職人さんが手間をかけて作ってもらった訳ですので、 丁寧にひとつひとつ綺麗に仕事をするように心掛けています。
 和紙の優しい明かりがお客様の癒しになって 喜んで頂けたらなと思います」とおっしゃっていらっしゃいました。
 
 彩光デザイン 岐阜県関市千疋 1 393   

 

 2.本美濃紙(本美濃紙職人・倉田 真さん)

 奈良時代以降、1300年に渡って和紙づくりの伝統を誇る美濃市。
 「正倉院」には、日本最古の和紙として美濃、筑前、豊前の3国の戸籍用紙が所蔵されています。
 
 また、「福井県の「越前和紙」、高知県の「土佐和紙」と並び「日本三大和紙」のひとつにも数えられています。
 
 「美濃和紙」は、江戸時代、障子紙の最高級品として評判になり、今でも京都迎賓館を始め、多くの建物に美濃和紙は使われています。

 美濃和紙には、「本美濃紙」「美濃手すき和紙」「美濃機械すき和紙」の大きく3種類があり、中でも厳選した素材で手漉きされる「本美濃紙」は、昭和44(1969)年4月15日に国の重要無形文化財に指定、平成26(2014)年にユネスコ無形文化遺産に登録され、国宝級の古文書や絵画の修繕に使用されています。

 その「本美濃紙」が特に際立っているのはその「白さ」です。
 この白さをいかにして生み出しているのか。
 「本美濃紙」の技術を主軸に制作活動を行っている倉田真さんに紹介していただきました。
 
 美しい白を作り出すには膨大な手間と時間が掛かります。
 まず入念な手作業で原料処理を行います。
 原料である「楮」(こうぞ)の楮の白皮を清流に3日程浸して、自然漂白させるとともに不純物を取り除きます。
 次にその白皮を草木灰やソーダ灰を溶かした湯の中で、軟らかくなるまで煮熟します。
 その後、「川屋」(かわや)と呼ばれる清らかな井戸水が流れる所で不純物を丁寧に取り除く「ちり取り」という作業を行います。
 「ちり取り」は最も大事な工程で、僅かに残った残っている皮やゴミを丹念に取り除いていきます。
 紙すきに使えるまで処理をするのに約2週間。
 これでようやく原料となる「楮」の準備が整いました。

 次は「すき舟」に井戸水を張って、「トロロアオイ」という植物の根を磨り潰した粘液「ねり」を混ぜます。
 「ねり」は楮の繊維の広がりを均一にするために使われます。
 「ねり」のない水で紙を漉くと、繊維の水中滞在時間が短く、すぐ水が落ちてしまい繊維が均等に散らばりません。
 薄くて丈夫で、保存性に富んだ和紙の特徴は、この「ねり」があってこそなのです。
 
 そうしたら紙の製造に適した性質を与えるために「叩解」(こうかい)という作業を行います。
 これは、楮の白皮を一本ずつの繊維にほぐすためにまず本美濃紙特有の木槌を使って叩いてほぐし、「ナギナタビーター」という機械で、繊維を細かくほぐしていきます。
 これでやっと漉く前の液の準備が整いました。
 
 明日漉く紙の原料の叩解作業。
 ナギナタビーターというミキサーのような機械で、繊維一本一本をバラバラにします。

 FO-01,02用のため、楮と雁皮の繊維を配合。
 表面が平滑で毛羽立ちも少なく、パリッとした触り心地が特徴の紙になります。

 手漉き和紙は「簀桁」(すけた)という用具に原料液を汲み込み、よく揺すって繊維同士を絡み合わせて作ります。
 「簀桁」(すけた)は、繊細な竹のすだれに編まれた「漉き簀」(すきす)に「漉き桁」(すきけた)を取り付けたものです。
 
 通常の紙漉きは、縦方向にのみ「簀桁」(すけた)を揺らします。
 美濃ではこの「縦揺り」(たてゆり)に、美濃独特のゆったりとした「横揺り」(よこゆり)という横方向にも簀桁を揺らして漉いていく方法が発達してきました。
 
 繊維を縦横無尽に高い密度で積層させていくことで、繊維が均等に絡み合い、障子などで陽の光を通した時に見えるテクスチャーまでもが美しくて、薄くて丈夫な和紙を作ることが出来るのだそうです。
 
 漉き終わった和紙は、「紙床」(しと)の上に置き、約半日の間圧力をかけて脱水していきます。
 それから栃(とち)の一枚板に貼り付けて天日干しを行います。
 日光には漂白効果があるため、より白く仕上がっていきます。
 白く美しい伝統の「本美濃紙」は職人達の地道な努力によって受け継がれているです。
 
 <本美濃紙の指定要件>
 ・原料は「大子那須楮(だいごなすこうぞ。
  茨城県久慈郡大子町でつくられる須楮)の白皮」 のみであること。
  茨城県久慈郡大子町産の最高級品「大子那須楮」
 ・以下の伝統的な製法と製紙用具によること。
   1.白皮作業を行い、煮熟には草木灰またはソーダ灰を使用すること。
   2.薬品漂白を行わず、填料(てんりょう)を紙料に添加しないこと。
   3.叩解(こうかい)は手打ち、またはこれに準じた方法で行うこと。
   4.抄造(しょうぞう)は「ねり」にとろろあおいを用い、「かぎつけ」または「そぎつけ」の竹簀(たけす)による流漉きであること。
   5.板干しによる乾燥であること。
 ・伝統的な本美濃紙の色沢、地合等の特質を保持すること。
 
 
 
 3.水うちわ(家田紙工)

 「水うちわ」とは、岐阜の豊かな川文化から生まれた独特の透明感を持つうちわです。

 元々、長良川で行われる鵜飼を見に来た観光客への土産品として作られたのが起源とされ、室町時代には既に生産が行われていたという記録があるそうです。
 明治に入ると海外からも注目されるようになり、生産量が飛躍的に増加。

 そんなうちわ好景気の明治19(1887)年、岐阜提灯の製造を営んでいた勅使河原直次郎氏が考案したのが、最初の「水うちわ」だと言われています。

 昭和に入ると日本人の生活が西洋化したことで、和紙や工芸品の需要が減少し、プラスチックやビニールを使ったうちわが大量に作られ、また、扇風機やクーラーが普及するようになると、「水うちわ」の生産量は徐々に減り、一度途絶えてしまいます。

 しかし、近年になってクーラー病や災害時の暑さ対策などの観点から、再び注目を集めるようになり、家田紙工さんが手掛ける現在の「水うちわ」が復活しました。

 「水うちわ」は、「美濃手漉き和紙」の「雁皮紙」(がんぴし)に、ニスを塗って仕上げてあります。

 その厚さはなんと0.014mm。
 「楮」の和紙に比べて遥かに薄いのが特徴です。
 「楮」の繊維は中が詰まっているのに対し、「雁皮」の繊維は中に空洞があるため、この空洞を潰すことで、より薄く平らになっています。
 

 家田紙工 岐阜県岐阜市日野東1丁目5−8

 

 4.Corsoyardコルソヤード・澤木健司さん

 美濃市では毎年、和紙を身近に感じてもらおうと「美濃和紙 あかりアート展」を開催しています。
 今では全国から400もの応募があり、美濃市の風物詩ともなっています。
 今年、令和4(2022)年も、9月下旬から応募全作品の「WEB展示」が予定されている他、10月9日(日)から22日(土)には、「町並み展示」展示が予定されています。

 手漉き和紙職人の澤木健司さんも「水うちわ」の復活に乗り出した一人です。
 澤木さんは和紙を使った新たな製品づくりにも挑戦していて、平成15(2003)年より「水うちわ」を復活させて地域の名産にしようと取り組み、年の歳月をかけて復活に成功させました。

 「水うちわ」の特徴と言えば、厚さはなんと0.014mmというその薄さ。
 「雁皮紙」を用いている訳ですが、かつてガリ版印刷に使うために大量に生産されていた「雁皮紙」も、その衰退とともに、美濃市でも職人はいなくっていました。
 澤木さんは、「水うちわ」の復活を目指すに当たり、年配の元職人達に雁皮紙の製法を聞いて回わり、試行錯誤を重ねました。
 
 そうして出来上がった「雁皮紙」にシルクスクリーンという手法で図柄を印刷し、竹骨に貼っていきます。
 仕上げにニスを塗ります。
 ニスを塗ることにより光沢が出るとともに、防水効果も高まります。
 担当するのはニス塗り職人の久世敏康さんです。
 ニスを塗っては乾かすという作業を一週間に3回繰り返します。

 澤木さんは、大光工房の美濃和紙伝統工芸士・市原達雄さん師事し、平成16(2004)年に自然や天然に出来るだけこだわった、美濃手漉き和紙工房「Corsoyard」(コルソヤード)を開業しました。

 紙づくりだけではなく障子張替などのサービスや印刷、Origami Jewelry(オリガミジュエリー)などといった新しい商品の開発にも力を入れています。

 平成28(2016)年7月には珈琲フィルター「立花」で「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 」の「匠」に認定されています。
 「立花」は、保存・殺菌のための薬品を一切使うことなく天然繊維のみを丁寧に結合させ、漉き上げた岐阜県美濃市立花産の極薄コーヒーフィルターです。
 
 豆の油分や旨味を吸収しないため、雑味の少ない深くまろやかな味わうことが出来るだけでなく、コーヒーを淹れた後は豆と共に土に埋めて地球に還すことが出来ます。
 淹れる人、嗜む人、地球の環境、全てに優しいコーヒーフィルターです。
 
 Corsoyard 岐阜県美濃市立花673番地1

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Gifu/Minowashi より

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イッピンNHK 「北の大地で生まれたバッグ~北海道 革製品~」

2023-12-04 08:59:00 | イッピンNHK

 第225回 2019年6月4日 「北の大地で生まれたバッグ~北海道 革製品~」リサーチャー: 田中道子

 番組内容
 かつて馬具作りが盛んだった北海道。いま、その伝統を生かした、ユニークな革のバッグが作られている。馬に乗せる鞍の形をしたショルダーバッグ。エゾジカの柔らかい革を使ったハンドバッグ。そして機能的で丈夫なボストンバッグ。それぞれ、革の性質を熟知した職人たちが、丹念に作り上げている。そこにはかつての馬具作りの技術も生かされ、デザイン性にも優れている。女優の田中道子さんが、手作りの現場を訪ねる。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201906041930001301000 より

 

 令和元年、天皇陛下は、「三種の神器」の「剣璽けんじ(剣と勾玉)」を携えて伊勢神宮に「即位の礼」と「大嘗祭」を終えたことを報告する儀式「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれました。

 黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着た陛下は2頭引きの「儀装馬車」(ぎそうばしゃ)で約290mの参道を進みました。
 この「儀装馬車」に用いられている馬具は北海道にあるメーカー「ソメスサドル」が製作したものでした。

 

 1.ソメスサドル

 北海道・砂川市にある「ソメスサドル(SOMES SADDLE)」は、昭和39(1964)年創業の日本で唯一の馬具メーカーです。

 鞍や鐙といった馬具を手掛けていて、JRAの騎手の7割から8割が使われている程、高い信頼性を得ています。

 またソメスサドルでは、その馬具作りで培った高い技術と精神で、バッグなどの美しい革製品も生み出しています。

 政府や宮内庁からも指名されていて、平成20(2008)年に開催された「北海道洞爺湖サミット」では北海道知事より各国首相夫妻に、ソメスサドルのダレスバッグとボストンバッグが贈られました。

 馬具づくりの技術を活かして開発された牛革のショルダーバッグは、鞍をモチーフに制作されたものです。
 複雑な曲線で構成されたフォルムは小脇に収まりフィットし、馬具作りで培われた技術力の高さが感じられる逸品です。

 まず、本体革に使用する牛革を傷などがないか入念にチェックしてから、パーツを20個程切り抜いていきます。

 そしてこれらを腕ミシンを使って、革の端と糸の間が一定になるように縫い合わせていきます。

 「腕ミシン」

 筒縫い用のアームの先端近くにハリが付いている形状のミシンのことで、バッグの底やマチなど、狭く立体的な部分を縫うのに重宝します。

 革を張り合わせた部分がズレていたら、豆鉋で削って調整していきます。
 削った部分には、ボディ色の染料を塗り、熱で溶かして革に染み込ませます。
 紙やすりで磨けば、完成です。

 

 2.「EZOバッグ」(24Kirico)

 北海道にのみ生息するエゾジカ。
 ところが、個体数の爆発的な増加によって、農林業被害や交通事故といった人間経済への被害や、採食活動による森林や高山植物などの生態系破壊が深刻化しています。

 薄くて丈夫なエゾ鹿の革は、日本では古くから重宝されてきました。
 東京都立皮革技術センターの分析によると、繊維に隙間が多い為、軽量で柔軟性に優れている他、肌触りも抜群なのだそうです。
 更に、使えば使うほど柔らかく、肌馴染みも良くなってきます。

 更に、北海道の厳しい冬を乗り越えるエゾシカは、豊かなファーと丈夫な皮を備えています。
 その優れた保温性はなめされた状態においても同様で、加工された後まで温かさを保ち続けます。

 牛革や豚革に比べ伸縮性に優れており、複雑なデザインを実現することも可能です。

 ですが、野生を生きるエゾシカの革には、沢山の傷がついているため、これまではその多くがそのまま廃棄されていました。

 このエゾシカの皮革をそんなエゾシカ皮の資源としての可能性に一早く気づき、確かな技術を施して、美しい革製品へと甦らせたのが北海道札幌市の「24KIRICO」代表の高瀬 季里子(たかせ きりこ)さんです。

 野生動物ならではの傷跡が散見されるため、1つのバッグには4、5頭分の革を使う他、豚革を用いて厚みをもたせてあります。
 上部からは中身が見えないデザインになっていますが、革が柔らかいので広げやすいです。
 ファスナーや装飾をそぎ落としてあるのでふわりと軽く、金具を使っていないので、ストレスなく使うことが出来ます。

 「ビアカップーシラカバセット」は、以前、イッピン「富山 高岡の金属製品」でも取り上げられた富山県高岡市の鋳物メーカー「能作」とのコラボ商品です。

 シチズンは「24K」の活動に共感し、CITIZEN L・Arcly. Collectionの「EM0656-23A」で、エゾ鹿革を採用しています。

 24Kirico 北海道札幌市中央区大通西18丁目1−40−307

 

 3.ボストンバッグ(いたがき)

 北海道中部に位置し、かつて石炭産業で栄えた赤平市。
 平成6(1994)年に最後の一山が閉山し、赤平の「石炭の歴史」は幕を下ろしましたが、現在、「立坑」「ズリ山」などの炭鉱産業遺産を生かした観光に力を入れています。

 また、本州から進出してきた小さなものづくり企業が市内に点在し「ものづくりの街」として新たに歩んでいます。

 「いたがき」の創業者・板垣英三さんは横浜市生まれ。
 15歳の時、東京下町の鞄職人・八木廉太郎に「丁稚奉公」に入り、その後、旅行カバンメーカー「エース」に依頼されて、神奈川県の小田原工場に勤務。
 昭和45(1970)年 (1970年) 工場の移転のために、初めて北海道赤平市を訪れました。
 エース在籍中の昭和46(1971)年には、キャスター付きのスーツケースを発案し、大ヒットとなります。

 当時、大阪のスーツメーカー「ACE」が米「サムソナイト」の日本における総代理店としてライセンス契約を結び、昭和42(1967)、「デボネア」というスーツケースが1万円を切る安さで販売され、好調な売れ行きを示しました。
 その後、日本のユーザーの「持ち運びし易いスーツケースを」との声を受け、世界で初めてキャスター(車輪)を鞄の底につけた「キャリーバック」が発売されました。

 昭和51(1976)年、一家5人で赤平市に移り住み、昭和57(1982)年に「株式会社いたがき」を創業し、「会社のシンボルとなる特別な鞄を」ということで、馬具の鞍の美しいフォルムを再現した「鞍ショルダー」の製作を始めました。

 番組で紹介されたのは、旅行時に用いられるのが「ボストンバッグ」です。

 本体前面にファスナーがついているので、上から物を出し入れせずに、横から引き出しのように取り出せるので、とても便利なバッグです。

 「いたがき」では、創業以来、上質なタンニンなめしの革を使い続けています。
 タンニンでなめされた革は環境に優しい天然素材であり、型崩れしにくく丈夫で長持ちし、使えば使うほど艶が増し、深い色合いを帯び、風合いが良くなっていく素材です。

 「いたがき」には、1700枚に及ぶ牛革が保管されています。
 ボストンバッグに使われているのは、その中でも厳選した3種類。
 ポケットがたくさんある他、補強に使うものもあるので、パーツは全部で44枚にも及びます。
 装飾部分は薄め、骨格部分には厚めの革と、革の全てを知り尽くした職人さん達が、革の一片も無駄にせず、見えない部分にも様々な工夫を凝らしてパーツを組み合わせていきます。

 「いたがき」では修理の依頼も引き受けています。
 職人の堀内健一さんは、「使っているうちに革が伸びてしまい、長さが合わなくなる。
 新しいものを作るよりも修理の方が技術、経験が要求される」とおっしゃっていました。
 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Hokkaido/leather より


 
鞄いたがき(赤平本店)

住所:〒079-1102
    北海道赤平市幌岡町113番地

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イッピンNHK 「進化する 暮らしの器~岩手 南部鉄器~」

2023-12-03 07:39:14 | イッピンNHK

 第224回 2019年5月28日 「進化する 暮らしの器~岩手 南部鉄器~」リサーチャー: 中山エミリ

 番組内容
 シンプルなスウェットパーカー。軽くて柔らかく、しかもくり返し洗濯しても風合いが失われない。「極上の肌触り」と人気のイッピンだ。明治時代からニット製品を作ってきた和歌山。今も、世界から注目される高品質のニット生地を作り出している。その現場へIMALUさんが。ニットを編む「吊り編み機」という古い機械や、様々な生地を作る職人技、新しい機械で難しい編みに挑戦する会社など、和歌山のニット製品の底力に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201905211930001301000 より

 

 岩手で作られる「南部鉄器」と言えば、重厚な風格です。
 最近は、バラエティに富んだ商品があり、白と金の柔らかな印象が特徴的な急須に、プロも愛する鉄のパン焼鍋。 
 今回は進化を遂げる南部鉄器の魅力に迫ります。
 
 
 1.鉄急須「白金」(空間鋳造・岩清水久生さん)

 「南部鉄器」には主に二つの生産地があります。
 一つには奥州市水沢地区です。
 岩手県奥州市水沢での鋳物づくりは、盛岡よりも古い1088年に始まり、1000年もの歴史があります。
 この地域では、鍋や釜など生活用品を手掛けてきました。
 工程に機械化を取り入れることで大量生産を可能にし、手頃な価格で提供しています。
 現在、南部鉄器を造る工場が40以上あります。

 その一つ、「空間鋳造」は、国内外数々の授賞を授賞している鋳鐵作家・岩清水久生さんの工房です。

 岩清水さんは起伏ある表面の風合いにこだわった作品作りをしています。
 鋳肌の独特な質感を生かしたモダンなデザインが特徴です。
 和と洋がバランス良く取り入れられたシンプルで美しいデザインは、現代の生活に心地良く馴染み、お部屋の雰囲気を壊さずに自然と馴染んでくれます。

「鉄らしさ」にこだわる岩清水さんは、鉄の持つ表情、質感、色を引き出すために、
 南部鉄瓶の製作に「生型」(なまがた)製法を用いています。
 
 「生型」とは、木製または金属製の上下枠に、製品と同じ形の種型を入れ、砂を入れて押し固めます。
 上下枠を外して原型を取り出すと、砂の鋳型が出来ます。
 これに溶かした鉄を流し込むという鋳造製法です。
 焼成(乾燥)せずに「生」のまま鋳造するので「生型」(なまがた)と言います。
 
 この製法のメリットは、砂を繰り返して使用出来ることから、一つの原型から数個以上の製品を作り出せるため、
量産型でかつコストが安いだけでなく、工期も速いこと、形状に対する柔軟性もある伝統的技法です。
 
 主に生活道具を製作していた水沢では、伝統的な「焼型」製法の他に、
生産性を重視した「生型」と呼ばれる製法が取り入れられてきました。
 
 造るのは職人の千田正夫さんです。
 まず、鋳物砂を固まりやすくするためにデンプンを混ぜ合わせます。
 砂の固さはその日の湿度や気温に左右されるので、水で調整をしていきます。
 それが終わったら、絶妙な凹凸のあるアルミの型の中に鋳物砂を入れます。
 機械で圧力をかけて鋳物砂を押し込みます。
 これを急須の上と下部分を作り、そこに砂で出来た内型をセットし押し当てて、型は完成です。
 この型に1400度の鉄が流し込むと、5分で急須の形が出来上がります。
 微才な凹凸もしっかり表現されています。
 
 「量産」とは言え、この「生型」という技法を用いるから、
  鉄に面白い表情が生まれ、 また余計な装飾のないフォルムだからこそ、その質感が引き立つのです。

 この後、塗装に入ります。
 鉄の下地に黄色を塗って白を重ねて、金色に粉雪が降るような「白金色」の鉄瓶になっていきます。

 「白金色」は、空間鋳造の代表的な色です。
 岩清水さんは、デザイナーの原研哉氏の著書の中に、「白という色は感じるものだ」と書かれたのを見てから、「南部鉄器」も「黒」と「茶」だけでなく、「白」もよいのではないかと考えるようにったそうです。
 白は優しさがあり、それが上手く組み合わさって見たことのないような「南部鉄器」になるとおっしゃいます。

 仕上げは岩清水さんの担当です。
 お湯で白い塗料を拭き取っていきます。
 磨き過ぎると色が取れ過ぎてしまうので、バランスを見ながら、手のひらを使って丁寧に行っていきます。
 20分かけて完成。華やかで上品な急須が出来上がりました。

 鉄急須「白金」は月をイメージしてデザインされた鉄急須です。
 白の隙間から覗く金色が華やかな印象です。
 使い込んでいくうちに、白が少しずつ剥げて金色が出てきますので、経年変化を愉しむことが出来ます。
 急須は内部が琺瑯加工になっており、使い勝手も抜群です。

 電気ポットや湯沸かし器はとても便利ですが、鉄瓶で丁寧に淹れた白湯の美味しさは格別なものです。
 最初は手間が掛かりますが、お気に入りのデザインの鉄瓶であればなおさら愛着が湧いてきます。

 空間鋳造 岩手県奥州市水沢羽田町堀ノ内33  

 

 2.南部鉄瓶(薫山工房)

 「南部鉄器」のもう一つの産地、盛岡市が得意とするのは「鉄瓶」です。
 重厚な鉄瓶の伝統柄と言えば「あられ文様」です。

 「薫山工房」の職人の水澤さんに、「あられ文様」の鉄瓶の製作過程を見せていただきました。

 「薫山工房」は昭和12年創業の工房です。
 現在は、「盛岡手づくり村」内に工房を構えています。

 「盛岡手作り村」は、盛岡を代表する観光施設です。
 南部鉄器、南部せんべい、竹細工など11業種15の工房があり、職人の技を見ることが出来ます。

 盛岡手作り村 岩手県盛岡市繋尾入野64-102  

 

 「あられ模様」は、「霰」(あられ)が降る景色を表現したものと言われています。
 雨より小粒な霧雨が降っているような霞を細かな「点」で表現した模様です。
 何とこの「点」は、鋳型に一つ一つ手作業で付けていきます。
 
 南部鉄器の生産・制作技法は、「焼型」と言われる、古来より伝わる技法を取り入れた手作りの技法と、「生型」と言われる大量生産型の技法があります。
 薫山工房の南部鉄瓶・茶の湯釜・鉄花瓶は、「焼型」で手作りで制作しています。
 
 まずレンガの内側に水に溶かした粘土を塗り、その上から砂を何層にも重ねて鋳型を作っていきます。
 鋳型が完全に乾く前に、「あられ棒」という先の丸い専用の道具を使って型に引いてある線を頼りに、霰(あられ)の文様を押していきます。
 その力加減は長年培った感覚。
 一日半でおよそ3500個のあられ文様が作られるそうです。
 手作業のため、不揃いで一つ一つ違った表情の鉄瓶が出来上がるのもまた手作りの魅力。
 どんな鉄瓶がお手元に来るのかは、まさに一期一会の出会いです。
 
 紋様押しが終わった鋳型を完全に乾かした後、約1300度の炭火で焼き、更に鋳型の制作で使用した木型より2㎜程小さく作った「中子」を組込んだら、鋳込みの準備が出来ました。
 溶かした鉄を「とりべ」と呼ばれる柄杓に取り、鋳型に流し込みます。

 薫山工房 岩手県盛岡市繋尾入野64-12  

 

 3.タミさんのパン焼き器(及源鋳造)

 地元のパン屋さんで愛用しているのは、不思議な形の南部鉄器の鍋です。
 蓋をしてオーブンで焼くこと40分。
 鍋肌が分厚いので、しっとり焼け上がったパンの中はとってもクリーミー。

 このパン焼き器を製造するのは、嘉永5(1852)年)創業の老舗「及源鋳造」です。

 伝統的な鉄鍋鍋に留まらず、現代のライフスタイルに合わせた商品開発に取り組んできました。
 製品の種類は500以上に上ります。

 その中でも最大のヒット商品が、平成11(1999)年に発売した「タミさんのパン焼器」です。
 有名通販雑誌やTVショッピングなどを通じて高い評価を得ています。

 「タミさんのパン焼器」は、五代目社長・及川久仁子社長の及川さんが持っていた、大正4(1915)年生まれのお祖母さま「タミさん」こと近江タミ子さんが持っていたジュラルミン製のパン焼き器を復刻したものです。

 終戦直後、「タミさん」さんは露店でたまたま見つけたジュラルミン製のパン焼器で子供達にパンを焼いていました。
 当時、ジュラルミン製のパン焼き器は日本全国に普及していたようです。
 社長はその時を思い出し復元しました。

 しかし開発は容易ではありませんでした。
 パン焼き器は鍋に接するパンの側面を焼きながら、中央の「煙突」を通った熱でパンの上部も焼くため、コンロでも短時間でパンを焼くことが出来ます。
 ネックになったのは、この「煙突」部分。
 薄く複雑な形状を鉄で作るのが大変だったのだそうです。

 まず機械で砂型を作り、とにかく頑丈にすることに励んだ。
 一つの製品を造るのは、100㎏もの鋳物砂を使うのだそうです。
 これを巨大な機械で圧縮。
 こうして固めることで、複雑な煙突の形も型崩れしません。

 砂型に鉄を流し込んだら砂型を外しますが、頑丈に固められた砂型は崩すのも楽ではありません。
 そのためドラム式の筒状の機械で回転して崩していきます。

 鍋の形が安定するように、40分かけながら冷却していきます。
 振動するハンマーで中の砂を除去し、細かな砂を落としたら、手作業で磨き上げて着色し、やっと完成です。

 平成27(2015)年、タミさんが100歳を迎えた記念にパン焼器はより使いやすい形に生まれ変わりました。
 「タミパン クラシック」です。

 このパン焼器には、世代を超えて伝えたい
 タミさんの母としての愛と温もりがたっぷり詰まっています。

 及源鋳造 岩手県奥州市水沢羽田町堀ノ内45 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Iwate/NanbuTekki_2 より

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