「鯛味噌」
なめ味噌(加工味噌のひとつ)の一種。
茹でた鯛の身を荒潰しにして白甘味噌と混ぜ、練りあげる。調味を加えることもある。
製品としての鯛みそは、鯛とタラのそぼろを仙台みそと合わせて調味して練ったもの。
仙台の「三年たい味噌」が有名。
松島近辺が発祥とされ、昔ながらに鯛の身のそぼろだけを使い仙台味噌と合わせて三年間貯蔵して作られる。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/012.html より
「鯛味噌」
なめ味噌(加工味噌のひとつ)の一種。
茹でた鯛の身を荒潰しにして白甘味噌と混ぜ、練りあげる。調味を加えることもある。
製品としての鯛みそは、鯛とタラのそぼろを仙台みそと合わせて調味して練ったもの。
仙台の「三年たい味噌」が有名。
松島近辺が発祥とされ、昔ながらに鯛の身のそぼろだけを使い仙台味噌と合わせて三年間貯蔵して作られる。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/012.html より
「台の物」
①焼き物のこと
②足付きの台にのせた料理
(遊郭への出前(仕出し)がそうであった)
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/011.html より
「鯛南蛮」
葱、又は唐辛子を入れた鯛の椀や鍋。
紫蘇のみじん切りを加えた物も南蛮という。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/010.html より
「大徳寺麸」
津島麸のこと。別名「利久麸」ともいう。
京生麸と同じく料理に使う生麩のひとつ。
椀種、酢の物、和え物のほか、精進のお向こうにも使用する。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/09.html より
「大徳寺納豆」
塩辛納豆のことで「寺納豆」ともいう。
豆味噌のような風味で塩辛い。色は黒褐色。
大徳寺納豆とは京都産の寺納豆を指しており、他に浜名湖産の「大福寺納豆(浜納豆)」もある。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/08.html より
「鯛ちり」
鯛を主材料にした「ちり鍋」である。
たいの切り身のほか、春菊又はホウレン草、長ネギ、糸こんにゃく、豆腐、山菜やきのこ類などを昆布だしで煮る。
れんげ、受け皿、ポン酢などを用意して食べる。
薄切りにした鯛の身をしゃぶしゃぶ風に食べるのは「鯛しゃぶ」である。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/07.html より
「鯛茶」
「鯛茶漬け」ともいう。
新鮮な鯛の身を使ったお茶漬けである。
鯛の身をそぎ切りにしご飯にのせ、熱い茶をかける。山葵ときざみ海苔も加える。
一般的にそぎ身に胡麻醤油で下味をつけてからののせることが多い。
お茶は煎茶、またはほうじ茶や番茶。
玉露の粉茶を用いることもある。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/06.html より
「鯛飯・鯛ご飯」
「鯛ご飯(たいごはん)」
鯛の炊き込みごはん。
様々な調理法があり、作り方は一様ではないが、概ね下記のような手法である。
・鯛を焼いて米と一緒に炊き、身をほぐしてご飯にまぜる作り方
・鯛を醤油味で煮て、その煮汁と水を合わせてご飯を炊き、鯛の身をご飯に散らす作り方
「鯛飯(たいめし)」
鯛のそぼろご飯。
松江や伊予の郷土料理でもある。
鯛を茹で、身をそぼろ(紅を加えることもある)にして錦糸卵などと一緒にご飯にのせる作り方。
ご飯は鯛の茹で汁を漉したもので炊く方法と普通の醤油味で炊く方法がある。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/05.html より
「鯛蕪-たいかぶら」
鯛と聖護院蕪を多めの汁で炊いた京都の煮物。
柚子の皮を刻んで添える。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/04.html より
「大学芋」
さつま芋を油で揚げて糖蜜をからめたもの。
安価で高カロリーであることから学生に人気のある食べ物だったので、この名称になったという。
サツマイモを輪切り、乱切り、拍子木切りなどにし、水に浸けアクを抜いたあと、中温の油でじっくりと揚げる。砂糖と水で作っておいた蜜をからませ、黒ゴマをふって仕上げる。
*https://temaeita.net/top/t2/kj/96_K/03.html より
歴史
大学芋という名は、大正から昭和にかけて、東京の神田近辺(学生街)で中央大学、明治大学などの大学生が好んで食べていたため、ついたといわれる。また、昭和初期に東京大学の学生が学費を捻出するためにこれを作って売ったのが名前の由来だという説もあるが、大学芋のメーカーである台東氷業(東京都台東区雷門)の話では、東京大学の赤門の前に三河屋というふかしいも屋があり、大正初期に蜜に絡めた芋を売ったのが大学生の間で人気を呼びこの名がついたという。三河屋は、1940年(昭和15年)まで門前で営業していた。
なお、1898年(明治31年)に平出鏗二郎が書いた『東京風俗志』では、東京の焼き藷の売り方として「丸焼・切焼・胡麻塩焼の類あれども、京阪に見るが如く輪切にして焼き、醤油を塗れるものなし。近時京都焼きと称して、間々これを学ぶものあれども、多く行われず。」と記しており、明治時代にサツマイモにゴマを合わせることは一般的であったことと、焼き藷屋が味付けをすることが始まっていたことが知れる。
*Wikipedia より