第99回 2015年7月28日 「暮らしを彩る みちのくの器~福島 会津本郷焼~」リサーチャー: 芦名星
番組内容
会津本郷焼は、400年の歴史を持つ、東北屈指の焼き物。素朴で力強い生活雑器を作ってきたが、近年では、美しい色合いのカフェボウルや、流れるような青の模様が神秘的な湯飲み茶わんなど、斬新な器を生み出し人気を博している。一方で、郷土料理を作るためのたくましい伝統の器も健在。その優れた造形性により、万国博覧会のグランプリを受賞したこともあるイッピン。知られざる焼き物の里を、女優・芦名星が徹底リサーチする。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201507281930001301000 より
1.樹ノ音工房(佐藤大寿さん・朱音さんご夫婦)
「樹ノ音工房」(きのおとこうぼう)さんは、「しのぎの器」を作ってきた窯元さんです。
ご夫妻は結婚を機に、その当時で18番目の窯屋として会津本郷町内(現、会津美里町)で独立されました。
どの器にもしのぎが入っていますが、器の形・色・溝の幅の違いを入れると器の種類は300にも上るそうです。
しのぎを入れていたのは、スタッフの国分美樹さん。
お椀状に成形した粘土を、カンナという道具で削られていました。
少しでも多くの人のニーズに応えようと、色にも試行錯誤されています。
色は原料の割合を微妙に変えながら調合して作り出していました。
焼成温度や時間で発色に差が出るため、佐藤さんは逐一チェックして、 理想の色を求めていらっしゃいます。
樹ノ音工房 福島県大沼郡 会津美里町瀬戸町 3272-1
2.宗像窯(宗像利浩さん)
宗像家のご先祖は、奈良時代(767年)に福岡県宗像大社の神官として布教の為に会津美里町(旧会津本郷町)に移り住み、宗像神社を建立して、代々神官をされていました。
当時、神官は布教活動を行う地域で、生活の糧を自らの工夫によって得るのが原則であったため、会津本郷焼の産地として発展していたこの地で、享保4(1719)年に「宗像窯」を創業し、神官の傍ら焼き物作りを始め、文政の頃、八郎秀延の代からは専業となりました。
昭和33(1958)年、六代豊意(故人)の代に、ベルギーのブリュッセル万国博覧会において、「ニシン鉢」がグランプリを受賞。
昭和38(1963)年には、秩父宮妃殿下のご来訪を賜りました。
因みに、秩父宮妃殿下は、旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄氏のご長女でいらっしゃいます。
七代亮一(先代)は、福島県文化功労賞を受賞するなど、宗像窯の隆盛の基を作りました。
力強い作風で知られる現当主の八代目の宗像利浩さんも、様々な賞を受賞する名工です。
「ニシン鉢」は郷土料理の「ニシンの山しょう漬け」を盛るための専用の大鉢です。
作っていたのは奥様の眞理子さんです。
「ニシン鉢」は代々、女性が作るものなのだそうです。
宗像窯 福島県大沼郡会津美里町本郷上甲3115
3.流紋焼(弓田修司さん)
「流紋焼」は、会津本郷焼の中では最も規模の大きい窯元です。
「流紋焼」の特徴は、色とりどりの釉薬を使った「流し釉」にあります。
1250度の窯の中で釉薬が熔けて流れ、様々な文様を描きます。
自然界同様ひとつとして同じものはなく、一つ一つに豊かな個性があります。
器のルーツは、電柱や鉄塔に使われる絶縁体の「碍子」(がいし)です。
碍子の生産は明治以降、会津本郷焼の大きな柱で、弓田さんの窯元も前身は碍子製造会社でした。
高度経済成長後は碍子の生産が落ち込み、先代社長の弓田道雄さんが器作りを始めました。
碍子の製造で使っていた赤・青・茶色などの釉薬の技術を活かし、流れるような釉薬が開発されたのです。
流紋焼 福島県大沼郡会津美里町川原町甲1933
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Fukushima/Aizuhongo より