「池田炭」
猪名川上流域で生産される「池田炭」は、切り口が菊の花の形に似て美しく、火つきや火もちがよいため、茶の湯の最高級炭として広く知られています。
「能勢菊炭」
能勢菊炭の紹介
切り口が菊の花のように美しい事から「菊炭」と呼ばれるようになりました。北摂の山々で製炭され、大阪府池田市へ集積された事から「池田炭」とも呼ばれています。炭の材料にはクヌギを用い、生産するには大量のクヌギ材を必要として乱伐採がされていたように思いがちですが、この樹種は元株が残っていれば何度でも生えてくる木なので、乱伐どころか何度でも再生し生産できる循環型産業なのです。
炭には7~8年くらいたった木が主に使われます。それを万遍なくローテーションさせて伐採していきます。そのため、北摂地域には日本一といわれる里山が残っています。最盛期には約40軒にものぼっていた炭焼き農家は都市化によって衰退し、今では極少数の農家が伝統技術を守り続けています。
大阪府能勢町地域の特産品のひとつともなっている「池田炭(能勢菊炭)」は、茶道の分野では全国的に有名でありながら、あまり一般的には知られていないようです。火力が強くて火持ちが良いこと、香りが優れていることで「茶の湯には最高の炭」と言われています。長享年間(1487~1488)に池田の椋橋屋治朗助が足利義政に献上しており、文禄4(1595)年8月15日に豊臣秀吉が池田伏尾の久安寺で観月の茶会を催したときこの炭を薦めた記録が残っています。
池田炭の歴史
池田炭の歴史は古く、建仁(1201~1204)の頃から茶に用いられたといわれ、長享年間(1487~1489)に池田の椋橋屋治郎から足利義政に池田炭を献上した記録がある。また、正保2年(1645)松江重頼編の俳諧の方式書『毛吹草』巻4、摂津のところに「一庫炭、ここより池田の市に出て売りなり。故に池田炭云々」の記載があって、これがもっとも古い池田炭の名であろうとされている。
また、文禄4年(1595)8月15日に、豊臣秀吉が、池田伏見の久安寺の塔頭、常住院で観月の茶会を催したとき、池田炭を賞めたという記録が久安寺に残っていたが、戦災のため消失してしまった。
近松茂矩『茶窗閑話』(享和4年、1804)に、紹鴎の頃までは、池田炭をそのまま直に炉に点き火を入て茶をかけしに、利休了簡にて池田炭をそのまましかけ炭に用ふれバ、炭くづはしりて座付の炭おく時に炉中見たてよろしからずとて池田炭をおこし、上皮の分は白くなるほど焼置きてけさせ、二度焼の炭と名づけて客前の隅に用ひし・・・
池田炭をそのまま使うと、パチパチはねるので、これを2度やきして、用いたという利休の考案が述べられている。
明治19年摂津国能勢郡吉川村の住人、中川五兵衛が記述した『大日本山林会報告』第54号いんは、池田炭の来歴を述べた項がある。
予が祖先中川勘兵衛清光なるもの今を去る凡そ三百有余年の古即ち天正2年の春の頃周囲の山村に生立てる椚樹を伐採し之を焼きて一種の木炭を創制せり。是蓋し池田炭産出の濫觴たるべし。故に当初は之を吉川炭と唱へしこと。今尚伝えて村民の口碑に在り・・・
この記事から、池田炭は中川勘兵衛が初めて焼いたといわれている。
池田かまは白炭型式のかまで、窯外消化のかまであるが、このかまでクヌギを焼き、焼き終わったとき密閉消火(窯内消火)した。これが池田炭の生まれたそもそもの始めであろう。窯外消火の池田かまを窯内消火にかえ、炭材にクヌギを使ったのが中川勘兵衛などの考案であろう。
*http://www.satoyama-co.jp/page1.html より
「能勢さとやま創造館」 大阪府豊能郡能勢町下田尻303-2
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