いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<経産大臣指定伝統的工芸品> 福岡 八女提灯

2021-08-23 09:03:18 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「八女提灯」

 Description / 特徴・産地

 八女提灯とは?
 八女提灯(やめちょうちん)は、福岡県八女市周辺で作られている提灯です。
 八女提灯の特徴は、「一条螺旋式(いちじょうらせんしき)」の竹骨(たけぼね)と、花鳥や草木の美しい彩色画が施された「火袋(ひぶくろ)」です。一本の細い竹ヒゴを、提灯の型に沿って螺旋状(らせんじょう)に巻く「一条螺旋式」は、現代の盆提灯の起源とも言われています。
 八女提灯の種類は、先祖供養のためにお盆の時期に仏壇等の前に飾る「盆提灯(ぼんちょうちん)」が主流です。円筒形で長細い「住吉(すみよし)」や吊り下げ式で丸型の「御殿丸(ごてんまる)」をはじめ、祭礼用や宣伝用の提灯など約3,000種類に上ります。
 灯りをともす部分である「火袋(ひぶくろ)」には、薄手の「八女手漉き(やめてすき)和紙」や絹が用いられ、内部が透けるため「涼み(すずみ)提灯」とも称され全国的に名声を博しています。
 八女提灯の製作には地元でも生産している竹や和紙に加え、漆や木材が使われています。

 History / 歴史
 約200年の伝統を誇る八女提灯(やめちょうちん)は1813年(文化10年)頃に、福岡県八女郡福島町で荒巻文右衛門(あらまきぶんえもん)によって作られた場提灯(ばちょうちん)が起源と言われています。元々は福島町で製作されていたことから、福島提灯と呼ばれていました。
 当初、荒巻文右衛門が製作した場提灯は墓地などでつり下げられる提灯で、山茶花(さざんか)や牡丹(ぼたん)の紋様が単色で描かれている素朴なものでした。
 1854年(安政元年)から1859年(安政6年)頃には、同じ福島町在住の吉永太平(よしながたへい)によって「一条螺旋式(いちじょうらせんしき)」の技法や「火袋(ひぶくろ)」に薄紙を用いる製作技法が考案され、提灯の一大革命が起きました。
 明治時代に入ると、急速に増え続ける需要に対応するため、吉永太平(よしながたへい)の弟である伊平(いへい)により、早描き(はやがき)の描画法が採用されました。その結果、製作時間の短縮により販売価格も抑えることができ、アメリカやイギリスなどの海外諸国へ輸出されるまでに発展を遂げました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yamechochin/ より

 心なごむ、人と焼物の力強いあたたかさ
 福岡県八女市。市の中心部には、土蔵造りの町家が今なお軒を連ね、江戸、明治、大正、昭和初期と、それぞれの時代の風情を現代に伝えている。お茶屋、味噌屋、和菓子屋といったどことなく懐かしさを感じさせる店と共に、仏壇店や提灯店がいくつも並ぶのは、提灯どころの八女ならではの風景だ。そんな八女の提灯づくりに精通した、提灯メーカー経営者の今村保雄さんに、お話をうかがった。

 
 涼み提灯から盆提灯に
 芙蓉に秋草、孔雀に山水、華麗な筆致で描かれる絵は、八女提灯の顔だ。提灯には薄手の和紙や絹が用いられ、端正な絵越しに灯が透けてみえる。その涼しげな風情が好まれて、江戸時代には、夏夜に涼を呼ぶ提灯として各地で縁側の軒先を彩ったという。
 もともと八女は竹や紙の産地である。それらを使って、江戸時代に提灯づくりが始められたのだ。以来180年に渡り、八女では絶えることなく提灯が作り続けられている。明治時代以降は、主製品は盆提灯となったが、その生産量は現在、日本一、まさに提灯どころである。


 提灯と仏壇
 八女は提灯産地であると同時に、仏壇の産地でもある。八女福島仏壇は、提灯同様、国の伝統的工芸品として指定を受けている。
 「提灯は、仏壇と同じように非常に細分化された分業によって製造されています。私たちメーカーは、別々の場所で行われる工程の橋渡しをし、最終的に全てのパーツを集め組み上げて製品に仕上げます」と今村さんは説明する。
 分業することで、ひとつひとつの工程の技術が熟成されたのは、提灯も仏壇も同じである。灯を覆う火袋をとってみても、骨となるヒゴを巻き上げてそれに和紙や絹を張る職人と、絵付けを施す絵師に分かれている。それ以外の部分も、火袋の上下を固定する口輪や脚・持ち手といった木地の加工、漆塗り、蒔絵装飾などが、それぞれ専門の職人によって行われている。これら数多くの熟練した職人の技の積み重ねから、八女提灯は作り出される。木地や塗り、蒔絵など、仏壇の技術の影響を受けている工程も少なくない。
 盆提灯が仏壇に寄り添うように、その技も仏壇と共にあるようだ。

 手描きの妙技
 数多い工程の中でも、八女提灯を特徴づけているのは絵付けの工程だ。八女提灯の絵付けは手描きによって施される。下描きはしない。絵師の頭の中にある構図に従って、いきなり絵の具で描いていくのである。とはいうものの、絵柄を描いていくときの配置の目安はある。らせん状に巻き上げられた火袋の骨を縦方向でつなぐ糸の筋目がそれだ。筋目のどこに何を描くかを決めることで、全体の配置のバランスをとるのである。
 八女提灯には紙に描かれた図案はない。先輩職人の提灯やサンプルの写真など、立体に描かれた状態のものが見本となる。新しい図案を決める時も、アイデアを描き込むのは、提灯の現物だ。メーカーと絵師とが、白い提灯に実際に図案を何度も描き込みながら打ち合わせをして、最終的な図柄を決めていくという。
 「八女提灯の特徴は、なんといっても手描きの絵付けですから、絵付けの職人さんたちには、その良さを継承していって欲しいですね」と今村さんは語る。


 亡き人への思いを贈る盆提灯
 繊細な絵が描かれた盆提灯は、幽玄な夏の風物として、人の記憶に刻まれている。盆提灯は、亡くなった人の兄弟や付き合いの深かった人が、初盆を迎える喪家のために供養として贈る品だ。盆提灯は、生前の交友関係を物語るともいわれ、数十の提灯が仏前に並ぶことも珍しくはない。贈り物だからこそ、より美しい提灯が求められたのだ。だが、どんなに綺麗であったとしても、盆提灯が飾られるのは、一年の内わずか数日間。たとえ数日間しか飾られないものであっても、そこには亡き人への思いが込められている。人々の思いを形にするために、八女の職人たちは、一年を通して日々盆提灯を作りつづけている。
最近では、そうした贈り物は、現金でなされることが多くなり、提灯も喪家が自分で買うことも増えてきたという。
 「このごろは、仏壇そのものを持つ家庭が減ってきてしまいましたが、お盆くらいは、仏壇の前に家族みんなそろって先祖を敬うという気持ちを、子供たちにも持って欲しいですね。そうした風習の中に提灯もあるのですから。」と今村さんはしみじみと語った。

 

 こぼれ話

 提灯とふれあう

 八女市では、毎年9月の秋分の日を挟んだ数日間に、「あかりとちゃっぽんぽん」というイベントを開催している。「ちゃっぽんぽん」とは重要無形民族文化財に指定されている伝統芸能「八女福島の燈籠人形」のことで、この燈籠人形の『燈り』と八女提灯の『あかり』、そして八女が発祥の地である電照菊(註1)の『あかり』にちなんで開催されるイベントだ。期間中は、提灯まつり・あかり絵パレード・地場産まつり・町屋まつりなども催され、八女の伝統文化や産業にふれることができる。
 見所のひとつはあかり絵パレード。沿道に1700~800個の絵つき提灯が並べられ秋の夜を鮮やかに照らす。それぞれの提灯に描かれた絵は、市内の小学生が夏休みの宿題として一生懸命描いたものだ。
 八女ではこの他に、県立高校の授業でも提灯の絵付けが行われている。提灯の産地として、将来を担う子供たちに、できるだけ提灯にふれる機会を作り、後継者を育てようとしている。

(註1)電照菊ビニールハウスの中に照明を燈して、開花時期を調節した菊。

*https://kougeihin.jp/craft/1417/ より


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <経産大臣指定伝統的工芸品... | トップ | <経産大臣指定伝統的工芸品... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済産業大臣指定伝統的工芸品」カテゴリの最新記事