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<四国八十八箇所> 第61番札所 香園寺

2024-05-31 07:45:57 | 巡礼

 「香園寺」

 香園寺(こうおんじ)は、愛媛県西条市小松町南川にある真言宗系の単立寺院(元御室派の寺院)。栴檀山(せんだんさん)、教王院(きょうおういん)と号す。本尊は大日如来。四国八十八箇所の第六十一番札所であり、子安大師の寺として親しまれている。

 本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
 ご詠歌:後の世を思えば詣(まい)れ香園寺 止(と)めて止まらぬ白滝(しらたき)の水
 納経印:当寺本尊、白瀧不動明王
 沿革

 寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立し、天皇からは教王院の勅号を賜ったとされる。天平年間(729年 – 749年)には行基が巡錫。大同年間には、空海が巡錫中、当寺の門前で身重の婦人が苦しんでいた。空海は栴檀の香を焚いて加持祈祷をすると元気な男の子が無事に出産した。また、栴檀の香を焚いて、安産・子育て・身代り・女人成仏を祈る四誓願の護摩修法をした。以来、安産・子育ての信仰の寺となったという。

 実際の創建年は不詳であるが、奥の院の白滝不動から北へ行った海岸あたりで中山川下流に大日という場所があり、そこにあった大日堂が白滝不動で修行する人達の納経所になって、さらに大日如来を本尊とする寺になり、現在地へ移ったとも云われている。

 天正年間(1573年 – 1592年)兵火に遭って焼失したが、江戸時代に入り小松藩主一柳氏の帰依を得て寛永年間(1624年 – 1644年)に再興されている。また古くは、高鴨神社の別当寺であったとされる。

 1903年(明治36年)36代住職になった山岡瑞園大和尚により、1914年(大正3年)に本堂を再興、大正7年に「子安講」を創始し、全国はおろか海外にまで講員を拡大し隆盛に尽力した。 1976年(昭和51年)本堂は妙雲寺に移築され、その跡地に、高さ16m座席数620余の鉄筋コンクリート造りの大聖堂が建立される。

 境内

 大聖堂:本堂と大師堂を兼ねる。二階の堂内で、前立本尊と大師像を拝顔し参拝できる。一階中央にも外から参拝できるように簡素な仏像が祀られている。
 遍明堂(釈迦堂)
 子安大師堂:赤子を抱いた鋳造の大師立像
 聖徳殿(祠):聖徳太子を奉る。
 鐘楼
 戦争慰霊観音像
 句碑:参道の右側に1995年に立てられた種田山頭火の句碑「南無観世音おん手したたる水の一すぢ」「秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり」と左側に川柳句碑「偉い子はいぬがどの子も親思い」がある。
 参道を進むと左側に手水場が、右に鐘楼があり、その奥に遍明堂(釈迦堂)、正面に本堂と大師堂を兼ねた大聖堂が建っている。大聖堂の右側に聖徳殿と子安大師堂がある。大聖堂の外の前に大きなローソク線香立てがあり、それらを灯してから、大聖堂の向かって右から外階段を上がって二階ホールに入る。中は舞台と観客席があり、舞台中央に前立本尊の大きな金色に輝く大日如来が鎮座していて、秘仏本尊はその後ろの厨子にひっそりと置かれている。大師像は舞台右の厨子の中に奉られている。

 宿坊:なし。(定員250名の子安会館は、閉館)
 駐車場:75台、大型3台。無料。

 文化財
 西条市指定文化財

 一柳直卿の扁額「栴檀山」「教王院」(市指定工芸品)
 大日裏山2号古墳(市指定史跡)

 香園寺  愛媛県西条市小松町南川甲19

*Wikipedia より


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