「帝国ホテル」
株式会社帝国ホテル(ていこくホテル、英: Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町一丁目(日比谷)に本社を置くホテル運営会社。
概要
本格的な洋式ホテルとしては日本有数の歴史を持つ帝国ホテル(現・帝国ホテル東京)のほか、帝国ホテル大阪、上高地帝国ホテルを運営する、日本を代表する高級ホテル企業であり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「ホテル御三家」として知られる。なお単に「帝国ホテル」といえば「帝国ホテル東京」を指すことが多い。
三井不動産が約3分の1の株式を保有する筆頭株主であり、同社主導め帝国ホテル東京の建替えと日比谷公園も含めた日比谷地区の再開発を進めている。
沿革
明治~昭和(戦前)
1886年(明治19年)に東京の官庁集中計画が練られた際に、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれ、帝国ホテル(現・帝国ホテル東京)が1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。1883年建設で隣接する鹿鳴館と密接な関連を持つホテルとして井上馨の説得で渋沢栄一と大倉喜八郎の2人が1888年(明治21年)有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立し、建設した。以来、来日する海外要人・著名人などが宿泊する、日本を代表するホテルとして知られてきた。
渋沢は1909年(明治42年)に会長職を大倉喜八郎へ譲り、そして1922年(大正11年)には喜八郎の長男・大倉喜七郎が会長に就任した。喜七郎は北アルプスをきっかけに上高地帝国ホテルを開業させ、日本における山岳リゾートブームの先鞭をつけた。
昭和(戦後)以降
戦後に、喜七郎が公職追放に遭った上に財閥解体によって大倉家の持ち株は放出[注釈 2]。代わって東京殖産の長田庄一から巨額の資金援助を受けた「北支の煙草王」こと金井寛人が1953年(昭和28年)に株式の多くを獲得して会長となる。
1977年(昭和52年)の金井の死後、その全持ち株が小佐野賢治の国際興業に譲渡。1990年代前半には系列の「ザ・クレストホテル」の展開を始めた(現存するのは後述の「ザ・クレストホテル柏」のみ)ほか、1996年(平成8年)には帝国ホテル大阪を開業させ、帝国ホテルを帝国ホテル東京と改称した。
2004年(平成16年)にはその国際興業がサーベラスに買収されるが、2007年(平成19年)10月に国際興業保有帝国ホテル株式の大半が三井不動産に売却され、三井不動産が約33%を保有する筆頭株主となった。
2019年7月、帝国ホテル東京は東京電力ホールディングス本店ビルやNTT日比谷ビルなどと一体で、内幸町一丁目街区の一部として、複数の高層ビルが建てられるという方針が報道された。主体となる事業者は三井不動産とNTT都市開発。帝国ホテル東京についてはタワー館を2030年度に完成させ、本館も2036年度に完成する予定。
2021年3月25日、内幸町一丁目街区におけるまちづくり方針について、帝国ホテルを含む10社が合意したと発表した。また、同日に帝国ホテルは東京(本館・タワー)の建て替え計画の実施方針を決定した。同年10月27日、新本館のデザインアーキテクトに田根剛を起用したと発表した。
*Wikipedia より
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