「飯山仏壇」
Description / 特徴・産地
飯山仏壇とは?
飯山仏壇(いいやまぶつだん)は、長野県飯山市周辺で作られている仏壇仏具です。産地である飯山市は、古来より仏教信仰に厚い場所として知られていました。その信仰心の厚さが、今日の飯山仏壇の伝統の支えになっています。
飯山仏壇の特徴は、美しい蒔絵や宮殿(くうでん)が良く見えるように作られた弓長押(ゆみなげし)です。立体感のある金箔であしらわれた蒔絵は、漆で何回も塗り重ねてひとつひとつ丁寧に作られていきます。また、宮殿の上にくる長押(なげし)は弓型にすることで、より宮殿が拝みやすくなり、信仰者に優しい作りになっているのです。このように繊細で、拝む側に配慮した仏壇は、飯山市の仏教への熱い思いが込められた工芸品と言えます。
飯山仏壇は1975年(昭和50年)に国の伝統工芸品に指定されるまでになりました。現在でも、年間1,000ほどの仏壇が作られ、全国へと出荷されていきます。
History / 歴史
飯山仏壇の起源について、現在のところ明確な時期は明らかにされていません。一説として、1689年(元禄2年)に、寺瀬重高という人物が甲府(現在の山梨県あたり)から来て、素地仏壇をつくったという言い伝えが残っています。
飯山市周辺は、室町時代に浄土真宗が伝来したことと、仏教への厚い信仰を寄せていた上杉謙信が戦国時代に築城を行い城下町として栄えた場所でした。また、当時は、現在の飯山仏壇の姿とは異なる素地仏壇が作られていたと言います。以上のことから、この地は、以前から仏教と深い馴染みのある地域で、自然に仏壇が盛んに作られるようになったということが読み取れます。
現在のように漆が塗られ、重厚な作りとなったのは江戸時代になってからです。さらに江戸末期、稲葉喜作という仏壇づくりの名手によって、工芸品としての地位が確立されていきました。
飯山市では、現在でも伝統がしっかりと引き継がれ、約150名もの職人を有した、全国でも有数の仏壇の産地となっています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/iiyamabutsudan/ より
お客さまに感謝される喜び 飯山仏壇
雪深く、信仰厚い飯山の地に育った飯山仏壇は、特徴ある意匠を生み出したこだわりの仏壇である。宮殿(くうでん)、弓長押(ゆみなげし)に独特の技法が生かされ、他の産地との違いがよくわかる。金仏壇の静かな輝きはが拝む人の心にやすらぎを与えてくれる代々受け継がれる一品。
塩の道に根付いた、先祖と浄土を祀る調度品づくり
飯山は天正7年の上杉謙信による築城以来、城下町として栄えてきた町である。千曲川沿いに位置する当地は、山地で不足しがちな塩を運ぶ“塩の道”として舟便の起点となる要所であった。ここ飯山で仏壇が作られるようになった理由はよくわかっていないが、京仏壇の流れを汲むことは確かなようだ。飯山に伝わる小唄には36のお寺が出てくる。古くから信仰心の厚い土地柄なのだ。そんな飯山で代々仏壇販売を手掛ける、飯山仏壇事業協同組合副理事長の上海一徳さんに話を聞いた。
特徴ある概観と永く使ってもらえる工夫
「仏壇の産地はいろいろありますが、飯山仏壇は一目してわかりますよ。」肘木組物(ひじきくみもの)で作られる独特の宮殿(くうでん)と、宮殿がよく見えるように工夫された弓長押(ゆみなげし)は、伝統的工芸品として指定された時の条件でもある。拝む人の目に装飾がよく見えるよう配慮がなされている。
「合理的な作り方も特徴です。古くなってくすんでも、簡単に分解して“せんたく(再塗装)”して再び輝きを取り戻します。」子孫に引き継ぎながら代々使われることをはじめから考えた作りになっているのだ。
ご先祖に感謝するためのものだから
飯山には数多くの仏教宗派が共存している。宗派ごとに厳密には仏壇のつくりは異なるのだが、あまりうるさいことは言われないようだ。
「明治の頃のことですが、ある村に同じ仏壇を毎年一軒ずつ納めたこという話を聞いています。村の方が講を作られて助け合いながら買って頂いたそうです。」金仏壇は確かに値の張るものである。最近では比較的安い仏壇もあるが、元々は農家の一年分の収入に相当するという高価な品だった。信仰心の厚い飯山の人たちは互いに融通しながら、価値ある品にお金をかけてきた。
平安時代から受け継がれてきた技術
「基本的な金具加工の技術は平安時代からあると言われています。しかし、伝統だけにこだわってはならないと思います。現に飯山の仏壇はさまざまな技術を取り入れることででき上がってきたものです。」そう語るのは金具づくりを担当する伝統工芸士、鷲森誠さんだ。銅板をたがねで叩きながら語ってくれた。「この打ち方を“蹴彫り(けりぼり)”といいます。蹴りつけるように模様を刻むことから名付けられました。」細かなリズムでたがねが叩かれると、たがねの通った跡に小さな半菱形の刻みがついていく。「簡単そうにやってるけどあれがなかなかできるものではないのですよ。」と傍にいた上海さん。
「毎日拝んでもらうものを作っているのですからね。感謝されるものを作る喜びは大きいですよ。」と鷲森さん。上海さんも隣で頷く。
いい物、永く使えるものに価値を求める
最近はかつてほど家が大きくないので、住宅事情に合わせ小さい仏壇も作られている。最も売れた時代には作るのが追いつかず、正月には仏壇商が職人の家に来て、代わりに餅をついたことがあるという。「飯山仏壇は末永く使って頂くことができるつくりになっています。今は簡単に物が使い捨てにされる時代ですが、再び永く使えるものに価値が求められる時代になれば改めて仏壇の良さがわかるのではないでしょうか。」と上海さん。
仏壇は単にご先祖や亡くなった方を祀るためのものではなく、目に見えない浄土や阿弥陀如来を形にし、お祀りするところでもあるのだという。ご先祖が守ってきた山から材料を取ってできた仏壇は、子々孫々まで受け継がれて拝まれ続ける。意匠を凝らした荘厳な飯山仏壇は、拝む人の心にご先祖と風土への感謝の気持ちを育ててくれる心のより所でもあるのだ。
職人プロフィール
鷲森誠
「仏壇金具の技術を活かした作品づくりにも取り組んでいます。展示会に出展するなど、目標を持って作ってますよ。」
十代続く仏壇商、「上海本店」専務。「普通の商品を売るのとは感謝のされ方が違いますね。」と仏壇販売の魅力を語る
こぼれ話
高度経済成長と仏壇
伝統的工芸品に指定されている飯山仏壇は、さぞ昔は売れていたのだろうと思いきや、仏壇が最も売れたのはそれほど遠い昔でもない昭和40年から50年代にかけてなのです。
昔は金額の張る仏壇を家に置くことができるのは、わずかな豪商に限られていました。では、農家はご先祖を敬う気がなかったのか、というとそんなことはありません。高度経済成長期に入り、日本が豊かになっていくと、それまで買いたくても買えなかった仏壇が買えるようになった、しっかりとご先祖をお祀りしたかったのに十分できなかった、その思いを果たせるようになったのが昭和40、50年代。お金が手に入ってまず買ったのが仏壇だったようです。
今でも土地を売るなどしてまとまったお金が入ると、まず最初に「ご先祖さまからの土地が売れた。」と仏壇を買う人が多いとのこと。信仰の厚さが伺えます。次の世代にご先祖を敬う気持ちを残していきたいですね。
*https://kougeihin.jp/craft/0805/ より
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