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<日本酒> 兵庫 櫻正宗/櫻正宗櫻喜蔵

2021-05-27 10:16:47 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
 〈兵庫〉 櫻正宗/櫻正宗櫻喜蔵

 

 灘酒の成り立ち
 我が国の酒造りの歴史は古く、『日本書紀』の「スサノオノミコト伝説」にも酒が登場するほど。
 そして、時代が進むにつれ、酒造りも洗練されていき、現在に続く酒造りの骨格が定まったのは江戸時代であり、必要な条件を持った摂津国がその代表的な地となり、中でも伊丹、西宮そして灘地方が中心でした。
 寛永年間(1624〜1644年)になると伊丹の酒造家・雑喉屋文右衛門が西宮に進出したことをきっかけに多くの者が追随、流通の優位性から灘で本格化しました。
 灘は、原料米と原料水、そして気候風土、さらに海運という酒造りに必要な条件を揃えた土地で醸し出された「灘の生一本」は江戸人好みの酒の代名詞となりました。
 そんな酒造りの中心となった灘地域は、東郷(魚崎郷)の魚崎(当社・「櫻正宗」の醸地)を含む五つの郷から成る灘五郷と称されました。


 正宗の発祥と偉業
 山邑家の原点
 当社・櫻正宗の山邑家もまた、酒造りが本格化した伊丹・荒牧村で米を作り余剰米で酒を造る農家でした。伝法の正蓮寺開山時に山邑の酒をたくさん寄進し、「荒牧屋」という屋号で1625(寛永2)年に創醸されました。
 その後、酒造に重きを置き、1717(享保2)年に初代山邑太左衛門を名乗り、創業しました。
 創業の頃、荒牧屋の酒銘は「薪水」でした。酒銘には当代の歌舞伎俳優に関する者が多く、「薪水」もまたそれに習い、俳優の名を取ったものでした。

 西宮の水「宮水」の発見
 三代目太左衛門以降、江戸送りの船便の利便性から西宮と魚崎に蔵を持つまでに成長します。
 しかし、六代目太左衛門は二箇所の酒造で常に品質が西宮・梅の木蔵が勝ることを発見し、試行錯誤の末、梅の木蔵に湧き出る井水が高い品質を生み出すことを発見。
 その井水を牛の背に載せ、魚崎に運び、西宮の水「宮水」の酒が評判を呼び、灘には欠かせないものとなりました。

 酒銘「正宗」の誕生
 その頃、六代目太左衛門は当時の酒銘「薪水」が女性的で酒客の好みに合わないことから醸造法の改良とともに酒銘の検討をしました。
 ある時、親交のあった山城国深草の極楽寺村瑞光寺(元政庵)の住持をその草庵に訪ねた折、「臨済正宗」と書かれた経巻を見て、正宗(セイシュウ)が「清酒」と語音が相通じることから「正宗」を酒銘とし、それが評判を呼び清酒の酒銘に使われるようになりました。

 櫻正宗の誕生
 この頃、山邑家の酒造りはさまざまな近代化に取り組み、1884(明治17)年に山邑家は「正宗」を商標登録することにしましたが、酒の優秀さ故に、
正宗は清酒の代名詞としてその銘は一般化してしまい、政府は「正宗」銘を普通名詞とすることとしたため、認められませんでした。その際に、政府の勧めもあり、国の花と言える紅色複弁の櫻花一輪を配し、「櫻正宗」と改称して登録商標としたのでした。
 それが現在の社名である「櫻正宗」の誕生でした。


 江戸時代と変わらず、明治期においても山邑酒造「櫻正宗」は灘の清酒メーカーを牽引していく気概に満ちた蔵でした。
 1904(明治37)年、政府により官立醸造試験所が設立され、安全醸造と酒質の向上のために全国から優良な酵母が集められました。その結果、「櫻正宗」の酵母がもっとも優れていると判断され、「櫻正宗」の酵母が「協会一号酵母」として全国に頒布されました。
 戦後復興から高度経済成長へ
 終戦後、戦争の空襲で魚崎郷も3分の2の建物が焼失し、戦火をまぬがれた内蔵などで酒造りを再開しましたが、闇市で統制外の酒が溢れ、水をブレンドした酒が横行しました。
 しかし、山邑酒造では瓶詰商品の栓に封紙を貼り、品質第一、お客様第一の思いを貫きました。
 その後、高度経済成長期に入り、社会は大量生産、大量消費の時代になっても安全性や品質の向上のために投資、「品質第一」の考えは一貫して変えませんでした。
 1983(昭和58)年には山邑醸造研究所の蔭山公雄博士により赤米のよる清酒「花雫あか」という特許商品が開発されました。


 櫻正宗株式会社へ一新

 1992(平成4)年にCI(コーポレート•アイデンティティ)の策定を行った当社はこの年の4月1日をもって社名を山邑酒造株式会社から櫻正宗株式会社へ変更しました。
 1994(平成6)年にはレギュラー酒(上撰クラス)を本醸造酒にて生産できる設備として櫻喜蔵が完成しました。
 醸造設備から研究実験施設、また本社機能までを備えた「櫻正宗」の中枢として機能しています。

 震災と地域貢献

 1995(平成7)年1月17日櫻喜蔵への移動完了からちょうど1年が経過した日に阪神・淡路大震災が発生しました。
 灘五郷にも被害は大きく、廃業せざるを得ない中小の蔵もありました。
被災した地域住民が櫻喜蔵の姿を見つけ、一時避難されてきた方も多く、その時に地元の住民があってこその酒造りであると思いを新たにしました。
 復興後、1998(平成10)年に震災の被害が軽度だった門を残し、地元の魚崎地域活性化の一助けになることを目的として櫻正宗記念館「櫻宴」をオープンし、また、2003(平成15)年より「蔵開き」を開催し、地域の人々への感謝を表すイベントとして地元との交流も盛んに行っております。

 

 新たな酒造りへ

 2001(平成13)年に、日本醸造協会で保存されていた「協会一号酵母」が
戦災で焼失したと考えられていましたが、60年ぶりに奇跡的に見つかり、新たに本酵母を使用した清酒を醸造し、商品化に成功しました。
 さらに、「協会一号酵母」を使用し、原料や製法についてもこだわり百年前の造りのまま再現した純米原酒も商品化に成功しました。

 海外に向けて積極的に展開しており、2007(平成19)年から毎年4月にイギリス・ロンドンで開催されるインターナショナル・ワイン・チャレンジ
(IWC)の日本酒部門に出品しており、記念すべき第1回に大吟醸酒の部で
最優秀賞を受賞。その後も数度にわたって高位な賞を受賞し、国際的な日本酒の評価や人気を高める一翼を担うものになっています。
 

*https://www.amazon.co.jp/%E6%AB%BB%E6%AD%A3%E5%AE%97-%E9%87%91%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E9%85%92-%E9%87%91%E7%A8%80-%E5%A4%A7%E5%90%9F%E9%86%B8-%E5%8E%9F%E9%85%92-720%EF%BD%8D%EF%BD%8C/dp/B010L3FXIY より

 櫻正宗株式会社 神戸市東灘区魚崎南町5-10-1

 ラインナップ

 「桜正宗」朱稀 本醸造・焼稀 生一本 純米・金稀 純米吟醸・金稀 無濾過 純米大吟醸 三五 など


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