「東京アンチモニー工芸品」
東京の伝統工芸品「アンチモニー」とは?その歴史や製品をご紹介します
みなさんはトロフィーやオルゴールなど、金メッキや銀メッキが使われているものの地素材の合金を知っていますか?その地素材として多くの製品に使われているのは、東京の伝統工芸品「アンチモニー」なのです。「聞きなれない言葉で、どんなものなのか想像がつかない」という人がほとんどでしょう。
そこで今回は、職人の腕が光る東京の伝統工芸「アンチモニー」についてご紹介します。
アンチモニーとは
アンチモニーとは、「アンチモン」という金属の英語読みのこと。日本では一般的に、アンチモン(10~30%)・鉛(85~88%)・錫(すず)(2%)でできた合金のことを指します。そして、この合金を溶かして鋳型加工したもが「アンチモニー工芸品」です。
アンチモニー工芸品は、明治初期に東京の地場産業として技術が確立され、現在では主に東京都北東部から千葉県我孫子市一帯で作られています。
アンチモニーの材質
アンチモニー工芸の材料は、「焼地金」と「戻し地金」の2種類があります。
焼地金(1割地金)は鉛が9割、そしてアンチモンが1割使われています。戻し地金(2割地金)は鉛が8割、そしてアンチモンが2割使われています。
なぜ鉛のみで製造しないのかというと、すべて鉛で作ってしまうとやわらかくなりすぎてしまうからです。これら2つの生地は、製造するものの用途に合わせて使い分けられます。例えば、焼地金は賞牌やトロフィー、戻し地金はゴルフ人形や立体物などに使われていますよ。
アンチモニーの特徴
アンチモニー工芸品は、しっかりとした重さがありながら、表面が美しいのが特徴。表面に施した模様や文字が、きれいに浮かび上がるのです。
また、ほかの金属で生成する鋳物よりも、メッキに彫刻などを施しやすい特徴を持っています。というのも、ほかの金属とは違って、冷やすと膨張するからです。トロフィーに刻まれている繊細な模様は、アンチモニーが冷えるときに膨張することで、きれいに型の隅まで入り込んでいるから美しいんですよ。
また、見た目が美しい上にコストも軽減でき、一度にたくさん作れるメリットもあるのです。
アンチモニー製品ができるまで
アンチモニー製品の加工工程は、大きく分けて4つ。
ひとつ目に鋳型づくり、ふたつ目に鋳造加工、3つ目に研磨・メッキ・着色加工、4つ目に仕上げを行っていきます。
次からは、工程別にどのような作業をするのか見ていきましょう。
鋳型づくり
鋳型とは、鋳物(いもの)を鋳造するための型のことです。まず、鋳型には「木型」と「石膏型」の2種類があります。
工芸職人の手によって原型を使って砂で造形した「砂型」をとり、そこへ鋳型屋が合金を流し込んで「金型」を作ります。そして鋳型屋によって作られた金型のパーツを、合わせ屋が強度を高めるためにハンマーで叩いて金型を固めます。ここで水漏れしないようにしっかりと組み合わせ、鋳型にしていくのです。
仕上げに、旋盤(せんばん)やヤスリがけをし、木炭で磨き上げることで鋳型が完成します。
次に、鋳型に彫刻を施していきます。彫刻作業は、まず模様が反対にも写されるように図柄を写し取り、タガネやナナコなどを使用して彫ります。彫刻は、全工程の中で最も職人技が求められるといわれる作業。この彫刻作業は、現代でもアンチモニー工芸が成立した明治時代当時と変わらない技法が使われています。合金で作られた金型のため、美しくて精巧な模様を彫り上げられるのです。
戦前には、ダッチデザイン模様や花鳥・山水・富士山など、日本を象徴するシンボルが彫られていました。しかし、徐々に唐草模様など、近代的な西欧のデザインが取り入れられるようになったのです。
鋳造
鋳造方法には、「焼き吹き」「戻し吹き」「冷吹き」「地金吹き」の4種類があります。
「焼き吹き」は、鋳型を300~350度の炉で地金が溶けて流れるまで熱したあと、湯を入れて少しずつ鋳型を冷やしていく方法。鋳型内の湯の温度、鋳型の傾き加減、湯の流れと空気抜けは、全て職人の勘によるものです。まさに職人技といえるでしょう。
「戻し吹き」は、鋳型の湯口より湯を注入し、10~15秒後に型から湯を出す方法。どんな形状でも対応できる特徴があります。主に、置物や宝石箱などの製品に用いられることが多い手法です。
「冷吹き」は焼き吹きの水冷を省いたシンプルな方法、「地金吹き」は溶解した地金の上に鋳型を浮かせて熱する方法です。この2つの方法は、主に小さな製品の鋳造に用いられます。
加工
鋳型から取り外したあと、ハンダ付けやロー付けを行って、パーツを組み合わせていきます。このとき、生地には型の合わせ目や、ハンダ付け・ロー付けによる余分なバリがあるので、取り除いて合わせ目がわからなくなるまで滑らかにしていく「バリ取り」という工程も経ます。これらの加工を「まとめ加工」といいます。
仕上げ
仕上げは、金・銀・銅でメッキ加工しますが、その前にまずは表面を研磨していきます。この作業をきれいに行わないと、メッキの仕上がりにも影響する大変重要な作業です。
そしてメッキを塗装する前には、必ず下地となる銅メッキを施します。塗装方法には、「吹き付け塗装」「ザブ付け塗装」の2種類があります。例えば、優勝カップの表面などは塗装しない部分にマスキングをしてスプレーで吹き付け塗装します。また、着色した上から透明なエナメルでサビ止め加工を施す方法もありますよ。
東京アンチモニー工芸品の歴史
アンチモニー工芸の歴史は、140年前の明治10年(1877年)にまで遡ります。当時徳川幕府が抱えていた鋳物師や彫刻師たちは、明治維新で職を失ってしまいます。そのため、自らの腕を生かせるような新たな産業を模索しているうちに、アンチモニー工芸を確立しました。当時、東京に職人が集まって技術を競い合ったため、早くから東京の特産品として発展していったといわれています。
そしてアンチモニー工芸は、主に日本橋を中心として貴金属商品を取り扱う問屋商人のもとへ入り、市場へ出るようになりました。そしてその問屋が港町として栄えていた横浜の輸出業者の商人に売ったことで、海外にも輸出されるようになります。
その後、明治33年(1900年)に重要物産同業組合法によって「東京輸出金属器同業組合」が設立されました。明治37年、38年には富国強兵の国策によって、アンチモニー工芸の持つ見た目の美しさや海外の好みに合ったものが推進されたことで、アンチモニー工芸の基盤が築かれました。
また、戦後まもない昭和20年(1945年)には、アンチモニー製品同業組合再結束の動きが高まりました。そして昭和24年(1949年)に、輸出アンチモニー工業協同組合が設立され、その翌年に起きた朝鮮戦争によって需要が高まり、東京の地場産業のひとつになり現代に至っています。
ギフトにもぴったり◎
アンチモニー工芸は明治時代に作られてから、東京の地場産業のひとつとして発展してきました。アンチモニー工芸の魅力は、模様や彫刻の美しさ、そしてコストの安さに加え大量生産できる点にあります。
最近では「レトロ感覚」「手作り感」があるものが流行の傾向にあるので、アンチモニー工芸品も伝統的な金属工芸品としてギフトとしても高い人気を得ていますよ。みなさんもぜひ機会があれば、明治期の東京を支えた地場産業であるアンチモニーに触れてみてくださいね。
*https://i-k-i.jp/7291 より
*https://kougeihin.jp/craft/070310/ より
Description / 特徴・産地
東京アンチモニー工芸品とは?
東京アンチモニー工芸品は、東京都北東部から千葉県我孫子市一帯で作られる金工品(きんこうひん)です。
東京アンチモニー工芸品の特徴は、繊細な模様を正確に表現できることです。素材となる「アンチモニー合金」はどっしりとした重量感があり、表面がなめらかで鋳造後の冷却時に収縮しないため、細かい模様も鮮明に製作できます。職人の手により金・銀・銅などのメッキが施されると豪華な見栄えがするため、トロフィー、オルゴール、インテリア小物、装飾工芸品などの多様な製品が作られています。
近年では東京都立産業技術研究センターと東京アンチモニー工芸協同組合で協同開発した「エテナ」も素材として採用されています。「エテナ」の開発により今まで錫製品でできなかった鏡面仕上げが可能となり、銀製品にも劣らない美しい光沢を持つ東京アンチモニー工芸品が製作できるようになりました。
History / 歴史
アンチモニー製品の起源は、1877年(明治10年)と言われています。明治時代へ転換する明治維新により職を失った徳川幕府の鋳物師や彫刻師が、創意工夫を重ねてアンチモニー製品の技術を確立しました。
明治時代に基盤が構築されたアンチモニー産業は、その後に起こる関東大震災や大金融恐慌、世界大不況、第2次世界大戦などの影響を大きく受けることはありませんでした。1945年(昭和20年)の終戦1ヶ月後には、組合再発足の集まりが持たれたほどです。
1949年(昭和24年)にアンチモニー工業協同組合が正式に発足された後は、外貨獲得という国策に貢献し、経済成長を牽引する産業へ発展していきました。明治・大正・昭和を通して日本の輸出産業を発展させたアンチモニー製品は、日本の伝統工芸品として欧米人に高く評価されるだけでなく、彼らの生活にも深く浸透しています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tokyoantimonykogeihin/ より
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