「唐津焼」
Description / 特徴・産地
唐津焼とは?
唐津焼(からつやき)は、佐賀県・長崎県周辺で作られている陶磁器です。16世紀の頃から作られている伝統工芸品で、茶陶器を始め様々な種類が作られています。
唐津焼の特徴は、素朴だけれど粗野ではない、土を感じさせる味わいです。安土桃山時代には「1楽、2萩、3唐津」と言われ茶道のなかでは代表的な器として重宝されていました。1の楽焼、2の萩焼はそれぞれ京都、山口で作られていますが、楽焼も萩焼も歴史は400年ほどで、唐津焼に比べ新しい作品です。
わび・さびを良しとする茶道では、シンプルで深みを感じさせる作風が好んで作られ、唐津焼は茶陶器以外も多くあります。絵唐津と言う作品は花や鳥、草木などの意匠を描き、李氏朝鮮から伝わったという朝鮮唐津も有名で、黒の鉄釉と白の藁灰釉を交わらせた表現が魅力です。ほかにも斑唐津など様々な作風があります。
History / 歴史
唐津焼 - 歴史
唐津焼は1592年(文禄元年)の頃、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際に、朝鮮の職人によって作られたことが始まりだと言われています。しかし、昨今の調査では、朝鮮出兵以前の1580年(天正8年)頃には作り始められていたという説もあるようです。
当初は日用食器として利用されていましたが、唐津焼本来の素朴さや、わびさびを感じさせる味わいなどが好まれるようになり、次第に茶の湯道具として使用されるようになっていきます。桃山時代には茶の湯の名品という地位を確立し、西日本では「焼き物といえばからつもの」と呼ばれるほどに有名になりました。
しかし、江戸時代以降は窯場の乱立による山が荒廃し、佐賀藩は取り締まりを始めます。佐賀藩が乱立する窯元を取り壊して有田へと集約したことで、窯元の数は大幅に減少しました。明治維新以降も窯元は減少し続けましたが、その後、人間国宝である中里無庵の手によってその技術が復元されました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/karatsuyaki/ より
“茶陶は従に徹せよ”唐津焼
唐津焼は、安土桃山時代に茶道が流行したことから発展し、「1楽、2萩、3唐津」と呼ばれるほど『わび茶碗』として定着している。今回は薪で焚く登り窯や釉薬、土づくりといった唐津焼の原点を大切にしその伝統を踏襲している、井上東也(いのうえとうや)さんにお話をうかがった。
「人との出会い、ご縁が私の原点です」
井上東也さんは昭和17年生まれである。父親は地元唐津の医者であった。同時にこの地方では名の知られた唐津焼の収集家でもあった。井上さんは幼少時から“いい唐津焼”に触れていたわけである。言うまでもなく、今日の井上さんの原型は父親の作ってくれた環境にあった。そして高校時代には陶芸家になるという信念が生まれ、医者になってほしい父親と衝突する。一旦は父親の言うことに従い、東京の大学に進学するが、本業の勉強よりも、「古窯跡(こようせき)」の発掘や、陶芸の勉強に熱中してしまう。そこで陶芸の師であり、人生の師でもある、“塗師淡斉(ぬしたんさい)”氏に出会い師事することになる。この師匠は、趣味人として有名なあの“北大路魯山人”のごひいき陶芸家であった。その後いよいよ陶芸家になる志は確固たるものになり、帰郷後本格的に唐津焼の修行に入り、昭和44年鏡山の麓に開窯したのである。
陶芸家への修行
「そりゃ、私の師匠は口うるさかったですよ。それに比べたら、今の私の何と弟子に優しいこと。」と笑顔で当時の思い出を語ってくれた。タイトルにある“茶陶は従に徹せよ”とは師匠から何百回も聞かされた言葉なのである。「茶の道での主はあくまでも茶であり、亭主である。茶陶は茶を心地よくたてていただき、飲んでいただくための従たる道具にすぎない。だから、謙虚にそのことだけを考えて茶陶は作られるべきである」という意味である。師匠は、当時の井上さんの作品を見て、「これは口当たりが悪い」とか「これじゃお茶をたてにくい」と自らの言葉を具現化させようと、妥協せずに教えてくれた。土のつくり方、ろくろの回し方、陶器の焼き方など、それが井上さんの血肉となるのである。「茶陶には、500年もの歴史がありますが、茶碗にも水差しにもサイズのマニュアルなんて一切ないのですよ。でも一番お茶をいただきやすい大きさ、お茶をたてやすい高さは自然と決まってくるものです。陶芸家は自分の我を捨て、茶の道を理解し、亭主のお手前を理解することによってはじめて、本物の“従”である茶陶を作ることができるのではないでしょうか。」こう語る井上さんはもう30年以上茶道に勤しんでおられる。まさしく本物の“従”を追求する陶芸家なのである。
これからの日本、これからの唐津焼
井上さんは「今、日本中が乱れていますよね。一つの原因として、子供のときから本当に『美しいもの』『正しいもの』に触れていないということがあるのではないでしょうか?
ここらへんで落ち着いて、21世紀の日本のために、古来からの伝統文化を見直し、教育の一環として礼儀、作法なども取り入れることが大切ではないでしょうか。あなたもこうして茶室という“静”と“美”の空間の畳の上に座っているだけで落ち着くでしょう。そしておいしいお茶をいただいてごらんなさい。昔は武士のたしなみだったのです。気骨のある日本人が21世紀もたくさん育っていくはずです。」と語った。
現在、井上さんの跡取り息子さんは、窯業大学で陶芸を勉強中である。その息子さんは大学を卒業後、備前焼の陶芸家の所へ修行に行くことが決まっている。おそらく、幼少時からこの厳しいおとうさんから本物の教育をされてきているはずである。井上さんはまだ学生の息子さんにいつもこう言っている。「おまえはおまえの道を切り開け。俺の道を順に追ってくることはない。自分の感性を信じ、さらに感性を磨き、伝統に縛られることなく新しい21世紀の唐津焼を切り開け」と。
職人プロフィール
井上東也 (いのうえとうや)
昭和17年、唐津に生まれる。
日大に進むも、古窯の発掘に立会い、焼き物に魅せられ、この道を志す。
帰郷後に鏡山の麓に窯を築き、昭和44年に開窯。
現在、唐津焼協同組合の理事長を務め、唐津焼の更なる発展に尽力している。
こぼれ話
「登り窯」と焼成方法について
唐津焼の大きな特長でもある、“登り窯”と焼成方法について検証します。日本の焼き物の中で一番登り窯にこだわっているという自負心があります。
窯づめ
窯の中に棚を組み、作品を詰めます。
窯の癖や炎のまわり具合をよく頭に入れて並べる場所など工夫します。
焼き物に応じて、火前(ひまえと読み、火の前面側にあること)、火後(ひあとと読み、火の後側にあること)に分けて作品を配置しなくてはいけません。窯出し
30時間ほど炊き続けた後、3日間窯を冷やして中の作品を取り出します。
温度や炎のあたり具合で、割れたり釉薬がうまく溶けていない物もあります。
*https://kougeihin.jp/craft/0425/ より
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