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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 琉球漆器

2021-08-25 10:23:12 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「琉球漆器」

 Description / 特徴・産地

 琉球漆器とは?
 琉球漆器(りゅうきゅうしっき)は、沖縄県で作られている漆器です。中国から伝来した漆器の技法を巧みに取り入れ、沖縄独特の琉球漆器へと発展させ、その技術と芸術性は海外でも広く評価されています。
 琉球漆器の特徴は、加飾技法が多種多様なことです。沖縄独特の加飾技法である「堆錦(ついきん)」は、中国の「堆朱(ついしゅ)」と言う技法からヒントを得て完成しました。立体的表現ができる技法で、他の産地には見られない味わいがあります。
 伝統的な朱色漆と黒色漆の大胆なコントラストが美しい花塗(はなぬり)など、鮮明で斬新な華麗さも人気です。他にも「沈金(ちんきん)」、「箔絵(はくえ)」、「螺鈿(らでん)」などの技法があります。
 沖縄は漆の生産地としても大変恵まれた気候条件があり、ディゴ、エゴノキ、ガジュマル他の良質の素材を採取することが可能でした。産地としての好条件と職人の努力によって琉球漆器は独自の地位を確立しています。

 History / 歴史
 琉球漆器 - 歴史
 琉球漆器の歴史は、琉球王国時代の14~15世紀頃に始まります。中国との貿易が盛んだったため、漆器の技法は中国から伝わりました。
 15世紀に琉球王国が統一されると、組織的に漆器を作るため貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)が設置されます。政治と信仰の結びつきが強い琉球地域では、祭祀や儀式で漆の装飾品や首飾り玉などを使用しました。琉球の士族や王族はもとより地方でも、漆器は人と神を結ぶ儀礼の場所で使用されてきたのです。
 1609年(慶長14年)に薩摩藩が琉球王国へ侵攻した時に、接収した琉球漆器を徳川家康に献上しました。薩摩藩の進行以降は、中国よりも日本との外交や結びつきが強くなります。
 16~17世紀の琉球漆器は、朱、緑の漆に「沈金(ちんきん)」技法を使用した作品や朱漆に「螺鈿(らでん)」の作品が中心です。17~18世紀は、黒漆に赤や青の夜光貝を使った細かな「螺鈿」の作品に変化します。
 18~19世紀には朱漆に、「沈金(ちんきん)」、「箔絵(はくえ)」、「堆錦(ついきん)」などの技法が用いられました。
 1879年(明治12年)の廃藩置県以降は、琉球漆器は民間の工房や漆器会社が製作しています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/ryukyushikki/ より

 沖縄らしさが際立つ透明感ある朱色
 日本には黒の漆器が多いけれど、琉球漆器は透明感のある朱色が持ち味。デイゴの木やニービ(小禄砂岩)といった沖縄ならではの素材と、漆に好条件の高温多湿の気候を生かして、人々は古くから独特の漆芸を育んできた。

 
 朱色に黄色や緑の取り合わせ
 南の太陽のもとでは鮮やかな色がきれいに映る。朱色に金色の線で花が描かれたなつめ、軽くて丈夫なデイゴの木で作られた朱塗りの盆。黄色いゆうなの花や緑の松がついたカラフルな硯箱は、琉球漆器特有の「堆錦(ついきん)」という技法で作られている。漆と顔料を混ぜて餅のようにした堆錦餅(ついきんもち)を、うすく伸ばして、花や松の形に切ってはりつけるのである。
 堆錦のほかにも、キラキラ光る貝をはりつける「螺鈿(らでん)」、模様の部分に金箔をはる「箔絵(はくえ)」、彫った線に金箔を入れる「沈金(ちんきん)」など、さまざまな技法がある。
 「これだけいろいろな手法を使っている産地はないと思う。」
と話すのは、漆器作り40年になる松田勲さん。展覧会で数々の賞を手にしている伝統工芸士である。


 失敗からヒントをもらう
 好奇心のおう盛さには驚かされる。漆器作りの職人は技法ごとに分業することが多いが、松田さんは、蒔絵(まきえ)、螺鈿、沈金、箔絵をそれぞれの師匠から学び、堆錦も含めていくつもの技法を使いこなしている。「ぼくは全部やりたかった。人があまりやらないこともやっています。」
 たとえば総張りといって、薄くのばした堆錦餅をなつめ全体に張り、さらに上から模様の形に切った堆金餅をはる。あるいは庭で拾った葉っぱに漆をつけて香合に張り、葉だけ取って葉脈の跡を残す。
 失敗からヒントをもらうことも多い。「だからおもしろい。ミスの中から、どこか使えないかなと考える。失敗したのをほったらかしておいて、あとで見たらきれいな色になっていた。それならこれを全体にやったらどうかな、とかね。」


 親方に教えられたこと
 小学校のころから絵が得意だった松田さんは、高校で漆器の勉強をした後、黒江漆器の産地、和歌山県海南市の会社に弟子入りした。6人兄弟の末っ子としてかわいがられて育った松田さんにとって、初めてのひとり立ちである。はじめの頃は、まわりに沖縄出身の人はほとんどいなかった。
 「寂しかったですね。親方はとてもいい人で、食事も一緒にして家族のように接してくれたけど、短気でね。こっぴどく叱られたときは沖縄を思い出した。つまずいたことは何度もあるけど、仕事でミスして怒られるのは当たり前。そんなことで負けないさー。」
 親方にすすめられて日本画や書道を習った。漆器の基本中の基本である写生は、親方に教えてもらった。当時覚えた草の描き方は今でも頭に残っている。
 4年間、蒔絵を学んで沖縄に戻った。ほかの技法も勉強して腕を磨き、展覧会に出品するようになっていった。


 おもしろいものを探してる
 技術に熟練しても、デザインがまたむずかしい。写生帳や本を見てもなかなか決まらないことがある。パッと浮かんだときは、仕事もあっという間に進んで気持ちがいい。段取りも瞬時に組み立てられる。しかしそんなときでも、頭の中のイメージと実際にできた物との間には差がある。
 「仕上りは理想の70%から80%。100%の仕事は不可能に近いんじゃないか。完璧な物はまだない。」
 これからはどんな作品を?「いきあたりばったりよ。おもしろいものはないかと、いつも探してる。なんでも前向いて行かんといかんでしょう。」
漆に出合って40年。好奇心はますます健在だ。

 
 職人プロフィール

 松田勲 (まつだいさお)

 1944年生まれ。伝統工芸士、県の無形文化財伝承者、沖展会員。

 こぼれ話

 琉球王府がまもり育てた漆器作り

 中国から漆器が伝わったのは、琉球王国が中国や東南アジア諸国と盛んに交易していた15世紀ごろのことでした。琉球では独自の漆芸が花開き、将軍家への贈り物として、また中国への朝貢品として、優れた品がたくさん作られました。王府は貝摺(かいずり)奉行所という機関を設けて、漆芸をまもり育てていたのです。
 貝摺奉行所では、貝殻を小さく切ってはる螺鈿(らでん)の技法を中心に製作していました。1日かけて一寸(3センチ)角くらいしかできない、かなり精巧な仕事をしていたようです。
 当時から作られていたもののひとつに、東道盆(トゥンダーブン)があります。中国からの冊封使(さっぽうし)をもてなすときに使った器で、8~9種類のごちそうが入るように中が区切られています。
 こういった大きな器には、デイゴの木が使われます。木の目が粗いので、大きさのわりにびっくりするほど軽いのです。それでいて丈夫で、乾燥しても変形することはありません。おもに沖縄本島中北部のものが使われています。また、お椀などの小さなものには、本島北部のシチャマギ(エゴノキ)を使います。

*https://kougeihin.jp/craft/0523/ より


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