「もともと共産主義=科学的社会主義とは、自国の民族のことを他国に干渉されずに自分たちで決めるという、〈民族自決権〉を大事にする立場です。」
これは、平成22年5月13日の新聞『あかはた』の記事でしたが、調べていきますと違う事実がいくつも出てきました。統一教会との関係について、自民党は何も知らなかったかのような見えすいた嘘を言っていますが、共産党の〈民族自決権〉の説明もこれに負けない見えすいた嘘だと分かりました。
息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には、『あかはた』記事の嘘を証明する事実を追加して紹介します。
・1919 ( 大正8 ) 年に創立されたコミンテルンは、1922 ( 大正11 )年1月にモスクワで極東民族大会を開催
・大会には日本代表として徳田球一らが参加し、スターリンが共産党組織結成を指示
・徳田の帰国後、山川均、堺利彦、野坂参三、佐野学らによる代表者会議開催。コミンテルンの方針を承認し、日本共産党結成
そもそも日本共産党の結成は、スターリンの指示で始まっていますが、これを果たして〈民族自決権〉と言えるのかどうか。もしかすると記事を書いた赤旗の記者は、党の歴史を知らない戦後生まれの党員だったのかもしれません。
・1922 ( 大正11 )年の第4回コミンテルン大会で、日本共産党が日本支部として承認
・同大会で、コミンテルンの理論家ブハーリンの起草した「日本共産党綱領草案」( 22年テーゼ ) が示された。
・内容は、君主制廃止、軍隊廃止、労働者の武装権、朝鮮・中国からの撤退、土地公有化
・1923 ( 大正12 )年、草案は石神井会議で議論され理論的には異論無しだったが、「君主制の廃止」の項目には反対意見があり審議未了
・同年6月に共産党の検挙が行われ、関東大震災後は解党論が起こり、「22年テーゼ」は草稿のまま終わる
「22年テーゼ」の中に「君主制の廃止」の記載は無く、「完全に民主的な政府の要求」という表現だったという説もあるようです。どちらの表現だとしても、当時の政府が容認するはずがなく、厳しい弾圧を受け、昭和5年以降は国内組織がほぼ完全に壊滅しています。
このまま壊滅すればよかったのに、敗戦後の日本を統治したGHQが、刑務所にいた共産党幹部を解放してしまいました。
「GHQは解放軍である」と、徳田委員長が感激したのはこの時の話です。
ここで私は「ねこ庭」のブログから、令和元年8月に書いた「奢るNHK」の叙述を紹介します。
この叙述で分かる通り、日本共産党はアメリカのおかげで息を吹き返し、今日に至っています。
「もともと共産主義=科学的社会主義とは、自国の民族のことを他国に干渉されずに自分たちで決めるという、〈民族自決権〉を大事にする立場です。」
これらの事実のどこに、他国に干渉されずに共産党が決めたことがあったのでしょうか。過去を知りますと、平成22年の『あかはた』の記事の捏造ぶりが明らかになります。政府公文書の改竄よりもっと酷い捏造ですが、彼らの改竄と捏造癖は、そっくり日本学術会議の反日左翼学者と、日弁連の弁護士たちが受け継いでいます。
次回は歴代委員長 ( 宮本顕治、不破哲三、村上弘、志位和夫各氏 ) と、ソ連・中国の関係について紹介します。