「現在のロシアと日本共産党の関係については、次回平成22年5月13日の新聞『あかはた』の記事を紹介します。」
約束しましたので、以下に紹介します。
「〈ソ連共産党〉の一党独裁だった旧ソ連は、1991 ( 平成3 ) 年に崩壊しました。プーチン政権の与党は〈統一ロシア〉で、共産党とも共産主義とも無関係です。」
「もともと共産主義=科学的社会主義とは、自国の民族のことを他国に干渉されずに自分たちで決めるという、〈民族自決権〉を大事にする立場です。」
「ところがソ連共産党は、1950 ( 昭和25 )年代から日本共産党を従わせようと干渉攻撃を仕掛けました。日本共産党はこれをはね返し、ソ連共産党が解体した際に〈歴史的巨悪の党の終焉(しゅうえん)を歓迎する〉と声明を出しました。」
「旧ソ連は、チェコスロバキア、アフガニスタンなどに、ソ連の言いなりの政権をつくろうと武力で侵略しました。日本共産党はこれらの覇権主義的な振る舞いが、本来の社会主義・共産主義と無縁な蛮行だとして、徹底的に批判しました。いまのウクライナへの侵略に対しても、〈どんな国であれ覇権主義を許さない〉と表明し、駐日ロシア大使に直接伝えて即時撤退を求めています。」
「日ロ領土問題は、スターリンが〈領土不拡大〉という第2次世界大戦の戦後処理の大原則に反して、千島列島を占領したことに原因があります。全千島列島の返還を要求しているのが、日本共産党です。安倍政権がプーチン大統領との屈従外交で、事実上の〈2島返還〉で終わらせたのとは大きな違いです。」
現在共産党が、ソ連共産党とどのような関係にあるのか、冷えた状態にあるとは感じていますが、いつからどうなったのか関心がありませんでした。統一教会問題をキッカケに、自由民主党、立憲民主党と共産党について調べる過程で、思いがけない勉強をさせてもらいました。
記事を読んだ時、プーチンのロシアを利用し、共産党が国内での劣勢挽回を図っているという印象を得ました。彼ら特有の「盗人にも三分の理」が、ここでも展開されています。プーチン大統領のウクライナ侵略と、スターリンによる北方領土不法占拠につき、共産党が真正面から反対しているという記事です。しかも最後には、いつも通りの安倍政権批判です
大手マスコミもためらったのか、彼らの勝手な意見を報道しなかったようです。こういう意見を聞かされると、騙されやすい国民がまた、共産党になびき兼ねないので要注意です。
ソ連共産党を師と仰いでいた時があったはずなのに、今は〈歴史的巨悪の党〉とこき下ろしています。ソ連の崩壊時に、薄情な声明まで出していました。
〈 歴史的巨悪の党の終焉(しゅうえん)を歓迎する 〉
私が今まさに共産党に言おうとしていることを、彼らが先にソ連共産党に伝えていました。現在の「ねこ庭」のブログは、主として共産党への鎮魂歌ですから、彼らに酷かと気遣っていましたが、ソ連共産党にここまで宣言しているのなら、遠慮する必要がなくなりました。
〈 この忌まわしい政党が、崩壊寸前の断末魔の声をあげている 〉
私も安心して、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に伝えられます。
今回もう一つ勉強をしました。かっての「コミンテルン」が無くなり、次に「コミンフォルム」となり、ついには何も無くなっていました。息子たちのため、紹介しておきます。
・1943 ( 昭和18 ) 年、コミンテルン解散。
・1947 ( 昭和22 ) 年、ソ連が支配する各国の共産党指導者が集まり、コミンフォルム設立。
・コミンテルンが労働者の統一戦線樹立を目指したのに対し、コミンフォルムは各国共産党の情報交換、ソ連の指導下での共産党間の活動調整が主目的
・独自路線を採ろうとするチトーとスターリンの対立が深まり、ユーゴスラビアを追放
・チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリーがマーシャル・プランによる援助を希望したが、スターリンがソ連圏からの離脱を警戒し不許可
・代わりにモロトフ・プランを提唱し、経済相互援助会議(COMECON)に発展
・1950 ( 昭和25 ) 年1月の機関紙で、占領軍を解放軍と規定し、平和革命へと路線変更した日本共産党の誤りを指摘。
・このため日本共産党は、「所感派」と「国際派」などに内部分裂
・コミンフォルムは、スターリン死後のスターリン批判を受け、1956 ( 昭和31 ) に廃止
GHQのお陰で刑務所から出された共産党の徳田委員長が、「占領軍は解放軍である」と言った話は有名なので知っていました。しかし共産党がこの時から、平和革命路線へ変わったことや、ソ連共産党と対立していたことは初耳です。敗戦後の混乱の中で、分裂・集合をしていたのは自民党だけでないことも分かりました。
息子たちに伝えるためというより、自分のため、もう少しこのあたりのことを調べてみましたので、次回に紹介します。