ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「平和のつどい実行委員会」

2022-08-17 23:12:38 | 徒然の記

 8月4日の千葉日報の記事を紹介します。いつもは共同通信社の全国配信記事ですが、今回は千葉日報社の記事です。

 「戦後77年  市原の学童殉難」「惨状伝える証言や紙芝居」「恒久平和への想いつなぐ」

 見出しの後につづく、記事の書き出しを紹介します。

 「戦後77年、市原市五井会館で〈市原平和のつどい〉(  同実行委員会主催、市、市教委などの後援 ) が開かれ、太平洋戦争末期に米軍機が同市の養老小学校を銃撃し、4年生3人が死亡した〈学童殉難事件〉の惨状を、紙芝居や当時の在校生の証言で伝えた。」

 「ウクライナの危機が続く中、戦争のむなしさ、平和と命の尊さを改めて考える場となった。」

 5段組みの大きな記事で、紙芝居をする女性と、証言をする神谷ゆきさん ( 84  ) の写真が掲載されています。ゆきさんの名前は書かれていますが、紙芝居をする女性は、「同市の退職女性教諭らが組織する〈房総 ( ふさ ) の会市原支部のメンバー〉」としか紹介されていません。

 8月15日の「終戦の日」が近づくと、日本全国のマスコミが戦争の惨禍を伝える記事を書きます。何年経ってもマスコミの報道は、戦争の悲惨さと犠牲者への哀悼だけが強調されます。もちろんそれは大事なことですが、国のために命をなくされた尊い犠牲に対して、なぜ感謝の気持ちが語られないのでしょう。

 その理由は「東京裁判史観」にあるのですが、戦後77年経っても忌まわしい「日本悪人国家説」に、どうして誰も異議を唱えないのでしょう。「日本だけが間違っていた」「日本が悪い戦争をした」という嘘の話を、いつまで続けるのでしょうか。

 日本共産党のシリーズをそろそろ止めようと思っていましたが、この記事を読むとできなくなります。こういうGHQの捏造が、いつまでも国民の間から消えないのは、共産党と反日左翼学者のせいだからです。戦争に反対し平和を願うのは、世界中の人間の気持なのにいつの間にか共産党が、自分たちの占有思想のようにしてしまいました。

 GHQの統治下にあった日本で、特に共産党がわがもの顔で主張し、「反戦平和」を宣伝しました。そんな情報操作をしたのが宮本委員長だと分かりましたから、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には、説明する必要があります。

 千葉日報が記事にした神谷ゆきさんの体験談も、戦後77年間の情報操作の結果です。共産党が日本の過去を否定し、そうすることが正義であるような風潮を作ったため、体験談をする人々もそれが正しいと思い込んでいます。戦争で亡くなった方々への哀悼だけを言い、感謝の気持を述べずにこのまま済ませては、ご先祖さまに申し訳が立ちません。

 参考のため、神谷ゆきさんの経験談の締めくくりの言葉を紹介します。こういう紋切り型の、一方的な意見でご先祖さまを否定する話し方も、いい加減考え直さなくてなりません。

 「人間は馬鹿で愚か。同じことをなぜ繰り返すのか。」

 「戦争は、軍部のやり方に反対しなかった国民の責任。外交の力で、なんとか戦争を防いで欲しい。」

 大東亜戦争の原因は日本だけにあるのでなく、欧米列強とソ連と中国の策略がありました。国際社会の極悪非道さを説明せず、日本だけが悪いという話にしたのは連合国軍の東京裁判でした。この事実が現在判明しているにもかかわらず、共産党は飽きもせず日本だけを貶める発信を続けています。ぴったりと協力する反日左翼学者とマスコミ、おそらくこの仕組みを作ったのは、40年間共産党の委員長を務めた独裁者宮本氏です。

 その証拠の一つが、市原市五井会館で〈市原平和のつどい〉を開いた、「平和のつどい実行委員会」です。市原市と市の教育委員会が後援し、共産党の名前が伏せられているため読者は気づきませんが、「平和のつどい実行委員会」は共産党の関連団体です。全国各県の市に同じ名前の団体があり、この時期になると同じ活動をます。こういうことが一斉にやれるのは、共産党しかありません。ある都市の「平和のつどい実行委員会」は、「九条の会」と連携しています。

 関心のある人は、ネットの情報を検索すれば、統一教会も日本に不要な団体ですが、共産党も似たような組織だと分かります。

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日本共産党と、ソ連共産党の関係 - 5 ( 宮本委員長 )

2022-08-17 09:27:58 | 徒然の記

 今回以降は、ブログのタイトルを「日本共産党と、中国共産党の関係」と変える方が良いのかもしれません。それほど中国共産党との軋轢が生じます。しかしソ連共産党との三角関係の中の出来事なので、このまま紹介を続けます。

 〈 宮本・毛会談後の日本共産党 〉

 「宮本顕治は、ベトナム侵略反対の国際統一戦線の結成を願い、ベトナム、中国、朝鮮の三カ国の共産党、労働党と会談するために、大型の代表団を送った。」

 「しかし、統一戦線にソ連を含めることに中国が反対し、中国共産党との共同声明を公開できず、これが両党の断絶につながったと宮本が書いている。」「しかし、当時の国際情勢と日本共産党の党内事情、あるいは会談後の日本共産党の動静などから考えると、代表団派遣の意図や動機には、建前とは異なるものが見えてくるとする批判がある。それによれば以下のとおりである。」

 以下はベトナム戦争当時、宮本委員長がした動きの説明ですが、文章を止め箇条書きにします。

  ・1966 ( 昭和41 ) 年、北ベトナムへの軍事攻撃を強めるアメリカに対し、中国は「ベトナムへの侵略は中国への侵略につながる」と主張

  ・国を挙げて、ベトナムの「抗米・民族独立闘争」を支援

  ・中国に脅威を持ったアメリカは、日本・韓国・台湾の連携により、中国包囲網強化を図る

  ・同時期に中ソ対立が公然化し、両国共産党の論争や対立が、国家間の対立へと発展

  ・中国は、米ソの超大国から攻撃を受けかねない情勢に追い込まれ、これを克服するため文化大革命を発動。国内体制の再編・強化に取り組む。

 この説明は、私がこれまで聞いたことのない意見でした。平成27年に読んだ『鄧小平秘録』、翌28年に読んだ『毛沢東秘録』では、次のように述べられていました。

  ・大躍進政策の失敗により、国家主席の地位を劉少奇に譲った毛沢東が復権を画策した

  ・紅衛兵という学生運動で大衆を扇動し、政敵の攻撃と失脚を狙った共産党内部での権力闘争だった

 二冊の書が、文化大革命は毛沢東による権力奪回闘争と説明し、これを信じていました。今回見つけた資料では、米ソの攻撃に備えた国内体制の確立が理由となっています。宮本委員長の言動紹介が主眼なので深入りすることを避けますが、もしかすると双方の要因が重なり、文化大革命が発生していたのかもしれません。

  ・中国が重大な局面に立っていたときに、日中共産党の対立が生じ、日本共産党は中国との交流自体を断絶した。

  ・「ベトナム侵略反対」の国際統一戦線を提案すれば、中ソの対立がさらに高まると宮本は知っていたはずだ。

  ・宮本は、対立が出た時点で中国共産党との関係を断つ腹づもりで、代表団を送ったのではないか。

  ・宮本は闘争方針を転換しつつあり、中国共産党の強行路線から離れようとしていた。

  ・宮本は、意見の異なる党員を排除するという権力闘争を長く続けていた。

 宮本氏の提案がなぜ中ソの対立を深めることになるのか、この説明では理解できませんが、事情を知る者にはこれで十分なのでしょう。そのうち分かる日も来るでしょうから、構わず先へ進むことにします。

  ・宮本は、党間の対立を日中友好運動の中に持ち込み、各種友好団体に派遣した党員を通じて、日中交流を妨害する姿勢を強めた。

  ・1966 ( 昭和41 ) 年に予定されていた第二回日中青年友好大交流に対し、党不参加方針をとっただけでなく、指示に従わない団体への妨害行動を行った。

  ・同年11月から北九州と名古屋で「中国経済貿易展覧会」が開催された時も、妨害行為をした。

  ・日本共産党中央が参加しない方針をとるとともに、関係団体に所属する党員を通じて、規模を大きくさせないようにし、会場での『毛沢東選集』等中国の書籍の展示や販売を妨害した。

  ・日本共産党の行動は、「反中国」と形容され、日中友好運動に混乱をもたらした。

  ・日中友好運動は、特定の党派の専有物ではなく、日本の各界各層の人たちによる大衆運動だったため、日本共産党の当時の姿勢を問題視する批判がある

 日中共産党の対立について、新聞やテレビがどこまで報道をしていたのか、今も昔もマスコミは中国に遠慮をする体質なので、「報道しない自由」を使い、事実を伝えなかったのではないでしょうか。

 中ソ対立の原因として分かっているのは、スターリンの死後フルシチョフがした「スターリン批判」です。「ねこ庭」のブログで何度か取り上げましたが、一番ショックを受けたのは毛沢東と金日成でした。彼らは国内で独裁体制を作り、個人崇拝を徹底させ、異論を封じる強権政治をしていました。

 「自分が死んだ後、フルシチョフのように批判する人間が出てくるのではないか ? 」

 毛沢東と金日成は疑念に駆られ、フルシチョフの裏切りに怒りと恐怖を感じました。「銃口から政権が生まれる」と信じている毛沢東は、米国と「平和共存できる」というフルシチョフの方針転換は絶対に認められませんでした。

 正確な記憶はありませんが、フルシチョフがアメリカを訪問し、国連で演説した時の新聞記事が今でも忘れられません。

 「社会主義と資本主義の戦いに、戦争は必要ではない。社会主義の体制の方が優れていると、われわれは信じている。農業生産においても工業生産についても、計画経済の力でソ連はアメリカに迫っている。」

 「やがてソ連はアメリカを追い越す。戦争をしなくても、平和共存しながら互いに競争すれば良い。答えは明確で、ソ連は必ずアメリカを追い越す。」

 確か、このような内容であったような記憶があります。フルシチョフの意見は画期的なもので、世界をアッと言わせ、トップニュースとして伝えられていました。しかし毛沢東にとってフルシチョフは、「スターリンへの裏切り者」「許すことのできない修正主義者」だったのだと思います。

 宮本委員長の言動は、こうした緊迫した状況下でなされたものですから、次回にもう少し調べてみようと思います。

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