テレビが日本国民に登場したのは、1953年。
映画でもない、ラジオでもないニューメディアだったテレビ。
このテレビでの、ドキュメンタリーのあるべき姿とは?
(映画では → 記録映画、ラジオでは → ラジオ・ドキュメンタリー)
その姿を模索してきたメンツが異様に凄いい!!!
ざっと列挙するだけで、
・吉田 直哉 =「日本の素顔」
・牛山 純一 =「ノンフィクション劇場」「忘れられた皇軍」「すばらしき世界旅行」
「私はテレビ一期生であった。(中略)誰も教えてくれる人はいない。
私の前に広がるのは無限の濃いウヤであり、ひとすじの道も見つけることはできない。
だから私のテレビ人生は、いつも臆病になろうとする心を励まし、目をつむって荒野に
足を踏み出すことからはじまる。
・村木 良彦、萩元 晴彦 =「と『あなたは・・・」「勝敗」「小澤 征爾 第九を揮る」
「「時間」をすべて自ら政治的に再編したあとで、それを「歴史」として提示する権利を
有するのが「権力」とすれば、そのものが「現在」を、as it is (あるがまま) に呈示し
ようとするテレビの存在は、権力にとって許しがたい」(萩元)
etc,,,
さらに、
・田原 総一朗(WOW!)と =「ドキュメンタリー青春」
だけでなく、駄目押しは、
CX「NONFIX」(1989 〜 )で活躍していたのが、是枝 裕和!!!
日本の映画界のエースが、テレビ・ドキュメンタリー出身とは!
確かに是枝作品を改めて考えるに、どの作品にもドキュメンタリー的視点が欠かせない。
「ドキュメンタリーを作る時に、弱者と強者、善と悪の色分けをあらかじめしてしまうと
製作者としては楽である。行政・官僚を悪と決めつけ、善良な市民の側から告発する。
企業を開くと決めつけ、消費者の側に寄り添いながら描写する。
このような「安直な図式」に社会をはめこむことで、逆に見えなくなるものがある。
山内 豊徳(ドキュメンタリー出演者)は、そのことを気づかせてくれた」
「公害って言葉が環境という言葉にすり替えられていった時に、責任を取る人間が減って
いくっていうんですかね。言葉ってすごく大事だなって思うんだけど、環境、環境って
言われ始めた時期に、何かたぶん手のひらの指の隙間から落ちていってるはずだってい
う、なんかそういう感覚で、公害っていうものをもういっぺん捉え直してみようという
ことだったと思います」
そして最終章がまた圧巻。
今度は21世紀に発生した、あの事件に 迫る(汗)
第9章 東日本大震災を記憶する──震災ドキュメンタリー論
1. ニュースの忘れ物
2. 想定外の記録
3. 記者たちの戸惑い
4 . 被災者に寄り添う
5. 巨大津波の教訓
6. 原発事故への問い
7. 復興への道のり
8. ジャーナリズムの再起動
結論:昭和史 ~ 現代に至るまで全編に渡り、あるべき姿を模索してきた製作者たちの迫力たるや...(汗)