日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
このプラットフォーム上で思いついた企画を実行、仮説・検証を行う場。基本ロジック=整理・ソートすることで面白さが増大・拡大
 



 

 

こんなサッカーの試合、初めて見た(汗) 

 

 

今年の正月、現地で大いに盛り上がった天皇杯(写真)

 

その2021年正月を目指す、1回戦 

   

        東京武蔵野シティ vs 栃木シティ

 

 は、 驚き の展開!!! 

 

    後半40分過ぎまで 0 vs 3

 

 

からの → 3 vs 3 となり、延長に突入中!!!

 

解説者も思わず発言は、「よく 0 vs 3で諦めませんでしたね〜」(笑)

 

 

どうなるのだろう?

 

 

延長前半後半は、ドローでPK戦に突入(汗)

 

5人では決着はつかず、6人目で 東京武蔵野シティ が勝利!

 

1回戦で、こんなに面白いなんて...(笑)

 



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テレビが日本国民に登場したのは、1953年。

映画でもない、ラジオでもないニューメディアだったテレビ。

このテレビでの、ドキュメンタリーのあるべき姿とは?

(映画では → 記録映画、ラジオでは → ラジオ・ドキュメンタリー)

 

その姿を模索してきたメンツが異様に凄いい!!!

 

 

 

ざっと列挙するだけで、

 

・吉田 直哉 =「日本の素顔」

 

・牛山 純一 =「ノンフィクション劇場」「忘れられた皇軍」「すばらしき世界旅行」

「私はテレビ一期生であった。(中略)誰も教えてくれる人はいない。

 私の前に広がるのは無限の濃いウヤであり、ひとすじの道も見つけることはできない。

 だから私のテレビ人生は、いつも臆病になろうとする心を励まし、目をつむって荒野に

 足を踏み出すことからはじまる。

 

 

・村木 良彦、萩元 晴彦  =「と『あなたは・・・」「勝敗」「小澤 征爾 第九を揮る」

「「時間」をすべて自ら政治的に再編したあとで、それを「歴史」として提示する権利を

 有するのが「権力」とすれば、そのものが「現在」を、as it is (あるがまま) に呈示し

 ようとするテレビの存在は、権力にとって許しがたい」(萩元)

 

  etc,,,

 

さらに、

 

・田原 総一朗(WOW!)と =「ドキュメンタリー青春」

 

 

 

 

だけでなく、駄目押しは、

 

CX「NONFIX」(1989 〜 )で活躍していたのが、是枝 裕和!!!

 

日本の映画界のエースが、テレビ・ドキュメンタリー出身とは!

確かに是枝作品を改めて考えるに、どの作品にもドキュメンタリー的視点が欠かせない。

 

「ドキュメンタリーを作る時に、弱者と強者、善と悪の色分けをあらかじめしてしまうと

 製作者としては楽である。行政・官僚を悪と決めつけ、善良な市民の側から告発する。

 企業を開くと決めつけ、消費者の側に寄り添いながら描写する。

 このような「安直な図式」に社会をはめこむことで、逆に見えなくなるものがある。

 山内 豊徳(ドキュメンタリー出演者)は、そのことを気づかせてくれた」

 

「公害って言葉が環境という言葉にすり替えられていった時に、責任を取る人間が減って

 いくっていうんですかね。言葉ってすごく大事だなって思うんだけど、環境、環境って

 言われ始めた時期に、何かたぶん手のひらの指の隙間から落ちていってるはずだってい

 う、なんかそういう感覚で、公害っていうものをもういっぺん捉え直してみようという

 ことだったと思います」

 

 

 

 

そして最終章がまた圧巻。

今度は21世紀に発生した、あの事件に 迫る(汗)

 

 

第9章 東日本大震災を記憶する──震災ドキュメンタリー論 

 

 1. ニュースの忘れ物  

 2. 想定外の記録  

 3. 記者たちの戸惑い  

 4 . 被災者に寄り添う  

 5. 巨大津波の教訓  

 6. 原発事故への問い  

 7. 復興への道のり  

 8. ジャーナリズムの再起動

 

 

 

結論:昭和史 ~ 現代に至るまで全編に渡り、あるべき姿を模索してきた製作者たちの迫力たるや...(汗)



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