10月も半ば近いというのに、最近かなりの雨もあったというのに、
昨日今日と日中は暑い暑い。
そんな中、7月以来の松本先生のレッスンを受けてまいりました。
うちから徒歩で15分ちょっとのところでレッスンしていただくのですけど、
着いたらもう・・汗がドー。
弾く前から暑苦しい。
ステージの上でのノースリーブは、プールでの水着みたいなものでどうってことありませんけど、さすがにレッスン受けるのに(しかも先生年下の男性だし・・)、
上着脱いでノースリーブもないもんだ・・・と思いましたけど、もうそんなこと言ってられる状態でなく・・・・。
「すみません、上着脱ぎます」
昨日最後に「脱げと言われれば~」と書いたのに、脱げとも言われないのに脱いでしまったという・・・(殴)。
私自身のレッスンはベートーヴェンとショパン合わせて1時間半。
今日は友人や知人がこれまたショパンでレッスンを受けたのでそれも聴講すること、2時間半。
トータル4時間・・・充実の時間でした。
ここのところ私なりにショパンへのアプローチを試みていて、それはとても難曲エチュードなどではまだまだ表現できることではないのですけど、
sotto voce 、 con fuoco
など、これまでなんとなく感覚的に適当に感じてきていたことを、聴き手に届くレベルにもっていきたいものだ・・・と考えております。
それはもちろん、CDを聴いたり、動画を見たりということで参考になることは多いのですけど、
やはり指導を受ける、あるいは聴講するということはこれらとは比較にならない糧となります。
今日「バラード1番」も聴講しました。
感動的なレッスンでした~!
レッスンって自分が受けてると弾くことで必死になってしまい、客観的に見ることができないのですけど、聴講してると、どの言葉で(レッスン生の)音が変わったのだとか、どう変化が起こってきたのだとかいうことがよくわかります。
まして指導者・生徒の両方を知っており、またその曲を自分が弾いたことがあればなおのこと。
私、松本氏のレッスンは2007年からたびたび聴講しておりますけど、指導者としても、すごい方になってこられたなあ・・という思いを(僭越ながら)抱いております。
もちろん弾いてもくださったわけですが・・・
私、どなたかの演奏を聴いて泣くということは、過去に何度か経験ありますけど、
胸が痛くなったのは初めてで・・・。
たぶん心臓疾患はないはずなので、演奏による影響だと思いますが、
「バラード1番」を聴いていて何箇所かで、まさに「胸をしめつけられる」状態になりました。
そして、そのときにちょっと見やれば、演奏上のなにかもあったりもして・・・。
たんなる感情上のことではなく、演奏者からちゃんと送り出された「音」による<痛み>であったのだ、と思った瞬間でもありました。
「聴き手にちゃんと届く」ということは、「演奏者がちゃんと送り出す」必要があるのですよね。当たり前のことなのですが。
聴いてるものが胸が痛くなるということは、
弾いているものはさらなる痛みを感じているはず、
作曲家はさらにさらにさらに痛み苦しんで書いたはず。
演奏するということはそういう位置にあるんだなあ・・・・とあらためて思いました。
レッスン受けていた中学生さんがどこまで感じることができたかわかりませんけど、
なんとなくでもいいからわかってくれていたらいいなあ。
若いころにこういう経験ができるってある意味うらやましい。
・・・いやいやこういう経験に遭遇できるなら、年をとるのも悪くない、って思います(笑)。
昨日今日と日中は暑い暑い。
そんな中、7月以来の松本先生のレッスンを受けてまいりました。
うちから徒歩で15分ちょっとのところでレッスンしていただくのですけど、
着いたらもう・・汗がドー。
弾く前から暑苦しい。
ステージの上でのノースリーブは、プールでの水着みたいなものでどうってことありませんけど、さすがにレッスン受けるのに(しかも先生年下の男性だし・・)、
上着脱いでノースリーブもないもんだ・・・と思いましたけど、もうそんなこと言ってられる状態でなく・・・・。
「すみません、上着脱ぎます」
昨日最後に「脱げと言われれば~」と書いたのに、脱げとも言われないのに脱いでしまったという・・・(殴)。
私自身のレッスンはベートーヴェンとショパン合わせて1時間半。
今日は友人や知人がこれまたショパンでレッスンを受けたのでそれも聴講すること、2時間半。
トータル4時間・・・充実の時間でした。
ここのところ私なりにショパンへのアプローチを試みていて、それはとても難曲エチュードなどではまだまだ表現できることではないのですけど、
sotto voce 、 con fuoco
など、これまでなんとなく感覚的に適当に感じてきていたことを、聴き手に届くレベルにもっていきたいものだ・・・と考えております。
それはもちろん、CDを聴いたり、動画を見たりということで参考になることは多いのですけど、
やはり指導を受ける、あるいは聴講するということはこれらとは比較にならない糧となります。
今日「バラード1番」も聴講しました。
感動的なレッスンでした~!
レッスンって自分が受けてると弾くことで必死になってしまい、客観的に見ることができないのですけど、聴講してると、どの言葉で(レッスン生の)音が変わったのだとか、どう変化が起こってきたのだとかいうことがよくわかります。
まして指導者・生徒の両方を知っており、またその曲を自分が弾いたことがあればなおのこと。
私、松本氏のレッスンは2007年からたびたび聴講しておりますけど、指導者としても、すごい方になってこられたなあ・・という思いを(僭越ながら)抱いております。
もちろん弾いてもくださったわけですが・・・
私、どなたかの演奏を聴いて泣くということは、過去に何度か経験ありますけど、
胸が痛くなったのは初めてで・・・。
たぶん心臓疾患はないはずなので、演奏による影響だと思いますが、
「バラード1番」を聴いていて何箇所かで、まさに「胸をしめつけられる」状態になりました。
そして、そのときにちょっと見やれば、演奏上のなにかもあったりもして・・・。
たんなる感情上のことではなく、演奏者からちゃんと送り出された「音」による<痛み>であったのだ、と思った瞬間でもありました。
「聴き手にちゃんと届く」ということは、「演奏者がちゃんと送り出す」必要があるのですよね。当たり前のことなのですが。
聴いてるものが胸が痛くなるということは、
弾いているものはさらなる痛みを感じているはず、
作曲家はさらにさらにさらに痛み苦しんで書いたはず。
演奏するということはそういう位置にあるんだなあ・・・・とあらためて思いました。
レッスン受けていた中学生さんがどこまで感じることができたかわかりませんけど、
なんとなくでもいいからわかってくれていたらいいなあ。
若いころにこういう経験ができるってある意味うらやましい。
・・・いやいやこういう経験に遭遇できるなら、年をとるのも悪くない、って思います(笑)。