~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

食らえ、レガート

2010年10月26日 22時33分46秒 | その他音楽
久々のチェンバロレッスンに行ってまいりました。
GEORG BOHMという作曲家のNr.7 Suite in Fdurという曲。
私チェンバロをかじっていながら、古楽のことはほとんど知らず、楽器にも詳しくなく、ほんとにこんなことでいいのだろうか(よくなければ勉強すればいいだけのことなのですけど・・汗)と思いつつ、でも弾くのだけは好きなので地味に通っております。

ほかの先生を存じ上げないので比較ができないのですけど、今日も先生、テンション高かった!
レッスンで指導者のテンションが高いというのは別に珍しいことでもなんでもなく、かく言う私も、人の演奏を聴いていてお茶の入った湯のみを飛ばしてしまったことがありますけど、それはだいたいベートーベンとかショパンなどなど、聴いてても熱くなるような曲の場合。
バロックでチェンバロで・・・というと、なんかこうもの静かなイメージがあって、さすがの私もだいたいお行儀よくちんまりすわって弾いてたりするわけなんですけど、
先生を拝見していると、もう音の並びそのもの、一瞬の不協和音そのものがタマラナイという感じで、私自身も、気がついたらなんでこんな鼻血出そうになりながらチェンバロ弾いてるんだろう???という状態(爆)。・・・・あぶない・・・

今日は久々であったにもかかわらず、なんとなく最初から違和感なくする~っと弾けた感じがありました。ふだんは楽器そのものに慣れるのにしばらくかかり、慣れたころにはレッスンは終わってしまってます(汗)。
昨日キーボードでけっこう練習したおかげか????
それもあるかもしれないんですけど、たぶん<レガート>だな、と思うわけです。

ここのところ私の頭はピアノに関しては<レガート>でいっぱい(笑)。
それはなにも理屈でどうこう、技術がどうこうということではなく、気持ちがべッタベタのレガートになってしまったということでありまして。。。
なにも劣情を催したとかそういうことではないので(殴)・・・まあきいてください。

先日の松本先生のレッスンでショパンのエチュードを見ていただいた折、「もっとレガートで弾いて」といわれたとき、私「エチュードをレガートで弾くんですね?」とド間抜けなことを言ってしまい、自分でもなにを言ってるんだろう??と思ってしまったのですが、
けっこうこれがあとを引いておりまして、エチュードをできる限りのレガートで弾いてみたらどーなるんだろ?自分にできるのかな?とかぐるぐる~となっていたわけです。
だいたいレガートって技術だけの問題なのか?ゆったりと歌う曲であればごく当たり前にレガートになるけど、高速のエチュードをレガートでって気持ちがついていけるのか・・みたいなこともあって、それってそれって・・と思っていたわけです。
レガートってなんかこう上品なイメージがあって(上品なのかもしれないけど)、すーっと歌が続いていくっていうか、そういう感じをもっていたし、たぶんショパンのレガートはそういうものかもしれないけど、そうじゃないものもあるよね、きっと、と。
たとえすーっとしていたとしても、それは弾性があって強度のあるものかもしれないし・・・。
・・・そこで思ったわけです。基本草食系で淡白な私のレガートは非常に「足りない」かもしれない(爆)。

無性にベッタベタのレガートやってみたくなって、ブラームスの、音は細かいけど(しかも弱音)、超粘着で弾かなければダメ、みたいな曲を取り出してきてやってみました。
・・・・食らえ~、高脂血症!・・・・
私としてはもうバカじゃないかっっていうくらいベッタベタにやってみたんですけど、それでもまだ全然草食でした・・・血液さらさら低血圧。
これでもかこれでもかっ、とベッタベタのレガート、指は粘着、身体ごと呼吸ごと数小節もっていきますけど、何か?・・・みたいなことを試すこと1時間あまり、いやもっとか・・。
できたとかどうとかいうより、何かがハジケましたですね、自分的に。
・・・・・鍵盤はこうやって触るものです(爆)。


チェンバロはペダルがないため、基本的には、指でなにもかもをする必要があり、レガートはもちろん指でやっていかなければならないわけなんですが、技術的にはオーバーレガートというものがあったとしても、気持ちで保持できてないことには、どうしてもどこか切れ切れになってしまうんですね。
そういう意味で楽器は違えど、やっぱり西洋の音楽で、ぐ~っと長い呼吸で身体を楽器に吸い付かせるようにして弾いていかなければならない部分があるのは同じなんでしょう。


・・・・で、結局肉食べればいいのか・・・・