今帰りの新幹線です。
だいたいのできごとなんですが…
金曜午後、某先生と何時間かにわたり、トビトビにメールのやりとりをしておりました(私の方は携帯で)。
打ち合わせと言えばそうとも言えるんですが、私の見まちがいというか勘違いで、ギャグのように話がすれ違い、最後は「ボケボケはわたしだけではないんですね。安心しました」と某先生に慰められました(笑)。
そのメールが終わってお腹の上に携帯のせてウトウトしてましたら、
17時15分、見たことのない番号からの着信が。
でも市外局番からして鹿児島なわけです。
「○○病院ですが…」
ときた時は、てっきり病身の母の件かと。
そしたらですね、そうじゃなくて、
…父が転倒して頭を打ち意識を失い救急搬送されたが、血腫がありどんどん広がってるので、頭に穴をあけて血を出す処置をしたいがやってよろしいか…
とこういう電話だったわけです。
よろしいかもなにも、一刻を争う事態ですので、お願いするしかありません。
最近、不整脈からの発作なのか、意識なく転倒する回数が多く、心配してたんですが、やはりこんな事態に…
ということで、本来は「これからすぐ向かいます」と言わねばならないわけですが、
息子は翌土曜も試験、旦那は出張中、娘を連れて行きたいが連れていってもいい状況なのかどうか…
とりあえず泊まりの用意をして娘と出掛けました。
19:22の新幹線に乗り、
22時前に着。
途中一回その病院から携帯に電話が入り、ただでさえ聞き取りにくい車内なのに、
「…すみません、すみません…」と言われた時には、「ああ、ダメだったのか」と瞬間思いましたが、
「今のご住所はどちらですか?」という問い合わせだったもんで、ケリ入れそうになりました(汗)。
鹿児島について、タクシーで実家に向かい娘を降ろし、私は病院に向かいました。
ICUにおりましたが、なんとなく大丈夫な感じでした。
「娘さんがいらっしゃいましたよ?」と看護師さんが声かけても反応しなかったので、
「お父さん、しっかりせんね!」と一喝しましたら、びくっと起きましたです(笑)。
翌日は午前に担当医から説明をうけましたが、
血腫はほぼ取れ、麻痺もないんじゃないか…ということでした。
まだしゃべれる感じじゃなかったですが、
「その2本の管から、脳ミソも足してもらえば」といったら笑ってましたんで、意識ははっきりしてそうでした。
娘が滑り台から落ちたときも、血腫ができ、このときは幸い入院して経過に注意するだけですみましたが、
そのときの写真とは今回全然レベルが違うので、素人目にもこれはエラいことだったなあと思わざるを得ません(汗)。
今日は介助つきではありますが、おわんを自力で口に運び食べてました。
とりあえず、危機は脱した感じです。
一方実家の方は、母が自力でいろんなことができるように、ものの場所を移動させたり、
携帯の使い方を教えたり、
あと郊外に入院している親族を見舞ったり、
お墓の花を替えたり、
とまとめて用をすませてきました。
いったん帰りますが、これからは往復の生活が始まると思います。
だいたいのできごとなんですが…
金曜午後、某先生と何時間かにわたり、トビトビにメールのやりとりをしておりました(私の方は携帯で)。
打ち合わせと言えばそうとも言えるんですが、私の見まちがいというか勘違いで、ギャグのように話がすれ違い、最後は「ボケボケはわたしだけではないんですね。安心しました」と某先生に慰められました(笑)。
そのメールが終わってお腹の上に携帯のせてウトウトしてましたら、
17時15分、見たことのない番号からの着信が。
でも市外局番からして鹿児島なわけです。
「○○病院ですが…」
ときた時は、てっきり病身の母の件かと。
そしたらですね、そうじゃなくて、
…父が転倒して頭を打ち意識を失い救急搬送されたが、血腫がありどんどん広がってるので、頭に穴をあけて血を出す処置をしたいがやってよろしいか…
とこういう電話だったわけです。
よろしいかもなにも、一刻を争う事態ですので、お願いするしかありません。
最近、不整脈からの発作なのか、意識なく転倒する回数が多く、心配してたんですが、やはりこんな事態に…
ということで、本来は「これからすぐ向かいます」と言わねばならないわけですが、
息子は翌土曜も試験、旦那は出張中、娘を連れて行きたいが連れていってもいい状況なのかどうか…
とりあえず泊まりの用意をして娘と出掛けました。
19:22の新幹線に乗り、
22時前に着。
途中一回その病院から携帯に電話が入り、ただでさえ聞き取りにくい車内なのに、
「…すみません、すみません…」と言われた時には、「ああ、ダメだったのか」と瞬間思いましたが、
「今のご住所はどちらですか?」という問い合わせだったもんで、ケリ入れそうになりました(汗)。
鹿児島について、タクシーで実家に向かい娘を降ろし、私は病院に向かいました。
ICUにおりましたが、なんとなく大丈夫な感じでした。
「娘さんがいらっしゃいましたよ?」と看護師さんが声かけても反応しなかったので、
「お父さん、しっかりせんね!」と一喝しましたら、びくっと起きましたです(笑)。
翌日は午前に担当医から説明をうけましたが、
血腫はほぼ取れ、麻痺もないんじゃないか…ということでした。
まだしゃべれる感じじゃなかったですが、
「その2本の管から、脳ミソも足してもらえば」といったら笑ってましたんで、意識ははっきりしてそうでした。
娘が滑り台から落ちたときも、血腫ができ、このときは幸い入院して経過に注意するだけですみましたが、
そのときの写真とは今回全然レベルが違うので、素人目にもこれはエラいことだったなあと思わざるを得ません(汗)。
今日は介助つきではありますが、おわんを自力で口に運び食べてました。
とりあえず、危機は脱した感じです。
一方実家の方は、母が自力でいろんなことができるように、ものの場所を移動させたり、
携帯の使い方を教えたり、
あと郊外に入院している親族を見舞ったり、
お墓の花を替えたり、
とまとめて用をすませてきました。
いったん帰りますが、これからは往復の生活が始まると思います。