唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

「神が与えてくれる試練」だが、試練は無くなる。

2009-11-05 14:03:00 | インポート
 人生で辛い事や悲しい事があると、よく「神が与えてくれた試練と思って乗り越えよう。」などと言われる。

 正にその通りで、試練として捉え、乗り越えて成長の糧と出来た時に、神様が与えてくれた試練のおかげで成長できたとして有難く感じる事ができる。

 本当に全ての困難に対して、成長の為に与えてくれた試練だと、感謝の気持ちで受け入れる事が出来る様になった時、

  神様は、試練を与えなくなる。と言われる。

   これは、本当か?
 
 
 
 
 
 
 本当だと思う。  何故か?

 人生において直面する全ての困難、苦難、について、試練をありがとうと、感謝できるのだから、もう、その時点ですでに困難でなくなっている。

 つまり、神様は試練を与えなくなった、と言う事になる。

 一方、困難に出会って大変だ、嫌だと受け入れられないでいるうちは、 単なる困難でしかない、  

 今だ、試練を与えてくれてありがとうございます。と、感謝の気持ちで受け入れられない人間には、 神様は、試練を与え続けると言う事になる。

 本当に不思議だが、自分の気持ち次第で、人生はどうにでもなると言う事になる。

 いつまでも、試練を与え続けられる人生も、 試練、困難の無い人生も自分が決めているのだ。

 
 

 不思議だが、全ての哲学、宗教などは共通していて、保身や我が強い生き方を諌めている。 全てを信じて、我が身を任せられれば 悩む事はない、と言うものが多い。

 キリスト教では、右の頬を打たれたら左の頬を出しなさいと言う。
 浄土宗、浄土真宗では、自身を捨てて阿弥陀様に一心に祈りなさいと言う。
 神道では、神様に生かしていただいていると感謝して生きなさいと、説いている。

 
 どんな試練を与えられようとも、余計な事を考えずに乗り切れる事を信じて生きられれば何の問題も生じないのだと思う。

 でも、これができないから、悩み、苦しみ、恨んだりする。
 結局、人生を信じられない自分が、自分で自分を苦しめているだけなのだ。

 
 
 散歩をしながら、ふと、そんな事が頭に浮かんできた。