唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

師範

2009-12-18 18:03:48 | インポート
 師範。

 師範連中は、常識に欠ける。とは、よく言われることだ。
 (当たり前だ、くだらない常識の関係ない世界で生きているのだから。)

 師範も よくそう言われていた。
 古町の飲み屋では、評価が2分されていた。

 しかし自分には関係無い。 師範は思いやりがあって暖かい人間だと思う。 少なくとも自分にはそうしてくれた。

 文句を言うやつは、自分が知らないうちに失礼な事や気に触る事をしているのではないだろうか、 だから相手の対応も邪険になる。 
 当たり前だが、自分では気づかず相手を責めているような気がする。

自分はいつも気に掛けてもらったから良い印象しか持っていない。

  経験も無いのに全日本の代表にしてもらった。
 飛び級、飛び級で 出世が早かった。

いつも気に掛けていただき様々な経験をさせてもらたこと。 全て良い思い出になっている。

 現役をやめていた自分に師範はアジア大会代表の権利をくれた。
 今まで頑張ってきたことに対する褒美だといって北海道へのきっぷをくれた。
 ありえない事だが、師範は自分で決めてしまった。
 結果、惨敗したが、何も言われなかった。

  しかし、師範は厳しい状境にあったと思う。 しかし、自分には何一つ言わなかった。 申し訳なかった。

 転勤で新潟を離れる時は辛かった。 

 師範に挨拶に行こうと思っていると、前日から涙がこらえられなかった。

当日、菓子折りを買っているときもうるうるきていた。

 師範の家に行くと
 「長い間お世話になりました、これ、くだらないものですが。」と、言うのが精一杯だった。 

 すると師範に、 「それだけか、お前は随分と冷たいな。」
と言われてしまった。

 その瞬間、せき止めていた感情が抑えきれずどうしようもなくなってしまった。
 
 声を上げて大声で泣いてしまった。
自分でも不思議なくらいに泣けたが、それが本心だったのだと思う。
 
 それくらい、新潟での極真会での思い出は重たいものだった。

 新潟を離れても師範のことは忘れる事ができず何度か会いに行っていた。
  その度に道場を継いでくれと言われていたが、何となくピンとこなくて過ごしていた。

 今は知っている人も居ない、今更出る幕も無いので、師範には本当に申し訳なく思う。

 


お世話になった人、大切な人。

2009-12-18 16:15:05 | インポート
 13日は、そのまま、新潟市内に泊まった。 
 新潟時代にお世話になった、大切な人に会う為。

ホテルは、 一泊朝食付きで 3800円。 朝食もきちんとしたもので、ホテル自体も普通の綺麗な施設。 安すぎる。

 領収書が手書きと言う事は、、、、、、まあこれはご愛嬌だが、ここまでやらないと勝ち残れないと言う事だろう。  寂しい。

新潟市内はホテルの乱立があり、競争が厳しいようだ。客にとっては好都合だが、結局共倒れになれば地域経済に悪影響を及ぼす、あまり過度な競争は好まない、適正な料金があると思う。

 その足で、レストラン、ら、フロリダ に向かった。 銀行時代に お世話になったマスターが、オーナーシェフのイタリアンレストラン。

入って直ぐに、いつもながら、話がはずむ。
ガーリックスパ(一般的にはぺペロンチーニ)、ミックスピザ。をもらって話込む。

 マスターは明るく、交流範囲が広い。マスターは、自分の実家にも常連みんなと一緒に遊びに来たこともある。

 当時は、毎日のように仕事帰りによって、酒を飲ませていただいていた。 メニューにない好物を作ってもらったり、 ランチの残り物を食わせてもらったり、 家に帰ってきたような感じで飲んでいた。 そしてその後は、マスターを交えてまた別な店にのみに行っていた。

 そんな生活がずっと続いていた。
  
常連さんが多く、いつも笑い話が絶えなかった。 多くの方と知り合いになり、その方とも遊ぶようになり、 自分の人間関係が、物凄く広がっていった。 冬は、おんぼろバスを借り切って大酒飲みながらスキーに行ったりした。 夏は、海に遊びに誘われて、行ってみたら水上スキーを無理やりやらされた。 体力だけは物凄くあったから、みんな自分を誘ってやらせてみて遊んでいた。  こちらも楽しかった。 本当に楽しすぎて楽しかった。

銀行員になりどうにも気合が入らないでいたが、私生活は、絶好調だった。

マスターや、お世話になった歯科医の先生などは、仕事の面で自分のことを親身になって心配してくれていたが、 やがて直ぐに転勤になってしまった。

 転勤の時は、1週間送別会で飲み明かし。 
 新幹線のホームには多くの人が見送りに来てくれた。 
 思い出はたくさんある。

 
 そんな経験をさせてもらって本当に自分は恵まれていたと思う。