唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

祖母

2009-12-21 11:12:45 | インポート
 
 母方の実家で、祖母は、前日挨拶した時は、ピンとこないようだったが、
 翌日の朝、改めて挨拶するとしっかりわかってくれて、

あら、直樹かい。 と言って、びっくりし うれしそうに手を強く握ってくれた。

 農家の嫁として大変だった事はその手を触ればよくわかる。
 大きくて、ごつい手、 おばちゃんの手は男のようだろう。 そう言っていた。

 その後、茶の間で朝食をとるのだが、中々手を付けないでいた。 
 どうしたのか聞くと、 うれしくて胸が一杯で食欲が出ないと言っていた。 

 幼少時は本当にお世話になった。 覚えていてくれてうれしい。
祖母も昔の話をして、やんちゃであばちゃんによく怒られてたのを覚えているかと聞いてきた。

 孫、曾孫がたくさんいてにぎやかでうれしいよ。
 
 ケアサービスを受けに行くとみんな、孫の事を悪く言うがおばちゃんにはわからないよ。 うちはみんな良い孫に育ってくれて本当に幸せだよ。

子供の時で、自分が忘れているような話もされた。 

色々な事があったが、今は本当に一瞬のように感じるよ。

 夢でも見ていたのかななどと思うようだよ。

 しばらく昔話をした。

 昨日の行動が思い出せなくて考えていたり、
 今日はデイサービスが無いのに着替える準備をしたり、少しは衰えているが、おばちゃんは、そのまま。

 明るい前向きな考え方で、 会話の後には必ず笑う。

 仕方が無いんだよと、受け入れるおおらかさ。

 こうしてお世話してもらってありがたい、 みんな幸せに育ってくれてありがたいという感謝気持ち。 
  
 激動の100年を生き抜いてきた円熟感は、さすがだった。

 話が出来て本当によかった。 少しぼけているお陰で本音が出ている様で、 それが真っ直ぐで、こちらまで暖かい気持ちになる。

帰り際、別れる時は、コタツに入ってずっとこちらを見ていた。

ガラス戸を閉めるときは視線が切なかった。

 
 
「 おばあちゃん、本当に子供の頃からお世話になってどうもありがとう。

 感謝してるよ。
 
 また、会えるように、いつまでも元気でいて頂戴ね。」

帰りの車の中で、はっきりこう言って来ればよかったと感じたが、時遅し。

 次回には、必ず。
 
 

 
 
 

 
 

 
 


祖父、 1周忌。

2009-12-21 10:39:32 | インポート
 昨年の12月21日に母方の祖父が亡くなった。 1周忌法要はもう済ませていたが、19日にお世話になった自分もお墓参りに行ってきた。

 こうして暇にしているので、葬儀の時は長い時間久しぶりに親戚の方と時間を共に出来た。 時間が経っていてもあまり関係ないという感じだった。

 それから1年、あっという間にきた。 幼い頃はよく泊まりに行って、祖父母、多くの叔父、叔母にお世話になった。 叔父、叔母も近所にいる人が多いので、直ぐにみんなに会える。

 大人になっても関係ないのだろう、 泊まって行けと強く勧めてくれる。
泊まってきた。 44歳の俺。

  お酒飲んで、色々な話をして、甥っ子世代の子供達と遊んで、なんとも楽しい、良い時間を過ごさせてもらった。
 
 みんな、自分の心配をしてくれる。

 子供の頃に、大人のイメージをたくさんくれた方々。
 みんな自立して自分の人生をしっかり確立している方々。

身近に、よき見本がたくさんあったのに、仕事もしていない、結婚もしないで、何一つ見習えていない自分。 

 本当によくしてもらう。 帰りには自家製味噌、野菜、泡盛など多くのお土産を持たせてもらった。

 祖母は、もう100歳近い。 最近はちょっと痴呆気味。 嫁に入った叔母さんが面倒をみてくれている。

 看護婦で仕事をし、家事をこなし、祖母の介護、1年前までは祖父も。
そして、今は、孫の面倒までみている。
次女の息子は、この家で朝飯を食い、登校し、この家に戻ってくる。

今回は、長女が具合が悪く入院してしまった、東京まで孫を迎えに行って週末は栃木の実家で面倒を見ていた。

 
 いったいどれだけすごいのか?

 自分が行った時は、2時間の昼休みを使って家に帰ってきて、たくあんを漬けていた。

 恐れ入る。 本当にすごい。