唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

祖母の命日。 つづき

2010-05-06 22:07:32 | インポート
 昨日の法要で会食後、自分は直ぐに帰ってきたが、他の皆さんは実家に帰って少し過ごしたようだ。

 すると、今日になって、叔母から電話があった。

自分の体調が悪くなってしまったのかと、気にしてくれての事だった。

自分は、クリニックの先生が言ってくれた様にあまり接しないで返った方がいいと思い、すぐに引き上げてきた。

 しかし、叔母は、自分の体調を気にしていてくれたようだ。

話し終わり、電話を切って、 思わず手を合わせて感謝した。

本当にありがたいことだと思う。

 病気になってもう12年、発病当時からずっとお世話になり、生活費を気を使わなくていいような方法で支援してくれた、叔父、叔母。

 未だに変わらず気にしてくれている。

 もう元気に回復した。 訪問時に何度も伝えている事だが、それでも心配してくれる。

叔父は残念ながら、一昨年亡くなった。 何の恩返しも出来ずに。

 叔母にも返せないほどにお世話になっている。

 頑張って生きるしかない。

  本気になって、 心配かけずに生きることだ。
 

 


祖母の命日

2010-05-06 21:53:04 | インポート
 今日5月6日は、祖母の命日で、昨日実家での法要に出てきた。

近い親戚だけで17回忌、墓参りをして会食してきた。

 父、母との関係に不安があって、例の早稲田通り心のクリニックの先生には近づかないほうが良いと言われていたので、直ぐに帰ってきた。

 父が、挨拶で戦時中に面倒をみてあげた兵隊さんが終戦で青森に帰っていったが、長年祖母に感謝をしていてりんごを送って来たり、時には持ってきてくれたりしていたと、いう話をしていた。

 また、今年で亡くなって16年になるが、この間ずっと命日近くにお花を持って焼香に来てくれる人がいると言っていた。

万人に優しくしていた、身体の丈夫だった祖母は、多くの方に未だに気にしてもらっている。

 自分もどれほどお世話になったか計り知れない。
唯一守ってくれる存在。 自分の心の支え。 恩人。 
 
祖母が突然無くなった時は、GW明けで仙台に帰って直ぐだった。

夜、飲んでいると、寮の後輩から飲み屋に電話があり。家に電話を入れてくれとの伝言があったと言われた。

当時、家から電話があることは全く無かったから、
 直感で誰かの死を感じた。

 祖母の死を聞いた自分は、急いで寮に戻り、支度をして自宅に向かった。
当然飲酒運転だった、 しかもおねえちゃんの店で飲んでいたから、随分と進んでいたと思う。

 仙台から、栃木の益子まで高速はアクセル踏みっぱなしで、リミッター一杯の180キロ、 パッシングをして前の車を全て退かしていった。

 もしかして、俺もこのまま死ぬのか? それでもいいや、とか、
 いや事故りたくない、
など、複雑な気持ちで必死で走ったのを覚えている。

 前々日、食事をした時は、晩年少しお酒を飲むようになり梅酒を飲んで楽しく過ごした。 

 急に当日の朝気分が悪いと言って起きてこなかったと言う。
そして、医者に往診に来てもらったが、なんとも無かった。

 しかし、午後に急に弱くなり、亡くなったと聞いた。
 腹が立つのは、祖母が嫌がるオマルを使わせようとした事だ。

 朝起きてこないことなど一度も無い人だった、どうしてその一大事に気が付かないか、親を責めたかった。

 しかし、死後に祖母の日記を叔母達がそっと見ると、寂しい、 何度も書いてあった。

 また親を責めたくなった。

祖母は、自ら天に逝ったのだと思った。