坂本竜馬は、大切なものを聞かれたとき、
答えが、 刀→鉄砲→万国公法 と、変わっていった。
竜馬伝でも、黒船には刀が役に立たないと、刀を捨てようとしたが、剣術から多くのもを学んで社会に役立てられると気づき、 剣術修行を再開した。
空手も殴る蹴るだけではなく、修行を通じて学ぶ事の大切さを思っていたが、それを確信した。
先日、空手の稽古に久しぶりに参加した。
最初に挨拶の稽古。
以前なら、何を今更と思っただろうが、その意味の大きさを知ってきたので、真剣に出来た。
しかし、今までは、一人だけ大きな挨拶をしても浮くし、心が弱っていたのでしっかりとした挨拶が出来ていなかった。
今回は、やらせてもらえたので、きっちりとやった。
腹からの声で押忍、、十字を切る。
その後、軽く基本をやって、対人稽古が延々2時間続いた。
へとへとになっても、以外に動けた。
指導者は、自分が普段稽古をしていない事を知らないから普通に接し、手を抜けなかったのが良かった。
稽古が終わると、憑き物が取れたような清清しい気持ちになれた。
すっきりして周りの雰囲気が変わった、 そしてその気持ちのいい状態がその後何日も続いた。
これだと思った。
体感したのは、腹からの押忍と稽古で気合が入るということ。 気が巡るということ。 腹を造るということ。
これが武道だと実感した。
知識としては考えていたが、現実味を帯びて自分にやって来た。
今までは強くなる事が全てだった、特に現役の頃は。
それはそれで大切な事だが、
武道で一番大切なことは、気の通ったいい状態を作る事だ。
そしてそれを、日常生活でも維持し続けられるようにする事だ。
気配りが出来、気が利く、行動する、物怖じしない、明るい状態。
その状態を作り出す為に、しっかり挨拶をして、 大声で気合を出し 稽古をする。
稽古は気の通った状態を作りやすくする手段なのだ。
達人は、日常生活で、押忍とも言わない、大声も出さなくてもそのいい状態を維持できる。
しかし、普通の人間は出来ない。
だから初心者は稽古で腹を造っていく。
稽古を重ねる事で、その状態が作りやすくなる。
そして日常にも保てるようになる。
凡人が稽古をしては武人になる。 これが武道だ。
今の自分の武道論。
答えが、 刀→鉄砲→万国公法 と、変わっていった。
竜馬伝でも、黒船には刀が役に立たないと、刀を捨てようとしたが、剣術から多くのもを学んで社会に役立てられると気づき、 剣術修行を再開した。
空手も殴る蹴るだけではなく、修行を通じて学ぶ事の大切さを思っていたが、それを確信した。
先日、空手の稽古に久しぶりに参加した。
最初に挨拶の稽古。
以前なら、何を今更と思っただろうが、その意味の大きさを知ってきたので、真剣に出来た。
しかし、今までは、一人だけ大きな挨拶をしても浮くし、心が弱っていたのでしっかりとした挨拶が出来ていなかった。
今回は、やらせてもらえたので、きっちりとやった。
腹からの声で押忍、、十字を切る。
その後、軽く基本をやって、対人稽古が延々2時間続いた。
へとへとになっても、以外に動けた。
指導者は、自分が普段稽古をしていない事を知らないから普通に接し、手を抜けなかったのが良かった。
稽古が終わると、憑き物が取れたような清清しい気持ちになれた。
すっきりして周りの雰囲気が変わった、 そしてその気持ちのいい状態がその後何日も続いた。
これだと思った。
体感したのは、腹からの押忍と稽古で気合が入るということ。 気が巡るということ。 腹を造るということ。
これが武道だと実感した。
知識としては考えていたが、現実味を帯びて自分にやって来た。
今までは強くなる事が全てだった、特に現役の頃は。
それはそれで大切な事だが、
武道で一番大切なことは、気の通ったいい状態を作る事だ。
そしてそれを、日常生活でも維持し続けられるようにする事だ。
気配りが出来、気が利く、行動する、物怖じしない、明るい状態。
その状態を作り出す為に、しっかり挨拶をして、 大声で気合を出し 稽古をする。
稽古は気の通った状態を作りやすくする手段なのだ。
達人は、日常生活で、押忍とも言わない、大声も出さなくてもそのいい状態を維持できる。
しかし、普通の人間は出来ない。
だから初心者は稽古で腹を造っていく。
稽古を重ねる事で、その状態が作りやすくなる。
そして日常にも保てるようになる。
凡人が稽古をしては武人になる。 これが武道だ。
今の自分の武道論。