今更ながら。。。
親父に教育されて、自分の人生を歩んで来れなかった。
怒られ、怒鳴られ、殴られ、無言の圧力をかけられ、、親父の意に沿う生き方をして、親父が納得するような人生の選択をして来た。
いつも監視されているようで手を抜けない。
結果を出さないと怒られる。
失敗すると責められる。 そういうプレッシャーの中で生きていた。
俺が選択していた人生だったが、いつも親父の影響を受けて生きたいようには生きてなかった。
しかし、親父の制約なしで俺の人生は成立しなかっただろう。 し
自由気ままにやっていたら、俺の歩んできた人生は経験できなかった。
自分のような緩い人間には、ある程度の強制力が必要だったのだろう。
ほとんど何も考えず、辛かろうが、きつかろうが、それすらも感じることなく馬車馬のごとく走っていた。
それで良かったのだが、勝手に不満を募らせた。
できることの積み重ねが大切なのに、高望みをしていた。
(今更ながら。。。親の力)
親父の晩年、奇跡的に会話ができるまでに関係は戻ったが、
憎しみを刻み過ぎて許せなくなっていた自分と、 頑固で非を認めずに謝らない親父。
最後まで心許せる事はなく。 腹を割って酒を酌み交わす事もなく、逝った。
冷静になれていれば、もう少し違った形でお互いが良い人生を経験できたのにと思うが、
これが、俺と親父の関係だったのでしょう。 未熟な人間が人生を未熟にしてしまった。
どういう腹づもりで、何を意図して俺と接して来たのかわからないが。 親には悪気はなかったのかもしれない。 ただ、息子に批難されれば面白くもなく全否定に走ったのかもしれない。 本能的に自己を守ったのかもしれない。 追い込んだのは俺だから、作用反作用で引き金の責任は自分にある。
親不孝に勝る犯罪無し。
山岡鉄舟も親不孝は語るにも及ばないとしている。
そもそも、親を批判する? 思い上がり以外の何ものでもなかった。
最低だったのは俺。 後悔しないと決めていたので後悔はないが、今更ながら。。。。
人に愚痴を言ったり、物事を相談したりしない父が、
俺に愚痴をこぼす。 悩みがあると話をする。 頼みごとをする。 勝手に俺の資産を使う。
子供の立場で嫌っていたから、こちらの気持ちも知らないでと、怒りが先に来ていたが、
もしかしたら、、頼りたかったのかもしれない。。
(病気で長い間社会から遠ざかっていたのに。)
くだらない事に拘って子供のままでいたからそんな事にも気づかずに、大人の関係に成れなかったのかもしれない。
実家に帰り早々に墓参りだけを済ませ帰ろうとする自分に、こちらがどれだけ嫌がっても、いいから寄って行けと何度も何度も寄って来た。。。。。。これが最後となった。